思惟微詠

もやもやをある程度形にすることを目的に

本ぶろぐの個人的意義

 恐らく10代まではブログを少なくとも書いていたように記憶している。今振り返ると、何らかの発信の場ではあったけれど、日記的だったし、自分の考えを発信する場ではなかったと思う。ブログを閉鎖したその後は、発信の場がTwitterに移っていき、このような形で書く文を自分の外に出す機会さえ無くなっていった。加えて、自分のTwitterの使い方は履歴かつ情報収集の場であり、同様に思考の場としても用いていない。それゆえ、近年では、自身の考えを恣意的に文で述べたりすることが少ない。

 現在、自分が置かれている環境では様々な考えに触れることができる。それはかなり恵まれた環境だと日々感じているのだけれども、それは時には自分の考えを希薄にしてしまっていると感じている。その原因には、様々な考えに触れたことによって生じた、自分の考えていることや感じていること、疑問、などといったもやもやに対して、その都度丁寧に向き合う姿勢というものが欠けていることがあるのだろう、と思う。

 そのもやもやに向き合う姿勢を形成していく場として、自分自身に向き合う場として、自身の考えをひとりで小さく一つずつ詠み上げることで、ある程度形にすることを目的にするというのが個人的なこのぶろぐの意義なのです。

 投稿は散発的で、文はきっと拙く、あとどれだけ続くか分からないのだけれども、細々と続けていくのが目標です。

# この文章も時間が掛かってしまっているので、リハビリ的な効果も見据えて。