Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

子どもから大人へ:揺れ動く気持ち

『春のオルガン』(2008年)湯本香樹実作 新潮文庫

 

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今日の一冊は、図書館に春の本特集コーナーがあり、そこで手に取った一冊。

『夏の庭 The Friends』で有名な、湯本香樹実さんの春の一冊ですが、“ぽかぽかあたたか”という春のイメージだと思って手に取ると裏切られます。思春期にさしかかる狭間の期間の何とも言えない閉塞感が描かれている物語でした。

 

中学受験に落ちてしまった主人公のトモミは、学校の友だちと遊ぶこともやめ、卒業式では倒れてしまい、色々うまくいかないまま卒業後の春休みへ。家族は近隣トラブルでバラバラ。弟のテツとプチ家出をしたり、野良猫たちに餌をやる不思議なおばさんと仲良くなったり......。

 

うーん。個人的には読んでいて、とても息苦しかったです。

特に、弟と一緒にいながらも通りすがりに痴漢にあってしまうところなどは、もうやめて!と叫びたくなりました。

 

なんで、こんなに息苦しく感じるんだろう。

境問題の近隣トラブルとか、ここで折れたらこちらが損という気持ちも分かるし(だって、そもそもは自分ちの土地で正当な権利なのだから)、けれどそれに捉われすぎるあまりに離れたくなる、逃げたくなるお父さんの気持ちも分かる。私は昔から、いわゆる区画整理された住宅街や団地、マンション群というのが苦手で。人間関係しか入りこむ余地のない空間に、息苦しさを覚えてしまうのです。

 

そんな感想をまず持ったのですが、驚いたのは、この主人公の心の揺れ動きにとても共感する人が多かったこと。そっか、共感できない私の方が少数派なんだ。

 

でも、共感できないものを知ることも大事よね、って思っていたら、ちょうど読んでいた別の本にもそのようなことが書かれていたんです。

そちらは映像作品に関することでしたが、作品の良し悪し判断基準が「登場人物に共感できるか」によりすぎているのが、昨今の傾向だ、って。そして、そこばかり強化されていくと、それは他者への想像力の欠如へとつながってしまう......と。同感!気をつけよう。

 

この物語を読んで、自分の気持ちを代弁してくれた!と救われる子もいることでしょう。

 

ところで、こちらの物語のもう一つのテーマとして「死」があります。祖母が亡くなるとき、思わずもう終わりを願ってしまった、そんな自分に罪悪感を覚え、自分が怪物になる夢をたびたび見てしまう主人公のトモミ。まさに同じようなシチュエーションで、私が好きだったコチラもご紹介させてください。↓

 

怪物はささやく』(2017年)パトリック・ネス著(シヴィーン・ダウド原案) 池田真紀子訳 創元推理文庫


読み終えての感想は、ああ人は誰しも自分の感情に向き合うことをしなければ、生きづらくなるんだな、っていうことでした。感情に良いも悪いもなくて、ただ見つめてあげることが大事なんだな。自分の真実の感情を認めることが、いかに大切なことか。

こちらの主人公も、トモミと似たような年代。13歳の少年コナー。もうね、不幸のデパートみたいな人生で、なんでこんな小さな子がこんなにいっぱい背負わなくちゃいけないのー!?って感じなんです。

両親の離婚、祖母との確執、重病の母と介護、学校でのイジメ、孤独、それに加えて、毎晩悪夢にうなされて、ついには幻覚!?モンスターまで呼び寄せちゃう。うわああ、これは、叫びたくなっちゃいます。ダークです。それでも、読めるのはファンタジーだからかも。

コナーの真実とは?怪物に追い詰められても追い詰められても、本当にギリギリになるまで話せなかった真実。人によっては、なあんだということかも。理解できないくらい、些細なことかも。でも、分かる人には分かる。自分が死にたくなるくらい隠したい秘密、認めたくない感情だってことを。

また、この物語には、人というのはもっと複雑で、善なるものも悪なるものも同居できるし、もっといえば善も悪も本当はナイということも描かれています。それを怪物が語る寓話的な三つの物語が分かりやすく教えてくれるんです。人間には色んな面があるということ、矛盾を抱えて存在しているということを。

なぜ自分の真実の感情に向き合うことが大事なのか、フタをしてはいけないのか。

ファンタジーを通して教えてくれるこちらの物語も(むしろ、こちらを)ぜひ!


地下を下ると広がる異空間

地下に広がる好事家の書斎(バー十誡

3月の年度末、いままでがんばってきた自分へのご褒美に、一度行ってみたかったブッククラブ回さんからのバー十誡アフタヌーンティーに行ってきました!いや、それほどがんばってないので、ご褒美の前借りですね(笑)。

 

ブッククラブ回さんは、スピリチュアル本専門店とのことで、どんだけ怪しいんだ!?とスピ系に警戒心を持つ私はドキドキ。見過ごしてしまいそうなくらい、さりげない入り口。秘密の入り口をくぐると、そこには地下への螺旋階段が。怪しいどころか、とても気持ちのいい空間で、選書を見る前から(笑)もう好き!ってなりました。

見過ごしちゃいそうな入り口

地下だけれど、自然光取り入れた明るい地下!

で、選書は?というと……とっても好みの選書でした!

ちょっと驚いたのは、児童文学もそれなりにあったこと。大型書店や児童書専門店以外の個性派書店では、絵本はあっても児童文学置いてるところって案外少ないんです。嬉しいなあ(←いや、誰目線!?)。

 

本だけでなく、ナチュラル派に喜ばれるような雑貨も。

ゾネントアの月のハーブティーアソートを連れ帰りました♪

青山の地でもう30年近くもされているそう。知らなかったなあ。ブッククラブ回さんの詳細はコチラ↓

www.bookclubkai.jp

 

 

さてさて、そこから向かうは、いざ銀座。目指すは、一度は訪れてみたかったバー十誡。”好事家の書斎“をコンセプトにしたライブラリーカフェ&バーなんです。

 

入り口はいかにも銀座で、同じ地下でもブッククラブ回とは違うブラックな不穏な空気が漂う(笑)。

ドキドキしちゃう

文学作品をテーマにした魅惑のカクテルを出してくれるのですが、平日限定でアフタヌーンティーがあるので、私はそちらを。3月末までは、アリスのティーパーティーがテーマでした!芥川龍之介・菊地寛共訳の『完全版 アリス物語』の丁寧な日本語を読みながら堪能。

 

写真下手すぎ笑。丸いガラスはハンプティダンプティをイメージしてるそう

ライブラリー全体としては、文豪作品や暗めの文学が多い印象で、絵本だったら、エドワード・ゴーリーが置かれていると言ったらなんとなく雰囲気伝わるでしょうか。

いや頼むから、人形とかガイコツとか置くのやめて~、怖すぎるっ。

 

オペラ座の怪人的な?

ところが、ところが、ですよ!?なんと私の席の周りだけ、児童文学に囲まれていたんです。そこだけ幸せ空間~!しかも、ちゃんといい選書。正直、こういうコンセプトカフェって、見た目重視でこれ本好きが選んでないでしょ?ってところも多い中、ちゃんと選び抜かれた感がありました(←だから何目線!?)。

 

椅子の真横には愛してやまない『ノーム』が✨

テーブル下はこちら

さて、店内。何せ映えるので、みなさん写真ぱしゃぱしゃ撮ってますが(かくいう私も笑)、とても静かなので読書がはかどります。ただ、静かな分、カウンター内キッチンの食器の音やレンチン、水道の音も気になる人は正直気になるかと思います。テーブル席だったら、まだいいのですが、カウンター席だとカフェタイム時は、ちょっと残念かも。バータイムだったら、カウンターでもいいんだろうなあ。

 

決してお安くはないアフタヌーンティー、お味は……スープは出直して?お茶は熱々が飲みたいんですけど......って感じでしたが、スコーンはとても美味しかったです!

クロテッドクリームつきは嬉しい。ジャムも美味で苺の薔薇カットは美しい✨

ローズチャイは美味✨ミニチュアティーパーティーは笑えるくらいミニミニ笑

 

お好きな人には、たまらないアンダーグラウンドな空間だ思います!

私自身は、“おじいさん、山はどこ?”のハイジになりがちなので、ああ自然光が恋しい、緑の空気が吸いたい、となりましたが(笑)。でも、異空間体験は楽しかったです!毎月カクテルのテーマが変わるそうなので、次回はバータイムに再訪してみたいかも。

 

バー十誡の詳細はコチラ↓

www.zikkai.com

 

 

自分の善を押しつけないこと

『川の上で』(2001年)ヘルマン・シュルツ作 渡辺広佐訳 徳間書店

今日の一冊は、BOOKOFFで気になって連れ帰ってきたしまったコチラ。

あとがき入れても、わずか150ぺージ。薄めの本って、すぐ読み終えちゃうからなんとなくあまり手に取らないんですよね。でも、こちらはあらすじが気になって。

 

とってもよかったです。

大切な視点、人としてありたい姿勢を思い出させてくれる。時々読み返そう、そんな風に思った物語でした。

 

舞台は、1930年代の東アフリカ。ドイツ人宣教師のフリードリヒが留守の間に、妻と娘が熱病にかかってしまい、妻は亡くなってしまいます。残された衰弱した娘を大きな町の病院に連れていくため、父娘が小舟で川をくだる旅に出る、というもの。厳しい大自然の中の川下りはスリルあり!村人たちとの交流によって、徐々にフリードリヒの心に変化があらわれていくさまも、とおってもいいんです。

 

わずか(?)5日間の物語。でも、5年とも思えるような濃さと心の変化がこの5日間に起こります。

 

宣教師ものって、改宗させようっていう押しつけがあるから個人的に好きじゃないんですよね。まあフリードリヒには、キゴマという村の王ウジビムというアフリカ人の友もいて、決して嫌なタイプの宣教師ではないんです。それでもね、やっぱりキリスト教を宣教したいわけだから、アフリカの村の人たちのシャーマニズム的なものには眉をひそめるし、ましてや自分の娘に村人から何か治療的なものを施されるのはどうしても許せないんですね、信条的に。いまわしい魔術だと信じている。信条はときには大事だけれど、でも、なにごともこだわりすぎる、執着しすぎると見えるものも見えなくなってしまいますよね。村人たちがしてくれた親切に感謝するどころか、疑心暗鬼になってたフリードリヒなのでした。

 

そんな彼でも、娘を助けたい一心で、徐々に彼らの言うことに耳を傾け始めるんです。

 

たとえば、娘の意識がなくても、彼女に話しかけ続けることという助言。

また川の上に出たら、たくさん話をしてあげてくださいね。話を聞くことで眠りからさめますから。それが、あなたがしてあげられる一番のことよ。だって、ねむっているときはこの子はひとりぼっちなんですから。今、この子をひとりぼっちにしてはいけないわ……(P.79)

 

そうそう、無意識下で聞いてるんですよね。そういえば、“お布団の中で寝かしつけ時に絵本を読んでる途中で子どもが寝ちゃっても、ちゃんと最後まで読んであげて下さいね。寝ながら聞いてるから。”と昔言われたことを思い出しました。昏睡状態の人にも何年も話しかけ続けると意識が戻るという話も聞きますよね。ただ話しかけるのではなく、ここではフリードリヒが自分自身の物語を聞かせたということが大切で、娘の命をつなぎとめたんです。物語の力、スゴイ!

 

また、もう一つ印象的だったのは、どの村でもこの西欧人の親子を受け入れてくれたところ。女性たちは献身的に病気の娘の世話をしてくれる。どの村でも。

これ、もし逆に西欧の村にアフリカ人の親子が突如訪ねてきたらどうでしょう?あんな風に歓迎するかしら?しかも、感染症かもしれない病人抱えてるのに。考えてしまいました。

 

西欧人が施す彼らの善……。この物語を読んでいて思い出したのが、大学を卒業する春休みにネパールに1か月ボランティアに行ったときのこと(はるか昔)。それまで私は、西欧人はこういうボランティアに積極的で意識が高くて、なんて素晴らしいんだろう!と思ってたんですね。こういう場所にボランティアに来るくらいだから、フレンドリーで優しい人が多くて。

 

でも、1週間後にはだんだん印象が変わってきました。日がたてばたつほど、例えば毎日同じダルカレーの食事に飽きるなど、異文化に順応できなくて苛立ってくるんです。現地の人たちに同情しているときは優しかったけれど、それは同時に彼らを見下してるからくる優しさでもあったんだ、と気付いたときはショックだったなあ。

 

現地の学校でのボランティアもしたのですが、“あそこの学校はいい!Westernized”って言うんです。いい学校の基準が西欧化してるかどうか。彼らが原始的と呼んだ学校は、私の目にはいいなあとうつってたので、彼らの感想が当時の私には衝撃的で。最初の印象が好印象だっただけに、異文化への興味・好奇心はあれど尊重がないことに失望してしまいました。いや、最初はあったんです、最初は。でも、根底に西欧文化が最善と思ってるから、だんだんそれが出て態度が横柄になっていった。自分の善を押し付けずに、相手にとっての善を施すって難しいですよね。

 

さて、そんなフリードリヒが現地の人々と本当の意味で知り合ったとき、彼は現地の人たちに洗礼を施すよりも重要なことがあることに気付かされるのです。

さあ、それは一体どういうことだったのか。

 

ぜひ一緒に5日間の川下りをしてみませんか?私たちにとっても、きっとそこには気付きがいっぱいです。

多くの問いかけをくれる物語

メッセンジャー』(2014年)ロイス・ローリー作 新評論

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今日の一冊は、森の表紙とタイトルが気になって手に取った一冊。映画化もされた『ギヴァー 記憶を注ぐ者』シリーズ四部作の第三作目。それを知らずに読み始めてしまったのですが、突然これだけ読んでも大丈夫でした!

 

うーむ、これは……非常に問いかけられる物語です。

この謎は?これは結局何だったの?など色々回収されないまま、分からないまま終わるところもあるので、スッキリしないという人もいるようです。が、私はだからこそ読んだ人それぞれが色んなことに当てはめて考えられる、問いかけられる物語になってるなあって思いました。読書会の課題図書とかにして、話し合ってみたくなる、そんな物語。

 

舞台は、人々が助け合って平和に暮らしている森に囲まれてたとある村。

 

森に囲まれて、というと森の恵みを想像していたのですが、この物語に出てくる森は敵対心を出してくる、人を寄せつけないこわいところ。なぜ森がこうなってしまったのか。この物語の中では、その謎は明かされません。自然を大切にしない現代人への警鐘?徐々に変わっていく村人たちの心の中の悪意を反映してしまった?分かりません。

 

主人公の少年マティは、目の見えない老人と血は繋がってはいないものの、まるで親子のように暮らしています。村の人々は、もともとは遠いそれぞれの故郷の村でツライ思いをし、逃げてきた人たちなんです。自分たちもツライ思いをしてきたので、逃げてきた人をいつもあたたかく迎えていたのに、あるときから村に壁を作り、これ以上人を受け入れないということを決定してしまうんですね。

 

なぜ寛容だった人々は不寛容へと変貌してしまったのか。

 

そのカギを握るのが、トレードと呼ばれる異様な集会。ここでは、何かと交換することで人々はほしいものを手に入れられるのですが、一度手にしてしまったら、次は......と欲望が止まらなくなってきているようなのです。何をトレードしているかは、謎に包まれたままなのですが、モノを渡しているわけではない。どうやら、自分の心の中にある良心と引き換えにしてしまってるようなのです。どんどん思いやりを失っていく人々。

 

ここは、本当にゾッとします。現実世界でも私たちは自分たちでも気づかないうちに、実は色々なものをトレードで失っているんじゃないか、と思わされたから。競争、偏差値重視の教育で失ったもの、ネットで情報が簡単に入手できるようになったことで失ったもの、便利と思える家電生活で失ったものetc.etc.

 

何がコワいって、失ったものを当の本人たちが自覚していないところなんですよね。

 

村に壁を作ることもヒドイと思うけれど、じゃあもし自分の住んでいる地域に難民が押し寄せてきたら?複雑な思いなしに、本当に歓迎できる?数人ならいいけど、次々と来たら?と考えると、他人事じゃないです。

 

ただ、この後四作目が発刊されていて、そこでトレードの謎も明かされるみたいなので、上記感想は、あくまでもこの巻だけを読んで感じたことです。

 

ラストは個人的には、そうであってほしくない終わり方でした。

ネタバレに触れるので、ここから先はネタバレOKな方だけお読みください。

 

 

 

 

一人の犠牲が世界を救う。

そこにすごく感動する人もいるのだろうけれど、西欧的だなあ、って個人的には残念に思ってしまいました。キリストになぞらえてるのかな……。

日本でも、ちょっと前のアニメの世界では、典型的なラストエンド。

 

でも、時代は令和。

新海誠監督の『天気の子』が提示したラストは画期的だったな。

誰かが一人犠牲になって救われる世界は......避けれるなら避けたい。

 

やっぱり1巻から読もうと思います。

色んな問いかけをくれる物語でした。

絶版には惜しすぎる物語がまたもや

『トーマス・ケンプの幽霊』(1976年)ペネロピ・ライヴリィ作 田中明子訳 評論社

ああ、1970-80年代の評論社の児童図書館・文学の部屋シリーズ好きだな。絶版とは悲しいです。が、地味と言えば地味だから仕方ないのかなあ。スピード感ある盛り上がりがないと今の子たちには難しい?いや、手渡す人さえいれば、きっと響く子はいると思うんです。今日の一冊は、そんな手渡したいと思った一冊。

 

ちなみに古書で探したら、1万2千円でちょっと(かなり)手が出しづらいお値段でした。図書館って本当にありがたい存在だな、としみじみ。

 

今日の一冊の幽霊は、幽霊といっても姿は見えないポルターガイストもの。エクソシスト(悪霊払い)が出てきたりするのですが、おどろおどろしさや、ゾッとする怖さは全くないんです。勝手に幽霊の弟子に指名された主人公のジェームズにとっては、ひたすら迷惑ではあるけれど。自称魔術師の幽霊であるトーマス・ケンプも、現代においては空回り。それが、どことなくユーモラスなんですよね(表紙絵の印象はこわいけど、内容はぜんぜん!)。だから、こわがりさんでも読めます。

 

ところで、この本を手に取ったきっかけは、zoomであったこちらのイベントで取り上げられていたから↓

勝手におすすめしてきてくれたPeatixよ、感謝!

https://the-continuity-of-life-2024-1-13.peatix.com/

 

とおっても興味深いお話でした!

 

こちらで取り上げられた『グリーン・ノウ』シリーズも、『時の旅人』ももともと大好きで。ただ、『トーマス・ケンプの幽霊』だけは初耳だったのです。この三作はどれも英国のタイムファンタジーで、アニメでよくあるタイムファンタジーものとは違い、リアリティがあるんですよねえ。そのリアリティを“身体感覚”と“生の継続性”というキーワードで説明されていました。おお、私が感じていたけれど、言語化できなかった思いはこれだったのか!と腑に落ちました。

 

その中でも興味深かったのは、『グリーン・ノウ』のルーシー・ボストンと『時の旅人』のアリソン・アトリーは体験に基づいて書いていて、中でもアトリーのほうは、“実際に体験したことを書いている”(=つまり自分自身が時を旅した。空想じゃない)と主張しているところ。……ですよね!すんなりと、その主張受け入れられるくらい、リアリティありますもん。

 

一方で、ペネロピ・ライヴィリは資料を参考にそこから想像をふくらませているそう。

 

うんうん、資料が物語を語ってくれることもありますよね。

この物語の中でも、主人公のジェームズも幽霊の手がかりがほしくて図書館へ行くのです。さすが地域の歴史を残している図書館。ビバ図書館。

 

ところで、主人公のジェームズの両親は幽霊なんて信じてくれないタイプなので、非常に孤独なんです。唯一友だちのサイモンには話せたものの、半信半疑な様子に傷つけられところに、庭のゴミ捨て場で見つけたのが、昔の住人の古い日記。こういうのが出てくるところが何百年も前からある家に住み続けるイギリスならでは、ですよね。

 

誰も分かってくれない

 

そんな思いは現代の人たちでも、誰しも抱いたことはあるのではないでしょうか?

 

そんなジェームズが見つけた日記には、驚いたことに過去にジェームズと同じくトーマス・ケンプに悩まされた、アーノルドという少年のことが書かれていたのです。時空を超え、同じ経験者としての理解者を得たジェームズ。

 

ああ、生の継続性。命のつらなり。

 

悠久の時の流れの中にいるという感覚に、ゆっくりと心が感動で揺さぶられるのです。

 

そして、もう一つ。この物語の好きなところは、自然描写が美しいことなんです。

日の光、木々の影、刻々と色を変えていく空模様。風や川の冷たさを感じさせてくれる。そう、身体感覚。この自然もまた過去からつらなっている。サトクリフを読んだときにも同じような感覚になったのを思い出しました。

 

さあ、ジェームズはどうやって、トーマス・ケンプと対峙していくのでしょう?

このトーマス・ケンプがねえ、また色々な感情をよびさましてくれる存在でした。

最後の最後に、いままでと矛盾するようなお願いを彼がしてくるのですが、私にはとても納得でした。そうか、そうだったのか。

すごい秘密が隠されてるとかそういうのではないんです。ただ、幽霊なのにすごくすごく人間味を感じて。愛おしいとすら、ちらりと思ってしまいました(ちらり、とね。大迷惑だから)。そして、彼のあの世での幸せを願わずにはいられませんでした。

 

ぜひ、図書館で探してみてください。

✨感謝企画:あなたのためだけの3選✨

 

いつもブログ読んでいただき、ありがとうございます。

 

おかげさまで、Facebookのほうの

大人のための児童文学

ページのフォロワーさまが800名を超えました!その感謝として、『あなたのためだけの3選!』をさせていただきたいと思います♪

 

ふりかえってみると、埋もれている隠れた名作たちを発信したい!そんな熱い思いから、2016年よりブログを始めてはみたものの、途中何度も気持ちが折れそうに。

 

一般ウケするわけでもないニッチな分野、ネットの大海の中で誰が見つけて読んでくれるんだろう?児童文学好きの友だちに声掛けたら10名くらいはフォローしてくれるかな?そんな感じで、最初に30名くらいいったときは、とても嬉しかったのを覚えています。とはいえ、あまり数にこだわることなく、たった一人にでもその物語を必要としている人に届けばいいな、そんな気持ちで地道にコツコツと続けていました。みんな何かを始めるときは、ゼロからのスタートですもんね!

 

フォロワー数はあまり気にしませんでしたが、それよりも落ち込んだのは、素晴らしい物語たちの良さを言語化しきれない自分の文章力のなさ。それでも、分かりやすいと言ってくれる人がいたりして、読書の敷居を下げるのが私の役割なのかな、なんて思うようになってきました。THE☆開き直り(笑)。

 

そんな感じだったので、2021年に『あなたのためだけの選書』をしたときに、予想以上に全く知らない方々から希望がきて驚き、嬉しかったんですよね。正直、大変だったけど。

jidobungaku.hatenablog.com

 

私はついつい、あれもこれもとたくさん紹介してしまいがち(だって、この世は素敵な本であふれているんですもの)。なのですが、今回は3選に絞りたいと思います!

あんまり多く紹介されすぎると、どれを手に取っていいか分からない。紹介は1冊くらいでもいい、というお声もいただき。でも、1冊には絞り切れないので、せめて3冊は選ばせて~(笑)。

ご希望の方は、以下をお読みください。

 

①応募方法:FacebookInstagramのDMもしくはotsujishino☆gmail.com(☆を@に変えて下さい)まで。タイトルに「3選希望」と入れてください。

 

②いただいたメールアドレス宛に簡単な質問票をお送りするので、少しあなたのことを教えて下さい。それに沿って、心を込めて選書させていただきます。(無料です)

※質問票への返送がない場合は、選書は難しいのでご理解ください。

 

③3選をデータで送るか郵送がよいかお選びください。応募人数によっては、少しお時間いただくこともあるかもしれません。ご理解ください。

 

自分でいうのも何ですが、私は直観力はあるほうでして。この物語はこの方に!と本のほうが呼んでくれるというか。エネルギー注いで選書します!

 

あなたのためだけの3選に興味はあるけど面識ないし、コメント欄で交流したこともないしなあ......ともし遠慮されている方いたらご心配なく。前回もそうでしたが、面識ない方からのご希望があると“ああ、本当に画面の向こうに読者がいたんだ”と私も嬉しいんです。

 

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

想像力の欠如を自覚する

『ただ、見つめていた』(2017年)ジェイムズ・ハウ作 野沢佳織訳 徳間書店

※2月22日(木)・23日(金・祝)のイベントで“憧れの暮し”テーマに読書会開催します!詳細はコチラ↓

jidobungaku.hatenablog.com

 

今日の一冊は、後味はそんなによくはないけれど、“外側から見えていることだけが全てじゃない”ということを実感できる一冊。

 

ロングセラーだという一文に惹かれて、図書館で手に取りました。短めですぐ読めます。家にお迎えして、何度も読み直したいか?と問われれば、うーん、なのだけれど、図書館(特に学校)には置いててほしいなあ、と思いました。

 

なぜか。

 

SNS時代の今、自分も含め、あまりにも“点”の情報だけで全容を決めつけがち。だから、たまにこういう物語に出合うと、ハッとするんです。登場人物それぞれの視点で話が変わるので、混乱する、分かりにくい、という声もあるようですが、人の心の中って、やっぱりその人の視点にならないと分からないからなあ。だから、図書館には置いてほしい。

 

舞台は、とある島の夏のビーチ。いつも同じ場所で、ただただ見つめているミステリアスな少女がいます。少女が眺めているのは、いつも優しく妹の世話をしている兄のいる幸せ家族、そして金髪イケメンのライフガードの青年。二人とも彼女の視線に気づいてはいたけれど、自分の抱える問題でいっぱいいっぱいで関わろうとはしていなかったところに、事件が起き……。という内容。

 

幸せそうに見えても、誰がどういう悩みを抱えているかなんて、見えないことも少なくない。他者への想像力がただでさえ欠如していて、点で判断して分かった気になりがちだからこそ、こういう物語を読みたいと思うのです。

 

で、”想像力の欠如”といえば、話は飛びますが......。

テレビドラマで実写化された漫画原作者が、脚本改変を巡るトラブルで命を絶った、という痛ましいニュースをご存知でしょうか。あまりドラマ見ないのに、珍しくTverでこのドラマは見ていて、トラブルの経緯を見守っていた中でのニュースだったので、もうショックでショックで。

 

日本にある色んな問題が、この事件に凝縮されているような気がして。クリエイターを軽んじる日本の風潮、大企業の体質及び構造問題、弱いものへの責任転嫁、問題をすりかえる風潮、忖度、コミュニケーションの断絶、SNS問題などなど。色んな記事を読んでは、考え、自分に問い続けています。

 

テレビ局側の血の通わないコメントには、本当にがっかりし、憤りすら覚えました。でも、危機管理的にはあれは正しいのだとか。正しい......それはときに冷酷ですね。

 

そもそも原作があるものの実写化には、こういったトラブルは珍しくないそう。トラブルが多いと知りつつ、それでもオリジナル脚本によるドラマではなく、漫画原作が企画を通りがちなのは、企画判断側にも想像力が欠如しているから、という記事を読み、ナルホドなあって思ったんです。時間もない、オリジナルの企画を発案されても、提案された側にはイメージしにくい。その点、漫画原作ものは読めばイメージが分かるし、人気も保証されている。視聴者側も作り手側にも想像力が著しく損なわれているから、既知のもの(原作もの)がドラマ化しやすい、と。

 

想像力の欠如

 

これなんですよね。想像力さえあれば、テレビ局側はあんなコメントは出さなかったはずだし、そもそもこのトラブル自体起こらなかった。いや、トラブルは起こったかもしれないけれど、少なくとも歩み寄りはできた。

 

まずは、“ああ、自分も想像力が欠如していた”と自覚するところから。だから、私の場合は本を読む。今日の一冊は、そんなことを自覚させてくれる物語でした。