ついに、旅行会社を退職し転職した
2018年12月に旅行会社を退職した。
2012年4月の新卒入社のため約7年弱、勤めたことになる。
企画に携わるようになってから、仕事は充実していた。
自分の考えや世の中に求められているものの根本にある価値観を抽出してツアーやサービスに落とし込んでいくのが楽しかった。
役職もあがり、辞める直前は年収420万ぐらいだったと思う。
やっと、やっと一人暮らしがカツカツでなく、
友人の結婚式のご祝儀も快く払えるようになった。
だけど、旅行会社を退職した。
理由はいろいろあるけれど、
いちばん大きいのは「成長実感がない」という不安だったと思う。
企画や添乗といった新しい業務に携わることが増え新鮮だったが
「成長実感」には直結しなかった。
自分なり成長実感が湧かないのはなぜか分析したところ
それらの仕事は二流で「汎用性がない」からだと思った。
企画業務もほとんどは他の先輩からの引き継ぎ企画、
他エージェントや仕入れとの調整業務だ。
マーケティングの知識などはつかなかった。
手配業務もいかに自社の手配システムやローカルルールに
臨機応変かつスムーズに対応できるかということが重要なので
市場価値があがっていく実感はなかった。
実際成長したいというポジティブな理由というよりは
このままだとマズイのではないかという不安に駆られる感情のほうが近い。
この会社でしか生きられない。そんな不安はこの7年ずっと抱えていた。
そんな不安を抱える中で転職活動をスタートさせるきっかけとなったのは
上司が仕事の割り当てや評価についての私の申し出を取り合ってくれなかったことがきっかけだ。
結果はどうということよりも私のSOSに対して「取り合ってくれなかった」その事実に絶望を感じた。その日の帰りの電車で転職エージェントに登録した。
だめだったらこの会社に残ればいい。
ずっといる会社ではないことは確か。
30歳になるまでに力試しに転職活動をやってみようと思い、
転職活動をスタートさせた。
転職活動は12社ぐらい書類はだしたかと思う。
6社程度面接に呼ばれ、2社内定をもらった(うち1社は契約社員だった)
仕事を続けながらの転職活動は体力的にも精神的にもつらかった。
1日に3社面接に行き、翌日3社ともにお見送り連絡がきたときは
転職活動をやめたいと思ったが今踏ん張らないと後悔すると思ってやった。
モチベーションは「今やらないと後悔する」ただそれだけだったと思う。
自分のキャリアに納得感がほしい、それだけのモチベーションだった。
そして今私は人材会社にいる。
もうすぐ入社して半年。
新しい企業文化、優秀な仲間たち、自分の成長にコミットでき
今は毎日新鮮な気持ちでいっぱいだ。
その反面、旅行会社で働いた経験というのも
自分の中では確実に糧に礎となり、この経験があってよかったと思っている。
仕事の中でいちばんやりがいを感じたことは
自分が企画したツアーでお客さんが満足してくれたこと。
「こういうことを求めているのでないか」という仮説を立て、
実際に同行しお客さんの反応がよく、さらにアンケートなどで
また参加したいといってくれることが何よりも嬉しかった。
またここでいう「お客さんが求めていること」とは
この時点では具体的な「体験」ではなく「価値観」だ。
「学びを得た満足感」「新しい出会いと刺激」「自分がここにいていいという安堵感」などなど現代の日本で求められている価値観をツアー内にコンテンツとして落とし込んでいくのが楽しかった。
その作業は私にとって絵を描くような、また、歌をうたうような感覚があった。
ある意味、自己表現なのかもしれない。
実際にこういった自分だったり世の中が求めている価値観や想いを形にして、
商品・サービスとして落とし込んでいくことができる仕事は少ないと思う。
MARCH卒、26歳女性旅行会社正社員の等身大の給料とキャリアパス
2年ぶりのエントリ。
その後の私の歩いてきたキャリアパスを振り返る。
しばらくこちらに来ていなかったが
旅行会社の就職を考えている方に見ていただけているようなので。
参考になれば。
ちなみに就職先は大手旅行会社。
2014年冬
ちょうど前の記事を書いた時期。社会人3年目。某営業所にて旅行の手配を行っていた。旅行会社のカウンターのお姉さんといえど営業目標がある。そして私の所属する会社は成績=給料。目標達成率は60%程度だったように思う。手取りは15万前後。丸3年間手取り15万程度の給料が続いていた。正社員のため雀の涙程度のボーナスはあったが年収270万円とかその程度だったように思う。もちろん実家住まい。この頃はいつ辞めるか、といったことしか考えていなかった、こんな給料で拘束時間が長くて(入っているテナントの営業時間に拘束される)やっていられないと毎日思っていた。かといって、成績も残していない、資格もない自分をどこか雇ってくれるだろうか、そんな心配もしていた。毎日のように転職サイトをみていた。
2015年春
1年半ぶりぐらいに営業目標を達成した。翌月も達成したいと思って少し頑張ったら風向きが変わり達成できた。また昨年落ちた旅行業務管理者試験の再チャレンジを決意、研修に参加した。
2015年夏〜秋
前年の結果が悪く目標も低かったこと、さまざまな外的要因もあり1月からずっと目標を達成することができていた。ただ達成できるのは旅行者数目標でインセンティブの指標となる売上は大きく変わらず相変わらず手取りは15万前後だった。
また店舗が改装することになり改装期間の3ヶ月間、近くの大型店舗に異動に異動することになった。異動した大型店舗は自分の案件は自分の責任というスタンスで、非常にストレスを感じた。また今までにない大きなミスをした。円形脱毛症になり、不正出血の症状があった。ただお客様が多く、取り扱い件数・売上ともに圧倒的に増え、大型店舗在籍中の数ヶ月は手取りが25万前後あった。
お金は少しもらえるようになったが、健康を損なってまで働き、なんで働いているのか分からなくなった。そろそろ臨界点。ただ、社内公募のエントリーがはじまり、兼ねてからいきたかった部署へいけるチャンスが訪れた。直近半年の成績がないと受けられないがそれほど悪くないはず。これを受けてだめだったら、仕事を辞めることにし、同時並行で転職エージェントにも登録し、公募の結果を待った。
2015年冬〜2016年
社内公募に受かった。受けてみるものである。そして旅行業務取扱管理者にも合格した。現在は、大多数のカウンターセールスを行うオペレーターから専門的な旅を扱う専門の部署に行き、手配のほか、イベント運営、企画、添乗などさまざまな業務にあたっている。部署が手配業務だけではなくなったため、給与が本社給与となった。手取りは20万程度でもらえるようになったため恥ずかしながら26歳にて一人暮らしを始めた。20万円程度の給料のほか住宅手当は2万円。
2015年は濃い1年間だった。
社会人になり私が感じたこと、それは
貧困とは紙一重だ
2~3年前にエントリーを書いたときは本当に目の前に絶望しかなかった。
手取り15万でやってられないけど・・・仕事やめたらどうなる?
前職で実績のない自分を雇ってくれる企業ある?
これで親が倒れたりなんかしていたら・・・考えただけでも恐ろしい。
今もやっぱり将来への不安はつきない。
そして
社会は思っていたより何倍も生きにくい
ざっと1年ちょっとを振り返っただけで
辛くて辛くて仕方のない時期がなんどもあった。
比較的鈍感にやり過ごせるタイプのなんとか心を保ったが
本当に生きていくのはしんどくて大変だ。
今の社会は一度転んだら二度と立ち上がるのは大変だ。
今日も私は崖の上を歩く。
最後に書いた記事から10ヶ月以上経ったけど私はまだ旅行会社にいます
予想通りの3日坊主でブログはとまっていたのだが
久しぶりにログインしてみると意外と多くの人に記事を見て頂いていたので
その後の話も少々続けたいと思う。
いちばん多くみていただいたこの記事を書いて10ヶ月が経った。
旅行会社に勤めている私が旅行会社への就職をススメない理由 - 綿棒と毛抜き
3年目になったが、結論からいうとタイトルの通り、
まだこの「激務」「薄給」かつ「汎用性低く」「閉鎖的」な労働環境で働いている。
この10ヶ月の間にいちばん仲のよかった同期がふたり辞めた。
一人は最も激務の大型店舗に異動になったことを契機に退職の希望を出し、
もともと学生のときから目指していた航空会社への転職活動を開始した。
(就活のときに航空業界、特にCAを受けたという同期はたまにいる)
もう一人は海外留学に出た。
(会社を辞め海外に行く奴も非常に多い)
同期会=送別会
ブラック企業のあるあるだ。
そして私がなぜまだこの労働環境で働いているかというと
自分自身で納得できる方法でケジメをつけたかった為、
夏に勉強し、総合旅行業務取扱管理者試験を受けた。
総合旅行業務取扱管理者
旅行業務取扱管理者(りょこうぎょうむとりあつかいかんりしゃ)とは、旅行業法に定められている旅行業者及び旅行業者代理業者の営業所における顧客との旅行取引の責任者のことである。
合格率は30%程度
この資格を持った人が営業所に一人いなければその営業所は営業してはならない。
結論からいうと不合格だった。
一部の科目で来年度受験免除になったのだが資格取得にはならなかった。
来年もう一度受けるのか、それまで転職活動しないのか。
いろいろとそのあたり自分のキャリアを練り直し中である。
旅行会社に勤めている私が旅行会社への就職をススメない理由
「薄給」「激務」
旅行会社のイメージでよく使われる言葉である。旅行会社への就職を希望する人間は、薄給・激務は覚悟してそれでもなお旅行会社に就職を希望しているのだろう。このあたりの実態はgoogle先生にきいてみれば山ほどの情報を提供してくれる。
ただ、私はその2つを差し引いても旅行会社への就職はススメられない。
その理由は以下の2点である。
旅行会社での実務は汎用性が低い
旅行会社といっても様々な職種があるだろうが、個人向けの営業職を前提として考えてほしい。いわゆるカウンター接客である。JTBの用に分社化されていたり、運良く企画や仕入れに滑り込むことができなければ、新卒の配属の大半は現場=カウンター接客になる。
カウンター接客は営業職といえど「攻め」の営業職ではない。私たちは座ってお客様が来るのを待っているのである。そのため、「営業職」にも関わらず、営業ノウハウが身に付かないのである。
もちろん一度お問い合わせいただいたお客様に、再度お電話したり、新たに商品を提示したりもするが、キッカケはあくまでお客様自身をお問い合わせが必要なのだ。お問い合わせがないと私たちは何もできない。
こういった営業スタイルで販売する商材は少ない。取引先とのコミュニケーションの方法を知らない私たちは自分たちが営業で外回りをする姿が想像できない。実際に旅行業界からの転職希望者も、この業界に戻ってくる人間が多いという。
一生「薄給」「激務」と付き合い続けなくてはならない。
環境が閉鎖的
大きな営業所への配属になるとは限らない。小さな営業所だと数名で店舗を運営している。その上、休日が不定休だ。
私たちにはお世話になっている「取引先」などない。カウンター接客の場合、お客様はあくまで個人。個人のお客様と私的に繋がることはまずないであろう。長く店舗にいればリピーターとなってくれるお客様もいるが、BtoCのビジネススタイルでお客様と私的に繋がることにあまりよいイメージはない。
(余談だが、お客様だった方と付き合っている同期はいる)
そして、毎日店舗に勤務している為、同業界の人と知り合う機会は皆無だ。確かに他社の商品も取り扱うことはできるし、ホテルや鉄道の手配エージェントとの接触は多少あるのだが電話でのやり取りになる。ちなみに、私は旅行業界に入って同業界と知り合いえた方はいない。
そして土日営業の店舗配属であれば、休みは不定休なのである。なかなか趣味でも新しいことを始めづらい環境である。
ネガティブな言葉を並べてしまったが旅行会社での就職を希望する人へなにかの参考になればと書いた。それでも私は仕事は楽しいと感じるし、やりがいはある。
社会人の2年目の戯言である。
大学を出て就職した、気付いたらワーキングプアになっていた
2012年、都内の大学を卒業し就職した。
就職先は大手旅行代理店。旅行会社で働くというと周りからはよく旅行が好きなのかと聞かれた。旅行が好きというよりも、旅行によって得られる感動経験によって多くの人の人生を精神的な側面から豊かにしたい思い、旅行会社で働くことに決めた。
就職活動は9ヵ月間程行った。最終的に内定が出たのは大学4年生の7月。この年は東日本大震災もあってほとんどの企業が採用スケジュールを見直していた。それを考慮しても私が内定をもらえたタイミングではまわりの7,8割くらいは進路を決定しており、私は完全に就活迷走組だった。
就職活動は旅行会社や人材会社を中心に受けた。5月に一度持ち駒がほぼ0の状態になった後は業界構わず、エントリーしまくった。200社近くプレエントリーをして、7,80社のエントリー(ウェブテストや履歴書)をしたと思う。結果的に2社の内定をもらえた。就職を決めた旅行会社の他に求人広告事業や人材サービスを行う会社が一社。旅行会社が安月給なこと、激務なことは重々承知でしたが誰もが知っている「大手」旅行会社というバリューに魅かれて進路を決めた。
給料についは初任給18~17万程度と書いてあったと思う。低いとは思ったがあくまで「初任給」。ネットで調べたところによると、平均年収が470万程度、平均年齢が30歳程度(確か)と記載があったため、30歳で年収470万あってやりたいことできれば十分だわと当時の私は思いそこまで安月給なことは気にしなかった。
そして働き始めて22ヶ月。額面は18万、手取りが約15万である。ちなみに一度手取りが13万だったことがある。大学時代のバイトでも週5で入ればこれくらい入った。恐ろしいのが32歳の先輩もこの給料なのだ。生活ができない。
いつ道を踏み外したのだろう。
高校はそれなりの進学校へ、運動部に入り夜暗くなるまで練習した。素晴らしい青春と引き換えに学力は校内最低だった。高校3年生の夏から死にもの狂いで一日13時間勉強し第一志望の早稲田大学には落ちたが、MARCHには受かった。私は安定して「中の上」いた。
大学生活は幅広く様々な活動をした。ゼミの活動も充実していたし海外にも行った。それなりに友達も多く、彼氏もいた。家庭環境もお金持ちと言えなかったけど姉妹ふたりを私立大学に進ませてくれた。そして就職活動を迎え、就職したのである。
安定して「中の上」にいた「はず」の私は気付いたらワーキングプアになっていた。
私は就職活動が一生を左右する!などという脅しをしたいわけではない。かといって就職活動のハウツーを行うわけではない(そもそもそんな結果を残せていない。)ワーキングプアな生活をつれづれと書きたいわけではない。
なんとなくこの状況に気付いてしまった以上、新しい扉を開きたくてブログを書いた。
これから私の人生どうなるのだろうか。
24歳、ワーキングプアなう。