とりあえず、"SO WHAT?"

30代後半からエンジニア転職を目指すパート主婦が、転職活動や日々思った事を自由気ままに綴る雑記ブログ

20220328113618

IT企業に転職して2ヶ月を振り返る

呆気にとられる男性

今日は10月1日。

という事は私が医療・介護業界からIT業界に飛び込み、理学療法士からコンサルに転身して丸2ヶ月経過したという事になる。

この2ヶ月、前半は本当に地獄だった。

特に精神的にキツかったのは、未経験で入社し、IT業界の事も会社の事(ビジョンやカルチャーとかではなく、勤怠や各種申請の仕方等)もわからない状態なのに、ただ研修の動画だけを渡されて、後は放置に近いという状況に置かれていたという事だ。
(しかもフルリモート 。もはや野放し)

一応コミュニケーションや第一相談の場として、グループ内で朝礼や夕礼が設けられてはいた。

とはいえ私の場合、研修やその後放り込まれたプロジェクトがテック寄りの内容であり、これらは当然ながらコンサルメンバーには何のことやらさっぱりわからないので、何かを相談しても最終的に「わかる人にチャットで聞いて下さい」というアドバイスに留まっていた。

なので私に関して言えば朝礼や夕礼は相談の場という機能はほとんど果たしていなかった。

また指示はだいたいチャットで飛んで来るのだが、これが地味にストレスだった。

というのも「今日の午前中にこのアプリの設定をしてもらいます。このアプリはこういう時に使うアプリです。IDやパスワードは後ほど連絡します」という事前アナウンスが全くないまま、「まつかぜさんの◯◯(アプリ 名)のIDとパスワードはこれです。設定して下さい」といったチャットが、よく知らない社員の名前でいきなり飛んでくるのだ。

当然新入社員としては見慣れない名前にドキッとするし、内容も何のこっちゃとなってしまう。

 

もちろん私としては、未経験であるにも関わらず受け入れてくれた事に関しては、会社に少なからず恩を感じている。

ただ入社前はかなり手厚い教育体制があるような口ぶりだったが、実際はこんな感じだったのでかなりショックを受けた。

おまけに早く生産活動に加わって欲しいという圧だけは異常なほど強く、この矛盾を多くはらんだ環境にかなりのストレスを覚えた。
(新入社員はコスト)

実際、入社してすぐ研修が始まり、研修でローコード開発のeラーニングを受けたのだが、その研修中にローコード開発のプロジェクトに放り込まれた。

前もってリーダーからちょこちょこ話はあったものの、その内容は全く具体的なものではなく、「いつか」とか、「8月半ば頃かな」とか、参画時期もプロジェクトの説明もかなりぼんやりとしたものしかなかった。

それがある日突然このプロジェクトの会議が予定表に組み込まれており、プロジェクトのメンバー紹介等もなく、いきなり会議に参加する形で始動したのだ。

何度も言うが、この時の私はついこの前ローコード開発を知りましたという素人同然の状態だった。

それにも関わらずこのプロジェクトを仕切っているPM(プロジェクトマネージャー)から「近いうちに今メインで開発をしているエンジニアさんに代わってやってもらうから」と言われ、その衝撃とプレッシャーたるや半端なかった。

 

…とこのように、サポートは全く貰えない割に精神的な負荷だけはガンガンかけられる。

それが私のここ2ヶ月の状況だった。

今後の事(自分の成長とか)を考えても非常に憂鬱で、たった2ヶ月間で3回も体調を崩してしまった。
(人生初)

そんな地獄でもがき苦しんでいた私だったが、このプロジェクトでたまたま一緒になったエンジニアのMさんとの出会いが事態を大きく変えることになる。

 

プロジェクトのメンバーになった私は、自由にアプリを動かせる個人環境を構築するところから始めた。

が、例えばスマホの番号を入力しているのに「ちゃんとスマホの番号入れてや!!!」と怒られる等、何かを設定するたびに意味不明なエラーが出ていた。

こんな時はグループチャネルで同じプロジェクトのメンバーに助けを求めていたのだが、その時素早く反応してアドバイスをくれたのがMさんだった。
(グループチャネルなので、もちろんスルーするメンバーもいる)

何回かやり取りをしているうちに、私はMさんに「IT業界未経験で入社した事」、「ローコード開発がよくわかっていない状態でこのプロジェクトに加わった事」、「グループ内には誰も相談相手がおらず、非常に困っている事」を打ち明けた。

私としてはただ話の流れでそう言ったまでだったが、事情を知ったMさんは「自分にできる事があればきちんとフォローします」と言ってくださり、これが大きな転機となった。

Mさんは「わからない事はすぐにチャットして下さい」と言ってくれ、実際にチャットしたらすぐに返信をくれたり、時間がある時は通話して解説してくれた。

おまけに非常に話しやすい方で、解説を聞くのが全く苦じゃなかった。
(超大事)

大学に入学するまで私がパソコンを使う目的はインターネット閲覧のみで、大学入学後にWord とExcelをようやく覚えたくらいだ。

つまりITリテラシーが引くほど低い。

エンジニアであれば誰もが知っている、でもあえて誰かが教えてくれるわけじゃないよねというような、いわゆる『エンジニアが自然に身につけていく素養』といったものが私にはほとんどない。
(「CRUD?何すかそれ?」みたいな。もはや開発どころの話ではない)

そんな壊滅的な劣等生にも関わらず、Mさんは根気強く丁寧に教えてくれるので、今では足をむけて寝れないほどの恩人と化している。

 

ここまで聞くと「何だよかったじゃない!今は楽しくやってるんでしょ?」と言われそうだが、決してそんな事はない。

実は入社以来リーダーとの人間関係が大きな課題となっていて、こっちの問題は全然解決しそうにないからだ。

リーダーは自分より「格」が下だと判断した相手にはあからさまに失礼な態度を取ってくる。

例えば私は彼よりはるかに年上だが、IT業界は完全に未経験なので、バッチリその対象になっている。

具体的には1on1に遅刻してきたり、話の最中あくびをしたり、「で、何でしたっけ?」と話自体を全く聞いていなかったり。

「◯◯って知ってます?」や、「DXって言い方間違ってますよ」等、知識マウントを取られる事もよくある。

ただ一方で社長みたいに自分より「格」が上の人にはうまいこと接するので、どうやら上の人達からは結構可愛がられているようだ。

グループ内に同じ8月入社のメンバーがいるのだが、先日彼女も私と全く同じ事を思っているという事を知り、それからはちょくちょくこの話題で盛り上がっている。
(彼女はリーダーから1on1をなんの連絡もなくすっぽかされた事があるらしい)

ある時「確か3ヶ月に1回社長と1on1があるって言ってましたよね」と私が彼女に言ったところ、「もしそうならこの件を一度社長に相談したい」と言っていた。

しかし前述したようにリーダーは上の人には可愛がられているので、おそらく解決には至らないだろうし、下手すると彼女の立場が危うくなってしまう。

それだけは絶対に避けなくてはならないので、しばらくは「気にしない」を合言葉にやり過ごし、時々2人でランチミーティングをしてガス抜きをしようという事で落ち着いた。

 

これまでは夏季休暇が取得できたが、これから先有休がもらえるまでの期間は土日祝日しか休みがない。

当然体調を崩して休みでもしたら欠勤扱いになるので、この問題にも明るい兆しが出て、私の精神的な負担が大きく軽減される事をただただ祈っている。

入社初日から今日までを振り返る

落ち葉の上で回想する女性

皆様お久しぶりです!!!!!

長らくブログを放置しておりましたが、この2ヶ月間非常に目まぐるしい日々を送っておりました。

ザッと紹介しますとこんな感じです。

 

 

これだけじゃ何もわからないと思いますので、順を追って説明していきますね。

ただ少しばかり長くなりますので、お時間のない方はここでまわれ右して下さい。

 

中途入社手続きと研修のため本社へ

私は基本的にフルリモート勤務ですが、面接の時に「場合によっては会社に来て欲しいとお願いする事もあると思いますが、そうなったら来ていただけますか?」と言われ、「事前に言っていただけるのであれば問題ありません」と答えました。

そして早速「入社日とその翌日は出社して欲しい」と言われたので、7年ぶりに飛行機に乗って本社のある東京まで行ってきました。
(ちなみに交通費&ホテル代は全額会社負担)

夫は「こっちの事は任せて、君は東京を楽しんで来てね」と言って私を送り出してくれ、私としても気軽なひとり旅という事でワクワクするかなと思いきや、

 

(ビルばっかだな。どんな人が働いてるんだろう)

 

(あれがタワマンかぁ。どんな人が住んでるんだろう)

 

と、予想に反して久しぶりの大都会にただただ圧倒されてしまいました。

日頃から『東京=高所得者が溢れた場所』というイメージを持つ私は、そんな場所に『金なし、才能なし、学歴なし、若さなし、自信なし』というないないづくしで降り立ってしまったので、勝手に卑屈になってひるんでしまいました。

若い頃は「私も超売れっ子漫画家になって成功するんだ!」という謎の自信があったのでそんな感情は湧かなかったのですが、たくさんの「現実」を学んで身の丈を思い知った今の私には、東京は(自分を見失わずに生きていくのは難しいな)と思ってしまうほど、果てしなく巨大で淋しい場所になっていました。

さて話は変わって記念すべき入社当日ですが、私は面接でしか着ていないスーツをクリーニングに出して、それを着て出社しました。

ホテルから本社まで順調に行けば15分くらいの道のりを「え?東京初めてですか?」と言わんばかりに迷いに迷い、超余裕を持って45分前にホテルを出発したにも関わらず、あわや遅刻か!という事態にまで陥りました。

しかしこの時慌ててダウンロードしたGoogle Mapsのナビのおかげでなんとか遅刻を回避し、無事本社にたどり着く事ができました。

8月入社の社員は私を含め6名だったのですが、なんと私以外の皆さんは普段着よりちょっとお洒落しましたという感じの服装で、スーツを着ていたのは私だけでした。

 

(え?今の常識ってそうなの?)

 

(入社日ってそんなカジュアルな感じでOKなの?)

 

完全にひとり浮いてしまい、猛烈に恥ずかしくなった私は、中途研修が始まる前に近くのコンビニにメモ帳を買いに行ったのですが、周囲の状況に全く注意を払えずビルの回転扉に挟まってしまいました。

そんな感じでちょっとしたハプニングはありましたが、人事の方はすでに面接で何度も話をしていて非常に話しやすい方だとわかっていましたし、同期の皆さんも感じの悪い方はひとりもいなかったので、中途研修自体は非常に楽しく終える事ができました。

 

帰ってすぐ救急車で搬送される

東京から帰った翌日、いよいよ通常勤務が始まりました。

当然ながらこの時の私にはまだ具体的な仕事(案件)はなく、まずはeラーニングによる研修が始まりました。

初日だった事もあって真面目に動画を視聴していたのですが、午後になって突然左の肋骨あたりがシクシクと痛みだしました。

最初は(肋間神経痛かな)と思って湿布を貼ってみたのですが、痛みは弱まるどころか強くなっていく一方で、しまいには座っているのも難しくなりました。

とは言え横になっても全然楽にならないので、(これは絶対ヤバいやつだ!この痛みを抱えたまま夜は越せない!!)と判断した私は、上司(リーダー)に事情を説明して早めの退勤を申し出ました。
(フレックス最高!)

そしてたまたま休みで保育園に娘達を迎えに行っていた夫に電話をして、「救急車を呼んで欲しい」と頼みました。
(電話が苦手)

激しい痛みと冷や汗に耐えながらガタガタ震えていると、「大丈夫!?」と夫が血相変えて帰ってきて、そのすぐ後に救急車が到着しました。

担架に乗せられて救急車に乗り込むと、夫と救急隊員の方が何やら話をしていました。

 

(早くしてくれ〜!)

 

この時の私は絶命を意識してしまうほど痛過ぎて痛過ぎて、正気を保つのがやっとというくらいギリギリの状態でした。

なので緊急車両として天下御免で赤信号も進める救急車に乗っているとはいえ、病院までの道のりが非常に長く感じました。

救急外来に到着し、おそらく研修医であろう若い男性ドクターの質問に答え、鎮痛剤の点滴をしながら採血、尿検査、CTを撮りました。

これらの検査の結果からでた診断は「尿管結石」。

先ほどの若い男性ドクターと、おそらく彼の指導者であろう中年の男性ドクターがCTを見せながら夫に何やら説明をしていたのですが、バッチリ左の尿管に白い影(結石)が写っていました。

「多分脱水もあったのかもしれません。腎盂腎炎とか水腎症になったら危ないので、水分はとにかくたくさん摂取して下さい。あと腎臓にまだ石が残っていてこれが落ちてきたらまた痛むと思うので、重ね重ねになりますが水分はたくさん摂って下さい」

 

スーーーーーツーーーーーー!!!

 

超炎天下の東京でスーツ着て道に迷ってウロウロしていたので、脱水症状になった心当たりはバッチリありました。

「わかりました。ただ私はとにかくこの痛みがめちゃくちゃ怖いです!」と必死に訴えると、ドクターは痛み止めと結石を溶かす薬を処方してくれました。

この2日後。

まだ左の脇腹に猛烈な痛みがあったので、地元で有名な泌尿器科に行って改めて診察を受けたのですが、レントゲンの結果結石がまだ左の尿管(まさに脇腹付近)に鎮座しておりました。
(今はもう痛みはないので流れたと思います。多分…)

余談ですが娘達はこの後しばらく「ママは救急車に乗った」というのを保育園で言って回り、先生方から代わる代わる「体調は大丈夫ですか?」「大変でしたね」と声をかけられる日々が続きましたとさ。

 

気を取り直して研修再開!…からの放置プレイ始まる

私はIT企業にコンサルとして採用され、コンサルのグループに所属しています。

が、もともと面接で「エンジニアになりたい!!」という想いをこれでもかというほど熱く語っていたので、「まつかぜさんにはローコード開発(※)のプロジェクトに参加してもらうつもりでいるから」と、かねてからリーダーに言われていました。
(※ローコード開発とは簡単に言うと、ほんの少しのコードを書くだけでアプリが作れる開発方法の事です)

それに先立って研修(eラーニング)が始まったのですが、これがもうびっくりするほどわからない(笑)!!

というのも講師が淡々とローコードでアプリを作っていく過程を説明しているだけで、その開発手法を知っている人が見たら「うんうん、そうだよね」みたいになるとは思うのですが、私みたいな初学者が見たら「ふ〜ん。で??」としかならないような超ざっくりとした内容でした。

なので(なるほど!私は未経験入社だから、今はこんな技術もあるんですよ〜って紹介するための動画かな!?)と思ったのですが、この考えをリーダーにそれとな〜く伝えてみたところ、「まつかぜさんにはいずれその技術(ローコード開発)を使ったプロジェクトに参加してもらう予定だって言いましたよね?なので理解度と習熟度を深めて下さい」と言われました。

 

え?

この動画だけでそんな高いレベルまでいけと??

 

このローコード開発の勉強ですが、何がキツいかって、動画でわからない事が出てきてそれをどんなに調べても的確な回答にたどり着けないんです。
(ネット上に参考になる情報が少ないこと少ないこと!)

おまけに解説がアラビア語をドイツ語で説明しているのかってくらい、全く意味がわからない。
(これを言ったらエンジニアさん方は「その通り!」と言って笑っていました)

そして私がこの窮状をグループ内のミーティングでどんなに必死に訴えても、グループのメンバーは皆コンサルでローコード開発に関する知識がほとんどないので、最終的なアドバイスはいつも「わかる人にチャットして聞いてみて下さい」で終わるのでした。

詰んだ??

 

とまぁこんな感じだったので、やがて私は非常に大きなストレスとモヤモヤを抱えるようになりました。

やってる事もコンサル業務とは全くかけ離れているという事もあり、グループ内でも次第に浮いた存在になり、ちょっとした“放置状態”になってしまいました。

 

古い保険証使っちゃったけどどうするの!?

入社してしばらくして、夫が「君の保険証を貸して欲しい。扶養から外れたから総務に返しにいく」と言いました。

そしてこのやりとりの最中、我々夫婦は超重要な事に気付きました。

それは、

尿管結石で病院に行った時この保険証使っちゃったけど、それってダメなんじゃない?

という事です。

これまでは正社員勤務がほとんどだったので退職時に保険証を返していたのですが、最後のブラック介護施設では初めてパートとして勤務しました。

この時夫の扶養に入っていたので、退職後も保険証は手元に残ったままでした。

手元にあったので何の疑いもなくそれを使ってしまったのですが、よくよく考えれば私はもう転職し、新しい保険証を貰えるはずなので、この保険証は使えません。

この事実を知って慌てて救急車で運ばれた病院に電話すると、「新しい保険証を持ってきて下さればいいですよ」と言われたので、保険証が届いてすぐその病院と後日診察を受けた泌尿器科に保険証を持って行きました。

レセプト(診療報酬明細書)提出前だったのでこんな簡単な手続きだけで済んだのですが、これがレセプト提出後だったら結構めんどくさい事になっていたらしいので、本当に申し訳ない事をしました。

 

久しぶりに忙しいお盆

今年は母方の祖父の初盆でした。

母は超がつくファザコンなので、孫として祖父の初盆をきちんとしなければ後々めんどくさい事になります。

なのでちょっとしたお供物とお金を用意して母に渡し、お寺でみんなと一緒にお経を聞いて、祖父の家に行って仏壇に手を合わせてと、ひと通り母が満足する流れをこなしました。

これ以外にも7年ぶりくらいに中学校の同級生と会ったり、久しぶりに他県に住む義兄(医者)が帰って来てめんどくさい事が義実家で起こったりと、それはそれは盛り沢山なお盆を過ごしました。

 

マンションの更新迫る!?引っ越しか更新か!

わが家は現在賃貸マンションに住んでいます。

お互い実家が持ち家(戸建て)なので、最悪雨風を凌ぐ場所に困ることはないだろうというのと、ある程度自由がきく方がいいだろうという事で、今後しばらくは賃貸生活が続くと思います。

かつてはアパートの2階に住んでいたのですが、長女がハイハイをするようになってから1階の住人が天井や壁をガンガン叩くという嫌がらせをしてきたので、RC構造マンションの1階に引っ越しました。

この引っ越しは予定外でお金もたくさんかかりましたが、概ね満足していて後悔はありません。

ただ現在住んでいるマンションは建物自体は特に問題ないのですが、周辺環境があまりよくありません。

というのもマンションの目の前が宅急便の集荷場で、朝から晩までたくさんのトラックが排気ガスを出しまくっているので、決まった時間帯しか窓が開けられず、洗濯物も干せないのです。

でも物件探しとなれば保育園の事をまず考えなければなりませんでしたし、そんななか他に目ぼしい物件を見つけられなかったこともあって、この点は仕方なく妥協しました。

しかしこのマンションから小学校までは非常に遠いので、我々夫婦は「このマンションは長く住むというより、長女の就学までの期間限定の住居として割り切ろう!いずれどこの小学校に行くのが娘達にとって最適なのかをしっかり考えて、その時物件を吟味して引っ越そう!」と決めました。

そんな折、マンションの契約更新の通知が来ました。

実は通知が来る前から希望の学区への引っ越しに向けてあれこれ動いたのですが、なかなか人気のある地区だからか、希望に合った物件を見つける事ができませんでした。
(その地区は家賃が高いんですよ!ど田舎のくせに!)

やっと「ここいいんじゃない?」と思える物件を見つけ、ア◯マンショップに内見の予約をして行ったのですが、「ここのマンションの駐車場は、車高が140cm以上の車は無理なんですよ〜」とサクッと言われてしまいました。
(そんな大事な情報ちゃんと書いとけよ)

仕方なく周辺で月極駐車場を探したりもしましたが、結局更新期限までに話がまとまらなかったので、もうしばらく現在のマンションにとどまることにしました。

 

体調不良が続く

仕事はもちろん、引っ越しか更新かなど、あれこれ考えなくてはならない事が多かったこの時期は、非常にストレスフルな日々を送っていました。

さらに保育園ではRSウイルスやヒトメタニューモウイルスなるものが大流行しておりまして、保育園を欠席(病欠)する園児が毎日15名ほどいました。

そんななか保育園の参観日があったのですが、参観日に行ってすぐ、見事に私が体調を崩してしまいました。

発熱や喉の痛みは3日程で回復しましたが、いまいちスッキリしない状態が続き、そうこうしているうちに今度は長女が熱を出してしまいました。

長女は1日で良くなりましたが、次女と夫も長らく咳をしていたりと、皆何かしらの不調を抱えながら何とか日々をこなしていました。

 

次女の七五三の写真撮影に行く

次女、3歳。

七五三の写真を撮るため8月にスタジオまで衣装合わせに行き、9月に撮影の予約をしました。

小さなお子さんがいるご家庭なら共感していただけると思いますが、子供が小さいうちは先の予定を立てると非常に神経を使います。

子供が体調を崩してしまっては全てが一旦白紙に戻るからです。

子供というのは、特に保育園に通っている場合は高確率で「え?狙った?」ってくらい予定に合わせて体調を崩すので、こちらとしては気が気でありません。
(長女は私の弟の結婚式の直前に体調を崩しました)

おまけに今回は写真撮影なので、後々まで残ります。

大きくなった次女が写真を見てゲンナリしないように、体調管理に加え、顔にケガをしないように、目が腫れたりしないように、撮影前に泣かないようにと、細心の注意をはらいました。

苦労の甲斐あって撮影は無事終わりましたが、ドッと疲れが押し寄せました。

地獄で仏!←今ここ

さて。

eラーニングの研修と並行して、前々から言われていた通りローコード開発を使った開発プロジェクトにアサインされた私。

まるで棍棒という到底武器とは言いがたい武器しか持っていない状態なのに、モンスターの巣窟に放り込まれたかのような哀れな状況に、それはそれは不安しかありませんでした。

 

自分自身に技術はない。

教えてくれる人もいない。

このプロジェクトのメンバーだって知らない人ばかり。

ここで一体私に何ができるって言うんだ??

 

入社以来これでもかという程精神的負荷がのしかかる状況が続いており、私としても具体的なアドバイスをくれないリーダーや、きちんとした教育環境が整っていない会社の現状に、(入社前の話と違うじゃん!)と、イライラと怒りがピークに達していました。

そんな時、ひとりのエンジニアさんが私に質問をしてくれました。

その質問に正確にお答えするには、まずは自分の置かれた状況を説明してからの方がいいだろうと考えた私は、なぜコンサルの私がこのゴリゴリの開発プロジェクトにアサインされたのか、その経緯を説明しました。

するとそのエンジニアさんは「そうだったんですね!何も把握しておらずすみませんでした。こちらもできる限りフォローします!」とおっしゃって下さいました。

が。

世の中には社交辞令という言葉があります。

ありがたいとは思いつつ、このエンジニアさんご自身も非常に忙しい立場だというのはわかっていたので、私としてはこの言葉を真に受けてはいませんでした。

ところが、です。

私の予想に反してこのエンジニアさんは、折を見て「今ちょっとお時間いいですか?」と呼び掛けてくださり、ローコード開発について詳しく解説して下さいました。

そしてプロジェクトに関しても「マジわかんないっす!!」という、何がわからないのかもわからないような私の低次元な質問に対しても快く回答して下さったり、私のキャリアプランを一緒に考えて下さったり、挙句の果てにはグループ内で放置されている私の現状を危惧してリーダーに掛け合って下さったりと、その言葉通りしっかりフォローして下さいました。

 

あなた神様か何かですか?
(ちなみにリーダーはその話を忘れるというね)

 

しかし、そんなエンジニアさんのご厚意をありがたいと思う一方で、会社命令(仕事)でもないのに私なんかに時間と手間を取られて大丈夫なんだろうかという不安もありました。

ただある時エンジニアさんが「実は僕は前々から教育とか指導とかに興味があったので、今の状況は僕にとってもチャンスなんですよ。つまりお互いにとってwin-winなので、全然気にしないで下さいね」とおっしゃってくださったので、だいぶ気持ちが楽になりました。

 

ローコード開発は簡単だのスピーディーだのと言われていますが、全然簡単じゃありません。

プログラミングの知識がなくてもできると謳ってはいますが、やはりハードルはそれなりに高いですし、Excelの関数がわからない人はバイバイキーンって感じです。
(それ私ね)

なのでわからないところが出てくるとパソコンをぶっ壊しそうになりますし、脳みそが異空間にテレポーテーションしてしまいます。

それでも我に返って頑張ろうと思えるのは、いずれ他の社員さんから「まつかぜさんすごいよね」と言われるまでにのぼりつめ、「でもまつかぜさんって未経験入社らしいよ。エンジニアの◯◯さんが指導してたっぽいけど」「え?◯◯さんすごくない?」と言われるようになってエンジニアさんに恩返しをしたいという想いがあるからです。

そんな日を夢見つつ、今は四苦八苦しております。

 

以上簡単に紹介しましたが、こんな感じの濃い〜日々を送っていましたので、なかなかブログを更新できずにおりました。

少しずつ会社にもなれ、今となっては気持ちにもだいぶ余裕が出てきましたので、また機会を見つけてブログも更新していきたいと思っております。

今後ともよろしくお願いします。

納得の言葉!!

驚く女性

子供の頃から癖っ毛で、今では艶もなくなり、どんなにトリートメントをしてもスタイリング剤をつけても、すぐにごわついて広がってしまいます。

お腹や腕や手の甲は、出産を機に急速にシミが増えました。

顔の印象も若い頃と比べると随分変わりました。

おそらくシミやシワ、たるみのせいだと思います。

かつては太りにくい体質だと豪語していましたが、新陳代謝も落ち、今では空気を吸っただけでも太ってしまうような気がします。

私は特別美人というわけではありませんが、やはり加齢と共に自分の見た目が変わっていくと、老いる事に対して精神的な葛藤が生まれます。

きっかけは忘れてしまいましたが、ある時特に気持ちが落ち込んでしまいました。

そこで沈んだ気持ちをなんとか前向きにしたいと思い、ネットに救いを求めてみると、私と同じように見た目の悩みを抱えている女性がある芸能人にその悩みを相談していました。

ある芸能人とはryuchellでした。

 

withonline.jp

 

(なんでryuchellなんだろう)と最初は不思議に思いましたが、とにもかくにも「加齢による“見た目の変化”を受け入れられない…痩せていた過去に囚われ過ぎて、今の自分に自信を持てません」という相談内容が今の私の悩みとあまりにも似ていたので、そのまま記事を読み進めました。

そしてこの悩みに対するryuchellの回答の一文に私は衝撃を受けました。

 

おそらく、変わらない外見をキープすることはすっごく大変だと思いますが、もし僕が本当にそこに重きを置くのだったら、それ相応の努力をすると思います。
        (上記記事より抜粋)

 

その通りやーー!!

私は加齢による見た目の変化に悩み、ヘコんでいるだけで、何か努力をしているわけではありません。

「こんなに頑張ってるのに、やっぱり年には勝てないのかなぁ」ではなく、「あわよくばずっと若々しいままでいたい」と思うだけで、加齢に対して何の対策をする事もなく、ただただ変わっていく見た目を嘆いているだけです。

 

それは違う!

お前は今、嘆くスタートラインにすら立っていないんだよ!!

 

ryuchellの言葉にそう思った私は、、自分の的外れな悩みを見直し、甘い気持ちを反省しました。

そしてとりあえず自分の出来る事からと思い、軽いウォーキングとヘアケアを始めました。

おしまい。

 

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食い気味の否定!!…からの睨み

怒る女の子

「普通はこうだよ」

「絶対おかしい」

「間違ってる」

 

子供の頃、私の母親は私を叱る際、よくこのような強く断定した言い方をしていました。

しかしもともとの性格なのか、水瓶座という星座の下に生まれたからなのか(?)、人生のバイブルが「少年ジャンプ」だからなのか(??)、とにかく私はこういった決めつけたような言い方に納得できず、母親の言う事を素直に受け入れる事ができませんでした。

 

普通って何?

絶対って、あなた全知全能な何かなの?

間違ってるって、じゃあ逆に何が正しいの?

 

しかしこんな意見を母親に訴えたところで、「それもそうね」と受け入れてもらえるはずもなく、「屁理屈言わないの!」とかえって怒りの炎に油を注いでしまうだけです。

なので表面的には反省しているフリをしていましたが、母親に対し強い不満を抱いていました。

 

7月2日に役職付の看護師(以下Mさん)から、「この引き継ぎの書類意味がわからない」と三十分にわたって罵られた私は、ならもう何も言えないくらい完璧な書類を作ってやるよと開き直り、せっせと書類を加筆・修正しました。

(その時のエピソードはこちら)

bisbow.net

bisbow.net

 

そして7月7日。

新しくできた引き継ぎの書類をMさんに手渡しました。

「もしこれでよろしければ、同じものをもう一部プリントアウトして管理者にも渡したいと考えています。

ご覧いただいた後指示をいただけたらと思っていますので、よろしくお願いします」

という内容のメモも添えて。

ところがその後1週間経過しても何の音沙汰もなかったので、また「なんで確認しなかったの?おかしい!あり得ないから!!」と言われても嫌だなと思い、その日は朝から(今日あたり聞いてみるか)とソワソワしながら機会を伺っていました。

すると訪問から帰ってきたMさんが事務所で一人デスクワークをしているのを見かけたので、(チャンスだ!)と思った私は、勇気を出して話しかけてみました。

「あの、すみません。引き継ぎの書類なんです…」

「まだ見てないから!!」

一蹴。

マジの秒殺。

しかも「まだ見てないから」はパソコンの方を向いて言ったくせに、なぜか言い終わった後私の方を向き直ってガチ睨み。
(目を見て話すというレベルではない)

「あ、すみませんでした」と言ってすぐに引き下がったものの、イヤ〜な気持ちはその後も長いこと尾を引きました。

ちなみに以前このブログ内で登場したTさんは、もともと訪問看護部の看護師で、Mさんの部下でした。

しかしMさんが嫌で一度退職し、退職後「人手が足りないからデイサービスを手伝って欲しい」と施設長から電話がきた時、「訪問看護は絶対に嫌だけど、デイサービスなら」という事で戻ってきました。

Tさんに限らず、これまでMさん絡みで辞めていった看護師はたくさんいます。

なかには「あの人はあり得ない事を平気でやれって言ってくる。これ以上あの人と一緒にいたら精神的におかしくなる」と言って、わずか半年で退職した看護師もいたそうです。 

辞めてはいませんが、現在デイサービスの看護師として勤務しているKさんもつい最近Mさんから、「看護師としてのレベルが低すぎる。私は往診に来るドクターにも謝って回っているんだからね!」と言われたそうで。

あの…これって指導に入るんですかね?

この方は小さい頃、他人様と話す時に必要な最低限の礼儀をご両親から教えてもらわなかったのかな??と、本気で哀れに思いました。

ただ…。

Mさんは、経営者から500万はくだらない外車を買い与えられるほど絶大な寵愛を受けているため、会社としては「Mさんはよくやっている」、「退職した連中の方がダメだったんだ」という事で片付けられ、その証拠にMさんはどんなに好き勝手に振る舞っても何一つ注意を受ける事はありません。

 

家に帰り、私は仲のいいパートさんに事の顛末を説明した後、アドバイスを請いました。

私はまた確認した方いいですか?

それとも向こうから何か言ってくるまでスルーでいいですか?と。

彼女の答えは「スルーでいい」でした。

 

何度もまつかぜさんは書類の件確認してるので!!

遅れてるのはそちらが確認しないからですよね?と強く言えるし!!

そもそもがおかしいので。

7月の退職後にも連絡くるなら着拒してシカトします(笑)

 

続けて、

 

何を基準におかしいというのか。。
マヂ何度も言われると呪いの言葉みたいに自分がおかしいのかな?って思っちゃう。

これで本当に病む人も居ると思う。

良くないです!!

まつかぜさんおかしくないですからね!!

もうおかしいっていう人が本当おかしいから。

 

と返信が来ました。

私だってできる事ならMさんとは話したくありません。

それに2日の面談で確認しなかった事を「それはおかしい!あり得ない!」とまで言われたので、今回はきちんと確認をし、メモまで残すなどしてスジは通しました。

なので私としては、これ以上できる事もすべき事もないと思っています。

7月ももうすぐ後半。

いつもなら書類作成をすませ、利用者(または家族)に内容の説明をして、同意のサインと印鑑をもらい終わっている頃です。

この先引き継ぎがどうなるかは分かりません。

しかし何度も何度も強い言い方で否定され、そのうち本気で精神を病んでしまいそうなので、もう余計な事は考えず、退職の日まで淡々と目の前の業務に向き合う事にします。

 

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遠い存在になった同級生

差がつく

高校生の頃、仲良くなったコがいました。

名前はハコやん(もちろんあだ名)。

私の通っていた高校は県内随一の進学校!!…というわけではなかったのですが、お堅い校風で、校則も非常に厳しく……。

そんな息が詰まりそうな学校に似つかわしくなく(?)、ハコやんは茶髪に化粧というちょっぴり派手な外見でかなり目立つ存在でした。
(もちろん校則違反ですが、うまくごまかしていました)

そんなハコやんと二年生の時同じクラスになったのですが、私はというと、自分とは対照的なハコやんに対して最初はかなり警戒していました。

ところが実際に話してみるとハコやんは非常に面白い人で、ナオちゃんを加えた三人で当時はよくつるんでいました。

ただきっかけは忘れてしまったのですが、私とハコやんは卒業前に関係がギクシャクしてしまい、高校を卒業してからは完全に音信不通になってしまいました。

一方ナオちゃんとはどうなったかというと、高校を卒業してしばらくした頃に偶然の再会を果たし、就職してからも数回ほど食事に行ったりしていました。
(高校卒業後に携帯電話を買ってもらったので、在学中に連絡先を交換出来なかったんですよねー。時代です)

会うたびにナオちゃんからハコやんの近況を聞かされていたのですが、ハコやんはワーキングホリデーでニューヨークに行き、そのままアメリカで暮らしているとの事でした。

最初は一年程度で帰国する予定でしたが、アメリカでの生活が気に入り、向こうでも看護師として働けるようにアルバイトをしながら大学に通っているとの事。
(ハコやんは高校卒業後専門学校に行き、看護師の資格をとりました)

「黒人さんの彼氏がいるらしいよ」と笑顔で話すナオちゃんに対し、「そうなんだ」と返すのが精一杯の私。

というのもこの当時、私は地元の小さな個人病院で理学療法士として勤務していたのですが、自分の仕事や生き方に漠然とした物足りなさと不安を抱えていました。

なので地元(田舎)を、ひいては日本を飛び出して世界の中心ニューヨークで自分の生き方をバリバリ開拓しているハコやんを心の底から尊敬しました。

と同時に、ほんの数年前まで同じくらいの立ち位置にいたはずなのに、いつの間にか埋めがたいほどの大きな差をつけられてしまったような気がして、悔しくて悔しくてたまらなくなりました。

東京への持ち込みで惨敗を喫し、超売れっ子漫画家になるという夢は破れ…。

彼氏なんて夢のまた夢だし、いったいこの先の人生どうなってしまうんだろうと思い悩んでいた私にとって、キラキラと輝きながら人生を謳歌しているハコやんは、私にとって眩しくて羨ましくてたまらない存在になりました。

「英語が堪能」、「アメリカ暮らし」、「外国人の彼氏」…。

憧れないわけないて(笑)!!

 

それからさらに数年経ったある日、奇跡的にハコやんと「再会」しました。

行きつけの美容室に行くと聞き覚えのある声がしたのですが、なんとそれがハコやんだったのです。

ハコやんはめちゃくちゃ声が大きいので美容師さんと話す声が自然と耳に入ってきたのですが、なんでもお兄さんの結婚式に出席するため一時帰国しているとの事でした。
(明日の結婚式のためにネイルとヘアカットをしに来たと話していました)

私は声をかけようか迷いました。

おそらく私が声をかけたら、ハコやんはギクシャクした過去を持ち出す事もなく、「久しぶりだね!」と応えてくれたと思います。

ハコやんが美容室を出ていくその瞬間まで悩みに悩みましたが、私はとうとう声をかける事ができませんでした。

なぜならかっこ悪い自分を晒したくなかったから。

実際目にしたハコやんは、私が想像していたハコやんよりも、もっとずっと見違えるようになっていました。

そんなハコやんの前に堂々と現れる事ができるほど、今の私は“ちゃんとしている”状態ではないなと思ったのです。

実はナオちゃんともナオちゃんの結婚・出産を機に疎遠になってしまったので、今現在ハコやんもナオちゃんもどんな風になって、どんな人生を歩んでいるのか全くわかりません。

ただもしまた奇跡的にハコやんと再会できたら。

その時は「久しぶりだね!」と胸を張って声をかけられるように、私もこれから自分の「ステージ」と「レベル」をググッと上げていけたらなぁと思っています。

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労基署に行って来た

労働問題に頭を抱える男性

冷静になって考えてみると、引き継ぎの件は私にも非がありました。

これまで彼らと一緒に仕事をしてきた経験から、もし読めばわかる完璧な引き継ぎの資料を作って渡したら、(ならそれを読めばよくね?)ってなって、絶対に話を聞かないだろうなと真っ先に考えました。

その余裕が仇となって躓く事も目に見えていたので、仮に退職した後に「ここがわかんないんだけど」と言って電話をされても困る、なんとしても私がいるうちに頭に叩き込んで貰わねば!という思いで、資料の内容は必要最低限に留め、実際の引き継ぎの時に詳しく解説し、手を動かして書き込みながらしっかり覚えてもらおうと考えました。
(実際、退職後に事務的な事ではなく仕事の事で電話が来た人はたくさんいます)

しかし蓋を開けてみたら(あれ?これアラビア語の授業だったっけ?)ってくらい皆さんポカンとしておりまして、さらにそんな壊滅的な状況にも関わらず、引き継ぎを1時間で打ち切るという管理者の暴挙にまで遭遇したのですが、そもそも私達、今まで同じ空間で仕事してきましたよね?

1年と7ヶ月もの間、めちゃくちゃ近くで私がどんな業務をしてきたか皆さん見ていたはずなのに、どうして?なんでそんなにポカンなの??と不思議に思いつつも、もし皆さんがそんな感じで、しかも1時間しか引き継ぎの時間がないと事前にわかっていたら、そりゃあ私だってめちゃくちゃ詳しい資料を作りましたがなと猛烈に反省しました。
(資料は即作り直しました)

とはいえ。

例の役職付の看護師の言い方に不快感を通り越して恐怖すら感じた私は、もう仕事に行きたくなくて行きたくなくて、休みの日でさえ落ち込んでしまうほど思い悩んでいました。
私見でモノを言う人がとにかく苦手)

すると数日前にメールで相談していた県の総合労働相談窓口から、このタイミングで返信メールが届きました。

そのメールの最後に、

 

「勤務時間外の研修やミーテイングへの参加を強制され,割増賃金が支払われない」ことは,労働基準法違反に当たると思いますので,研修等の行われた日時,回数などを明確にしたうえで,労働基準監督署で申告されることをお勧めします。
助言・指導・監督の実施については,労働基準監督署の方で判断します。
 
とあったので、「それならば!」と思った私は、社会見学がてら労基署に行って来ました。
できる事なら役職付の看護師によるパワハラをガンガンに訴えてやりたいところでしたが、労基署は労働基準法違反にしか対応してくれないので、「時間外手当の未払い」と言う名目で相談しました。
詳しい話を聞いた相談員は「違法ですね」と言い、この後労基署がとれる手段は2つあるが、私自身がどうしたいかを尋ねました。
ひとつは会社宛に未払いの時間外手当を請求し、もし支払われなかったら労基署に「申告」して「監督」に入ってもらう事。
もうひとつは情報提供という形で、場合によっては「立ち入り調査」を行ってもらう事。
ただこれらの仕事を任されている労働基準監督官は1人でたくさんの事案を抱えているので、申告だと監督は確実に行われ、経過や結果の報告もなされるが、情報提供による立ち入り調査の場合報告はなく、そもそも行われる可能性がかーなーり低いとの事。
しかし申告だと一度会社に未払い分の時間外手当を請求しなければならないので、タレコミの事実がバレちゃうわけです。
辞めるとはいえ、どこで繋がるかわからない狭いど田舎。
できる事なら名前は出したくないですし、正直そんなに頑張る気力も時間もなかったので、「こんなクソみたいな会社があって、その会社が労働基準法違反を犯しているという事実さえ知ってもらえれば」という事で、情報提供に留めました。
入るか入らないかわからないのであれば、私は引きが弱いので絶対に入らないと思います。
おまけにわが県は保守的で事なかれ主義の県民性なので、万が一労働基準監督官が何かしらのアクションを起こしたとしても、「こんなタレコミがあったんで気をつけてくださいね〜」くらいの、かる〜い電話程度で終わるでしょう。
でも別にいいんです。
行ってはみたものの、行政になんか期待してませんからね。
だって労基署がちゃんとしてたらブラック企業なんてなくなるはずですやん。
 
6月半ば頃、デジタルでイラストを描いてみようと思い立ち、値上がり前にiPadを買いました。
練習がてらこれまでハマってきた漫画やアニメのキャラクターを描いていこうと思ったのですが、まず最初に思い浮かんだのは「るろうに剣心」の「瀬田宗次郎」でした。
あの笑顔の裏にある闇がヤバすぎたけど、異質な雰囲気をまとい、しかもめちゃくちゃ強い宗次郎が私は大好きでした。
でもさ、考えようによっちゃ宗次郎もブラック企業社畜よね?

瀬田宗次郎

いやいやいや。
だって上司が志々雄真実だったじゃん。
そんな事を考えていたら、20年以上の時を超えて、宗次郎の事が改めて愛おしく思えたのでした。

泣いていいですか? 〜後編〜

睨む男性

「あの、まつかぜさん。引き継ぎに関して聞きたい事があるんですが」

昨日の出来事ですが、そう管理者から声を掛けられたのは、ちょうど利用者の昼食が始まろうかという時でした。

管理者に指示された通り相談室(個室)に行くと、管理者が入って来て、少し遅れてなぜかMさんも入ってきました。

そしてMさんは開口一番、「この引継書読ませてもらったけど、もうね、意味がわかんなかった。実際引き継ぎを受けた常勤職員も全然意味がわからなかったって言ってたよ」と言いました。

私はなぜ今になってMさんがこんな事を言い出すのかさっぱりわからず混乱しました。

それと同時にものすごく頭にきました。

混乱した理由としては前編でも書きましたが、引き継ぎを行う事は管理者とMさんで話し合った上で決定した事だと思っていたので、今更そんな事を言われてもと思ったからです。

そこで正直に「すみません。私としては管理者から引き継ぎの日時を言い渡された時、Mさんとしてもこの引継書の内容で良いと判断して、管理者と相談した上で日時を決めたものだと思っていました」と言いました。

するとMさんが「引き継ぎはいつだったの?」と聞いてきたので、「6月27日でした」と答えると、「あのさ、管理者からそう言われた時、なんで私に『管理者から引き継ぎの日時が27日と言われたのですが、引継書の方はどうだったでしょうか』って確認しに来ないの?有給とかの管理は管理者、業務の事は私に聞いてって私言ったよね?処遇(手当)の事とかは聞いてくるくせに、なんでそんな大事な事は報告に来ないわけ?」と言われました。

ん?

管理者から引き継ぎの日時を言い渡された時、あなたとしてもこの引継書の内容で良いと判断しての事だろうと思ったからって、私今言いましたよね?

だから確認しなかったって事なんですけど、意味わかりませんでした?

てか処遇の事とかは聞いてくるくせにって、その嫌味たっぷりな言い方やめろや。

なーんて思っちゃいましたが、私が勝手な思い込みでそのような判断をしてしまったのは事実です。

なので「Mさんのおっしゃる通り、勝手な判断をしてMさんへの報告を怠ったのは私のミスです。申し訳ありませんでした」ときちんと謝罪しました。

ただ本音を言うと、九割九分九厘納得がいきませんでした。

だって確認とか報告って、常に下から上へと一方的にしなければならないものなのでしょうか?

私はMさんに引継書を提出し、指示を仰ぎました。

キャッチボールでいうと私はMさんにボールを投げたので、次のターンはMさんだと思って待ちの姿勢に転じたのです。

そんな中管理者から具体的な日時を告げられたので、(ああ二人の中でOKが出たんだな)と判断したのですが、この思考の流れってそんなにおかしかったのでしょうか?

結果的にそれはMさんの常識からしたら逸脱した行為だったわけですが、私は私で、なぜ私ばかりが「これしました」、「あれどうでしたか?」と報告したり確認したりしないといけないのかと、どうしても納得できませんでした。
(じゃあコミュニケーションって何?って話)

さらに私は引継書に関して、前もってMさんに「実際の引き継ぎの場で大事なところは記入してもらって、書きながら記憶に落とし込んでもらう為に必要最低限の内容で作成してあります」ときちんと伝えていました。

それを管理者にも伝えましたが、「そんなに時間とれないから普段の業務の事は全く知らない訳じゃないしいいよ。LIFE(ソフト)の入力も手引書があるからいい。書類の事だけ教えてくれたらそれでいいから」と言われましたし、貴重な引き継ぎの時間を三十分削ってたった一時間で切り上げたのも管理者です。

さらに言えば引き継ぎの最中、彼女はしょっちゅう席を外してその場から姿を消していました。

それにも関わらず「実際に書類作成をやってみたけど全然わからない。この引継書を読んでもさっぱりわからない」というのはちょっと違うんじゃないかなと思いましたし、少なくとも一生懸命引継書を作成した本人を前にして口にする言葉としてどうなの?と思いました。
(まるで全く授業を聞いてないくせに試験の点数が悪いのを先生のせいにする生徒とモンペ)

以上のような背景があったので、私としては「引き継ぎはしたけど全然わからない」という事態を招いたのは管理者側にも問題があったのでは?と思えてならず、Mさんの一方的に私を責めるような言い方にめちゃくちゃ腹が立って来ました。
(Mさんがわからないのは普段訪問看護師として外回りに行き、デイサービスの業務には一切タッチしていないわけですから、当然と言えば当然です)

もちろん私は「一時間という短い時間だったので、充分な引き継ぎができませんでした」と事実を説明しました。

するとMさんは「でもまつかぜさんは最初、三十分くらいで終わるって言ってましたよね?」と言い返してきたので、私も負けじと「確かに言いましたが、でもそれは皆さんの理解度にもよるときちんと付け加えましたよね?」と反論しました。

それを聞いたMさんは「なら第二弾とかするんですか?」と言うので、ねぇもう何言ってんの?全然わかんなかったって言い出したのはそっちだよね?てか業務に関するあれこれを決めるのがお前ら上の立場の人間がやるべき仕事じゃないの?と呆れてしまい、「すみません。なぜそれを私に言うのか私には全くわかりません。そこはお二人で話し合って決めるべきじゃないでしょうか?」とはっきり言いました。

この後Mさんは、「あと引継書のここの文章だけどさ、『ペナルティーが待っている』とか感情的な言葉を並べたり、なんなのこれ?これってずっと残る書類だよね?そんな大事な書類にこんな書き方していいわけ?」や、「それにここ。『多少内容が荒削りになろうとも作成する事が重要』とか、そうならない為の引き継ぎじゃないの?」等、文章の表現にまでケチをつけてきました。

それってあなたの感想ですよね?
(byひろゆき

皆さんお気づきになったでしょうか?

私はここまでMさんに対して事実だけを述べて来ましたが、Mさんは私に対してずっと私見を述べて来ました。

全ての判断基準がMさんの物差しによるものなので、この話し合いは最初から最後まで公平性に欠けると言えます。
(最初から有罪ありきの裁判と同じ)

機能訓練に関する書類(計画書)を決められたタイミングできちんと作成しなかった場合、それなりのペナルティーが待っているのは事実なので、注意喚起としてそうひと言添えたのですが、何がいけなかったのでしょうか?
(てか感情的なのはどっちやねん)

余談ですが、今勤めている会社では、社長や社長の奥さんに気に入られた人間はどんどん昇進していき、寵愛の証として外車をプレゼントされるそうです。

Mさんも役職付ですし、赤い外車に乗っています。

そんなMさんが会社(社長や社長の奥さん)のために必死になるのはわかりますが、なぜこの言い回しを感情的だと捉えるのかさっぱりわからなかったので、もしかして役職しか知らない、こんな単語を持ち出されたら困るようなやましい事情でもあるのだろうかと、逆に勘ぐってしまいました。

 

ここまで散々口撃してきたMさんでしたが、最後になって「私はね、まつかぜさんの新しい門出を応援したいという気持ちがある」だの、「まつかぜさんが今までたったひとりで一生懸命この業務をしてきた事は知っているから、『引継書の内容がわからないからもうこの業務はできない』ってなって、まつかぜさんがやってきた事をここで途絶えさせるのはイヤなの」だの、「辞める時はお互いキレイな気持ちで終わりたいよね」だのと、迷言を連発し始めました。

サーセン

こっちとしては白々しくて笑止です!!

私はどちらかと言うと他人の言葉を素直に受け取ってしまう方ですが、さすがにここまでこき下ろされて、(そうなんだ!なんていい人なんだろう!)とサクッと気持ちを切り替えられるほどお人好しではありません。
(本心で言ってるとしたら逆に怖い)

結局引継書も業務引継書もやり直しとなり、引き継ぎ自体も第二弾をしないといけなくなるかもしれません。

 

本来なら多職種が共同で作成する事が義務付けられている書類を、私はこれまでたったひとりで作成し、管理してきました。
(超めんどくさかったけど、他にできる人がいないからとの理由で押し付けられる形でそうなった)

会社のやり方に不満はありましたが、任された以上、仕事に関しては責任を持って一生懸命やってきたという自負があります。

なので帰って来た夫に事の顛末を話しているうちに、なぜこんな理不尽な扱いを受けなければならないのか、なぜあんな酷い言われ方をしないといけないのか悔しくてたまらず、今までの事もあったので自然と涙が溢れ出てきました。

いつも気丈に振る舞う私の涙を見た夫はものすごく動揺し、「ヤバいな。俺なら憤死するかもしれんレベルだ」と言っていました。
(憤死って)

その後半分冗談、半分本気で管理者とMさんへの仕返しを考え始めた脳内中2の夫を嗜めながら、ただ普通に働きたいだけなのに、なぜこんなにもうまくいかないんだろうかと悲しくなりました。
(身内や友達に弁護士がいる人が羨ましい)

そしてこれまで働いて来た職場がどれもこれも酷かったので、これから先に待つ仕事での出逢いに対しても不安が大きくなり、働く事が心底怖くなってしまいました。

完全にトラウマです。

 

 

ブラック企業での日々を記録しているだけの、なんの足しにもならない記事にも関わらず、いつもはてなスターをつけて下さる皆様ありがとうございます〜