一年後、変わっているために

今、目の前の景色から変えていく生き方論

流れに身を任せることは近道

私たちは、目標を決めたとき、無理矢理何かを起こそうとすることがある。

目標を達成しようとするあまり、心が望む事ではなくても、雁字搦めに自分をコントロールしようとする。

しかしこれは、目標を達成するどころか、理想の形から遠ざかってしまう。

心の声に従わないでいると、体調を崩す結果になる。

自分の心が、そっちに行きたいと言っているのに、そっちに決めないから。

NOと思っているのに、相手の目を気にして、自分の心に我慢をさせてしまうから。

身体が、身を犠牲にして教えてくれているのだ。

 

最近、原因不明の体調不良だという悩み相談をされることが度々ある。

病院へ行ってもどこも悪くない結果だそうだ。

その手の悩みは得意なので、すぐに解決に導いてあげられる。

原因は、『心』や『言動』にあるからだ。

そこに気がつくことができれば、治りは早い。

結局、自分の心の声に従わないで我慢したり頑張りすぎると、自分ではよく我慢した、頑張ったと思うかもしれないが、望まない結果を引き起こしているに過ぎない。

 

人に本心を素直に伝えたり、心が求める行動をとることは、なかなか難しいかもしれない。

自分を本当に大切にしてくれる人には本心を素直に伝えられるが、自己中心的な人には、怖くてなかなか本心を伝えられない。

それは相手が不機嫌になることで、自分が嫌な思いをするから。

自分を守るために、本心を伝えられないのだ。

いつになったら抜け出せるのかと悩み、行動してみるが、行き着くのは、

『流れに身を任せる』しかないというところ。

だから、今やるべきことをとことんやりぬく。

満たされない心を満たすために、望まない何かに依存して現実逃避などしている場合ではない。

そんなことにエネルギーや時間を費やすより、目の前にできること、やるべきことがあるだろう。

身体が求める健康的な食事に変えたり、断捨離したり、無駄な脂肪を落としたり、自然の中で過ごしたり。

それらは絶対に人生を良い方向に変えるから、まだできていないなら、やった方が良い。

そうすれば、自然なタイミングで、願いが聞き入れられる。

心から望む状況を手に入れるために。

夢を叶えるために。

 

わがままに生きている人は、まわりを巻き込み欲しい物をどんどん手に入れるが、わがままであるゆえに、気にしなくてもそのうち勝手に好きなところへ、自分のわがままを聞いてくれる人の心へ引越しをしていくからだまって見ていると良い。

こちらが無理をしなくても、いつかどこかへ行くから。

そのために、自分のレベルを引き上げよう。

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自粛でダイエット

たまに、

『3ヶ月で10㎏痩せました!!』

という人の記事を見かける。

実はコレをやってみたい。

ダイエットは、痩せなきゃヤバイな〜と焦っているうちは、だいたいどんなに頑張っても体重は減っていない。

焦りもなく、なんとなく食事コントロールしているときは自然に痩せている。

しかし、長い間、理想の体型になれていない。

しかもコロナで自粛中、何かを変えなければ痩せるわけがない。

すごく憧れるやつ、

『3ヶ月で10㎏痩せました』

という人の真似をしてみたいと思う。

…自信はまだないが。

まぁ10㎏も痩せなくて良いから、

5㎏ぐらいかな。

ということは…

3ヶ月で10㎏痩せる人の真似をするなら、1ヶ月で3.3㎏ぐらい。

5月中に、だいたい3㎏痩せてみるとするか。

 

さてどうしよう。

 

①筋トレ

②少しでも多く歩く

③糖質控える

④水を意識して飲む

⑤暇を作らない(食べたくなるから)

⑥キッチンからなるべく離れる(食べたくなるから)

⑦口寂しいならフリスク(自己流)

⑧身体を揉みほぐす(美ボディも同時に目指したい)

⑨ワカメ、きのこなど食物繊維も意識

⑩良質の油、タンパク質を多めに摂る

 

ザッと考えただけでもこのぐらいは思いつく。

まずはやってみるとするか。

身体を変えることができるなら、人生もうまくいく。

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自粛で筋トレ

確実に運動不足。

5月に入り、気温が上がりストーブを止めたので、逆に時々寒くなる。

ホットコーヒーを飲み暖まる。

また寒くなる。

梅昆布茶でも飲んで暖まる。

また寒くなる。

お腹たぽたぽ。

Σ(゚д゚lll)

ヤバイ。

筋トレ筋トレ。

歯磨き中にスクワット。

1度の歯磨きで3セットはできる。

それを朝昼夜の3回。

腹筋もやらなきゃ。

これも、身体が冷える度にやることにしよう。

 

目標→毎日筋肉痛!!

 

とりあえず思い立ってから3日は続いている。

5月の終わりまでには、だいぶ引き締まっているといいな。

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データが消えた

iPhoneの調子が…汗。

何を押しても反応しなくなってしまった。

リンゴのマークが光っているだけ。

電源も切れない。

データが全部消えるかもしれない。

初期化しなければならないかもしれない。

さぁなんだこの試練は?!

この状況で考えたこと。

1、今日は何もしないで諦めて寝れる!

2、明日午前中までと約束した仕事の依頼、最悪の場合でもどうにか相手の方へ連絡したい

3、写真は消えても意外と何とも思わない

4、データまで断捨離するのも面白いかも

5、LINEが消えても構わない。むしろこれも断捨離

6、連絡先が消えてもFacebookログインできれば困らない

7、アップルストアがどこにあるのかは知っておかないとまずい

8、重要な事はメモするなどアナログで残しておく事も必要

 

と、このような感じだが。

スマホ一台で何でもできるということは、スマホがなくなれば、何もできない!!

これを痛感した。

残り物で何を作ろうかな?と考えたがレシピを見れない。

買い物に出るにも時間を見たいがスマホが使えないから久々に腕時計をする。

そして、写真というものに対して全く執着がない自分を知った。

好きな場面は脳裏に焼き付いているようで、はっきりと思い出せるのである。

お気に入りの顔もはっきりと思い出せる。

つまり、脳にデータが残っている。

これでいいじゃん。

良い場面を思い出として写真に残そうとする行為は、その時の雰囲気の良い流れを遮るだけでなく、目で見たとても良い状態の生の記憶を残すことができなく、残念である。

(意図的に物を撮るなど、自然な流れを遮らない場合は別。)

これは長年関わってきた幼稚園の園長先生もよく言っていたことではある。

『レンズを通してではなくて、生の目でしっかり見ることが大事です。』と、何度も伝えられてきた。

私はそれを信じて素直に実践してきたから、大切なことがよくわかっている。

頭にも心にもちゃんと温かく残っている。

しかも、いつ死ぬかわからない。

いつ災害で物を失うかわからない。

誰にでもその可能性はある。

写真に残すよりも、目でしっかり見て感じて、頭と心に残ることが大切だと再確認できた。

そして、いつ災害で物を失うかわからないのなら、いつまでその物に執着しているのか。

自分にとって、本当に手放したくない大切な物は何か、本当に手放したくない大切な人は誰か、そこに依存や執着があるなら気がついて、今一度考えてみるべきである。

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コロナで休校、何をする?

札幌でも暖かくなり、桜が咲いた。

自然が好きな私は嬉しすぎる。

世の中の騒ぎなど関係なく、今年も心を癒してくれる。

本当はもっとたくさんの桜並木を見たいのだが。

うちの子供達6人、幼稚園、小学校、中学校ずっとお休みなので、ゴールデンウィークといってもなんら変わらずお休みが続くだけ。

目の前の豊平川は連日、以前よりも人が多い。

皆行く場所がなく集まっているのだろう。

うちも今日はスケボーしに行くみたいだが。

私は何をするかというと、やはり、断捨離を終わらせるという目標を達成したい。

本は寄付しようか…

エルメスや何十万のバッグはいらないけど売れる気もしないし…

オーラソーマは教えていたからテキストもいっぱい。でも今使わないしな…

課題はこのようにまだまだある。

ひとつひとつ乗り越えて、日々前進したい。

夢や目標への試練。

面倒くさいことに向き合って、取りかかろう。

絶対にできる、絶対に叶えるため。

自分を信じて。

長期のお休みを無駄にせず。

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父の命日

4月29日父の命日。

私が23?24歳ぐらいの時にこの世での役目を終えた。

それからもう16年は経っている。

今でも毎日、手を合わせている。

先日、命日だったので、久々に父と心の中で会話をしてみよう思い、試みたところ、こんなメッセージをもらった。

『子供の目を見なさい。全部わかるから。』

なるほど。

そう言えば、私が子供の頃、父とふたりでよくお出かけをしていたのだが、バスや地下鉄で時々見かける発達障害の子(中学生から高校生ぐらいだろうか)に、父は必ず話しかけていたのだ。

その頃は、周りの誰もが、見た目でその子たちを避ける傾向が強かった。私も、普通とは違う動きや言葉を発している様子を見ると、どうも怖く感じていた。

父はそんな周りの目を気にせず、『元気か?』『頑張っているか?』『うん、そうかそうか!』と、会話のキャッチボールができているかは別として、まるで知り合いかのように、笑顔で明るく話しかけていた。

そして、決まって『この子たちは純粋で良い子たちばかりなんだ。目を見ればわかる。』

と言っていた。

父は昔、中学校や小学校の教諭、教頭をしてきて、最後は市立札幌病院の院内学級で、自閉症の子供達を受け持っていたと言う。

だからこそ、理解が深く、温かく接していたのだろう。

この、『子供の目を見なさい。』

という今回のメッセージは、昔にこんなことがあったなと思い出させてくれるものであった。

この言葉を受け入れ、私は6人の子供達がそれぞれどんな状態なのか、目を見てみることにした。

いつも目ぐらい見てはいるが、普段よりも数秒長く見てみると、言葉がなくても、何を言わんといしているのか、わかってあげられる。

気持ちをわかってあげようと、優しい気持ちで自分自身が子供達に寄り添ってあげられるのを感じた。

わかってあげれば穏やかに事が進む。

言葉が無くても意思疎通ができる。

子供達は安心感を得られる。

私にとっても子供達にとっても、とても良いことである。

父の命日に、父からとても大切なメッセージをもらえたと思う。

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過去の写真を捨てる

断捨離が進んで、後もう一踏ん張り。

今取り掛かっているのが写真のアルバム。

これが量が多くて重たすぎる。

断捨離しようと決めた。

私は断捨離することを決めたが、一般的な皆さんは、家にこんなに重たいアルバムを大量に所持しているのだろうか?

実家を物置代わりにしてしまっているのだろうか?

と、疑問を抱きつつ、物置代わりにせずもっと親御さんにも快適な生活を送らせてあげれば良いのにと思ってしまう。

これもおそらく相互依存なのだろう…

それはさておき、

写真の断捨離は、スマホでスキャンし保存するだけとても簡単。

写真屋さんで撮った大きな家族写真もこれで保存できる。

後は捨てるだけ。

できるじゃん!

今は、卒業アルバムをどうしようか迷い中。

まぁ、はっきりいっていらないからな…残したい部分だけ1ページずつ頑張ってスキャンするか。

 

これが終われば自分の持ち物はだいぶ軽くなる。

終わりは見えてきた。

見えてはきたけど、まだまだある。

早く次のステップに移りたいから、やらなければならないことは、さっさと終わらせてしまおう。

一生懸命にやっていれば、きっと良いことがあると信じて。

 

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