閑話休題 ハノイ初のマクド
今年2017年12月2日に、
チャンティエンプラザ近くに、
純粋に嬉しい。
初日に行ってみたところ、↓こんな感じ
とても入れたものではありませんでした。
でもその後も行きたくて行きたくてウズウズ。
どうしてもどうしても食べたくて。
昨日、そんな僕の気持ちを分かってる彼女は、
「マクドナルド行く?行きたいでしょ!?」
と言ってくれたので、
(彼女は生粋のベトナム女子。
お米好きです。あまりハンバーガー🍔は
好きではない)
僕は、子供みたいですが、「良いの??
行きたい!行きたい!」と。
以下、はじめて行かれる方の為に
ささやかながら情報を整理。
今日は12月15日 20時30分現在で言いますと、
・お店の外で並んだのは、「5分」ほど。
・並んでる間に、メニューのチラシをくれます。
作りはちゃんとしてます。
ベトナムらしい?のか、
日本でもやっているのか?
バースデーイベントをする事ができます、
という宣伝もそのチラシには入ってました。
◉事前に渡してくれる
メニューのチラシが便利です
◉お誕生日イベントも
・入口と出口は分けてくれてます。
素晴らしい!
何度か入口から出てこようとする人を
ちゃんと制止してくれてました。
素晴らしい!
〝ここはホントにハノイか!??〝
・お店の中は、Mac cafe とMcDonald'sの
レジは別になってます。
・レジ外スタッフがどっちか聞いてくれて、
誘導してくれます。
〝ここはホントにハノイか!??〝
僕は3つあるレジの1つに
誘導してもらいました。
◉通常のMacDonald'sのレジ
◉Mac cafeのレジ
ビッグマックセット2つ、
フィレオフィッシュ単品1つ、
チキンマックナゲット単品1つ(6つ入り)
*20入りもあり。
いつものレジへの横入りもなく、
快適に並べました。
レジの女性がなんやらずっと
電話で話してましたので、
15分ほど待たされましたが、
ま、許容範囲内。
作られたバーガーがごっちゃごっちゃに
なって、レーンで並んでましたが、
これも許容範囲内
日本だと驚いちゃいますが。
◉商品レーンは出来上がって送られてきた
商品でごった返してます
レシートはこちら↓
◉バァーサオバァー!と大きな声で
呼んでくれました。ありがとう!
これは良い!番号式で呼んでくれるから、
いつものおれをわたしを前に行かせろ!
みたいな列への横入りもなく、
みんな比較的大人しく待ってます。
良い良い。
そして、受け取った商品を持って2階へ。
人で溢れかえってました。
まー、2階は、ある程度はいつものハノイでした
床はこぼしたドリンクで、べちゃべちゃ。
先に席を取りにいってくれてた彼女が
手を振ります。「こっちこっちーー」
ふー、やれやれ。なかなか疲れますが、
ロッテのレジの横入り攻防戦とかに比べると、
思い返すになんとストレスフリーなことか。
◉僕らの注文内容
◉店内は、さすがにベトナム的。
床はこぼしたドリンクでべちょべちょ。
店内の様子は動画を回してたので、
動画の画面キャプチャーで恐縮です。。汗。
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◾️お店情報
2 Hàng Bài, Tràng Tiền, Hoàn Kiếm, Hà Nội
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
◾️タグ🏷
#vietnam #hanoi
#Mac #MaDonald's #Mac HaNoi #MaDonald's HaNoi
ベトナムを初めて意識
キッカケは転職でした。
でも、今思うと、「ベトナム」とのキッカケは
ある程度自分で引き寄せたかもしれません。
◉サッポロ大通ビアガーデン
折しも、日本でFacebookが広まり始めた2018年頃、
僕は北海道にいました。出版社で勤める僕は、
とりわけ、雑誌の事業部におり、それなりに楽しくも、それなりにやりがいも感じていました。今思うと、媒体の力を借りて、普通の仕事してたら、なかなか会えないだろう人たちとお会いできる楽しさもありました。
◉青い池
ですが、子会社出身者で、その中で、それなりのポジションにいて、当時クソ生意気だったかもしれない僕は疎まれて、(僕の部下達の多くは契約社員で、彼らの利益を守るのが、その当時の僕の存在意義で生きがいだったので、親会社の連中とよくぶつかってしまった、というのはあります。)「北海道の立て直しをやって欲しいんだ」と言われるも、ていよくとばされた感を感じて、また、当時部下と社内恋愛をしていたのに、「引き裂かれ遠距離恋愛にされたーー」、みたく、ネガティブな想いを半ば抱え着任した北海道でしたが、北海道の素晴らしさに出会えて、北海道の、北海道人の魅力も強く感じていた僕でした。
でも、一方で、雑誌の部数はガンガン落ち、
会社は合併に合併を繰り返し、
(採算取れてるグループ会社と合併、2年後位に赤字に陥り、また、別のグループ会社と合併、また2年後位に、みたいな。)
また、待遇面の違う会社が次々合併していくので、
何だか社内はギクシャクするわけです。
内心、特に、そんな経営をしながら、上に居座り続ける役員連中を横目に、「なんなんこれ?俺の美的感覚に合わへんわ」と強く思い出してました。
「でも、でも、でも、北海道のこの人達とも長く付き合いたい!」葛藤の日々が続きましたが、気持ちは「新しいとこで勝負してみたい」って方向にどんどん向かって行きました。
正直な話、転職にあたって、ネガティブな思いも多数ありましたが、ネガティブな事のみで、転職するのは自分にとって良くないって思いました。「自分は一体どこに向かいたいのか??」自問自答。僕はその出版社の作った、デジタル系の戦略子会社出身。でも、会社が合併していき、結局は利益率が低くても売上の嵩が大きい雑誌を大切にする様になり、結局は一所懸命雑誌を売らされました。
そこで、考えたのは、「俺は今39歳。この歳での転職は相当に厳しいけど、でも、今ならまだなんとか。雑誌がいよいよ厳しくなって、例えば、45歳、50歳で、リストラとか言うと、もうどうしようもない、と言うか、転職は困難だと考え、動くなら今。ネガティブな事も正直あるけど、転職理由は、自分のキャリアのデジタルへの回帰と、特に今後欠かせぬものになっていくであろう、Facebookに舵を切ろうと。
そこから、業界研究をスタートしました。
当時は、Facebookを軸にビジネス展開している有名どころは数社。募集してるとこ、してないとこ、
当然片っ端から、書類を送ってみました。
さすがに39のおっさんは受け入れがたく、書類で次々と落とされていきました。
で、やっと一社。面接をしてもらえることになり、
当時まだ数人のその会社まで、遠路はるばる北海道から会いに行きました。特にシステム系も絡む案件も多数手掛ける同社では、即戦力にはなりがたく、
「業務委託契約」で良ければ、頑張って猛勉強して、猛急に力をつけ、Facebookをはじめとする、ソーシャルの領域でプロとなってみませんか?と、同社の社長は半ば、人助け的に、僕を引き受けてくれたのでした。
今思えば、「業務委託」で頑張ってみます!と言うには、歳を取りすぎてたし、(残り二人のプロパーは正社員)恥ずかしながら、本気の腹ぐくりが出来てなかったのだと思います。
案の定、試用期間中に、あまりの活躍できなさに、嫌気がさし、自分で身を引いてしまいました。
って書くと、良いことかの様ですが、
まー、早々にケツをまくったと言う事でした。
ま、情けない話ですね。
自分の人生の中で、汚点も、汚点です。
そんな中です。
前職同期の友人があげてたFacebookのポストには
アジアの怪しい魅力にほだされ、高揚した表情を見せ、ルーフトップバーで、風に吹かれながら酒を酌み交わしている姿が、ありました。
よく見ると、東南アジアを何カ国か視察で回ってぽく、
特にベトナムに力を入れてる風でした。
海外旅行の経験のほとんどない僕には、
「東南アジア?べ、と、なむ?」
東南アジアの各国の位置関係も知らなかった当時の僕には、??だらけも、その写真は今でも眼に浮かぶ位インパクトの強いものでした。
これが、学生時代にバックパッカーとまで行かずとも、旅行で行ったことあります!みたいな人は、僕同様のインパクトは全く感じなかったと思います。
つづく。
ベトナムとの出会いと、僕の赤名リカ
書きたいテーマは2つあります。
すんごく私事ですが、たまには読んでもらえると嬉しいです。
1)若い子らに「アジアで働いてみたら良いよ!」と言いたい。
→思えば、ほんともったいないというか、ダラダラと無駄なことにお金を遣い
忙しいことを言い訳にして、
海外旅行ってほとんど行かなかった僕ですが、
ひょんなキッカケから、ベトナムで働くことになりました。
ベトナムに来て2年になります。御年46歳です。
毎日何かがあって、しんどいけど楽しい。
そんなベトナムの日々を話せたらいいなあ。
https://mobile.twitter.com/tokyoulovestory
2)そんなベトナムで出会った、僕の赤名リカ
→「赤名リカ」。その名前を出すだけで歳が分かりますよね。
仕事で知り合ったベトナム人女性と付き合って、
一年を超えました。
結婚願望が薄くて、自分の時間を大事にしたくて、
典型的な「結婚できない男」でした。
でも、今は完全に彼女のペースに巻き込まれてしまって。。
どうぞよろしくお願いします。