竹馬で歩く

気が向いたら、基本的に気は向かない

愛の世代の前に

暦の上では、ってやつはなんなのかという話でございますな。

ひところ前なら台風ごときでいちいち帰宅命令なんぞ出なかったが正直大したことないなくね?って程度の台風でも帰らされるわ、暑いから休憩しろだ、とてもいい傾向だと思います。昔と今は違うんです。去年と今年とも違えば昨日と今日とも違うのです。時代は刻一刻と変化しているものなのです。

しかしながら相変わらず捉われてやまない「暦の上では」「旧暦によると」。

暦の上の立春はリアルな立春を上回るほど大切なものなのかと。

旧暦の秋はもう秋ではないのではないかと。

旧暦がのさばることにより得をするなにか大きな力が政府やマスコミに圧をかけているのではないかと。

史学や文化的な興味の受け皿として生き続けていくことには大賛成だが、なぜこんなにも密着して離れないのだろうか。この分の脳みその余白を空けたら次々出てくる海外の有力サッカー選手達の名前や特徴をもっと覚えられるのに!

よしわかった!いいぜ!

おれが責任を持ってこれからの世代に、旧暦を自分家の電話番号のように当たり前に刷り込める世界にしてやるぜ!グレートティーチャーよし塚の誕生や!GTYになるんや!ゴロが悪いんや!

つまり!

まいにちまいにちあついけどいったいいつごろからすずしくなるのー??

の巻!ニンニン!

君のオヤジの車夜更けに盗み出し

どうも軟便太郎です。

全身の筋肉と言う筋肉、それはもう名前もないような微細な筋肉まで北は頭から南は爪先まで全てのキンニクがカッチカチに固まって何をやるにもすぐ疲れるし可動域は狭いし仕事着の股は裂けるし油物はいつだってうまいしでもう日々の生活が辛くなってきたので有識者に相談したところ「普段から運動を習慣づけろ」という非常にアクロバティックなお題目をいただいたのでまずは車を捨ててスト2のボーナスステージばりにボコボコにするところから始めた。

とりあえず1ヶ月ほど経ち毎日電車で通勤しているわけだがもう車が欲しくて仕方がない。考えてみるといままでのぼくは情熱と挫折の繰り返しだった。 電車で通勤するために車手放すことなかったんじゃないかという神疑問が頭を過るがまあその辺は経済的な面も考慮してね!

そんなこんなでいままで散々人に「車好きなの?」と聞かれれば「別に!」と額にグラサンかけて答えてきたぼくですがすごい車好きなんだなということに気付いた。

若者の車離れがサッカー選手の肉離れと同じくらい問題視されている昨今ではあるが、男の子として産まれてきてなぜあんな鉄の塊、ギミックの宝庫に興味を持たないのか。ロマンチック感じないのか。もっとワイルドにもっと逞しく生きてごらん!

 

つまり!

 

いましごとがばたばたしててこころもからだもけいざいめんもおちつかないからそこらへんがおちつくよていのあきからふゆにかけてくるまかいなおしてかくとうぎでもならうー!

 

の、巻!ニンニン!

なんでみんなそんなに

スピードがモノを言うと思っている。

でも時間の無駄は嫌いじゃない。特にプライベートでは。せかせかとあっちこっちとなんでもかんでもぴっぴぴっぴと動き回るのは好きじゃない。旅行に行ったり買い物したり予定を入れて動き回るのがストレス解消であるという人がいるように、漫画読んだりテレビみたりしてダラダラするのがストレス解消や精神的疲労回復の手段だと思っている。他人からは時間の無駄に見えるらしい。いつもいつも同じように休日になれば予定をいれて経験済みのなんのチャレンジも産まない日々を過ごしていることに変わりはないのに、家にいるか外に出るかだけで時間の無駄だと言う。

時間の無駄は嫌いではない、と言ったが、真理は違うかもしれない。時間の無駄だと揶揄される事象を時間の無駄だとは思っていないだけである。いや、それも違うかもしれない。時間の無駄だと揶揄してくる連中の時間も大概無駄な時間である。と思っている。

できることを繰り返しこなしているだけの習慣化された経験からは経験値は得られずレベルは上がらない。レベルをあげることを「無駄ではない」と捉えているような口ぶりの連中が大半であるから、連中はつまり無駄を過ごしている。と思っている。

1人で漫画を読みふけっているのも、決められたメンバーで決められた場所に出かけて知らない人物に声をかけられればシカトしてアクシデントを回避しつつ安全に過ごすのも大差ないのである。

 

何が言いたいかと言うと、

努力しないヤツに明日は来ない

ということである。

 

己の口に最も近い己の耳が最も痛いのである。

 

努力します。

 

ではでは