前回の投稿から3年がたった。
前回投稿してから長期に入院したのだが、その間ブログが書けないうちにブログへの意欲をすっかり失ってしまい、退院してからもそのまま放置してしまっていた。心配してくれていた読者さまがいたら申し訳ない。
さて、あれから、入院し、退院し、療養し、作業所への通所を再開し、少しずつ回復してきた。今でも作業所に週2で通って日常生活をするだけでも手一杯だが、3年前よりはるかにましになっている。
前回の投稿から3年がたった。
前回投稿してから長期に入院したのだが、その間ブログが書けないうちにブログへの意欲をすっかり失ってしまい、退院してからもそのまま放置してしまっていた。心配してくれていた読者さまがいたら申し訳ない。
さて、あれから、入院し、退院し、療養し、作業所への通所を再開し、少しずつ回復してきた。今でも作業所に週2で通って日常生活をするだけでも手一杯だが、3年前よりはるかにましになっている。
人生には、橋を渡るような時がある。
いつも陸の上を歩いて(自転車でも車でも)いるけれど、たまに橋を渡る。
足元には狭い橋、その両脇は川。
上流側にそれても、下流側にそれても、川の中に落ちてしまう。
後ろから、馬車(人力車でもお籠でも)がやってきた。
「期限」という馬車が。
この馬車に追いつかれたら、社会的にダメージが出る。
信用を失うかもしれない。
追いつかれないように、私は走る。
でも走り過ぎてバテたら、私は倒れてしまう。
上流にも下流にも落ちないように。
追いつかれないようにしつつ、バテないように気をつけつつ。
しかも人生の橋には欄干がない。
自分の目でよく足元を見ながら行かなければいけない。
それでも大丈夫、ちょっと転んだくらいじゃたいてい死なないから。
近況
今は、人生の橋を渡っているところです。
この前の橋は、馬車が速いところを自転車でガーッ! って走らないとヤバかったので大変でした。
ちょっと陸地に着いて、ひと息ついて、今度はまた次の橋を歩いています。
馬車はまあ人力車くらいの速さになったので、前ほど急がなくても大丈夫です。
でも案外速いので、油断なりません。
追いつかれたら、皆に迷惑がかかります。
追いつかれないように気を配りながら、上流にも下流にも落ちないように。
一歩一歩、ひとつずつ。
落ち着いていけば大丈夫。
岸はまだ遠いけど、ちゃんと陸につながっています。
もうしばらくかかりそうですが、ちゃんと歩いています。
2001年~2002年、および2004~2006年に、カイロプラクティックという療法のKCSセンターという団体の治療院に通っていた。
カイロプラクティックとは、民間療法の一種で、背骨の歪みが万病を引きおこすから背骨を整えて身体を良くしよう、というアプローチの療法だった。
やめた理由は、単に治療に行く時間がないとかお金がないとかそういった理由だった。
治療を受け始めたとき、私は自分の心身にこれこれこういう困りごとがあるのですが、カイロプラクティックというものを受けたら良くなるのでしょうか、と問うたところ、「良くなりますよ」とのことだった。
療法自体は痛くもなんともなく、歪みがとれたような感じがしてスッキリし、療法を受ける前よりは少し元気になったような感じがした。
たしかに多少マシにはなった。
しかし、その後通い続けても、社会でやっていけるくらいの健康度にいたる日は、ついに来なかった。
今でこそわかることなのだが、困りごとの原因の大半は、双極性障害だったのだ。
ただ、この双極性障害というのも精神科専門医であってもなかなか診断までに時間のかかる難しいものなので、医師でもない人がそこまでわからないのも無理からぬこととも思う。
でも、治療開始時の「良くなりますよ」との言葉は、何だったのだろうか?
つまるところ、カイロプラクティックを受けて背骨を良くすれば私の心身の困りごとがなくなる、というのは、療法家氏の思い込みだったのではないかと今は思う。
背骨さえ良くすれば何でも改善できると思っていたのだろう。
何でも背骨のせいにしすぎではないだろうか。
ところで、治療をやめた後どうなったか。
それまで、時折キリキリとした背中の痛みが、治療とは無関係ぽいタイミングであらわれていたのだが、通うのをやめたらそれがなくなった。
治療をやめて痛みがなくなるとは、いったい何なのだろうか。
個人差や合う合わないの相性もあるだろうから、合う人には良いのかもしれない。
しかし私の身体には期待したほどの効果がなかった。
評判についてはいろいろあるようだが、私1人分の情報しか書くことができない。口コミも私1人の感想の域を出ない。
そのほかにも療法家になりませんかと持ちかけられたとか高価な寝具をすすめられたとかまあ体験はあるが、そこまで詳しく書くほどの気力はないのでこれくらいにします。
※冒頭記載のとおり、古い情報です。最新の情報は存じません。
作業所に通って2年がたった。
ありがたいことに、作業所では作業時間に、とある勉強をかなりさせていただいている。
もし普通にお金を払って勉強したら、それなりの金額を払わなければならないであろう内容だ。
そして学んだ成果は作業で直接的に形にしている。これほどやりがいのある作業はなかなかない。
コツコツ続けて、形が実ったもの、着実に実りつつあるもの、まだまだ勉強中のもの、どれもある。
感謝の気持ちでいっぱいだ。
追記:言い回しを少し修正しました。
図書館で『ザ・シークレット』(ロンダ・バーン著)という本を借りて読んだ。
すごく奇妙な人の、奇妙な主張だと感じた。もっといえば、狂信的である。
本によると、人生を成功に導く偉大な秘密があるという。
それは「引き寄せの法則」なのだそうだ。
思いや考えは宇宙に放射され、波動によって似た周波数のものを引き寄せるのだそうだ。思考は現実化するのだそうだ。
豊かな生活をイメージすると、豊かな生活を手に入れることができて、貧しさを恐れると、その思いが貧しさを引き寄せてしまうのだそうだ。
「あなたが思い続けることによって引き寄せない限り、あなたの人生には何事も起こりません。」とまで言い切っている。
欲しいものを願い、イメージし、信じ、受け取ったという気分を感じて感謝すれば、何でも欲しいものが宇宙の法則によって引き寄せられるのだそうだ。大金も、健康も、何もかも。
はたして本当にそうだろうか?
「類は友を呼ぶ」ということわざもあるし、前向きな気持ちを持つことは必要だという範囲ならわかる。
だが、この本の主張はその範囲を超えている。
お金に関する事柄は特におかしい。
この本に書いてあることを無邪気に信じて行動すれば、破産まっしぐらである。
豊かさに必要なのは、実態を無視して豊かな心持ちでい続けることよりも、
現実に即した計画的な消費や堅実な生活をすることではないだろうか。
それにだいいち、人生には予想もしなかったような出来事などいくらでも起こる。
Wikipediaにもこの本の概要と批判が書いてある。
私たちは「ネットの情報は嘘や間違いもあるから、鵜呑みにしないように」と学校で教えられてきた世代だが、ネットの方がよほどまともという逆転現象が起きている。
角川書店の正気も疑いたくなるところだ。2007年発行とあるから、実体のないバブルでもいいからどうか景気がよくなって欲しいという願いで発行されたのだろうか。
うまい締めくくりが思いつかないのですが、これ以上時間をさくのは時間の無駄なので書くのを終わりにします。
台風19号、大変でしたね。
被害に遭われた方にはお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方にはご冥福をお祈り申し上げます。
幸い、私の住むところは浸水することもなく、無事でした。
さて、台風19号から私が学んだことを結論から言いますと、
「いよいよヤバい」となってからでは身動きがとれない
ということでした。
(↓数年後に「台風19号ってどんなだっけ?」となったとき用のおさらいリンク↓)
台風19号まとめ 記録的な大雨・暴風・高潮(日直予報士 2019年10月15日) - 日本気象協会 tenki.jp
私は普段は親元を離れて生活しているのですが、今回の台風の際は事前に母の住む家に行って、そこで過ごしました。
自分の住む家も母の住む家も「水害のときはヤバい」と言われているエリアではあるのですが、自宅は1階で母の住む家は高層階、家族といた方が何かと安心、といった理由で母の家に行きました。
以下、ですます体を省いて書きます。
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7日(月)や8日(火)の時点では、なんだか強い台風が来るらしいぞ、と言われてはいたものの、ここまで大変なことになるとは思っていなかった。10日(木)に友人からのLINEで「最強クラスの台風が来るから、土日はお母さんのところへ行っておいた方が良いかも」と言われてはじめて事の重大さを知った。
11日(金)の夜に電車等を使って母の家に行った。それが良かった。11日の時点で「12日は電車が運休します」との告知がなされた。12日になってからでは行くことができなかった。
母の家は避難所より土地が若干高い。私達は避難所に行かず家で過ごすことにした。
12日(土)に母が近所のもっと低いエリアに住む知人を家に招いた。知人は夕方に着いたのだが、雨風が強く雨具を着けていても靴下はびしょぬれだった。知人の大きな非常持出袋が、私に危機感を知らせた。
それからがもっと大変だった。雨風がさらに強くなり、テレビは非常な警戒をよびかけ続け、自治体からのメール情報サービスは避難勧告を告げ、Yahoo防災アプリからも何回も通知が来た。
そして私は知った。「いよいよヤバい」となってからでは身動きがとれないのだ。
私は自宅が浸水しないか心配した。でも、できることはもう何もない。離れて生活する兄にもメールをしたが、もし兄に何かあってももう助けてあげることはできない。
私はYahooアプリの通知を切り、不安に思いながら布団に入った。眠りにくかったが、少しは眠れた。
翌朝は、びっくりするくらいの晴れだった。知人が家を見に行き、何事もないことがわかるとお礼を言って帰っていった。
私達の住むエリアに何事もなかったのは、普段からの治水工事の賜物だと思った。
普段からの備えの大切さと、情報の大切さ、時間に余裕をもった行動の大切さを知った。
※誤って記事を消してしまったので書き直しました。スターをつけてくださった読者さま申し訳ありません!
4月のある日、ラジオの英語講座を始めようと思い立った。
始めたのは、NHKラジオの「基礎英語」。
たまたま「あれ?今って4月だから、今始めれば講義についていけるよね。せっかくだから始めてみようかな?」と思ったのだ。
英語を身につけて何がしたいとかいう目的があるわけではなかった。でも今が大チャンスだと思った。「せっかくだから」という理由で始めた。
続けられる自信はなかった。「1年続けることが成功体験になる」と考えてしまったら、もし続けられなかった場合に挫折体験になってしまう。それは避けたい。そこで、気負わずに「もし仮に3日坊主に終わったとしても、3日分の勉強になるね!」とある意味いい加減に前向きな気持ちで始めた。
テキストを見ながらラジオを聴くので、テキストを用意する必要がある。紙のテキストでは買いに行く元気がなくなったら続けられなくなることと、電子書籍の月額プランで割安に読めるものがあったという理由で、電子書籍のNHK英語テキストプランの購読手続きをした。
ラジオ講座の基礎英語のプログラムは、基礎英語1、基礎英語2、基礎英語3という3つの番組があり、それぞれ1回15分である。放送時間は1日3回、基礎英語1で朝6:00~、夕方6:45~、夜9:00~の回があり内容は同じである。朝6:00から基礎英語1が放送され、続いて6:15~基礎英語2、6:30~基礎英語3、というように連続で放送される(夕方、夜も同様)。曜日は毎週月曜~金曜。土日は放送がないが、祝日は関係なく放送される。
欲張りな私は、その3つとも聴き始めることにした。
朝5:50に目覚ましをかけ、起きられた日は朝6:00からの放送を聴く。朝起きられない日もあるので、その場合は夕方の6:45からの放送を聴く。というか、朝に聴けた場合も夕方に復習のために聴く。そして、朝聴けず夕方だけ聴いた日は復習のために夜も聴く。これを繰り返した。
基礎英語はその名の通り、英語を基礎から学習する。基礎英語1くらいだと「中学で習った内容だ」という感覚をもつこともあるが、中学高校で習ったものをすべて覚えているわけでもない。基礎英語2くらいだとちょうど「習ったことはあるけど改めて聴くとまた勉強になる」と感じる。基礎英語3になると「習っていてももう忘れている。聴けて勉強になる」と感じる難易度だった。
ひとつ放送を聴くたびに、ひとつ英語でできることが増えるのは快い感じがした。
英語の上手な人からみたら序の口なレベルではあるが、少し英語に慣れることができた。
電子書籍も快適だった。紙の本は本棚から出したりしまったりが面倒だ。電子書籍ならパソコンの電源を入れてクリックするだけ、しまうときもパソコンのブラウザを閉じるだけである。
気がつけば半年も続けることができた。始めたときは「3か月くらいで挫折してしまうかな?」と思っていたので上出来である。
しかし、今、「そろそろやめようかな?」と迷っている。
理由は、レッスンそのものを負担に感じるようになってきたこと、それからお風呂に入るタイミングを逃しがちになったこと、「寝る支度をする気力がない」という理由で就寝が遅くなりがちな日々になっていることである。
ラジオで勉強しつつ日常生活をうまくこなせているなら、素晴らしいことである。しかし、日常生活が十分にこなせておらず、寝る支度をする気力もないほど弱っているのに、英語だけ続けているなんて、優先順位がおかしい。
かといって、英語の勉強をやめたらその時間を有効に使える自信があるかといったら、ない。時間があっても気力がないので、「お風呂はいるのしんどいなぁ、食器洗うの面倒だなぁ」と思っているうちに45分くらい簡単にたってしまうことは予想がつく。せっかく英語をやめても、単にダラダラする時間になってしまったのではやめる意味がない。
電子書籍の解約も迷うところだ。私の購読プランはあくまで有料プランに入っているあいだ閲覧する権利を有するものなので、解約するとテキストが全部読めなくなる。
そうは言っても、近頃疲れてばかりで「寝る支度をする気力もない」と就寝が遅くなってはまた疲れる、の繰り返しなのだ。そろそろ欲張らずに日常生活に注力した方が良いのかもしれない。