ある程度の

最近、濁った感情が足りないと感じる

 

生きているだけで楽しい

楽しいから、努力を怠る

それだけで人はこうもつまらなくなれるのだ

 

脳機能のあほさ

死にゆくわたしの無価値さ

夏が不快だ

 

新生活

すさまじくゲームがやりたい

ドラクエとかバイオとかクラッシュバンディクーとかやりたい 暇

まあ!毎日朝から晩まで寝てるけどね!床伏せ子だよ!

 

うん、最近やりたいのはゲームと車での一人旅行ですね

なんせ当分まともに働く気無いので

 

いいじゃないですか、半年や一年くらいゆっくりしてても

本来なら大学生ですよまだ

 

自分が生きる分のお金は稼げてるわけだし、でも言われるんだろうな働けって

今から胸が痛いよ

母親は、せっかく休もうとしてる時に休まらない言葉をかけてきたりするので、それが心底鬱陶しい

根本の性格が違うのでわからないんだろうけどなあ

 

わたしが、光の加減や物音一つに心を動かされ、疲れてしまうこと 知らないんだろう きっと一生伝わらない

 

他人の肉体を体感することはできないけど、人一倍世界に疲労している自信がある

他人からすればわたしなんてまったく働いていなくて四六時中休んでいるように見えるんだろうけど、実際「ああ休めた」と思うことはあまりない

わたしは常人のように器用じゃないから、人並みに心を休めるには完全に外界をシャットアウト、それから思考まで止めてしまわなければならない

わたしは、そのために読書をしたり、音楽を聴いたりするのだなと最近気付いた

娯楽などではなく、摩耗した神経と孤独を埋めるためのツールだったのだ

 

あーあ、新生活

 

 

東北へ旅行♡

最初は新潟か福島のリッチな感じの教習所に行こうと思っていたのだけど予約が間に合わず、低予算でお願いしますと言ったら山形になりました

まあいいでしょう 実際行ったら疲れてホテルからほとんど動かないんだろうから

 

というわけでそわそわ浮かれながら検索で引っかかった田村自動車学校のブログを読んでいる

持ち物や教習の雰囲気など、ここが一番詳しく書かれていると思う

見られていたhttp://yaplog.jp/tamura-ds/archive/509とかそう言えばいいのかhttp://yaplog.jp/tamura-ds/archive/495が特に気に入りました この教習所楽しそうだなあ

 

ところでこの付箋http://b.hatena.ne.jp/articles/201304/13538欲しいので誰か買って送ってください

お礼に毎朝祈ります 世界の平和を

 

 

一生人に守られて生きていくんじゃないかという、予感

ほぼ確信に近い

 

安心して生きられる 迷惑をかけない努力はしよう でも真っ当に生きるのはどうしても無理な気がするの

 

http://booklog.jp/users/syousapenguin/profile

こういう賢い風な文章を書いてみたい

 

最近本を読んで感想を書かねばならない機会があった

書けなかった

子供の頃はあんなに得意だったのに

 

知識が増えれば自分への期待値も高まるし雑念も増える 仕方のない事なのかもしれない

また、単純にわたしの脳が思考停止しているだけのような気もする

 

春のお題:お花見!(はてなブログやってない人にはわかんないだろうけど、あるのですそういうのが)

 

花見なんか行ってないし行く気もない

そのかわりに爪をピンクから青に塗り替えた

 

あ、また、はげた 塗りなおしだ

 

 

非常に良くない

ここ二年まともに読書なんてしていない。

斜め読みが精一杯だ。

映画くらいならたまに見るが、結構疲れる。

楽しむ余裕が無い。

ネットで頭を使わない文章を読むばかりだ。

感動の無い生活を送ると、退屈な代わりに心が楽になる気がする。

しかし、

元気

文章がするする出てくるときは比較的だいじょうぶな時だ

どうしようもない時はうまく言葉を吐き出せない

そして何も考えられなくなったらおしまいだ

システムとしてそうなっているのかは知らないが、人(わたし)は感情が消えたり考えることができなくなる前にまず身体が動かなくなる

朝起きる

既に頭が痛い

胃も痛い

瞼を開くのにも何時間もかかる

物事に過敏になっていて外から聞こえる音などがつらい

この頃には食事を自分で用意する余裕はない

ほぼ動かない

お日様とか浴びてる余裕ない

思考回路がおかしくなっているのでわけのわかんないことですぐ泣く

テレビ見ると泣く つけない

抵抗として手元にある携帯やパソコンを触る

特に楽しいわけでもなく、いらない被害妄想や劣等感が広がる 泣く

ネットも億劫になる ここがボーダーライン

次第に尿意や食欲もなくなってきて睡眠欲だけが残り一日の殆どを浅い睡眠で過ごすようになる

この頃にはもうほとんど何も考えていない

が、涙は勝手に出る

バグのように突如顔が笑い出すときもあるが、何も考えていない

意識しないと眼球も動かない

夕方母親が帰宅 明かりがつけられる

気合を入れて少し動けるようになる

無理に会話をして疲れる

気付くと一週間お風呂に入れていない

毎日「入ろう」とは思っているが一階まで歩いていき服を脱ぐための気力がない

うっすら「死にたくないけれどこれは死んだほうがいいのかもしれない」などと考えてもそんな気力は勿論ない

 

そんな感じ

聞かれても咄嗟に説明しきれない

 

 

つけあがるな殺すぞ

昨日か一昨日か、そんな文章を打った

このときのわたしは平静で

とても穏やかな気持ちでいたはずだ

しかし他人から見ればいきりたっているように感じるかもしれない

しかし、しかしそんなことはないのだ

怒りという感情に乏しい人間なので、あまりこわい顔で殺すぞとは言わない

 

(わたしが怒りという感情に乏しい人間であまりこわい顔で殺すぞとは言わない話)

 

 

宗教

嫌いだ。

なにか他人の言葉を盲信するのは楽だろうが、それでは面白くない。

せっかく生まれてきたのに何故他人に従う。

一体誰の人生なのかわからないじゃないか。

と、わたしは思う。信仰することが、どうしても考えることを放棄しているように思えてしまう。

勿論、宗教自体が不必要だとは言わない。多くの人が、生きるのにこれの助けがいることはわかってる。有能な安定剤だ。ドラッグと違って、一度キマれば半永久に切れることはない。

それに、昔からずっと宗教が嫌いだったわけではないのだ。

ただここ最近、宗教について考えることが増え、嫌いになった。そして、宗教が嫌いだと主張し、むきになってその考えを否定された時に完全に嫌気が差した。引いてしまった。ほらやっぱり、と納得してしまった。

その人は後に宗教を馬鹿にする人間は見下しているというような発言もしていたけど、わたしはそういう思考を嫌っているのだ。既にいっぺんしか見えてないじゃないか。

 

わたしは、無駄なことを考えているこの暇を勉学に使えなかったもんだろうか。

相当な秀才になれたと思うんだけど。

 

 

そのうち

ここにある日記とTwitterの逃避用アカウントにある文章をまとめて母体(サイト)へぶちこみたい。元気な時に。元気な時に。

貴重な人生削ってどうでもいいことばっか書いてはいるが今日とて不整脈がつらいのである。

慢性的な胃痛頭痛などに比べればなんてことはないが、なんてこと……うん、なんてことないかなまあ。別に。

たまに本当に苦しくなるけど基本は眩暈がして倒れそうになるくらいで、多分これ最近の社会人とかは結構なってるんじゃないのかな。期外収縮

 

 

死にたいと思えない

人間は時に死にたいと嘆き生きるもんではないのか

わたしは人間じゃないのか

 

あ、ゴミか 忘れてたわ わたしは人でなくゴミだろう

 

まあ死にたいとかいう時期もあったけどなあ 小学四年の冬が始まる頃か

あの時うっかり死んでてもなにが変わるということもないんだろう

わたしがあの時死ななかったのは、とりわけ辛い事がなかったからだ それに感謝したい

 

九歳の女の子が死ぬのには生きづらいという理由だけでは足りなかった 今でも

だけど来年や再来年はどうだろう 十年後は?

あんまり深く考えてないけど、実際

不毛だから死にたくなったらまた考えようこれは

 

ああ。この広いネット上でもわたしを理解できる人間はいないのかと思うとなかなかに気分が落ち込むなあ。

それに、基本的に人の説教を聞いてても感動がないんだ。

会話の中で「君はそう言うけど○○で△だからその考えは__なんだ~」とか説明されても「そんなことは大前提だが?それも踏まえてこう発言している!(わかれ)」となるし、そのまま議論を展開しようものなら「思慮が狭く柔軟さに欠ける。所詮教えを鵜呑みにした意見なんだろうなあ!」となる(多分相手も同じようなこと思ってる)。

どうでもいい説教にいい反応を返すのはとても骨が折れるし、SNSで自分の考えを垂れ流してもいいことはないように思う。

時には、内容によっては、頭のおかしい極左や極右、ロハスこじらせババアが釣れたりもするし、デメリットだらけだ。

 

自分が天才で、唯一正しいと思っているわけではない。勿論。

頭の隅には常に「学もない癖にわたしは何様なんだろう」という文字がちらつく、がそれよりも「こいつすっげえドヤ顔だけど頭ワリィ!」という感想の方が大きく出る。自信がある。

何年も一人で問答を重ねてきたんだ。財産になるようなものでもないが、これだけはそう簡単には揺るがない。

 

わたしの喋りは(または文章も)よく解りづらいと言われる。

癖があるらしく、また思いついた言葉を考えなしにどんどん積み重ねていくせいで、行間を読み取る作業に長けていないと、わたしの言葉は上手く砕けないらしい。

無意識に打った上の文章を読み返すと確かにいまいちだなと思う。そういうのも、あるかもしれない。わたしが納得する会話が出来ない理由。上手く意味が伝わるように話せてないのだろう。

言葉選びが雑なのか?語彙力が無いせいか?

いまのところわたしの言葉をまともに理解できるのは一人だけだ。

 

わたしが頭のいい人間が好きなのは、会話に疲れないから。

頭のいい人は充分にわたしを理解してくれる。

知識が豊富だと何を聞いても楽しい。

態度も自信に満ち溢れている。

好きだ。

あの人と友達になりたかった。遅い。

 

これから先、仲良くしたいと思える人が出てきても、やはりこのように期を逃すことになるんだろう。

嫌われるのは、人を不愉快にさせるのはこわい。

関わらないが吉なのだ。

 

この数年で考え方がかなり乱暴になった。

全てに自愛をかけるわたしではない。他人の苦悩に涙するわたしではない。

それはとてもいい傾向だと思う。

わたしは他人に目を向けられるほど器量の大きい人間ではない。

 

ア。あととりあえず恒例の、定期のアレ……

クソさんへの呪いを叫ばせて頂きます

 

テニスラケットで焚き火しながら舌噛んで幸せな顔で死ね!!!

 

これにて終わりです

ありがとうございました

 

 

社会不適合者は善良だ

しかし開き直った瞬間に、途端にただのゴミへと成り下がる。ゴミだ。紛れもなくゴミ。

でもそれが生きるための術なのだ。

誰にも他者の生き方を縛ることは出来ない。

 

というように断定形で自分の考えを言っても大抵ふわっとした批判しかこないからSNSはクソだ。

同意できない、という感想だけなら自分の掌にでも書いてろ。

 

アッ死にたい。

玉川上水デートへ誘ってください。