キミの隣で、モラトリアム

虚実ないまぜインターネットの墓標

ファミリーバイアス

偏向というのは実に恐ろしいもので、渦中にいる人物はその歪みにさえ気付いていないのだ。では、どうやってその歪みを認識するかというと、外側にいる他者から顔をひっぱたかれるしかない。今回私の頬をはたいたのは、幸福な家庭、もしくは、そんな家庭に憧れを持った私自身だった。

 

 

西加奈子の本に出てくるような家庭が現実にあることを知った。放任主義だが,子どもにはしっかり理解のある両親,一緒に買い物に行くほど仲の良い兄弟,料理の上手な母親。話を書けば聞くほどはっきりとした輪郭が形作られ,「理想の家庭」は私の中でよりリアリティを増した。純粋に良い家庭に育てられていると感じた。良い育ち方をしていると感じた。だからこそ,良い性格をしていると感じた。相手への肯定的な感情が高まると同時に,羨望も静かに湧き起こった。羨ましかった。ただ,不思議なことに妬ましくはなかった。

同時に,家族についての小説をよく読むようになった。今まで気嫌いしていた類の小説を躊躇いもなく手に取り,読み,涙まで流した。自分の変わりようが不気味にまで思えた。歳をとったこと,環境が変わったこと,そんなことで人はここまで別の人間のようになるものかと思った。

 

 

冬,進路を決めるにあたって教授と面談した際に,「君の母親は異常だと思った」と言われ,これまで自分に信じ込ませてきた「普通」が音を立てて崩れていくとともに,ここ最近の自分の変貌具合がまっすぐな線で繋がった。「理想の家庭」に憧れを抱くのも,家族を描く小説を狂ったように読むのも,全て私には無いものだからだ。家族とともに実家で暮らす「異常」の渦中では,おかしいとは感じつつも,心のどこかではいつも,私が勝手に苦しんだり悩んだりしているだけで,こんなものはありふれた「普通」なのだと思っていた。しかし,「異常」だと思って改めて振り返ってみると,おかしなことばかりがぼろぼろと思い起こされて眩暈がした。こんなコペルニクス的転回があって良いものかとすら思った。

けれども,今更無いものを手に入れるためにどうこうしようだなんて気は無かった。時間的にも空間的にも自分の家庭と隔たりを得たことで,諦めを覚え,執着は解かれ始めていたからだ。眩しい光をみたところで,自分の背後にある暗闇の黒さに怯えることは無くなっていた。光が欲しければ,新しく生み出せば良いのだ,と思えるくらいには人間らしくなっていた。

 

 

ところが,「異常」の空気を吸って育った人間の肺もまた黒く汚れており,それは環境を変えた所でそう簡単に「普通」へと変わるものでは無いようだった。

前述の人との会話の中でどうしても分かり合えない時があった。何度説明しても私の伝えたいことが相手にはまっすぐおりていかないのだ。相手の言い分も,私の独りよがりな主張の欠陥もわかる反面,どこかピントのずれたやり取りで苦しくなったが,「家族なんだから伝わらないことなんてないよ」という一言で,この噛み合わなさの原因がはっきりとした。

伝わらないという絶望を知らない人もいるのだ,とショックを受けた。目の前が真っ暗になった。家族なのに伝わらないことがあって,どうしても伝えたい,わかってもらいたい相手だからこそ,伝わらない苦しみや,孤独感や,虚無感が見殺しにされた言葉とともに喉の奥に詰まる感覚が分からない人もいるのだ。あの絶望の深さを,いやそもそもそんな絶望があちこちにあることすら知らないからこそ,私の言葉は届かなかったのだ。

一方で,「普通」に「理想の家庭」で生きてくればそんな思いは抱くことがないのかも知れない。すなわち,その事実は,「異常」の中で生きてきた私の歪みを露呈するものでもあった。相対化されることで浮き彫りになる現実は,想像上に残酷で,家族という呪いはしぶといものだと思い知った。血は水より濃い,という言葉すら笑って流すことのできない自分がいる。今度は私が,新たな光だと偽ってこの呪いを誰かにかけてしまいやしないだろうか。ならばもういっそ,全てを絶やしたい。光など過ぎた望みだったのかもしれない,誰かを呪うくらいなら何もいらない。

 

衝撃を受け,言葉に詰まった私は,相手の発言に対し,「神話ですよね,それ」と返すことしかできなかった。

ディスタンスfrom盛夏

有り体に言って仕舞えば,結局人間は肉の塊なのだ。身に纏う些細な布切れも,わずかばかりの表情もささやかな言葉も全て剥ぎ取って仕舞えば薄い皮膚に包まれた肉の塊に過ぎない。このことに気付いたのは夏の盛りのことだった。どうしようもなく生を感じさせるその生々しさに急に嫌気がさしてどうでも良くなった。一人でも良くなった。どうせ特定の人間に執着しようと外側を剥がしてしまえば皆変わらず肉なのだ。かわいいあの子も,優しい彼も,信頼できるあなたも,敬愛して止まない彼の人も皆ただただ肉の塊で,我々はその肉を装飾する何かに惹かれているだけなのだ。そう思い始めたら,どんな名前でその関係性を呼べども圧倒的な生はそれらを破壊していった。

結局は肉なのだ,肉が寄り集まっているだけなのだ,そう思うと不思議なことに息が吸いやすくなった。季節は次第に秋に向かっていき,私は誰かといることに執心するのではなく,一人で過ごすことに力を注ぐようになっていた。「みんな」でいる場ではあえて半歩下がって見ていることにした。「みんな」でなくなることは少し怖かったけれど,あの肉の感触を思い出すとずいぶんマシだった。

金木犀の香りが肺に満ちる頃には一人でもそこそこ楽しくやる方法がだんだん分かってきた。苦しさは一人で抱え,一人で癒さなければならなかったけれど,楽しさも私のものだった。「みんな」と距離をとったことで多少自由にやったところでどうにもならないということも分かった。どんどんとどうでも良くなった。私を支配していた「〜ねばならない」という拮抗禁止令のようなものは次第に薄れていった。己に課したルールをいくら破ったところでさして変わらなかった。安心感と同時に破滅願望のようなものが湧き上がった。もっとダメなことをしよう,もっとどうでも良くしてしまおう。思えば,私は私の課した決まりを守ることで自分の世界を作り,安全を手に入れていたのだ。それなのに,規則の逸脱により,それが機能しなくなったことに失望したのだ。人間という存在の生に絶望を感じる反面,自身の拮抗禁止令の真偽を確かめようと躍起になって人間に近付いたりと支離滅裂な真似をして苦しんだ。高校生の頃は己についてあれほど苦しんだのに,今は人間と関わることでどうしてこんなに苦しまなければならないんだ,あの頃の苦しみなら甘受できるのに,と何度も歯がみして淀んだ瞳で布団にくるまった。不思議と涙は出てこなかった。苦しかったけれど,悲しくはなかった。ただただ,悔しかった。どうして他人のあれこれでこれほどまでに傷つかなくてはならないのか,しかし,この災厄を招いたのは己が自身である。誰も止めてくれないのも加速する要因の一つだったと思う。とことんどうでも良くなった。どうでも良いとすることで己を守った。

そんなこんなで冬は人間という存在に疲弊して生きていたため,特定の人間を素直に見つめ返すことが難しかった。己の犯した過ちによって疑心暗鬼になっており他人の行為はおろか,自分の気持ちすら信じられなくなっていた。どうでもいい,だって本当は皆肉の塊で,何かにこだわったって結局どうでも良くなってしまうのだから。長い夢を見ているのだと言い聞かせた。いつか覚めるけれどそれまではせいぜい楽しめばいい。これは私の,私だけの妄想で空想でたわいの無い想像なのだ。

夢はなかなかしつこく覚めず,幻覚はリアルな質感を伴い日常に侵食してきた。季節は,妄想が現実味を帯びるたびにゆっくりと進み,春,夏,そして秋が訪れた。この頃には人間に対する恐怖も和らぎ,特定の人間の瞳もしっかりと見つめ返せるようになった。もう夢じゃないと思えるようになった。長い時間をかけてその誠実さは私を取り巻いていた疑念を綺麗に払い取ってくれた。人間が肉であることに変わりはないけれど,それに対して以前ほど嫌悪感を抱かなくなってきた。どうでも良さも前より上手に飼いならせるようになった。あとは夢ではなくなった現実に私が自分から触れるだけだった。

静かな冬に辛うじて現実に指先を触れ合わせ,ゆるやかに春に向かって時計の針を進めた。穏やかな時の流れの中で,春を終え,あれから二度目の夏を迎えようとしている。人間は肉の塊だ。それはあなたも私も君もあの子も誰かも変わらない。所詮は容れ物なのだ。けれども,血の通った容れ物である。その生を,代替不可能な個を,眼を逸らさず見つめ愛すことがようやく出来そうだ。どうしようもなく肉の塊であることに愛おしさを感じられた今の私は,もう,誰かと一緒でも生きてゆける。

過去、現在、インターネット

ここだけでなら生きられるような気がしてしまう。インターネットの中、私の意識だけが集約されたこのページ。記憶であり、記録であり、理想であり、空想である。なりたい私、なれなかった私、青くて無限にどこまで行けそうな深く遠い海の中で無数の限りなく愛おしいifがぷかぷか浮き沈みしている。

 

人に会わないでいるとどんどん人に会いたくなくなってしまう。次に人に会う時がどんどんと怖くなる。ラブリーサマーちゃんの『わたしのうた』を聴きながらミスiD2015のサイトを眺めている。

覚えてる、ねぇ、覚えてた?夏休みの宿題も終わってないのに、始業式のあと制服で『TOKYO INTERNET LOVE』を見に行った高校2年生9月の始まりの日。天川宇宙ちゃんが見たくて行ったけど、それと同じくらい矢川葵ちゃんが可愛くて、映画の空気感とか、においとか、とても好きで、その時初めて分かったんだ。私は舞台の上でキラキラと輝く彼女たちが好きで、ずっと彼女たちになりたいと思っていたけれど、そうじゃなくてもいいのかもしれないと。勿論、なれるんだったらなってみたいけれど今の私にはそうじゃないやり方だってあって、それもそれで美しいんじゃないかと思った日のことを。波のようにあらゆる感情が押し寄せてきて、いてもたってもいられなくて、駅のホームのベンチに座り込んでメモ帳に叫び出すように一心不乱に想いを打ち込んだことを。

ミスiDのことも覚えてる?中学3年生の秋。初めて天川宇宙ちゃんを見つけてその可愛さに目を奪われたこと、私はその時まで生きている女の子を可愛いと思って追いかけることをしたことが無かったからとてもびっくりしたんだ。彼女のルックスや歌声、イラスト、ツイキャス、醸し出すインターネット特有の虚構性が愛おしかったけれど何より素敵だと思ったのはその文章だった。彼女の綴る文章はとても綺麗な青色をしていて、それはピンポイントで私の胸に突き刺さってくるようで、まるでお気に入りの髪飾りのようだった。その文章力や彼女の姿に嫉妬してラブレターとは呼べないような薄暗い手紙を綴ったこともあったけれどすぐに破り捨ててしまったのでなんて書いたのかはもう覚えていない。

 

彼女や彼女にまつわるカルチャーから形作られた私のインターネットは、私の思考を繋ぎ止め、記録し、もう一つの世界として居場所を与えてくれた。あの頃に比べてだいぶ「インターネット感」というものは薄らいできたような気はするけれど、確かにここは私の世界であるし、生きられる場所であることには変わりないし、それはこれからもそうだろう。これまでいろんな方法で自分と向き合おうとしてきたけれど、やはり文章を書くのが適しているようで、これを繰り返していくしか方法は無いのだろうなと思う。

誰にも会いたく無いという気分になってうっすらと藍色が臓腑に染み込んできたのは存外久々の感覚で、(その感覚が久々だということにも驚いている)毎日救われないと嘆いていたあの頃を思い出していた。あの頃書いていた文章と今のものでは大分感触が違う。もう少し前までは、なんであの頃みたいな文章が書けないんだろうと悔やんでいたが、肉体が存在する方の日常を反映してこれらの文章が出来上がっているのだとしたら、これはこれでいいんじゃ無いかとも思う。諦観だと言ってしまえばそれまでだし、私が最も忌避したい凡庸な人間になりかけていることも否めない。しかし、私はまだ、まだあの頃を忘れてはいない。あの頃感じていた感覚を忘れていないし、忘れないようにするためにここがあるはずだ。変わるということを受け入れ始めたのかも知れない、それは明るいことでもあるのだろうが、やはりとても悲しい。意識と感情と現実というものはどうもうまく噛み合わない。ちぐはぐさも今の私だ。苦しみでいい文章を書く時期は終わってしまったようだけれど、そうじゃ無い今も悪く無い、と思っていいのかも知れない。

(以下、ベンチでメモ帳に書きつけた文の抜粋) 

 

『序盤の、ラソドドシャープの白い紐が動く映像はスマホをつなぐ電源の線だった、最後の黒い画面に赤い線と青い線、そこを白い線が縫っていく、途中から青い線が住宅や敷地建物を示し出す、地図だ、赤い線そして現れた灰色の線は道路、だと思う、だんだん、水色の、河川とかが増えてゆく、最終的に海にたどり着く、あの映像は多分、チハのたどった道、本編のラストで水色のワンピースを着たチハが海を見ているシーンがあるから、最初に何も無かったのはチハたちがいたところが森の中だったから、森を抜けて、道路に出て、団地を、河川敷を、住宅街を、グラウンドを進んでゆく映像が素敵だった、特に、赤信号がいっぱいのところ、私はああゆう映像が撮りたい、撮ったこともないけれど、その時思った、私はあそこでくるくると回る子になりたいんだとずっと思ってたけれど、違うの、いや、ほんとは違わないのかもしれないけど、私はもう、私がくるくると回れないとわかってる、回っても全然面白くないって、それはもう謙遜とか自虐とかじゃなくて、客観的にわかってる、私はあの空間を、風景を、映像を作り出したい、あそこには彼ないし、彼女ないし、物体や建物やその他諸々具象が現れているけれど、我々の目に見えるものはそれらだけど、そこに確かに私はいる、そう思う、実際に目には見えないけれど、私の私の部分はそこにいるから、それでいいのだと思った、それは私が今、1番美しい形でいられるあり方だと思った。』

グッドバイ、はいすくーるdays

あと10日で卒業なんだって、知ってた?知らなかった、制服を着て街を闊歩できるのも、教師と親しいようなよそよそしいような謎の雰囲気で話せるのも、いつもの皆がいてどうでも良いことを話せるのも、行ったら必ず私の机があるのも、大人でも子どもでもないのも、青い箱庭で暮らせるのもあと少しなんだって、知らなかった。急に毎日が猛スピードで過ぎ去って行くような気がする、これまでの日々がかき消されてしまう気がする、待って、行かないで、もう少しここにいさせて欲しい。モラトリアムの続きはまだ知りたくない。

 

昔から、失くしてから初めてその尊さを知る人間だった。今までいくつもの日々を、人を、想いを失ってから本当は大事なものだったんだと後から悔やんでいた。この話を先日Sにしたら、自分も昔はそうだったけれど、今は違う。今は色んなこれまでが思い浮かんできてただただ懐かしいと言われた。手放す前にその尊さに気付けるのが大人なら、私はまだ子供のままでいられるようだ、目一杯悔やんで胸を焦がして惜しむが良い。まだ大人にならないで済むから。

件のSと引き続いて話をした。貴方は昔からJKになった!だの言って女子高校生ということに固執していたね、と言われた。その通りだった。勿論冗談めかしたところもあったが、本当に私は女子高校生という事実が愛おしかった。そういったものを気に留めないSらが不思議に思えた。女子高校生という、何者でもない、何者にでもなれる、魔法のような3年間だった。電脳世界に足を踏み入れた冬、眠れずにベランダで詩を読んでいた夏、どこかに行きたくて工業地帯と海を眺めに行った日差しが柔らかかった日、延々と続くような不安と孤独に苛まれて白いベッドに横たわっていた夕暮れ、赤色だけが私を認めてくれていると信じて疑わなかった深夜、ゆっくりと夜が明けてゆく様子を眺めながら夢遊病の真似事をしていた明け方、これら全てが過去として遠く、蜃気楼のように朧げにゆらめいている。

 

結局、綿矢りさのように高校生で文壇デビューをしたり、サメジママミ美のようにカメラ一つを持ってアメリカに行ったり、知らないおじさんとカラオケ行ってお金をもらったり、君可愛いねなんて街中で声をかけられたり、友達と泊まりでどこかに出かけたり、世界を救ったり、誰かの神様になったりするなんてことは無かった。何者にもなれないまま3年間が終わろうとしている。女子高校生としてやったことなんて学割を効かせて演劇と映画を見たことと、夏に星間飛行をしたくらいだ。それでも私は何者にもなれなかった私が愛おしい、何者かになれると、そう思って生きてきたこれまでの私を何より誰より抱きしめに行きたい。凄くなんてない、普通だ、いや、もっと言えば全然ダメだった。毎日泣いてた。今だって泣いてる。このまま死にたいと思っていた。今だって思っている。だけどその過去たちは美しく鮮やかに私の目に映り込んで、消えてくれない。胸をえぐるような痛みを伴って突きつけられるこれまでを繋ぎ止めることで生きている。

 

女子高校生が終わったからと言って何かが劇的に変わる訳ではないしきっと相変わらずなんの変哲も無い毎日が続いてゆくだけだ。けれどそこに何か一つ終止符を私は打ちたい。打たなければならない気がする。愚かで透き通るように美しく純真な、愛おしい妄執に向き合い、過去として連綿と繋げてゆくために、別れを告げなければならない。だけどもあと少し、もう少しだけ、

                                            キミの隣で、モラトリアム

ifと羨望と空想対話

「君は昔の私に似ている」

彼女は懐かしそうにわたしを見て言った。

「大丈夫です、わたし、Oさんみたいに聡明では無いですから」

「でも大体の事は分かってるんでしょ」

「分かっている、ふりをしているだけです。内心ひやひやしてるんですよ、いつバレるか」

「分かっているふりをしている事は分かっているんでしょ、充分じゃない」

「それも限られた知識の中から掬い出して名前を付けてるような事です、きっと。子供のおままごとみたいなものです」

「そういう所が似ている」

彼女は悲しそうにわたしを見て言った。

「君には深夜にキッチンの薄明かりの下でタバコを吸いながら、アイスを一口食べて、こんなはずじゃなかった、と泣く大人にはなって欲しく無いんだよ」

「…一応頑張ってはみますけど、成るべくようにしか成らないので確約は出来かねます」

「本当に良く似ているね。君もしかして過去から来た私なの?運命じみた事言って責任を背負おうとしない」

「Oさんがそう思うのならきっとそうなんじゃないですか。皆、結構誤魔化されてくれるし、楽なんですよ。一番騙されてるのはわたしでしょうね」

「君も私も悲しい生き方を選んでしまったね」

「選ばされた、ではなく、選んでしまった、のが何とも皮肉ですよね。どこかで何度か分岐点はあったはずなのに、意図的にこちらを選んでしまった」

「…これは、私が言うべきセリフでは無いだろうけど、君はまだ分岐点を見つけることが出来るはずだよ」

「それは、Oさんだって同じじゃないですか」

「私はもし見つけたとしても、もう戻れない、分岐点に飛び込む力が無い。これは言い訳でも何でもなくて、君と私の"若さ"という違いだけだよ」

「一つ誤解されてると思うんですが、わたしはOさんが思っているよりも運命論者なんです」

「それは、もうどうにもならないという事?」

「いや、"若さ"が運命に含まれるのならいつかまたどこかで会う時には違う生き方をしているだろう、という事です。それはわたしもOさんも」

「私は君のような"若さ"は持っていないって言ったよね」

「だから誤解だと言ったんです。"若さ"も運命であるとするならば、完全に手にしていない、なんてことは有り得ないはずです」

「じゃあ、そう言い切れる強さは"若さ"ではなくて君自身の強さという事かな」

「そういう事になるんでしょうかね」

「そういう所が大好きだよ」

彼女は愛おしそうにわたしを見て言った。

「これは老婆心だけれど、君のその美しい両翼が他者の悪意によって、または善意によって、もがれない事を祈るよ」

「自らの手ならいいんですか」

「思うんだけど、君は相当自尊心が高いでしょ。自分で自分の最も大事な矜持を貶めようとはしないはずだよ。例え他の何を捨てようともその翼だけは失おうとしない。ただ、だからこそ他者からも守って欲しい。必死で足掻くのはみっともないかも知れないけど、投げやりになるのは決して美徳なんかではないから」

「良く分かっていらっしゃいますね」

「分かっているふり、をしてるだけだよ、君と同じ。 じゃ、私そろそろ行くね」

そう言って席を立ち、歩き出す彼女の背には純白の翼が輝いていて、本当に美しい人は自らの美しさなど知らないのだと、初めて見たあの頃から変わらない両翼を見つめ、そう思い知った。

 

神様になれなかった夏

神様になれないまま夏を迎えてしまった。

 


小さい頃、本で博愛主義と言う言葉を見つけてからみんなが平等に好きな人になりたかった。
男も女も老人も若者も貧富も何もかも全て幸せであってほしいと思ったし、私にはそう願う義務があると思った。

 

サメジママミ美に会ったのは15歳の頃、その頃私にとって彼女の17歳という数字はとても遠いものだった。とても可愛らしく笑うくせに、ひどく冷めた目つきでタバコをふかす。彼女の厭世的な世界観、近いようで実は遠く離れたところにいるようなその態度に、私の思い描く博愛主義を重ねた。誰かを愛しすぎてもいけないし、迫害してもいけない。15歳の私は、17歳になったらマミ美のようになろうと思った。

瞬く間に時は過ぎて、あの時遠い先の未来だと思っていた17歳になってもちっともマミ美のようにはなれない私は、みんなを平等に愛することも出来ないまま漫然と毎日を送っていた。私という個人の概念が邪魔で、余計な思考が流入してくるから好きな人もいっぱいいたし、嫌いな人もいっぱいいた。それでも、どんなバカもどんなクズもどんな愚か者もどんな傍観者も平等に裁いて平等に愛してやりたかった。人間であるから理性が邪魔だった。だったらいっそ、神様になればいいんだと思った。マミ美になれないのであれば、神様なんていないんすよ、とどこか遠いところを見つめながらうそぶく彼女に、私が神様になってあげようと思った。

 

 

17歳が終わって18歳になっても神様にはなれなかったし、時計の針は同じように進むし、窓の外は相変わらず暗かった。多分きっと同じように来年もその先も何も変わらない夜を過ごして、気持ちだけが上滑りしながら大人になってゆく。

それでも昨日まで、ほんの少し前までは、18とは重たい数字で、何かの契機で、ここが始まりで終わりだと思っていた。冷たくて重たい何かが、確実にこの間には横たわっていて、それをもう一度あちら側へ乗り越えることは出来ない。閉ざされた向こう側のことを、こちら側の毎日がかき消して、これまでの私が薄く、遠く、見えなくなってゆく。おぼろげになった無数の私たち、かすれた記憶、思い出そうとしても思い出せないこと、忘れたくなかったのに忘れてゆくこと、そうしたことに胸をひりつかせることもいつかは無くなって、全てを忘れてゆく。

18歳は明白な転換期で喪失が始まってゆく。

決別の扉は既に開いてしまってけれど、まだ、まだ私はあの日々を忘れ去ってはいない。大人になるんだ、というちゃちな言葉で17歳の私を殺したくはない。不可逆的に、煩雑な毎日に溶けるように無くなってしまう今までを、私はまだ覚えていよう。17歳の私がなれなかった神様のことを、18歳の私がなろうと思う神様のことを、向こうとこちらを確かにつなぐこのことを、私だけはまだ忘れない。

ニッポン懐古録

日本は強かった。

高度経済成長期からバブルが弾けるまでのあの間、日本は強かった。先進国の仲間入りを果たし貿易も次々と行い、ものづくり大国なんて呼ばれながら、経済は確かに成長し国内は豊かになっていった。ただ、実質的な強さと言うより、もっと根幹の部分に強さがあったと思う。もちろん、生活の豊かさで言えば、技術革新を果たして携帯端末が波及し、デジタルづくしになった今の方がよほど豊かだ。しかし国民全体に蔓延していた空気はもう二度と生み出すことが出来ない。それは日本がもう一度戦争に負けでもしない限り、有り得ないだろう。

 

あの頃、国民は貧しかったけれど、そこには確かな日々があった。明日を保証されてなくても今日はここに存在した。豊かになる以外はなかった。皆、いずれ豊かになると訳も分からず確信していた。工場の労働者も、日がな内職をする主婦も、場末のストリッパーも、きっと今より豊かになって良い生活を送るのだと信じて疑わなかった。ならず者もはみ出し者も許容された。彼らの間で線引きは、今豊かか、いずれ豊かになるかでしかなかった。

 

早くも「失われた二十年」などと揶揄されるようにまでなってしまった今の我々には、あいにく強さなんて欠片も残されていない。あれだけ不確かな存在を盲目にも信じていたのだから、当たり前ではあるが、今の日本は空虚だ。あの頃みたいな強さは嘘みたいに消え去って、それどころか失われたものに対するヘイトすら、今やあぶくのように浮かんでは消えるばかりだ。何も無い。この国は白くて清潔で歪な均衡を求めている。とてつもなく弱い。怒りで国一つ変えることすら出来なくなってしまった我々はこの病室のような日々に適応してゆくしかないのだろうか。ブラウン管を姿見にしていたあの頃に戻る術はもうどこにも残されていないのだろうか。

失われたものたちを永遠になぞりながら未来は知らぬ間に終息を迎えている。実態を持たない薄っぺらい言葉は聞き飽きた。もう一度、あの分岐点に飛び込む力が欲しい。ラディカルで目の覚めるような衝撃を渇望している。強く、まぎれもなく強く、確かでありたい。