3/24に、気賀関所を歩きました。

まさひとです。こんにちは。

 

最近ぐっと温かくなって、桜や木蓮とかみんな咲き始めました。相変らず私は抱えている用事が多くて、どうしても寝不足気味です。もうちょっと余裕が欲しい、かな。

 

 

 

 

さてさて、本題へ戻ります。3/23~24に私は静岡市浜松市へ行ってきました。

 

3/23の私は勤務先を休み、静岡市へ向かいました。清水区内の病院で身内をお見舞いし、色々な相談をしています。本人は、色々な準備や連絡とか心身の負担とかで、すっごく大変だったそうですが。手術そのものは、まずまずうまくいったそうで。とりあえず良かったかな。

 

3/24は浜松市内で9時半に、親戚と待ち合わせしました。こちらは急な展開となり、みんなびっくりでした。

 

親戚にご挨拶したあと、雨も降り始めて、どうしようか考えましたが。やっぱり気賀関所のまわりだけ、歩いてみようと決めました。

 

当日のGPS記録はこちらです。

気賀関所ぶらぶら - 2024年03月24日 [登山・山行記録]-ヤマレコ

 

 

 

 

では、写真を見ていきましょう。

 

 

 

 

3/23(土)に私は、静岡市内まで身内をお見舞いに行きましたが。その前に「トリオ」さんで昼ご飯を頂きました。非常に個性的な店内(失礼)ですが、味もサービスも気に入りました。

 

 

 

14時から病院は面会開始ですが。今は身内だけが15分間に限って、面会出来るらしいです。身内は、色々と大変だけど手術そのものはうまくいったみたいで、まあ、心配なこともいっぱいですが、有難い展開かなと。写真は入院先の病室の窓から撮りました。

 

 

 

今回も、清水区にある福住旅館さんへ泊まっています。片付けしてお風呂に入って、晩ご飯には「とんかつ多㐂本(たきもと)」さんへ伺って、あれこれいっぱい飲んで食べてきました。

 

 

 

ここから3/24(日)です。旅館を朝早く出発して、浜松市内で9時半に親戚と待ち合わせです。写真は途中の日本平PAで食べた朝ご飯。

 

 

 

親戚のご挨拶を終えて、雨も降りだして、今回あまりにも予定外のことがたくさんあり、どうしようか迷いましたが。やっぱり気賀関所のまわりだけ、みてまわることに決めました。

気賀関所 - Wikipedia

 

 

 

気賀関所は本来この場所では無くて、気賀駅を挟んだ反対側に設置されていました。今現在ある関所は、ふるさと創生事業で1990年代に再建されたものです。写真は取り調べをする本番所です。

 

 

 

遠見番所へ登ってみました。残念だけど、こういう天気だから眺めは冴えません。浜名湖を見渡すための施設、という理解で良いのかな。

 

 

 

いま一般に姫街道と呼ばれる街道って、正式には「本坂通」で、東海道の脇道として見附宿(磐田宿)から御油宿までを結んでいました。気賀関所に付随している「姫様館」には、当時の手形などが展示されています。

姫街道 - Wikipedia

 

 

 

天竜浜名湖鉄道の気賀駅に来ました。とっても小さな駅です。中を覗いてみると、なぜか「ゆるキャン△」のポスターがありました。駅の横というか構内で、中華料理店の「貴長」が営業していて、ここで昼ご飯を食べておけば良かったかな。

 

 

 

細江神社へお参りしました。明応七年に、今の湖西市あたりからこの土地へ地震津波で辿り着いてきた、ご神体をおまつりしている神社だと私は理解しています。

 

 

 

細江神社の奥ですが、「浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」にも寄ってみました。この地で発見された銅鐸が、これだけの数で展示されているって、本当に凄いと思う。これは2階です。

 

 

 

細江町ではイグサの栽培と、タタミやムシロの製造が盛んでした。江戸時代に地震による津波で、たんぼが潮をかぶり、稲作が難しくなってしまい、塩害に強いものの栽培と製造が必要になったため、イグサの栽培が始まったそうです。こちらが1階。浜名湖で漁をする道具も展示ありました。

 

 

 

この歴史民俗資料館の表には、江戸時代の「産屋」が移築されています。明治の初めまで出産は、こういう場所で行われていたそうで、何なんだろう。

 

 

 

歴史民俗資料館の近くですが、「犬くぐり道」があります。本来なら、誰もが理由を問わず、時間と手間をかけて関所を通過するべきですが。しかし、現実にここで生活している領民は、毎回毎回関所を通過するなんて不便すぎるので。ここを犬として、抜けて行き来していたそうです。

 

 

 

細江の町を今回歩きましたが、この写真の様な古くて大きな住宅とか、他にも立派な寺院が見えまして。今でこそ寂しげな田舎だけれど、かつては経済的にも文化的にも栄えた土地なのだな、と思います。

 

 

 

天竜浜名湖鉄道を渡ります。いつか姫街道の、引佐峠とか本坂峠を越えるところだけでも歩いてみたいものだけど。どうすれば出来るのだろうか。



 

細江図書館の前庭には、この細江に関係ある文学の記念碑が幾つか建てられていました。古くからの街道だから、あっても不思議ではないな。

 

 

 

夕方には愛知県内まで問題なく帰宅しています。

 

 

 

 

今回の感想を3点挙げておきます。

 

 

 

①今週末は、最初の予定から二転三転しましたが。私の置かれている立場としては、最低限の役目を果たしたのかな、とも思います。

 

全体の状況と、私の置かれている立場を考えて、まずは必要なことをするのです。

 

 

 

②膝が痛くなって、家族親戚の用事をいっぱい抱えていて、しかも当日は寒々しい雨になりましたが。役目を終えてから、無理しない範囲で、こうやって歴史めぐりが出来て良かったかなと思います。

 

何でもできるわけじゃないし。やればいいってことでもないけれど。大人なのだから自分自身の機嫌は、自分自身で良い状態に保っていきたいのです。

 

 

 

③今回も前回も雨のなか、屋外を歩いてまわると、時々びっくりされますが。中止するほどの雨ではない、と私は考えました。もちろん片付けとか、面倒ではありますが。あくまでも程度の問題だ、と私は思います。

 

 

 

 

 

 

 

2/23に、勅使池をぐるっと歩きました。

まさひとです。こんにちは。

 

毎日毎日、色々な事が起こります。私は私なりに仕事や生活に頑張っていますが、うまくいくことばかりでもなくて。出来ないこともありますし。やれやれです。

 

そうだなあ。とりあえず花粉が治まってくれたら、もうちょっと楽になるだろうなあ。

 

 

 

 

さて、本題へ戻ります。2/23の天皇誕生日だったら私は、何とか出掛けることが出来そうでした。もちろん膝を悪くしていて、本格的な山登りは難しいです。とはいえ無理しない範囲で歩いてみたいですし、中京圏には興味あるところがあちこちにあります。

 

そんなこんなで、今回は豊明市にある勅使池(ちょくしいけ)をぐるっと歩いてまわり、できれば二村山(ふたむらやま 71.8m)にも寄り道しようと計画しました。

 

直前に天気予報が、冷たい雨だとなりましたが。まあ、これくらいの雨だったら、どうしても中止するってほどでもないな、いっそ雪になればラッキー、と思ってスタートしています。

 

当日のGPS記録はこちらです。

勅使池ぐるっと - 2024年02月23日 [登山・山行記録]-ヤマレコ

 

 

 

 

では、写真を見ていきましょう。

 

 

 

 

改めて、こんな冷たい雨ですが、本日は勅使池を歩きに来ました。豊明市名古屋市の境目にあります。勅使水辺公園の駐車場からスタートして、ゴールします。大きな屋根の東屋があり、そこで私は雨具や長靴を準備しました。

 

 

 

水面に張り出した桟橋があったので、ちょっとだけ歩いてみました。勅使池という名前は16世紀、この溜池を改修工事するように、と勅使が訪れたことに由来する、らしいです。

 

 

 

堰堤の上を歩くと、水門というか取水口が見えます。ここから多くなった水を逃がすわけで、排水口と呼ぶべきなのかも。堰堤の高さが知りたいのだけれど、良く分からなかった。

 

 

 

池には水鳥がいっぱいいて、こんなに寒いけれど、バチャバチャ騒がしかった。遠くて動くから写真は無理でしたが、鳥の観察には良いところだと思う。

 

 

 

また浮き桟橋を歩きます。今は雨と雲の冴えない景色だけど。春になれば新緑と花が綺麗だろう。

 

 

 

元々の予定だと、この写真の辺りから、二村山へ行ってくるはずでした。しかしこんな天気だし、靴や雨具が泥で汚れると片付けが大変なので、今回は勅使池だけにしています。

 

 

 

この勅使池を一周する遊歩道は、2013年に公園として整備された際に設けられた、という理解で良いのかな。池そのものは、はるか昔からあるみたいですが。

 

 

 

中京圏というか濃尾平野は、ずっとずっと昔から穀倉地帯だったために、多くの溜池が作られまして。近代以降それらの溜池は、都市公園に取り込まれ、今でも市民の生活と共にあるわけです。

 

 

 

はるか昔に作られた溜池が、今でも市民の憩いの場として、大都市の中で役割を持ち続けることで、維持管理されていて。これって、なかなか素敵な都市設計だなと思うのです。

 

 

 

遊歩道を歩いていると、どうしても池ばっかり見てしまいますが。実はこの池を囲む森というか木々が、なかなか綺麗でした。

 

 

 

池を囲む森には、ところどころに踏み跡や何かのマークがありまして。これらの踏み跡とかマークって、誰が何のために残したのだろうと不思議でした。

 

 

 

冷たい雨の中ですが、私以外にも歩いているひとがチラホラおりまして。桜の咲く時期だったら、すごくいっぱいのひとが来るのだろうと思います。

 

 

 

駐車場へゴールしました。二村山にも行けば行けたかな?しかし行ったら、靴も雨具も泥で掃除が大変になっただろうから。今回は中止して正解だと思う。晴れて花も咲いている時期に、また二村山は行くとします。

 

 

 

時間が予定よりも早かったので、すぐ近くの沓掛城跡にも寄り道しています。桶狭間の戦いの前日に、今川義元側の軍議が開かれた場所です。



 

沓掛城跡って、大都市の近郊にあり、山や丘ではなく平らなところの城跡にしては、わりと遺構が残っているほうではないかなあ。空堀と土塁と曲輪が分かります。

 

 

 

今川義元側も、この沓掛城に首脳陣は留まっていれば、あんな展開にならなかっただろうに。

 

 

 

 

今回も、感想を3点挙げておきます。

 

 

 


①すごく冷たい雨の中ですが、実際に歩いたらこれはこれで楽しかった。山登りだったら、中止するほどの雨では無いと思ったのです。片付けは面倒になりますが。直前に登山靴ではなくて、単なる長靴にチェンジして正解でした。

 

 


②今回は二村山に行けなくて、残念は残念だけど。どこかで花が咲く季節に、また来てみたいです。こういう場所だと、ごく気軽に来たり延期したりできるので、すっごく気持ちが楽ですね。

 

 


③沓掛城跡は、こういう大都市の近郊にあるものとしては、けっこういい状態で遺構が残っているほうだと思います。今回ここを見て歩いたら、桶狭間の古戦場がある辺りも見て歩きたくなりました。

 

愛知県の今では西尾市になるのかな、今川というところがありまして。そこが今川氏の本貫の地だと理解しています。

 

今川義元側は、当時まだ有名ではなくても相手が織田信長だ、という認識が薄くて。この先に起こる戦闘で負けたら、何もかもすべてを失うという覚悟が果たしてどれだけあったのかなあ。そんなふうに思いました。