5/27
(23:48)
今日は寝落ちしていない。
昨日今日と夏だった。まだ5月なのに。
でも夜は涼しいから休める。
会社に温度計があるのだけど、25℃を超えてくるあたりで暑く感じ、26度になるともう完全に暑くなることがわかった。(なんか暑いなと思ってみると25.8℃とかになっている)
まだ5月なわけだけど、すぐに6月になる。
そしたら7月、8月が来て、夏というのは、初夏と晩夏を含めて3か月くらいあるんだ(今さら意識した)(ほかの季節も同じはなしだ)
3か月が過ぎるのはアッという間なので、この夏もそうして過ぎていくのかもしれない(年寄りくさい発言)
Tシャツを取り出して洗濯し、干している。
5/19
(0:42)
寝落ちした。
今日は休養日。
11時まで寝ていた。薄曇で涼しい日は長く寝る傾向がある。
ごろごろしていた。
ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー(上)』(ハヤカワ文庫版)を読んだ。
カーネマンはノーベル経済学賞を取った人。
この本は数年前に買ったっきり積ん読状態だったけど、読み始めてみたらおもしろい。
人が考えるときのパターンはふたつあり、それらをシステム1、システム2とよぶ。
システム1は自動思考でいつもオンになっていて、オフにすることはできない。これが速い思考の方。
システム2は、意識的で注意力を必要とする思考をおこなう。
システム1で解決できない問題が生じたときに駆り出される。
遅い思考。
人間の認知にはシステム的なバグ(系統的なエラー)があり、ヒューリスティック(問題解決の近道みたいなもの?)に頼りがちで、結果としてその判断にはバイアス(偏り)がかかるのだという。
投資責任者のたとえ話があった。
フォード社の株を買うべきかどうか?
株を買うべきかという判断はむずかしい。
システム1では解決できないので、システム2の出番となる。
でも、システム2でもわからない。
ここでなんと問題のすり替えが起こるという。
株を買うべきかどうかが、その会社が好きかどうか?という判断の問題にすりかわるヒューリスティックを使ってしまう。
このたとえは、株の売買じゃないけど、ほかで身に覚えがある。
そんな感じだった。
読書はシステム2の思考を要求する行為だ。
注意力は有限なので、決まった量しか行うことができない。
なので60ページくらい読んで今日のところは止めた。
疲れが残っている。
あと一日休みが必要だ…。
5/18
(00:00)
今日は婚活パーティに行ってきた。
30代の男女の会。
気疲れして、帰宅後は寝込んでしまった。
なかなか世知辛い空間である。
人が人を互いに値踏みする。
値踏み、はいやらしい言い方だけど、この人はよさそうあの人は違うなと評価するのだから、だいたい同じだろう。
やれやれ。
一人の気楽なことよ。
とくにしゃべることがなくても黙っているわけにはいかず、何か話さないといけない。
ふたりきりだからそうなる。
だからふたりっきりというのは苦手だ。
3人なら楽なのだが。(ふたりっきりの関係を避ける婚活パーティとは何か??)
会が終わり、男性陣は互いに視線を合わせず、誰ひとり声を発せずエレベータを待つ。
彼らは何を思うのか。
生はつらい…。
5/15
(23:47)
今日は久しぶりに寝落ちしていない。
夕食後に横にならなかったのがよかった。
横になると必ず寝てしまう。
寝落ちすると1時とか2時に目覚めたあと、なかなか寝付けなくなるので睡眠に失敗した感じになる。
睡眠時間の合計をみれば、寝落ち睡眠+再睡眠で7時間くらいになるが、同時間の通常睡眠(連続睡眠)とくらべて休息具合に雲泥の差がある。
あと、電気をつけたまま寝るのはよくない。ねむりが極端に浅くなる。ほぼ覚醒に近い。
睡眠失敗はわるい‥。
5/7
(2:25)
寝落ちしてしまった。
いつも夕食後にベッドで横になって、本などを読んだりするのだが、必ず寝てしまう。
寝ていけない理由もないが、寝たほうが良い理由も思いつかない。
ちゃんとした時間に就寝するのがよい。
今日は久しぶりの労働だった。
身体がまだ職場環境に適応できていない。
労働は疲労するものだということを再認識した。
ところで、最近読んでる本はHomo Deus(Kindle
本。やさしい文体で書かれていて読みやすい。が、ところどころむずかしい語彙が出てくるので、すぐに辞書を引ける電子本で読むのが適している)
読んだのはまだ1割程度だけど、人類が飢饉、疫病、戦争をコントロールするすべを得て寿命を全う出来るようになったいま、人類にとっての課題は何か?という展開になっている。
それは不死の獲得と幸福の実現だという。
なるほどと思わされることの連続で、おもしろい本だ。
あしたも労働日なのでもう寝よう。
5/1
(0:25)
令和元年の初日が過ぎた。
時代はよくなるのか。
最近『東京貧困女子』という本を読んだ。
東京で暮らす、ふつうの、あるいは優秀な女性たちの貧困生活について書かれていた。
シングルマザーで、親類の助けが得られず、健康を崩して働けなくなると貧困から抜け出せなくなるという。
東京は生活費が高いから。
地方に行けばよいのに、と思ったが、かんたんにそうできない事情があるのだろう。
同じ境遇のシングルファーザーならどうなのか?とも思った。(母数少なそう)
官製貧困のはなしがあった。
官製貧困とは、国や自治体によってつくられる貧困のことだ。
出ていたのは非正規の公務員の例だった。
その賃金制度は生活保護の給付金を基準に設計されているという。
がんばって働いてもせいぜい稼げるのは生活保護の程度で、成果にかかわらず、期限が来たら雇用が切られるという。
それで、シングルマザーで、親類の助けが得られず、健康を崩している。
はたらけないから稼げないけど、金は必要だ。
どうすればよいというのか。
生活保護を受けるというのがひとつの答えだった。
ただし、生活保護を受給するためには、「稼ぐ能力がない」ことを証明する必要があるらしい。
つまり、はたらける能力がある限り、受給できない。
もっといえば、体をぶっこわして働けなくなってからやっと受給資格が得られる。
これでは地獄だ。
本当に壊す前に、公的な証明があればよいのかもしれない。
たとえば病気の診断書。
病気にならないと診断してもらえない気もするが、まだ元気があるうちじゃないと遅すぎるとおもう。
互いにそれぞれの人生を想像できない、理解できない。
分断だから、流れがない。
これは格差ではなく、階級だという。
貧困はわるい。