発達障害で高校生で3DCGで。

3年生を前にしてADD(注意欠如障害)と診断された高校生のブログです。見てくださった方が、障害への理解とCGへの興味を持ってもらえるよう頑張っています!

発達障害の私は人より優れている?

かなり喧嘩を売るようなタイトルでごめんなさい。

 この記事は発達障害の中でもADDに絞って書いているものです。


みなさんこんにちは、Maximiyaです。
今回は私がADDであることを受け入れてから気付いた、発達障害のメリットのお話です。

 

 1.ADDの特性たちは、他の人には無いもの
私がADD(注意欠如障害)だと診断がついてから、
「あれはADDの特性だったのか!」という発見が沢山ありました。

その中でも、主にメリットとなる点をご紹介します。

 発想が豊か。独創的なアイデアを次々思い付く。
私は昔から、よくユニークでアイデアマンだと言われていました。
数学の授業で教えられていない法則を探し当てたり、
プロダクトデザインのコンテストで「他の人には思いつけないアイデア」として賞をいただきました。

 大人っぽい、同世代の人たちよりも考えが先駆けていると言われる。
常に落ち着いていたりTPOをわきまえているという意味ではないと思いますが、
他者の失敗に寛容だったり、知識が豊富で間違いに気づきやすいらしくよく大人っぽいと言われます。
近年夢を持たずに3年生を迎える高校生が多い中、私は中二のときから将来に悩み続けています。
悩み癖であった「若いって辛い」で悩み続けた結果、考えが若くなくなってしまいました。

 前向き。イライラが続かない。
どんな失敗をしてもやる気が復活し、回数をこなしていくうちにこなせるようになります。
めったにないですが、ケンカや言い争いがあった時もすぐに気持ちが収まります。

 小さな変化もすぐに気付く。
髪型やメイクの変化にいち早く気づいたり、具合が悪そうな人に声をかけたりしてきました。

 寝食関係なしに好きなことに没頭する。
3DCG制作に力を入れ過ぎて、1日が48時間になることが多々あります。
家に自分ひとりだけのとき、それまでのプレイ時間3時間のゲームをやり始め、
そろそろごはん休憩入れるかとセーブしたところ、プレイ時間が25時間30分になっていました。


人から褒められることもけっこう多いですよ。
私自身、学校で応募したコンテストで8個中6個賞状をいただいているので、
コンテストに応募し始めたここ半年間で褒められる機会が増えたように感じています。


...「発達障害」なんて言ってるのにいいところ多すぎやしないかって?
確かにその通りです。いいところいっぱい。
でも、一般の人の「たまに褒められてたまに怒られる」生活と、
ADDである私の「いっぱい褒められてその倍マジギレされる」生活。
...どっちが生きやすいでしょうかね?

 


 2.私の「得意」は、「不得意」の裏返し
私の長所を並べて書いてきましたが、
考えてみると、そのほとんどがADDの特性に関連していることに気が付きます。

溢れ出るユニークなアイデアは、注意力散漫において、
向けられた関心のすべてから情報を得たことによるものです。
人よりも数多くの興味事に触れていくことで、インスピレーションが活性化していきます。

物事に気づきやすいのもイライラが続かないのも、不注意性の裏返しです。
常にいろんなことに注意が行くために気づきが多くなります。
感じた憤りやイライラも、他のことに集中が行って忘れてしまいます。

失敗に寛容だったり大人っぽいと言われるのは、
私が積み重ねてしまった、度を超える量の失敗の経験からです。

そもそも普段の生活に苦がなければ発達障害と診断される必要はありません。
人より圧倒的に「得意」「不得意」の差が大きいために、
私たちは「たくさん褒められて倍怒られる」のです。


現に世界中で成功を収めている方の中には発達障害の方が多いことも事実です。
多くの記事で書かれているのでここには書きませんが、
気になる方は調べてみると面白いですよ。
私的に驚いたのはジョブズさんとマイケル・フェルプスさんですかね。
史上最強のスイマーとしてオリンピックメダル数1位の記録を持つフェルプスさんも、
母親がADHDの有り余るエネルギーのはけ口として水泳を始めさせたことがきっかけのようです。


 3.人にできることができない、人にできないことができる
ここまで私の長所と短所がほとんどADDの特性に当てはまってしまっていることを書いてきました。

人には得意なことも不得意なこともあって当たり前。
大事なのは、自分の得意な物事をしっかりと理解して励むこと。
それを人に誇れるまで成長できたとき、初めて自らの生涯に意味が生まれます。

発達障害である私は、やる気等を司るアドレナリンになるドーパミンのはたらきが不安定です。
そのため周りの人と共に集中すべき時に注意が散漫してしまい、
自分の好む分野の作業や、他人が関心を持っていないような希少な分野に刺激を求めます。

たとえばそれが「数学」で、円周率を誰よりも覚えて有名になったり、
新しい数式を発見するために人生を尽くしている人がいます。

私の場合は「創作」でした。え?3DCGじゃあないのかって?
そうです。私の好きなことは3DCGを創ることではありません。

私が「創作」が好きなことであることに気づけたのは小学校4年のとき。
あの覚醒から何年も、文章や絵、録音で頭の中のアイデアを記録してきました。
それを最も形にできる方法が3DCGだったのです。

私は絵が苦手です。字が苦手な理由と同じく、考えながら線を描くことに慣れていません。
それでも3DCGは直感的に私のアイデアを形にしてくれます。
この3DCGを仕事とすることが、私の生涯を幸せにする絶対条件だと感じています。


私がADDであることを隠すつもりは全くありません。
世界中の人が、それぞれの得意・不得意を認めて活躍できる日がいつか来ることを、
私はずっと、信じています。

 

発達障害だと気付かず生徒会長になった私

「あーあ、投票しなきゃよかった。」

みなさんこんにちは。Maximiyaです。
短い期間にいっぱい書き過ぎだって?
...早く過去編書かないと今の話に行けないんですよ(´・ω・`)

さて今回は生徒会長時代のお話の続きです。
会長に当選したのが中学二年生ですから、もう3年前ですか...。
前々回の記事の続きになるので、読んでない方は先にそちらをどうぞ。

 1.1mmも知らない生徒会長、爆誕
選挙本番でスタンドからマイクを取り、先生の許可を得ていない裏原稿を熱弁した私。
生徒会長に当選したという連絡が来て、放課後に当選者3人が集められました。

「これから1年間生徒会活動を任せることになるわけだけど...」
学年主任の先生と私のクラスの担任の先生が白い目で私を見てきます。

生徒会としての活動は現生徒会の方々が引退されるまで無いけど、
これからの話や前もってしておく事などを話し合う会議だったはずですが、
クラス担任が居合わせるのは私が当選してしまったからでしょう。

それもそのはず。私は成績がどん底だったのです。
忘れ物や遅刻の常習犯として名が知れ渡り、授業中も手を上げずに答えを言ってしまう。
先輩だろうが後輩だろうが、職員室で怒られている私を見た人は数えきれません。

そんな私が生徒会長になってしまったのです。
きっと面白半分で票を入れた人が多かったのでしょう。

私は学級委員の経験が無く、委員会にもあまり入らず...
演説の通り、本当に何も生徒会がしている事を知りませんでした。
こうして、人望も経験もカリスマ性も学力も無い生徒会長が生まれました。


 2.(すみませんまだできてなくて...)⁴
私の失敗の中で最も多かったのが、原稿の未提出です。

「○日にスピーチあるから明後日までに原稿持って来い。」
「わかりました。」

「すみません先生...えっと..まだできてなくて..」
「だろうな。明日の朝必ず持って来い」
「はい!」

「えっと..あの..」
「できてるとこまで見せてみろ」
「すみません...まだ...」
「...今日残ってやってけ。絶対帰るなよ」
「はい!」

「...帰るなって言ったよな?」
「...家にノートがありまして..」
「放課後生徒会室に居ろ。俺も行く。」
「はい...。」

生徒会室で原稿を書き終えるも、先生が見当たらないので明日の朝出すことに。
靴箱を出て校門へ向かおうとしたときに...呼び止められました。

「なに帰ろうとしてんだよ、おい」
「いやっあの原稿は出来てて..」
急いでバッグからノートを出して差し出すと、

パァン!と目の前で吹き飛ぶノート。
先生が弾き飛ばしたノートはバラバラになってしまいました。
先生はボクシングをやってたんですね。
今でもあのノートはテープでつなぎ止めて残っています。

こんな感じのことを1年間繰り返し続けました。


私だけぎりぎりの時間まで残らされて生徒会活動について勉強したこと

事務局員の女子を問い詰めて泣かせてしまったこと

わざわざ下校の時間に外に出され帰る生徒たちの前で晒し者のように怒られたこと

原稿と違うことをスピーチでしゃべってしまい全校生徒にどん引かれたこと

母親が学校に呼ばれて大号泣して帰ってきたこと

馬鹿にされ笑われ票入れなきゃよかったと先輩から言われ続けたこと

仕事のため生徒会室に走って向かっている時に先輩に足をかけられて転び前歯を折ったこと

根性叩き直してやると先生が通うボクシングジムに連れて行かれて地獄のようなメニューをしたこと

あまりのストレスに学校を休んだとき担任の先生が家に来てくれたこと


生徒会長最後の仕事体育祭のスピーチで自分が書いた原稿を捨てられ先生が書いた原稿を読まされたこと
毎年恒例会長スピーチのアンコールを応援団がやってくれてしゃべり始めようとしたとき先生に止められたくさんのブーイングの中壇上を降りたこと
その後の教頭先生のお話しのときあまりに悔しくて全校生徒+保護者の前で泣いたこと

卒業式の答辞を副会長が読んだこと


これらでもまだ一部ですが、だいたいこんな思い出を全て抱えたまま、私は中学校を卒業しました。


 3.副会長は県内トップ校へ、私は県内ワースト2位の私立へ。
私は成績も出席日数も酷く、受験勉強もうまくいかず親と対立し、
結局県内ワースト2位の学校へ電車で通うことになりました。

私の中学からは私一人だけ。ひとりぼっちの高校デビューでした。

手を上げずに発表していく授業スタイルは私にとって快適で、
授業スピードが遅くて分かりやすく、なんとも素晴らしい場所でした。

でも、一つだけ心残りがありました。
中学時代の、悔しすぎる一年間。
私がやっと生徒会の仕事に慣れたのは、最後の2か月だけだったのです。
仲間たちと話し合い企画を創り上げていく素晴らしさに気づき、心が少し救われました。
それなのに、応援団のアンコールに答えられなかった苦い記憶。
どうにか、リベンジを果たしたい。

でもそんなこと許されない。もうあんなに迷惑をかけることはあってはならない。
そう自分を抑え込んでいく傍ら、私は気づくと、高校の生徒会規約を全て覚えていました。

「副会長なら...もう一度..私には1年間の経験がある!」
リベンジの炎を爆発させた私は、生徒会副会長に立候補しようとしました。

「先生。私、副会長に立候補します。」
「...○○先生から話をもらっている。お前がどんな生徒会長であったか。」
「でも私は..!」
「いつまで迷惑をかけるつもりだ?」

私が高校に進学した後、学年主任の先生から連絡があったそうです。

職員室を出てトイレに直行。個室で泣きました。
口を押えながら、周りに嗚咽が聞こえないように。

悲しくて、信じられなくて、自分が許せなくて。
初めてチェック一回で原稿が通った時、先生は「できるようになったな」そう褒めてくれました。
卒業のとき、「今までよく頑張ったな」「高校でも頑張れよ」そう言ってくれました。
なぜ先生はリベンジに挑戦する機会すら与えてくれなかったのだろう。
あれだけ迷惑をかけて今更裏原稿なんて使うはずないのに。
ああ、まだ私は迷惑をかけるつもりでいる...。


ここで最後です。生徒会のメンバーや先生たちとは連絡を取れていません。
発達障害と気づかずかけてきた迷惑の数々をこうやって書き留めて、忘れないようにしていきます。
「実は発達障害でした。あの時は本当にごめんなさい」なんて言えば、
発達障害だったからあれ全部しょうがないことだったんですよ。許してください。」
そう聞こえてしまうはずです。ただ純粋に謝りたくても。

だから私は3DCGで有名になって、沢山のメディアに名前が載って、
その活躍を見せることが、唯一の方法だと思っています。

私は絶対に有名になってみせる。
世界でたった一人の、障害を持った高校生3DCGアーティストとして。

3DCGと不安障害と発達障害

「誰にでもあるだろうって?うん、よく言われる。」

 

みなさんこんにちは、Maximiyaです。

前回の続きも書きたいんですが、

3DCGでいろんな方と繋がっていきたいっていう思いがありまして。

今回は、発達障害と3DCGを絡めて記事を書いていきます。

 

 1.あれも怖いこれも怖い...でも追いつけない「不安障害」

すみませんいきなりCGの話じゃなくって。

でも私が一番悩んでいたのはこの「不安障害」なんです。

 

不安障害は、常日頃の不安が他人よりもかなり強く

それが普段の生活の障害になってしまう精神疾患です。

ADDは脳のつくりが少し違うせいですが、

不安障害はストレスやトラウマが原因だとみられています。

 

よく発達障害と不安障害は区別がむずかしいことがあるようで、

発達障害のお薬の効き目が無かったのに、抗うつ剤は効いたなんて話も。

私もこれを聞いて自分の診断を疑いましたが、

IQテストで「処理速度」の部分だけどん底だったのですぐに晴れました(笑)

 

 2.「誰もやっていない3DCG」を続ける勇気と不安

私はお薬をもらうまで「不安障害」になりかけていました。

一番の不安は、自分の将来について。

 

3DCGとは、表現の場を広げてくれる、素晴らしいものです。

それと同時に、残酷で過酷な試練が私たちを待っています。

 

一番怖いのは、終わりがないこと。

そして終わりが来たときは、それ以上の創り込みを諦めたということ。

二次元を三次元に書き起こす過程において、正解は存在しません。

 

服のしわを創っても、リアリティを求めたらキリがありません。

前と横から見て設定画通りでも、斜めから見た違和感は消えません。

完全に再現できたとして、それを動かしたらまた新しい違和感が出てきます。

そうしているうちに自分の限界を感じて、それを納期や期限と照らし合わせて、

「これでいいや」と言って、創ったCGを世に送り出すのです。

 

...こんなこと毎回考えてたらやっていけませんし、

クリエイターさんの作品すべてを、

「妥協した結果」と言っているようなものですから絶対怒られます。

 

でも、私の頭からは消えてくれませんでした。

コンテストに作品を出すたびに、不安が襲ってきます。

「就職まであと1年とちょっとなのにこんな出来でいいのか」

「審査員を伝って、自分が入りたい会社の人に馬鹿にされたりしてないだろうか」

「専門学校に2~3年も行くなんて怖すぎる」

「でも高卒で雇ってもらえるわけない雇ってもらえるような実績を創らないと」

 

不安は、学校でも構わず襲ってきます。

「なんで自分はこんなところにいるんだ向かうべきはノートよりパソコンだ」

「少しでも意味のある時間を...絵を描こう ああなんで私はこんなに下手なんだ」

「帰ったら下絵完成させる帰ったら下絵完成させる(←宿題の事忘れてる)」

 

結局制作に時間をかけすぎて遅刻。宿題も終わっていません。

「こんなことで怒られてる場合じゃない帰って作業しないと」

無限ループでしたね。うん。無限ループって怖い。

 

ここまで不安に押しつぶされそうになっているなら、

やっぱり発達障害ではなく不安障害の間違いだったのでは?と思っているあなた。

 

忘れちゃうんですよ。この不安全部。

結構な数の不安抱えて家に帰りますと、ずいぶんと部屋が荒れてるじゃあないですか。

これは片づけねばと掃除を始めますよね?

そしたら開始5分でゲームの設定資料見つけちゃいまして。

勉強だ勉強だと付箋を貼りつつ参考になるところをメモしていきますよね?

そしたら制服着替えてないことに気が付きまして。

絨毯に座って読んでたんでほこりが付いちゃってました。コロコロかけますよね?

そしたらコンテストの期限がホワイトボードに書いてあったもんで思い出しまして。

急いで制作に取り掛かろうとパソコンつけますよね?

そしたら新しい記事が行きつけの3D制作ブログにアップされてるじゃないですか。

 

毎日が、こんなことの繰り返しです。

ADDの本質、不注意の表れです。

物事の切り替えがうまくできない?とんでもない!

知らないうちに自分のやっていることが二転三転、四転五転...

やがては転がり続けてガーターにドン。

 

帰ってきたのは深夜2時。

「なんで今まで..コンテストの締め切り明日なのに!??」

さあ、今度はADDの特性「不注意」と対を成す、「過集中」の始まりです。

物事の切り替えがうまくできない?当たり前だろ!

知らないうちに時間は過ぎ、気付けばあと2分で登校しなければ遅刻です。

 

学校に作品を持っていくためプリントアウトして制服着て顔洗って歯磨きして

ノートをカバンから出して予定を確認して使うノートを入れ直して

制服にコロコロかけて腕時計してハンカチポケットに入れて

肩掛けのカバンを背中に背負って手袋して革靴を履いて玄関を出て

自転車を出して直進でギアを上げて信号でギアを下げて標識を守って車に注意して

駅に着いて駐輪場に自転車を留めたところで自転車のカギを忘れたことに気づきます。

 

20分ほど遅れて学校に着くと教室には誰も居ません。

はっと全校集会の日であることを思い出して急いで階段を駆け降ります。

くすくすと私を笑う声の中、全力疾走した汗を拭きながら思い出します。

プリントアウトした紙を持ってき忘れたことに。

 

 

3DCGを絡めた、発達障害と不安障害のダブルパンチ。いかがだったでしょうか。

まずは障害の現状を知ってもらうことが、広い理解への一歩だと考えています。

発達障害だと気付く前~ノリで生徒会選挙に出て大変なことに。

「『生徒会役員共』面白いなー。よーし選挙に出t(ry

 

みなさんこんにちは、Maximiyaです。

挨拶後初めての記事なので緊張してます。...挨拶書いてから続けてなんですけど。

 

さて、今回は私がADD(注意欠如障害)だと気付く前のことをお話ししましょう。

タイトルにつられてきた方、その話記事の真ん中あたりです。2番のとこ。

 

 1.あれは家に置いてきたこれは学校に置いてきた...それはえっと..どこだっけ?

私が診断されたADDは、ADHD(注意欠如・多動性障害)から多動性のところが抜けた、

主に物を無くしたり、課題が出せなかったり、整理整頓ができなかったりする、

発達障害です。

 

...そんなの誰にでもあるだろうって?

うん。正解です。こんなことは人間だれしもあること。

 

でも、これらのことがあまりにも多すぎて、生活の障害になっている人は、

その人がただ怠けている、だれている訳じゃなく、脳のせいである可能性があります。

  • 忘れ物、未提出物、遅刻、欠席等が多すぎて成績がガタガタ
  • 重要な書類を無くす、話を聞き逃す、周りとの協調がうまくいかない
  • 気分が変わりやすい、集中が続かない、大切な決断を簡単にしてしまう
  • 得意なことと苦手なことの差が激しすぎる、気付くと時間が過ぎている

これらは症状の一部ですが、このようなことが幼少期から障害になっていることが、

発達障害だと診断される重要なポイントになります。

 

私は小学校に入ったあたり、周りとのかかわりが濃くなる時期から、

上のような問題が目立つようになりました。

 

でもその時の話はまた今度。

いろんな人がもう同じこと書いちゃってあるからね。

 

 2.「やっちまった...」ではなく、「やっちまってた...」

さて、私の人生最大の失敗が訪れたのは中学二年のとき。

タイトルにつられた方、いよいよです。

 

当時私は、毎週父が買ってくる週刊少年ジャンプとマガジンを読んでいました。

マガジンの中でも特に好きだったのが、「生徒会役員共」です。

生徒会の役員たちが、活動を通して成長していく過程を描いた学園もの。

..ならよかったんですが、がっつり4コマです。9割下ネタ。

 

これにドハマりしていた私は、ある日決意します。

「よし、主人公みたいに副会長になってやる!」と。

ちょうど募集していた立候補者に、名乗りを上げようとしました。

 

数日後、生徒会選挙当日。

全校生徒800人の前に立つ私の姿がありました。

...生徒会長立候補者として。

 

私の学校では、生徒会事務局という役員を補佐する人たちがいました。

一年生から4人、二年生から8人くらい?でしたね。

一年生のうちから役員の仕事を手伝い、現場で実際のお仕事を体験する。

そうしてその人たちが役員になる...という暗黙のレールが敷かれていました。

 

その元事務局員の奴が副会長戦に立候補し、補佐に現会長を使うとの噂を聞いた私は、

「このままではあいつの推薦スピーチを会長が読むことになる...。

  絶対に負ける。...ならせめて...もっと大きな舞台で、潔く負けてやろう!

こうして私は、会長戦に立候補しました。

 

「みなさんこんにちは。立候補させていただいた...」

話し始めは順調。

しかし...

はぁ。....みなさん、こんなんじゃつまらないですよねぇ

ざわつく体育館の中、スタンドからマイクを取り、

私はポケットから裏原稿を出しました。

「みなさん、学校楽しいですか?私は楽しいです。

 でも、もっと楽しくできるはずなんです!

 私が会長になったら目安箱を校内中に置きます!

 そして、ひと月に一度、寄せられた意見の中から必ず一つ実行します!!」

 

私は他の立候補者たちに指をさして言います。

「私はこの人たちのように成績もよくないし先生たちからの人望も無い!

 でもみんな、生徒会が何をやっているか具体的には解ってないはずだ!

 私は皆さんと同じ、等身大の生徒会長になる!

 今まで私が皆さん側で感じてきた不満は全て修正する!

 あなたのその清き一票を!私に!ください!!」

 

後日、放送で選挙の結果を全校生徒が聞きます。

会長に当選したのは、ー組、ーーさんです。」

私は静かに...握りしめた右手を掲げました。

巻き起こる歓声。やったな!と声をかけてくれる仲間たち。

私は達成感と興奮の絶頂にいました。

 

...これが後の一年戦争」の始まりだとも知らずに。

 

 

今回はここまでです。だいぶサイトが重くなってきてしまいました(笑)

次回も会長の話を絡めた、障害についての記事になるかと思います。

 

今時計を見てみたら朝の5時半でした。

ブログを書き始めて気付いたら朝...。

みなさん!これがADDですよ!

 

創めまして。世界でたった一人の私です。

創めまして、Maximiyaと申します。

 

このブログ、「発達障害で高校生で3DCGで。」では、

私がADD(注意欠如障害)と向き合っていく高校生として、

3DCGを趣味とする数少ない高校生として、

その成長や実績を記していきます。

 

ブログ解説の目的は3つ。

  1. より多くの人に発達障害を理解してもらいたい
  2. まだ診断がついていない、気付けていない人へのきっかけを作りたい
  3. より多くの人に3DCGに興味を持ってもらいたい
  4. 3DCGを趣味とする高校生の発見、調査、捕獲

 

...4つになってしまいましたが、4つ目が一番私のしたいことのように感じています。

 

発達障害をテーマにしたブログをいろいろ調べてみましたが、

7割が発達障害の子を持つ親が書いているもの、

2割が大人が自身の障害について書いているもの、

1割が高校生が自身の障害について書いているものでした。

もっと調べれば割合は変わってくるかも。

 

中でも、高校生が書いているものは長続きしていないものばかりでした。

誤字脱字が多かったり、句読点の位置がおかしかったり。

...なんとなくわかる気がします。私も前のブログを...いえ、なんでもありません。

 

そして3DCGを趣味としている高校生を調べてヒットした結果は、

9.5割が高校生の時3DCGを趣味としていた大人、

0.5割が現在3DCGを勉強している高校生でした。

 

...0.5割と書きましたが、実際二人です。

その二人については追々書いていくことにしましょう。

 

 

ここまで調べてみて、

発達障害で高校生で3DCGが趣味であることを記事にしているブロガー」は、

おそらく私一人しかいないのでは...という考えが生まれました。

今回の記事タイトルはここからなんですね。

 

ブログの経験も浅い高校生ですが、これから諦めず頑張っていきます。

上で挙げた目的が全て達成できる日を目指して。

 

ブログ「発達障害で高校生で3DCGで。」よろしくお願いします!