樋口真弓 取説

《わたしシリーズ/私とADHD①》

私は30歳過ぎてから、しかもかなり最近分かったADHDです。

なんのこっちゃ、初めて聞いた、という方は

『注意欠陥(欠如)多動性症候群』というとピンとくる方も。

小学生(特に男児)頃から集団生活の中で、行動言動により認められる事も多く、

学習障がい、アスペルガー等を併せ持つ児童も多く、明確な線引きはできません。

女児は〝不注意〟→学習、テスト他でのケアレスミスなどで症状が出るようなのです。

んで、私ですが、当時はガリ勉で慎重派だったので、疑われる事はありませんでした。

何が言いたいのか?と聞かれますと、うまくまとまらず、結論もないため徒然~と長文失礼します。

折に触れてシリーズ化します(笑)

んで、遡って高校時代

歯科医の叔父の影響で医者を志した事もありましたが、双子でお金もいっぺんにかかるだろうし、と家から最寄りの安パイな高校を選んだものの

数1数Aでもうズタボロになり心が複雑骨折し やはり大好きな英語を生かせる仕事に就きたいと思い始めました。

恋したALT先生に週1 、ヘッタクソな自作の英語絵本を描いては見てもらい悦に入ってました。(余談ですが、基本はグズで不器用なのに、絵や造型を作る時だけ私にミケランジェロが降りるんです)

がしかし、パトリック先生には奥さんも居たため失恋し、学校もあまり面白いと思えず、部活も辞めちゃってバイトを始め、高校生にしては貯金しまくっていましたがグダグダな生活でした。

早○田はカタイ!と言われた私の乱高下ですので、親もがっかりしたかもしれませんが、私には強力なメンタルトレーナーが居ませんでした。

憧れる人も物もなく。

すると、人ってあれよあれよと安きに流れるものです。早く自由な大人になりたいと思っていました。クルマとバイク欲しいなぁー、とか。服やバッグが欲しいなぁー、とか。

想像力がなさすぎましたね。今何をすべきか?何をしないとどうなるか?なんて。

この頃からADHDの片鱗が見えています。

無知の知もない、ど田舎のバカ娘がもがきまくっていました。深層心理では自分の居心地の良い居場所を探して居たんだと思います。でもそれが分からなくてイライラ?もやもやしていたかもしれません。んで、そういう感情って雪だるまのように自分を圧迫し、解消されるまで続くんだと思います。

だからこそ向上心を持ったり、変わりたいと思うので、悪いことではないのかもしれませんが。そんな性格なので、結婚生活が苦しく、離婚する大きな理由になりました。

でもまぁ、ド田舎の、やりがいを見出せない公立進学高校に通う高校あたりから浮いてきました。

思い立ったら即行動!待ってなんかいられません。似合ってもいない細眉と茶髪にしてみたり。ガソリンスタンドで働いていた頃、かなり太ってニキビ顔で今見てもブスで写真を抹消したいほどでした。

やっと補欠で受かった福岡のとある女学院短大も結局行かずに、プリーターとお水のバイトをほぼ無休、必死で頑張りメイクマネーしワーホリビザをとったのでした。

しかし、その直後の妊娠、結婚、出産...と、ほぼオートマテンプレで決まっていく母親エスカレーターに、大した覚悟もせずに20歳の頃から乗りました。そして、貯金は旦那のクルマに変わってしまいました。あれれ?

無論愚問、今、もちろん幸せですよ。生きる理由ばかりです。でも、今の私が過去の真弓に会ったら、出来の悪い妹でも叱るように、こんこんと説教を説いたと思います。

客観的に今の自分からみても、世間知らずのくせに知的好奇心だけは旺盛なので、自分が見たもの経験した物しか信じない、よく言えば不可知論者、悪くいえば無鉄砲。今まで壊れず生きてこれたのは人のおかげと強運だとしか思えないです。

ADHDに話は戻って、常に私の頭は思考ウサギがぴょんぴょんと走り回っていますが、この事故多発した私の散らかった脳内を誰にも見せられないため、人は分からないのです。

みんなそうだと思っていました。

例えば、仕事中、暇でみんなくっちゃべったりしますよね。そういうとき、私はみんなから離れて一人で色んな事に思考を巡らせているのが好きです。家ではテレビを全くつけません。TVがついていると本当にイライラしてきます。ゴシップはもちろん、政治の話にすら興味が無いです。選挙は行きますが。

 

子ども達が欲しがるので仕方なくTV買いましたが。そんな偏った人間が、小さな会社と子育てをしています。家事、育児など、ひとと深く密接する会社を始めようと思ったのは、自分のふわっとしたSOSを誰も分かってくれなかった無力感?疎外感をバネにしているのかもしれません。

病んでる、困っている人がいたら、即連れて帰ります。

何も悩みのない人間などいませんし、人の価値観も十人十色ですけど。

軽く脱線したのでこの辺で。

ちなみに芸能人では、モデルの栗原類さんとか、最近 勝間和代さんがADHDを公表されているようです。ドクターも賛否両論ですが、家族性(遺伝しやすい)なんですね。

そして、どういった事が不得手/得意か、という事は、人間なので個人差はありますが、

私はこうです。

集団に馴染んでいるように見せかけ、実は苦痛。

1人の時間が無いと本当に辛い。でも人が大好き。

生活苦で何度か働きに行ってみたが、勤まらない。

脳内カオス部屋の中で落ち込んだり盛り上がったりを繰り返すけど、自分を俯瞰で見て、時間がかかってもなんとか立て直す。

例えば、私のADHD診断したドクターは、私が通っていた看護学校の授業を担当していた小児科の医師でした。

紆余曲折あり、怪我して実習に行けず、看護学校を退学したため免許は得られませんでしたが、そこで得たものはたくさんありました。

これを知るという事は自分を知ることと同じで、実は30ン年自分と付き合っていて、どうして自分は○○なんだろうという事の裏付けがとれたような気にもなりました。

自分の傾向が分かれば、自分を活かして行くにはどうすれば良いか分かるようになります。

私はまだ迷走してはいますが、トンネルを抜けるまで走るのみです。

福岡にも、私がやっている小さな会社がありますが、そこは私が居なくても大丈夫だろう、と思い上京を決心しました。

これから更に加速し、大手にはない、どこにもないような真心の集まる会社を築き上げて行きます。

どうぞよろしくお願い致します。