mellow yellow sky

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続・女の生き方

女性の生き方、としてではなく、
ただ小川洋子さんと平松洋子さんの本が好きで、
たまたま手に取ってみたら面白い本でした。

あまり気にしておりませんでしたが、このお二人、
字も同じの W「洋子」 さんなのですよね……

少女から女へ、女から母へと抜けることにおいて、
女性は人生で何度か「変容」を迎えざるを得ない。
その生き方を、本の紹介や、お二人の軽妙なトークで描き切ってはいるものの、
なかなか、男性から見るとこれ、ヘヴィなんじゃないかと思います。

「どんなに母性を育てて、母性を豊かにしても、行きつく先は分かれなのか。豚は食べるし、子どもは巣立っていく。」

(小川洋子さん)

『海を感じる時』の主人公も、「私と母は、しょせん生理の血でつながっている」「その血管を一刀両断にしたかった」と書いていて、生まれるということは、当然、生理の血でつながっているに違いないんですけど、あらためてそう言われると、その気味悪さ、許し難い感じ、逃げられなさを感じます。

(平松洋子さん)

そして、母娘関係や母になることだけでなく、
女性としてものを見ること、考えることについても鋭い思索が伺え、
面白かったです。

(白洲正子さんの「ただ見る」ことなどについても……。
これは自分の中の血と肉になりそうなことばなので、いずれまた)

 

そして、始終まじめな話かと思えば、
「(異性を)見て楽しむ趣味があるかないか」
「最初にハマったアイドルは?」
などという、ちょっと軽い質問には、意外な回答まで出るという。

生きることに疲れたり、
女性って息苦しい! と思ったときに、すこし背中を押して下さる本でした。

女の生き方

お題「年末年始に見たもの・読んだもの」

 

生物学的に女性であるにもかかわらず、女性として扱われることが苦手です。

カメラマンだったりコーダーだったりすると、男の職場なので、よりそういう扱いが不便なせいもありますし、

なんというか、ほんと、ただ男の子に生まれたかった。

 

大好きなManic Street Preachersの歌に

もし女の子だったらなぁ、

という曲がありますが

(作詞がニッキーなところがまたなんだか泣ける)、

Born a Girl

Born a Girl

 

私は逆。

 

男の子に生まれて、バンドマンにでもなって、女の子キャアキャア言わせたかった。

そういう、不良な生き方をしてみたかった。

 

かといって、じゃあ別にいまでもギター持って歌ったらええやんっていうと、ちょっと違って、女性のロック歌手で好きな人がほぼ皆無なのです。

 

有名な方は殆どが「女性性」を売りにして歌っているから。

そして、じゃあ性転換する? と言われると、

それも「ウーン」なのです。

 

難しいね。

 

さて。

私のこの気持ちは「アセクシャル」というのに少し近いのだと、

こんな人は実は世にたくさんいると知って、とても安心したのは、またいつかの機会に。

 

今年読んだ本。

 

野心のすすめ (講談社現代新書)

野心のすすめ (講談社現代新書)

 

 林真理子さん、苦手でした。

ananの連載も、

 

女!!!!!

 

て感じ、するじゃないですか。

テレビで観る姿も、高価そうな洋服を召して、

「〜わよ」「〜だわ」という、昭和のテレビドラマの女性の語尾の喋り方をされているのと、

「なんでも欲しがる真理子さん」のイメージ、

そして「女性であることが楽しい!」というオーラを纏っていらっしゃる感じが、

とても苦手でした。

 

とはいえ、それ、

ある程度テレビで作られたイメージだったのですね……と、この本↑を読んで思う。

 

自分で自分を「ブス」と言い、

「貧乏でバカな田舎者のわたし」がどうやって、這い上がってきたか、と、自ら仰る。

「持たざる者」の努力の人生。

野心と自尊心の両輪をコントロールして生きることが、そんなに悪いことか、否か。

 

ここまでバスっと、竹を割ってように仰られる方だとは思って……ましたけれど、

何故だろう、下品に聞こえない。

 

野心を持つことと品がないことは違うことなのだなと、はじめて感じました。

 

 

わたし、真理子さん、好きになりました。

偏見はいけないね。

 

 

ついでに、これも読んでみました。

 

 こちらはあまり響かなかった……アフォリズム集という書き方のせいか、なんだか手抜きに思えてしまって。

けれど、89番目の

愛情というのは、目から入る快感によって支えられているのである。

という箇所等、

赤べこのようにカクカクと首を縦に振らせていただきました。

そこの辺はやはり、只者ではない視点。

 

 

と。

漫画は、去年、電子で購入後、多忙で読み忘れていたのを今更。

 

 

 Orangeも好きな作品ですが、やっぱりこちらも素晴らしいなぁ。

 

わたしは子供の頃、恋愛漫画は気恥ずかしくてあまり読めなかったのだけれど

(自意識過剰。

恋愛漫画読んでる女ってやつあ…チッ、」

という気持ちでした。

ほんとに、能町みね子さんの描く「くすぶれ!モテない系」の見本のような奴でした)、

あー、学生時代にこういうの読んでおけば、今頃〜〜〜、と、

色々後悔したり、しなかったり、したり。

 

そうそう、素直になっておけばなぁ、とか、

「好きだ」って言えていたら今頃……とか、

面倒臭い過去の古傷を矯めつ眇めつしたのでした。

 

……。

ひとつも良い話ができない。

罪滅ぼしの一環に、「俺のバイブル」のリンクを貼っておきます。。

だめだこりゃ。

 

呻け!モテない系

呻け!モテない系

 

 

 

 

 

2017年の読書

今週のお題「2018年の抱負」

「知識というのは業界の常識ですが、教養は「知」の世界に入るための入場券だと思います。」

立花隆 / 佐藤優 「ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊」佐藤優氏の発言より

 

読書は人を作る。

そう痛感したのは、ふわっと読んだ佐藤優さんの本で垣間見た、彼の圧倒的な知識量からでした。

彼の学生時代の専門であった神学から、国際政治、経済学、等々、
じつに多岐にわたるジャンルで、毎月のように佐藤さんは本を出版されています。

著書の中に「自分の身を守るには自分が商品になることだ」と書いておられましたが、出版の理由は、おそらくそれだけではないでしょう。

冒頭に引用した本で答えていらっしゃった蔵書の数、
約1万5千冊
(ちなみに立花隆さんの本は7~8万冊)。

「知識は力なり」とはいうものの、 ここまで来ると
「力として」溜めこんでいるというより、
使命のようなものに突き動かされているに違いないとすら思ってしまうほどでした。

 

しかし。

この「知識は力なり」ということば、
社会人以降になると、身につまされる場面が増えるかと思います。

会社に所属すると(いえ、フリーランスであろうと)、
「この世には、自分が話せる人と話せない人がいる」ことを、日々味わうからです。

平社員の自分が社長に対し、
「ねえねえ社長~~」などと、なれなれしく話は出来ない。

そもそも、社長とヒラの間には見えない壁があって、その先に行きたくても、行けない。


釣りバカ日誌でさえも、ハマちゃんとスーさんは、会社では普通の会社員として接しているわけです(あまり真剣に見たことないですが)。

 

その理由はなぜか。

相手と共有できる「知識」がないからです。

(勿論、違う理由もあるかとは思いますが)

私個人の経験では、そうしたことで悔しい思いをしたことが、
めちゃめちゃたくさん、あります。

 

ここ最近だと、
親しくなりたい方(女性)が三国志がお好きだったのですが、
私は漢字が苦手で、登場人物がこんがらかってしまうので、
友人の腐女子に貸し付けられた江守三国志しか読んだことがない……
って、それ読んだ仲間に入るのか? と思い、
ナイショにしてしまった……

というイタイ経験があります。

そうなると、

三国志、よんどこ。
チャン・チェンすきだし、レッドクリフからでも観とこ、
……と、なるのは必至でした……。

 

あと、少し話題はそれますが、

ちょい前にニュースになった
「歴史で、教科書に掲載される用語がおよそ半分に減る」という案、

理由は全う? であるとしても (「人気だから載せる」のはおかしい、等々)、
「知らない」ことで、
「自分が話せない人間」が増えていくのです。

でえじょうぶか、日本???

 

 

権力者になりたいか否かは別に、私にとってはどうでもいいのです。

話せる人が増えたら、話題も広がるし、人生が豊かになる。
そう思うのです。

 

 

で。

去年私が読了した本の冊数。

216冊……。

やっぱり、兼業ではなかなか本は読めないか、と思いきや、
仕事を休んでいる日の方が読めなかったというオチ。

 

ダメウーマン!!!

 

 

今年はそれよりたくさんの本が読みたいです。。

がんばろ。。。

(ゆうて、量より質だとも思うので、人生を変えるような本と、出会いたいです~)

あけまして

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おめでとうございます。

イッヌ年。

 

例年以上に無茶なことをしまくり、

人様にご迷惑をかけた気がします。

私はひとえに、周りの皆様のやさしさで生きているなあ、

私の命はバファリンみたいなもんかなあ、

と思ったり思わなかったり。

 

今年もよろしくお願い致します。

シンギュラリティは近い

 今年は本当にたくさん本を読みました。

 

 

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

 

 

ストレスフルな毎日で、これはダメだなー、と思った時に出会ったのが「科学道100」。

その棚の平積みの本の中、見た目、すんごい勢いで売れていたのが、この本でした。

エッセンス版だけあって、読みやすい。

 

文章読むのが好きな人と苦手な人がいると思うので、端的にいうと、

2045年が「技術的特異点(シンギュラリティ)」であるという理論を広めた、レイ・カーツワイルの本です。

機械と人間が一体化し、身体という概念もなくなり、我々の思念は宇宙に広がるという……話。

 

幼い頃の私は、宇宙の話がとても苦手かつ大好きという子どもでした。

 

相対性理論やら宇宙の本を読んで、ソワソワと眠れなくなり、

布団の中で、広漠とした闇を見つめながら、

死や生の謎を考え、そら寒く覚えたものです……

と、昔話はともあれ

 

シンギュラリティが本当に起こりうる未来と考えると、

個人的には、めっちゃ、悩みが楽になった。

 

だって、どんなに色々悩んでいようとも、

 

2045年には、私も、悩んでいる相手やモノも、

宇宙に広がる「なにか」になってるんですものね。。

肉体からアストラル体へ。。

 

 

それと、チョム好きーだった大学時代の恩師の影響もあり、これも。

 

人類の未来―AI、経済、民主主義 (NHK出版新書 513)

人類の未来―AI、経済、民主主義 (NHK出版新書 513)

 

なかなか面白かったです。

それにしたって、どこに行くのかしら、世界。