威嚇目的で拳銃を向ける相手ではなかった筈

 高校生を叱ることができない市民が、拳銃を抜いた警官に同情しているようです。

路上で騒いでいた少年を立ち去らせるため、警視庁滝野川署の男性巡査長(27)が拳銃を抜いて威嚇した事件で、全国から巡査長の行動を支持する手紙やメールが署などに相次いでいることが5日、分かった。警視庁では拳銃の適正使用にあたらないとみて、特別公務員暴行陵虐容疑で調べるとともに処分も検討中だが、署には処分の軽減を求める地元住民の嘆願書も提出された。「許される行為ではないが」…。警視庁幹部も思わぬ反応に戸惑い気味だ。
拳銃抜いたおまわりさんに支援メール相次ぐ

 やっぱ、拳銃を抜いてはいけないでしょう。
 罰せられるべきです。

 でも、どの程度騒いでいたかは分かりませんが、そもそもこの程度のことは学校の先生や近所のコミュニケーションにより対処してきた内容のような気がします。
 つまり、警察沙汰ではない。

 私の近所にも、夜中でも平気で大声で騒ぐ高校生がいる。
 でも、みんな知らんぷりしている。叱ることなんてない。
 そんな町になってしまった……慣れてしまうと、かえって気にならなくなります。

 それでも、今回のように夜8時半でも「高校生がうるさいぞ」と、警察に通報する人がいる。
 高校生は「拳銃を向けられたぞ」と、警察に通報する。

 同じ通報、どっちが賢かったか。

宗教本ラッシュ? 草思社、PHP、1万年堂出版、、、歎異抄の秘密

 東京書籍から出た五木寛之さんの『私訳歎異抄』(東京書籍)が10万部突破の大ヒットらしい。

 よくよく調べてみると、歎異抄に関する本は毎年何冊か出ているが、昨今は特にブームとなっているようだ。
 
 民事再生法を申請した、あの草思社も、斎藤孝さんのシリーズとして、昨年秋に『声に出して読みたい日本語音読テキスト3 歎異抄』を出している。
 まさか出版社がそんな経営状態とは知らずに、買ってしまったのだが(笑)


 愛読するPHP文庫からも、『歎異抄に学ぶ人生の知恵』という本が出ている。
 さらに、子育てのマンガシリーズを出している1万年堂出版からも、『歎異抄をひらく』という本が今度出るそうだ。


 歎異抄といえば、たしかに「悪人正機」で有名だ。
 しかし、各出版社がどうしてここまで?と思う。宗教本の中でも、突出している。

 それほどのドル箱とも思えないが、なぜここまで出版したがるのか?

 何か秘密がありそうだ。

これはフィッシング詐欺メールですか? イーバンクさん。

変なメール来た。

差出人:service@ac.ebank.co.jp
題名:イーバンク銀行からのお知らせ[メッセージがあります]
送信日時:Mon 03/03/2008 14:13:41 JST

イーバンク銀行をご利用いただきありがとうございます。

メッセージがあります。詳細はログイン後「メッセージボックス」をご覧ください。(CC65)
http://22.pro.tok2.com/~ebankfess/form.php

イーバンク銀行

 私はイーバンク銀行にアカウントなんて持っていませんけどね。


 フィッシング?

 それにしてもURLで騙されそうになりますが……とりあえず無視。




……と思って調べていたら、ありました。やっぱり。
イーバンク銀行を騙るフィッシング詐欺、不正出金被害も

花の命は短くて

でんぐりがえしの命は長かった?

 「放浪記」は、作家の林芙美子の半生を描いた名作だ。1961年以来、通算1858回上演され、すべて森さんが主演。芙美子が喜びのあまり、前転をする場面は見せ場として人気を集めてきた。
 しかし、来年は地方を含め100回以上の上演を予定しているため、万一のけがなどに備え、制作側が演出の変更を提案。森さんも「寂しく、申し訳ないが、『放浪記』をなるべく長くやるようにというお気持ちと受け止めたい」と受け入れた。
森光子さん「でんぐり返し、やめます」…放浪記の発表会見

 林芙美子は昭和の女流作家。「放浪記」で有名なほど、自由奔放に生きたと言われますが、芙美子の有名な言葉があります。

花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき

 事実、芙美子は47歳という短い命でありました。
「でんぐりがえし」で何やら明るいイメージがありますが、実際は「苦しきことのみ多かりき」一生であったのでしょうか。

 舞台「放浪記」の中でも、「あんた、ちっとも幸せになっていないんだね」と言われるシーンがあります。

 自分の人生を問うシーンです。
 いつまでも、「でんぐりがえし」できるほど、若くはないんだよ、と?

掃除……ハードディスクを一度真っ白に

PCをきれいに、と言っても、本体をきれいにする掃除ではありません。

Windowsにはいつの間にか、使ったこともないのに自動的に起動するゴミのようなプログラムや、一時ファイルや複製したファイル、複数のデスクトップショートカット、HDDを占拠していることを忘れていた数Gバイトのデータがたまってしまう。

PCをきれいに掃除する10の方法

いつの間にか、動作が重たくなるパソコン。
データを掃除すれば、改善されると分かっていながらも、なかなかできないのが実情です。

いろいろと方法が紹介されているのですが、結局究極的なのが

1. HDDの中身を一掃してWindowsを再インストールする

 ほかの方法がすべてうまくいかなかった場合、究極のPC掃除法はHDDをフォーマットしてWindowsをインストールし直す(英文)ことだ。手早く済むプロセスではないため、終わったときにWindowsパーティションイメージを保存しておけば、次に再インストールするときに手間が省ける。

記事の一番最後に、番号「1」で紹介されているのがミソ。
これを施せば言うことなし。迷わずやるべし。

すべてをスッキリさせれば、新たな未来が見えてきます。
「人間関係」だって、そうでしょ?

座禅がファッション?

本来の仏教って、何? という話。

仏教が若い世代から見直され始めている。豊かな時代にあって日常生活から宗教色が薄れ、葬式や法事でしか僧侶を見なくなって久しいが、それだけに端正な仏像が新鮮に受け止められ、座禅が一種の“ファッション”となっているようだ。だが一方で、仏教に触れる中で、現代社会に疲れた心を癒やしている若者も増えているという。
若者に広まる仏教 ファッション化の一方で癒しも

「癒し」を求める先が「仏教」というのは、かなり間違っているとは思いますね。

歴史に名を残してきた僧侶たちの中で、「癒し」を求めた人が、一人でもいたのでしょうか。
コメントには「今の若者は食、美容、健康を追い求めるなかで、仏教の座禅や呼吸法、断食、精進料理などにまず注目し、次に思想の持つ癒やしへとゆるやかに移行している」とありますが、「思想としての癒し」なら、それは仏教でなくていい。他にあるはずです。


仏像の持つ癒し効果、ファッションとして受け入れる、これらは、何か仏教を誤解していると考えてしまうのは考え過ぎでしょうかね。
あまり原理的なことを言うとカルトっぽくなりますが、今の若者が「仏教を心の支えに必要なもの」と受けとめるようになっているのならば、それはそれでいいことだとは思います。

問題は、そこで語られる「仏教」は何であるか。

悲鳴をあげる教員たち

私は1学年1学級という環境で育ちましたが、新任教師も普通に担任をやっていました。
それでも、十分やっていけた。みんな、いい子だったんでしょうね。

ところが、今は違うようです。

この学校は各学年1学級だけで同学年に他に担任がおらず、授業の進め方の直接の手本がなかった。しかも、前年度10人いた教員のうち5人が異動していた。「家庭の事情など本人の希望などを尊重した」と区教委は言うが、「校長の経営方針に反対して異動を希望した教員も多かった」と学校関係者。「新学期のうえに教職員が入れ替わったせいで、ゆとりがなかった」と関係者は語る。
夢見た教壇2カ月 彼女は命を絶った 23歳教諭の苦悩

この記事読んで、涙。


経験不足の担任に対する保護者のクレームは、それは仕方が無いことでしょう。
しかし、担任を受け持つ程のスキルがない人に任せる学校側の、これは罪でしょう。

「若い先生方への心と身体へのサポート体制を学校全体として作り上げていただきたい。そして若い先生方に、いつまでも夢を追い続けていただきたいとの一念です」

熱血先生を目指している人って結構いますが、現実はそう甘くないです。
やっぱり保護者のクレームは多くて、慣れてないと精神まいる。

担任職がこれだけ忙しいのに、そのサポート役なんて、学校側が用意でるほど余裕がなさそう。