のら猫めもりー

読んだ本の感想、覚えたことを書き散らかしておくためのスペース…になればいいのですが。

アングレーム×片山さつき

片山さつき Official Blog』にて韓国側の出展漫画の写真が公開されていたので、とりあえず魚拓取っておいた。こうやって問題になっている作品を部分的にでも公開して頂けるのはありがたいことだ。

http://satsuki-katayama.livedoor.biz/archives/8243285.html - 2014年2月15日 08:45 - ウェブ魚拓

 

韓国でどんな漫画が流行っているのか全く知らないが、掲載された画像の範囲内だけでも、カリカチュア風の1コマ漫画からアメコミ風のものまで実にバラエティ豊かで、ブース全体のレベルの高さが想像できた。

同時に、いくつかの漫画で象徴的に旭日旗のモチーフが引用されているように、これらの作品は「リアリスティックな漫画」というよりは大日本帝国全体を諷刺している側面が強く、その意味でメッセージ性が露骨な作品である。片山氏はYouTube上のチャンネル

さつき チャンネル - YouTube

でいくつかの作品について「侮辱的」だと発言している。(「従軍慰安婦」が事実なのか絵空事なのかはさておき、個人的には、アジア全域に戦火をもたらした大日本帝国陸軍を侮辱的に描くことは、そんなに品性下劣な行為だとは思わないけれど)

 

一方で、上記URLには自称日本代表の「論破ドットコム」が展示(結果的に撤去されたが)した漫画も掲載されているが、なんというか、ひと目みればわかると思うけれどレベルが低い。往年の進研ゼミの広告漫画や『マンガ 嫌韓流』を想起させる稚拙なスタイルだ。

どんな漫画を出品するべきだったのかは難しい問題だが、例えば、大友克洋浦沢直樹といった巨匠の作品に描かれる、立体的(リアルな)空間造形と映画的ストーリー展開が「世界に冠たる日本の漫画」の到達点だとすれば、一つ一つのコマにバストアップで話者を描き、画面を埋め尽くさんばかりの文字量でお説教をかますこの漫画のやり口は見ていて痛々しいし、アートとしての創造性が全く感じとれない。どう考えても、日本を代表する作品として不適当だろう。ていうか、描いた人はアマチュアどころか漫画家志望でさえないのでは…

少なくとも、戦争に巻き込まれた一個人の視点から大日本帝国の暴力性を描く韓国ブースの作品の方がより現代の漫画に近いし、観客も感情移入し易かったのではないかと思うのだ。

作品としてのレベルも問題だが、内容そのものにも疑問が残る。一つ前の記事でも書いたけれど、A級戦犯の筆頭たる東条英機(彼らが祀られていることが中韓両国にとって靖国問題における最大の争点なのに)を「愛してやまない」キャラクターとか、「魚釣島在住のクマ」とか、これらのキャラ設定はわざわざ中国と韓国をおちょくっているようにしか見えない。(それ以外に何の有効性があるというのか)

その意味で、アングレーム漫画祭における韓国ブースの何倍も下品だし、私は「論破プロジェクト」そのものが品性下劣な集団なのではないかと思う。

http://rom-pa.com/progress - 2014年2月15日 08:48 - ウェブ魚拓

論破プロジェクトのキャラ設定。こっちも一応魚拓を取っておいた。

 こういう人にはさっさと退場していただいて、もっと優れた漫画家なり論者の手にこの問題が委ねられることを望んでいる。

アングレームマンガ祭の日本ブースについて。

絶賛炎上中である。なにやら、大成功の韓国側の陰で日本人団体のブースが撤去されたことが「不公平」であるとして問題になってるらしい。

日本の慰安婦漫画を展示拒否 岸田外相「残念だ」:社会:スポーツ報知

が、このブースを企画した「論破ドットコム」なる団体。ウェブサイトをひと目みればこの通り、なかなかのトンデモ団体だ。東条英機を愛してやまない」とかすげぇ。こんなキャラ設定世界初じゃないか。というかこのトンデモっぷりどこかで見たような気がする…と思っていたら案の定。

f:id:maymaybw:20140203201120j:plain

 

フランスのアングレーム国際漫画祭で騒動の「論破プロジェクト」と幸福の科学のつながり | BuzzNews

うん!そうだよ!言われてみればこの毒電波な感じはまさに『仏陀再誕』!

従軍慰安婦問題そのものについては、私は全く詳しくないので日韓政府どちらの見解が「客観的事実に近い」のか判断できない。とはいえ、戦争犯罪を忘れるな!と義憤の声を挙げるグループの傍らで、「賠償おわりました」「解決済みです」とビラを配る日本。傍らにはネオナチもどきのクレイジー右翼。何というか、この会場での日本人達はありえないくらい空気読めてなかったんじゃないだろうか。彼らが現地でどんだけ白い眼を向けられたのか、想像するだに恐ろしい。

 

 

一体いつから、「いつからゲームはつまらなくなったのか」と言われるようになったのだろうか?

人生初ブログである。何書こうかなーと悩みながらはてなを見て回っていたら、

 いつからゲームはつまらなくなったのか - sabatora

 という記事が話題になっていたので、読んでみた感想を書いてみることにした。

 

ゲームがつまんない?そんなことないよ!パズドラもダークソウルもフォトカノGRAVITY DAZEもめちゃくちゃ楽しいよ!特にフォトカノとか超おすすめ!!!

と個人的に反応するのは簡単なのだけど、言ってみたところで「ゲーオタ乙」なんて言われるのが関の山。時には「未だにゲームを卒業できない子ども」みたいなレッテルを貼られることもある。思えば、ここ数年、ネットでは「(日本の)ゲームは終わった」、式の言説が繰り返し語られていないだろうか?

「最近のゲームがつまらない」と言ってしまう人問題 - ARTIFACT@ハテナ系

だいたい、この手の言説は実態を踏まえてないものが大半で、たとえば、上のエントリーが書かれた2008年を振り返れば、「モンハン2G」とか「悪魔城ドラキュラ 奪われた刻印」とか「国盗り頭脳バトル」とか、名作と言えるゲームが山ほどあったわけだ。

 

それはそれとして、このような「ゲームは終わった」式の言説が提示される時、必ずと言って良いほど語り手が引き合いにだすのが、「かつてのRPG(≒FFとDQ)の栄光」だ。といっても、実際に1990~2000年にかけての10年間は売上面でみれば両タイトルの黄金時代であったから、もし現代のゲームが往年のFFとDQよりも劣るのだとすれば、総論としては「ゲームはつまらなくなった」と結論できるのかもしれない。まぁ、そういうのは大抵思い出補正というもので、私も一昨年あたりにメダロット弐COREをやり直したときは戦闘アニメのテンポの悪さに愕然としたものである。

 

さて、sabatoraさんは、「ゲームがつまらなくなってしまった」最大の原因を次のように説明している。

ドラクエで言うと、

魔王倒すために旅立つ

旅の途中で様々な紆余曲折ありつつも、乗り越える勇者たち

魔王倒す

 ↓

ハッピーエンド!

 

このような先の展開が読めちゃうと、急につまらなくなるんです。

結局こんな展開ですか…みたいな。

 

 

 

上手く言えないんですが、自分にとっての報酬がなくなってしまったんです。

興味深いことに、sabatoraさんが具体例として指摘しているRPGの「報酬体系」は、ゲームそのもののシステムではない。ここで批判されているのは「RPGのストーリー展開」であり、つまりは物語の起承転結にすぎない。それは本来ゲームを構成する多様なシステムの一部であったはずだ。

にも関わらず、sabatoraさんは「RPGにはもう飽きた」とは言わず、「ゲームはつまらなくなった」と問題を一般化している。しかもそのような感想に疑問を持たない人がたくさんいる、ような気がする。(この手の話題が繰り返しネットに浮上することがその証拠と言えないだろうか?)

 

ちょっと論理が飛躍するが、一体どうして、FF・DQファンは過去の自身の体験を神話化する傾向にあるのだろうか?というのは一考に値する話題だと思うのである。

一つ気になるのは、当時FFとDQが好きだった人達の中で、ほんとにゲームが好きだった人はどのくらいいたのだろうか?ということ。それって、いわゆる「JPOP黄金期」に音楽を聴きまくっていた人の内の何パーセントが本当の音楽好きだったんだろう?みたいな疑問とも共通すると思うのだが。そういう、本質的には音楽(ゲーム)が好きではなかった人達が、ブームが去ったあとも何となくそのメディアに執着し続けた結果として、「最近の○○はつまらん」式の言説が形成されているような気がする。

(もちろん、FFやDQのやり込みに情熱を注いでいるゲーマーはたくさんいるわけで。JRPGファンはゲーマーじゃないとかそんなふうにディスってるわけではありません。)