くるいたくない人間
「くるいたくない人間」
わたしはくるって終ったのでしょうか。この社会には狂人の生きる場所など、場末の酒屋にだってありゃしません。
すこし教養のありそうな初老の男から若い女まで、みな、輝いた笑顔で(この笑顔は私とは違ってきっと生来のものです)いつも通りの卑下た冗談やら、どこかで聞いたことのある男と女にまつわるジンクスを交換しています。その繰り返されるルーチンを見ているうちに吐き気がして、わたしは彼らのほうがくるっているように見えてきます。しかし、どっちがくるっていようが、たいした問題ではありません。淋しいのはいつだってこちら側なのです。
わたしはそっと、その店を抜け出しました。
早稲田通りを穴八幡宮の方に歩きながら、さりとて穴八幡に何か用事が在るわけでもなく、ただもうぶらぶらと歩くだけですから、途中で酒屋に入って、アルコールを浴びて、更に酷い気持ちになります。
八幡前の交差点の交番のお巡りもこちらを見ているような気がいたします。きっともうすぐわたしは逮捕されるのでしょう。サイレンの音もどこからか聴こえてきます。どこかへ逃げなくてはなりません。どこかへ。ふいに辺りが朱くなり、どうやらこのサイレンは救急車のものだとわかりました。わたしを轢いてくれた男が、とぼとぼ近づいてきて泣きそうな顔をしています。わたしは最期まで、他人を不しあわせにすることしか出来ませんでした。早く捕まえて、牢屋に入れてもらわなくてはなりません。けれども、もう独房に入るのは厭だなと思いました。
赤ん坊について
「赤ん坊について」
その赤ん坊は泣いていた。殺意からである。
冬の、よく晴れた、黄味がかった青空であった。
町のちいさな産婦人科でその赤ん坊は生まれた。取り上げたのは、老齢の産婦人科医であった。その赤ん坊はただずっと、ヤギのように泣いていた。母親が、父親が、憎かった。生を受けたことが不快だったのだ。六十億年以上もの間、あたたかくしずかな宇宙のような海を揺蕩っていたところを、急に引っ張り出されたのだから、無理もない。
その赤ん坊としては、これはもう、非常に、鼻持ちならなかった。しかし、いかんせん、赤ん坊である。こぶしを握っても、手毬寿司ほどの大きさと強さしかない。腕をふりふり、大人たちのなすがまま、フリルの襟つきの、愛くるしく暑苦しい洋服を着せられた。生きることは無駄そのものであった。
祝出産、というフレーム付きの写真を撮られた。赤ん坊の母親の母親は、それをリビングに飾ったが、赤ん坊にとっては呪いの写真であった。
その赤ん坊には大人を殺すことは無理であった。そのことはたいへんに悲しく、理不尽だった。私は大人に生まれさせられたのに、大人を殺すことができない。そのことにもひどく釈然としなかったのだ。不平等ではないか。あの女を殺してくれ。そうすることで、生殺の与奪の均衡が取れるのだ。赤ん坊は無理やり生まれさせられる運命の理不尽と不平等とに憤っていた。
その赤ん坊は小鬼のようなくしゃくしゃした顔でただ泣いていた。殺意からである。
赤ん坊が泣くと、母親が飛んできた。
「おおよしよし、どうして泣いているの?おなかがすいたの?ねむいのかしら?」
赤ん坊なので、ものも言えないが、殺意からである。
そのうち、乳をのんだり、眠ったりすると、不快感はいくぶん和らぐことが分かってきた。しめたものである。赤ん坊は殺意を覚えてはいたが、腹がたまるとすぐに眠ってしまう。赤ん坊だからだ。
赤ん坊を見に、大勢の親戚たちがやってきた。赤ん坊には、何が面白いのか全く分からなかったが、赤ん坊の表情が変わるたびに、大人たちは笑う。リンゴロガンゴロ、喧しい音を立てる玩具が、ベッドの上に吊るされた。天使が回るのだ。赤ん坊の眠りを妨げるものは、天使であろうが殺意である。赤ん坊は泣き叫ぶ。しかしそこは赤ん坊である。まわりの大人は何もわからず、必死であやそうとする。御免こうむりたい。だいたい、親族なので全員顔が同じなのだ。私はお前たちの、しわの入った金太郎飴のような笑顔に飽き飽きしている。私は寂しいから泣くのではない。泣くのは殺意からである。
赤ん坊はだんだん、言葉を話すようになった。立つようにもなった。赤ん坊はもう赤ん坊ではなく、愛くるしい顔の女の子になっていた。女の子は、朝起こされると、ぐずぐずと泣き出す。母親への殺意からである。しかし、母親を殺すことはずいぶん難しそうだということもそろそろ分かってきた。何せ、母親は二年、三年と女の子を育てる間に、腕はむちむちと脂肪と筋肉が付き太ましくなったし、またその右手で包丁を操り食事を作るのだ。母親の作る料理はどれも美味しく、女の子はいつの間にか、朝食のほうに夢中になってしまい、殺意を忘れた。
母親は「いただきます」と言うので女の子も真似をする。母親が「美味しい?」と訊くので女の子は「美味しい」と言う。そうして時間が過ぎていった。悪くないなと思った。しかしそこは三歳児なので、悪くないなと思ったこともすっかり忘れて、人形遊びに興じるようになった。女の子が「美味しい?」と訊き、人形が「美味しい」と言う。女の子は、あの、腕の強い女に、自分が少しでも近づけばいいと思いながら、ままごとを続けた。そうして、お腹がすいて、昼食を食べ、少し眠った。眠っている間、女の子は夢を見ていた。起きているときの夢である。
そうしてまた起きた時には、遂に泣かなかった。遊びの続きをしたかった。
女の子は、少し大きくなった。幼稚園の制服を脱ぎ、小学校へ上がった。
数年経つうちに、身体つきはだんだん丸みを帯び、女の子の胸は少し大きくなった。母親は女の子を連れ、デパートに下着を買いに行った。帰りの電車で、近所に住む男の子とその母親に出くわしたが、なんだか変にむず痒かったので、女の子は紙袋の口を抑え、母親同士のお喋りが終わるのを黙って待っていた。なかなか母親の話が終わらないので、こんどはその男の子の足を蹴りたくなった。殺意というよりは羞恥からである。
十八になった彼女は女子短大に進学し、ボランティア組織に所属した。感心なことに、貧困地域の子の命を救う活動である。休日の街頭募金活動と、アルバイトで、毎日くたくたなのですぐ寝てしまう。遅刻しそうなときは、母親が起こしてくれたが、お礼を言って家を飛び出し、移動距離の小さい車両に乗ることを考えて走った。彼女はもう立派に大きくなり、すぐにでも殺すことはできたが、殺意を思い出す時間も無かったのだ。
一年して、そのボランティア団体の代表を務める男と懇ろになり、彼女は女になった。羞恥よりも、何よりも、ただ腰や脚なんかが痛かった。脇で呑気に寝ている男に対して殺意を覚えた。けれどもそれはちょっとしたもので、男の馬鹿のように幸せな寝顔を見ていると、ぷっという笑いとともに吹き出て消えていった。
また一年して、ちいさな企業の事務職員になった。
その頃に、あの母親がとうとう死んだ。脳卒中だった。遅すぎる死だった。
女はばたばたと葬式の手筈を整え、喪主の父親とともに葬式を執り行った。そして葬式が終わり、一週間してから、赤ん坊のようにわんわんと泣いた。
葬式から三年が経った頃、あの男と一緒になって赤ん坊が出来た。
生まれてきた子は、しわくちゃの小鬼の顔をして、やっぱりただ泣いていた。かわいそうに、泣くことしかできないようだった。
家に連れて帰る頃には、母親似の綺麗な顔つきがはっきりしてきた。
春の、ぼんやりと晴れて、しめった空気が草の匂いを含んだような日である。
そのうららかさに任せ母親は少しのあいだ眠っていたが、泣き声を聞いて目を覚ました。
母親は赤ん坊のもとへ飛んで行く。
「よしよし、どうして泣いているの?」
きっと、何でもないのだ。ちょっと腹を空かせたのであろう。