ザ・スニーカーを処分した。
私が集めていたのは96’6〜02'12までの約六年分。
読み始めたのが中一からなので、ちょうど私の青春を共にした雑誌といえる。
とはいえ、もはや部屋の片隅で埃をかぶって久しく、そのエッセンスも既に私の体の中に取り込まれており、おまけにその作品のほとんどが文庫化しているとなれば、棄てる理由はなきにしもあらず。
そこで文庫でも読めず、かつ今の私でも面白いと思えるページを切り抜いていっせい処分することにした。


その過程で面白いものを見つけた。
読者による投稿小説コーナーだ。

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しかし、秋山さん(うちの編集長のことではない)の書く作品はなんとなくGAINAXっぽい匂いがするものが多い気がする。
E・Gコンバットはトップをねらえ!!の影響が強く見られるように思う。女だけの軍事訓練施設という舞台に謎の宇宙生命体という敵もそうだし、やはりキャラクターの配置にも影響が見られる。
ストーリーの随所においてもそうだ。いつも苛めていた優等生を重要な模擬訓練の場で打ち負かすという展開や、その優等生との和解。それにE・Gコンバット第二巻における大穴落下の緊迫感と、トップをねらえ!!における超高速空間での作業の緊迫感など。
他にも様々な点が挙げられる。


そういうのを見つけるたびにつくづく思うのが、よく秋山流にアレンジしてあるということだ。これだけ要素を抜き出しておきながら、オリジナルとは決定的に違う物語を創り、その中でしっかりと自分の考えを表現する。この辺に作家・秋山瑞人の実力が窺われる。


しかし、それはそうと秋山さんにはそろそろE・Gコンバットを完結させてもらいたい。
私が高2の時には既に3巻が手垢まみれになって久しかったのだが。
首を長くして待っている間に他のシリーズが3つも完結しているのだが、どうか。
まあ、それだけ期待していいということだと解釈して期待させてもらおう。

すでに打ち棄てられた感漂うこのページ。
いまさら見ている人などいるのかと疑問に思えてくるこのページ。
その責任の大半は私(副代表)と代表にあり、些か良心の痛む次第。
だからというわけではないのだが、はるか昔に出されたクロスレビューを簡単にしてみようかと思う。
今回はネタバレ上等で書くので、まだ読んでいない人は見ないことをお勧めする。
お題は「イリヤの空、UFOの夏」。

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「眠い眠い」とぼやき続けていたら、いつの間にか「寒い寒い」と凍える季節になっていました。いや、季節を問わず、春夏秋冬年がら年中、睡魔と闘う日々ですが。

 最近の街角はやたらと創作意欲が湧いていて、書きかけのものやら、プロットを練りに練ったのやら、書きだめしてる分が結構あったりするわけですよ。
 そこで、この場を借りて、私的メモがわりにアンケートしてみようかなーとか。
 次に挙げる小説の中で、読んでみたいものを選んでくださいな。


 1.『不幸な小説』 読むと幸せになれるという噂が広まる「不幸な小説」を偶然手にした主人公(高校生・小説家志望)。しかし、そこに描かれていたのは幸せどころか克明なイジメの描写だった。そして、それは実際の事件としてクラスメイトの身に起こってしまう。……犯人は誰か? 「不幸な小説」は誰が何の目的で書いたのか?!

 2.『渦〜CRY FOR YOU〜』 そこそこに何でも出来る主人公(大学受験生)は、高校生活最後の夏休み直前、友人に「バンドをやってみないか?」と誘われる。バンドが紡ぐ重低音、ライブが生み出す音の渦に魅了された主人公は、学習塾に通うかたわら、ヴォーカリストとしての顔も持つようになる。敷かれたレールを歩いていくか? 衝動に任せ突き進むのか? ステージの上、選択の時が迫る!!

 3.『喫煙者鏖殺計画』 「タバコなんて大っ嫌い! 吸ってる奴は死ねばいい!」そう言って彼女は僕の元から去っていった。……あれから数ヶ月。頻発する通り魔殺人。現場にはバラバラにされたタバコ。被害者は皆喫煙者。って、待て待て。これ、僕と彼女が考えた「喫煙者鏖殺計画」じゃん!!

 4.どれも読みたくない。


 1〜3を選んだ場合、どの辺りに惹かれたか、とか、こういうストーリーが入ってくるといいんじゃないかとか、そんなことを書いてくれると街角は喜びます。
 4を選ぶ場合は、読む気にならない理由も書いてください。参考にします。

こういうことを書くべきなのだ。

というわけで、暇人ちゃんに喧嘩を売っておきながら、
山手線全線「舞城王太郎」ツアー、一緒に行こうよーと
誘ったら軽く無視されたもにょは、卒論を書いてます。

冷静に考えれば、喧嘩を売っている時間があるなら、
卒論書けよ!と、そういうわけだったことに、締め切り12日前に気付きました。
おそい。


>ぶっちゃけると「〜壊れた世界」で俺はちょっと維新を見直したりした。
>ちったあ自分と向き合えるようになったじゃん、ってな。

そんなもにょはRBの掲示板に未だに書き込めないので、師匠の発言にはこちらで
レスを入れることにしましたにょ。
↑は師匠の発言ですが、僕は全面的に賛同できないです。

「最初の頃、予想以上に「いーちゃん」が作者の投影だと思われて、困惑したものだ。」
(『活字倶楽部2004冬号』雑草社59頁)
「僕はやっぱり、芸術家というよりは職人というスタンスで小説を作っているという意識があって、つまり、僕がどういう人間であるかということは、小説の内容に関与していないと思うんです。」(『ユリイカ9月臨時増刊号』第36巻第10号青土社174頁)

というどちらもインタビューでの維新の発言だが、どちらも、「戯言シリーズ=作者」を否定している。さらに、『活字倶楽部2004冬号』(前出61頁)では、『きみとぼくの壊れた世界』を「僕なりの本格ミステリであり、僕という小説家とか作品とかの自己紹介なんですよ。」と語っている。これは、「自分と向き合えるようになった」結果であると、師匠は言いたいのだろうか?
師匠はそう考えているのかも知れないが、僕はそう思わないので、書き込んでみた。
というか、この場所はそういう場所なんだ、もともと!!!
ばいにゅーん

>相手に理解力がないなら、それでも理解させられるくらいの言葉の力を身につけてみせろ。

黒師匠のお言葉ですが、うちの母親と同じことを言っているのぉ。
でもね?壊れたラジオをいくらチューニングしても、いつまでたってもラジオは聴けないの。
それともなあに?分解して修理しろよと言いたいの?
ラジオならあるいは出来るかも知れないけど、人間の頭を改造するのは難しいし、非人道的かもよ?

僕とかではない、第三者との間での往復書簡を精読して、これは・・・「暗黙の了解」が判っていないのでは?とか、
理解力が足りないのでは?読解力も皆無とは言わないけど怪しいもんだとか、
思って書かれた文章なので、あるいは、「お前の言葉が相手に通じないのは、相手が馬鹿だからじゃない。お前の文章がへたれだからだ。」という指摘が正しいかも知れなくても、
おおっと、ぐれんまさんの文章もへたれなのか・・・と遠い目をせずにはいられませんね。
それに、幸田文もずいぶんと頑張ったけれど、失敗したようなことを書いていた。
下女相手のことだったけれど、どんなにへたれではなく、すばらしくても無理なときは無理だ。
(だって、そのころ若かったと言っても幸田文ですよ??)
最近、きっと日本語で考えていないんだよー。英語で考えているんだよー。とか思ってます。