魔法の聖徳太子ディスプレイ
以前の未来の広告についての投稿で、マリリンモンローとアインシュタインが可能なことはわかった。でも、「同時に違うコンテンツを配信できる"聖徳太子"ディスプレイ」なんてやっぱりありえないのではないかという声を多数いただきました。
なので、特許出願考慮中のアイデアをここで公開してみようと思います。
まず、こういった2方面から見た時に見え方が違う看板のことは、みなさんどこかで見たことはあると思います。
では、3方向ではどうでしょうか?
そうですね。このように、四角形にすればいいですね。
4方向はどうでしょう。
おっしゃる通り。同じです。五角形にすればいいのです。もう分かってきましたね?
では、16方向は?
正解です。
では、これをどんな方面からでも見えるようにしたい時には、どうすれば良いのでしょうか?
.
.
.
そうです!円にすれば良いのです。
もう一つ問題です。
ある角度からこのディスプレイを見た時、どのように見えるのでしょうか?
そうです。このように途切れ途切れになります。
細い線が途切れ途切れになっているだけで、面としては見えないじゃないか!
とおっしゃる方もいるかもいるかもしれません。
ここで、一つ思い出していただきたい中学校の物理の問題があります。
(http://www.wakariyasui.sakura.ne.jp/2-3-0-0/2-3-2-1rennzuwotooruhikari_hu.htmlさん
からの引用)
この答えは、実は「像全体が暗くなる」なんですね。
このようにレンズというのは光を集めてそれぞれを屈折させる装置なので、半分隠しても
像の半分が見えなくなるなどということはなくて、像が暗くなるだけなんですね。
(http://starfort.cocolog-nifty.com/voorlihter/2007/04/post_b14d.htmlさんからの引用)
同じ原理で上のディスプレイもレンズを通せば、線が途切れ途切れに見えるということはなく、繋がっている時に比べて暗く見える...ハズ!!
もう一つ、産総研が「どの方向からも画像が自分に向いているように見えるディスプレイ」を開発したそうです。
↓↓↓
http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2016/pr20160509/pr20160509.html
この技術も応用すれば、同時に違うコンテンツを配信できる「聖徳太子」ディスプレイが作れるかもしれませんね。
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広告の未来(後編)
インターネットによってすべてのモノがつながり、情報が加速度的に双方向化していくこの時代において、広告はどう変わっていくべきなのか、広告の担う社会的な意義とは何か、という問いに今現在出せる答えを提案すべく連載を書いております。
前回は、我々がエレベータに特化するのは、「暴力性」と「ターゲティング」という点で比肩するものがないメディアだからだ、という話をしました。
↓↓↓
我々がエレベータに取り組む理由はわかった。でも、それがどう広告の未来に繋がっていくのか、をいぶかしく思われる方もいるのではないでしょうか。
大きな話を聞きにきたのに、自分の話をされても困る、と。
でも、
広告の未来に欠かせない二つのキーワード、それがまさに「暴力性」と「ターゲティング」なのです。
広告の現状分析
未来を語るためには現状の分析から始めなければなりません。
それでは今広告としてどのようなものがあるでしょうか?
媒体別に見ていきましょう。
そしてそのうち半分がマスコミ(テレビ、新聞、ラジオ、雑誌)、もう半分がインターネットと
プロモーションメディア(チラシ・DM・屋外看板・中吊り広告)です。
マスコミのうち半分以上をテレビが占めていて、プロモーションメディアはいろいろな媒体が
群雄割拠しています。
これらの広告で「ターゲティング」が完璧に近いものは...
テレビ?新聞?
誰が見ているかわかりません。
屋外看板?中吊り広告?
誰が電車に乗っていて、誰が渋谷のスクランブルを歩いているか把握するのは不可能にちかいでしょう。
残るは...インターネットとDMくらいです。
インターネットは広告費が毎年10%伸びています。
DMもウェブ広告との親和性が高くLTV(新規のお客さんの獲得だけでなく、そのお客さんが生涯でどれだけの買い物をしてくれるかに注目しようという考え方)の向上の観点から再び注目されている業界です。
そして、
広告到達率が100%近いものは...
ありません。
既存の媒体はどれも広告到達率の低さを接触人数の多さでカバーしているので、ありません。
今の広告業界の課題はまさにこの二つなのです。
いかに「ターゲティング」を完璧にして広告展開のミスマッチを減らし、そのためにどれだけ「暴力的」なメディアを確保できるか。
広告の未来像
以上の点を踏まえて広告の未来を想像して見ましょう。
まず中吊り広告や新聞広告。
これらは今、暴力性が足りないがために雑多な広告がたくさん並んでいます。
一つの車両には60以上の広告枠があり、新聞1ページの下に5、6個広告が並んでいます。
でも、乱雑で統一感のない広告がベタベタ貼ってある左の車両よりは、一つの広告にジャックされた右の車両の方が気持ちよくないですか?
これらが全面ジャック広告にならないのは、もちろん広告費が高額になるのも理由の一つですが、大きいのは、
ターゲティングがしにくいために全面ジャックをすることがあまりにハイリスクだからです。
10人に1人しか興味を示さない広告で全面を塗り替えるということは、10人に9人は興味のない公害を無理やり見せられることを意味するので、なかなか企業は食指を動かしません。
でも、もし、自分のスマホと連動して、自分の興味あるジャンルの広告だけを見ることができるのならば、絶対にそっちの方がいいと思いませんか?
という話をすると、でも電車に乗っている人が全員興味を持つ広告なんてありえないじゃないか、と
思われる方がいるかもしれません。
でも、そのような考えは「同じものならばどこから見ても同じように見える」という前提に立っているのです。
「何を言っているんだ、紙媒体のアナログな広告であれ、スクリーン媒体のデジタル広告であれ、同じものならばどこから見ても同じなのは当たり前じゃないか」って?
いいえ、そんなことはありません。
こちらの画像を見てください。
誰の写真ですか?
上はもちろんアインシュタイン、下は小さくてよく見えないけど、おそらくマリリンモンロー...?
この二枚、実は同じ写真です。
マサチューセッツ工科大学のAude Oliva博士の研究成果なのですが、ハイブリッドイメージといって特殊な方法で画像を合成しているのです。
お次はこちら。
(株式会社エンドラインさんのHPより編集)
これはよくある、見る角度によって見えるものが違う広告ですね。
この二つの技術を掛け合わせて、その出ている広告からの距離とそれに対する角度で見えるものが違うようにすれば、自分だけにターゲティングされた広告の出来上がりです。
同じエレベータに乗っていても、隣の人とは見えてる景色が違う建物。
同じ車両に乗っていても、隣の人とは見えてる景色が違う電車。
なんか未来的でワクワクしませんか?
イメージ的にはこんな感じですかね..?
こんな「暴力的」で美しく、ちょうど調べようと思っていたことをあらかじめ教えてくれる「ターゲティング」が完璧な広告が電車やテレビはもちろん、自宅の中や、信号待ちスペース、トイレや車の中、そしてエレベータの中に展開していたら、、、
広告が「公害」であって「視覚的な雑音」であるからキライ!っていう人は格段に減りますよね?
こうして「広告」と「コンテンツ」の垣根がなくなった時、静かでストレスフリーな未来が待っていると思うのです。
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広告の未来(前編)
今日から2回は広告の未来について書いてみようと思います。
インターネットによってすべてのモノがつながり、情報が加速度的に双方向化していくこの時代において、広告はどう変わっていくべきなのか、広告の担う社会的な意義とは何か、についての大きな「餅」を絵に描いてみようと思うのですが、
これを話すには、我々が新しく人に会うと必ず聞かれる質問、「なぜエレベータというニッチな領域に特化するのか」エレベータなのか?」ということに答えるところから書き起こさねばなりません。
なぜエレベータなのか?
なぜエレベータは僕たちの目にそこまで魅力的に映るのか?
エレベータと未来の広告とはどう繋がっているのか?
いずれもよく聞かれる疑問です。
我々の考えている答えは明確です。
ただのニッチな領域で、まだ参入している人がほとんどいないから、というだけではもちろんありません。
上の問いの答えは二語に集約されます。
「暴力性」と「ターゲティング」です。
広告は暴力的たれ。
突然ですが、中吊り広告の広告料金は、地下鉄と地上を走る電車とで比べるとどちらが高いかわかりますか?
いろいろな答えが帰ってきそうですが、実は、
中吊り広告一枚あたりの広告料金は、地下鉄の方が地上を走る電車より2倍も高いのです。
どうしてでしょう?
実は、最大の違いは、広告到達率といって乗客のうち広告を見る人の割合が2倍も違うことにあります。
地下鉄(例:東京メトロ)は外の景色を見ることができない分、人々の目線がどうしても中吊り広告に行きます。その結果乗客の半分は広告を見ることになり、広告到達率は44.3%に達します。
一方で地上を走る電車(例:首都圏近郊のJR東日本路線)は外に目をやれるので広告の見られる割合も低くなってしまい、広告到達率は18.7%にとどまっています。地上の電車の中では5人に1人しか広告に目を向けません。
それが広告料金にも反映されるのです。
これを言い換えると、地下鉄の中吊り広告は地上を走る電車より「暴力的」だということになります。
ではなぜ暴力的であることが大切なのか。
あなたが大企業のメーカーの広告担当だと想定して見てください。一定量の人の目に触れなければならないと考えた時に、「暴力性」の低いメディアを使う場合は広く薄く広告を打たなければなりません。
広告の品質も落とさざるを得ないですし、広告を見る人からしても必ずしも自分が対象ではない広告が出される訳なので、どうしても「邪魔だ」「鬱陶しい」という感情が先行します。
逆に「暴力的」なメディアを使えば、誰が見るかを想定できるので広告を出す側、見る側双方にとってハッピーです。広告もたくさん出さなくていいのでクオリティにもこだわって作りこむことができ、その結果ブランドイメージの向上にもつながります。
先ほどメトロでは広告到達率が44.3%で2人に1人が広告を見る状況にあると言いましたが、世の中にはそれがかぎりなく100%に近いメディアがあります。
それが、エレベータです。
毎日エレベーターに乗って中に例えば、このようなウォーターサーバーの広告が出されていたら、、
これを覚えていないということは決してないでしょう。広告到達率100%だというのはこういう意味です。
そして、広告到達率が100%だということはターゲティングの問題も解消していくのです。
視聴者と広告主の不幸なミスマッチ
広告到達率が低いメディアの弊害として、ターゲティングがうまくいかないということも挙げられます。
5人に1人しか広告を見ないということは、人によって見る広告の数は同じだと仮定すると、我々は見た広告のうち5個に1つしか興味を持たないし、覚えていないということでもあります。
残りはただ鬱陶しいだけの情報の押し付けです。
男性の僕にとって脱毛サロンの広告に全く興味はありません。それでも僕の視界には入ってきますし、脱毛サロンさんも絶対に客にはならない僕に見せるためにいくらか広告料金を払っています。
これではお互いにとって不幸です。
そして、この不幸はターゲティングがうまくいっていないことが原因です。
実はターゲティングがほぼ完全なメディアというのはSNS広告、DM以外に存在しません。
電車には誰が乗るかわからないし、テレビだって誰が見るかわかりません。
その点、エレベーター広告のターゲティングは完璧です。
誰が建物の利用者なのかということはオフィスビルであろうとマンション・アパートで明白なのです。
「暴力的」であるがゆえに美しく、「ターゲティング」が完璧であるためにミスマッチを起こさない、そのような媒体は実はエレベーターくらいしかないのです。
それでは、なぜエレベーターなのか?という問いに答えが出たところで広告の将来像を語っていきたいと思います。(つづく)
「α読み」と「β読み」
今日は読み方について話をしたいと思います。
小さい頃読んでいた本に「読み」には二通りあると書いてありました。
一つ目は「α読み」といって、既存の知識の範疇ですでに知っていることをなぞる読み方です。例えば、テレビで見た巨人の試合の結果を翌日新聞で読むことで、すごく楽しいし、かつラクな読み方です。
もう一つは「β読み」で、未知の領域のものを、このコトバが何を言っているのかその奥まで深く考えながら読んでいくスタイルです。これはとても頭を使いますし、それがゆえに自分の知の地平線を広げる読み方でもあります。
実はターゲティング広告に対しても同じことが言えるのではないかなと思っています。
「あなたは先週この冒険漫画を買いましたよね、だからこれもどうですか?」
「就活に関連したキーワードをたくさん検索しているあなたには、このOB訪問サービスがオススメです」
もちろんこういった「α広告」も存在意義はあると思いますし、そうしょっちゅう新しいことに頭を削って考えていては疲れてしまうので、むしろそういった広告が多数派で僕はいいと思います。
でも。
今の広告ってそれが全てで、でも未来はそのままではいけないと思うのです。
過去の行動を分析してそこから直接出てくる結果を表示するのではなく、思考を分析するリコメンド機能が実装されつつあるという、以前「ターゲティングとは?」の回でブログに書いた話とも
密接につながります。
未来の広告は既存の商品をおすすめするだけではなく、その人の「知の地平線」を広げるような役割を果たすようなものであってほしいなと思いますし、そういう「β広告」をこの手で作り上げていきたい、そしてリードしていける存在でありたいなと強く思います。
なぜエレベータ広告なのか?
Googleに勝つためには
ターゲティングと不気味の谷
末筆にはなりますが、こちらでもブログを書いているので、そちらの方も読んでいただけると幸いです。