「モテない」「彼女ができない」とかの悩みについて
男の永遠のテーマです。
「モテ」ということについて。
男の3代欲求のうち大きな割合を占めるであろう「性欲」。そうです。「モテたい」とは突き詰めるといろんな女とセックスしたいということになります。
これは否定できないはず。だからこそ多くの成功者は男女問題で揉めて、今でも多くの夫婦が不倫を原因に離婚するのです。
話がそれました。
モテたいと思う人が多いものの、ほとんどの男はモテません。
特に現代の自由恋愛のシステムでは、一部のモテる男が女をかっさらい、ほとんどの男は女性に相手にされず朽ちていくものです。
安定して子孫を残したい男性の生存戦略
それじゃあ、我々非モテには、彼女が手に入らないのか?
カップルが成立したとしても、自分も相手も妥協して、打算まみれの結婚にこぎつけるのか?はたまた諦めて一人の人生を満喫するしかないのか。
それは違うと思っています。
そこそこ程度の男でも、自分の理想通りの相手とカップリングは可能と思っています。
「じゃあどうすればいいのか教えろよ」
そうしたいのもやまやまですが、どうすればいいのかは人によって違うのです。
そもそも自分にとってどんな相手を理想としているのか、そこから考えるべき人もいるでしょう。
なんだって、ゴールを決めて、そこから逆算して行動したほうが成功に近づきやすいのです。
自分にとって最善とは?を考える
さて、自分が少しでも理想の女性とカップリングしやすくするにはどうすればいいのか。
そのためには「スキルの棚卸し」が必要になります。
なんだか転職活動みたいですが、あれも似たようなものです。
自分にとって人より優っているのはどこか。
特技は何か。一番輝けるのはどんな場面か。
それらを考えた上で、一番輝ける場所で、一番良いパフォーマンスを発揮すれば、自ずとカップリングできます。
例えば、スポーツが得意ならテニスサークルに入っても良いでしょう。
映画が好きなら、映画好きのコミュニティに入るのも良いでしょう。
そこで、周りの男とは違うパフォーマンスを発揮することで、無意識に「男の見極め」をしている女性に対してアピールすることで、カップリングに近づけるのです。
やってることは昔から変わりません。
好みのメスに対して、オスができるのは熱心な求愛行動です。
求愛行動が粗末では、メスに認めてもらえるわけがないのです。
百人組手で対女性のコミュニケーションを身につける
求愛行動をする時にも大事なのが「コミュニケーション」です。
コミュニケーションで、相手に魅力的な自分を売り込むことも求愛行動のうちです。
コミュニケーションの目的が、「他個体の行動の確率を変化させて自分または自分と相手に適応的な状況をもたらす」ことである事はお伝えした通りです。
しかしこの適切なコミュニケーションは、一朝一夕で身につくものではありません。
自分がパフォーマンスを発揮できるコミュニティに属したなら、そのコミュニティの会合へ積極的に参加して、女性とのコミュニケーションを重ねてください。
その中でやりすぎて嫌われて、嫌がられて、を繰り返す中で、自分のなかで一番良い形のコミュニケーションが見えてくるはずです。
パートナーがいることは「リスクヘッジ」です
私はパートナーがいることは、リスクヘッジだと思っています。
いうまでもなく、今後の日本は超高齢化社会へ突入していきます。
経済は痩せ細り、社会的インフラもぐらつくことはわかりきっている未来。
その中において、一人でなんとか生き抜くというのは、あまりにも難易度が高い。
それならば、「ピンチで助けてくれる」相手をそばにおいて生活するほうが、生存確率が上がります。
いまや婚活は、幸せな未来を目指すためのものではなく、苦しい未来を生き抜くための生存戦略なのです。
なるほどそのための第一歩がコミュニケーションというわけです。
異性相手だろうと、どこだろうと、どんな社会ても通用するポータブルスキル「コミュニケーション」。早めに身につけていきましょう。
コミュニケーション能力が高いとはどういう状態か
私はよく「コミュ力が高い」と揶揄されます。
それは、すぐに人と打ち解ける様子などを見た時などに言われることが多いです。
コミュニケーションとは?そしてコミュニケーション能力とは?
私はよくそのことについて考えていました。
コミュニケーションとは?
社会生活を営む人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達。
(生物学)動物個体間での、身振りや音声・匂い等による情報の伝達。
Wikipediaによると、情報の伝達がコミュニケーションということでした。
つまり、コミュニケーションがうまいというのは、「狙い通りに情報が伝達できている」ということでしょうか。
ふむふむ、ということは、えてして人は、「思った通りに情報を伝達できていない」ということか?
情報の伝達の伝達能力の高さこそ、コミュニケーション能力の高さなのか?
ふだんなんとなしで使っているコミュニケーションという言葉も、なかなかどうしてつかみどころのない言葉です。
私たち人間同士は、つかみどころのない、正解のない形も見えない「情報」という不思議な「もの」を伝達しあうことで、お互いのつながりを得ようとしているわけです。
コミュニケーション能力とは相手の行動変数をいじること
こんな言葉があります。
“行動学で言うコミュニケーションとは、他個体の行動の確率を変化させて自分または自分と相手に適応的な状況をもたらすプロセスのことである”
つまりです。
コミュニケーションの目的は、「相手に、自分にとって都合のいい状況を作ること」なのです。だから営業マンはコミュニケーションを尽くして自社の商品を売り込みますし、ナンパ男はコミュニケーションを尽くしてホテルへ誘うのです。
わかってきましたか? コミュニケーション能力の高さとは、コミュニケーションによって、より自分にとって都合のいい状況を作ることのできる能力のことです。
このゴールがわかっていれば、コミュニケーションでやるべきことがわかってくるはずです。
新入社員同士で話す際、うまく打ち解けるコミュニケーションを行う際には、「自分が不利益を被りそうな時助けてもらえる」関係性を作るために行うべきです。
お見合いで話す際には、相手に自分のいいところを知ってもらって、「この人と一生添い遂げたい」と思ってもらえるのがゴールなわけです。
ゴールから逆算しても良いですね。
相手に好印象を与えるために話すべき内容は?話すべきではないのは?
こうやって考えれば、おのずと話すべき内容が見えてくるはず。
今日はこのへんで。
初対面の人とのコミュニケーションは難しい?
コミュニケーションの難しさを考える時、やはり最初に思い浮かぶのは「初対面でのコミュニケーション」ではないでしょうか?
初対面の人と話すのが難しいのは当然です。
「初めて会ったから何を話せばいいかわからない」からです。
何が好きで、何が嫌いかわからないから、下手なこと話せないということでお互い気まずくなりがちなのが、初対面同士のコミュニケーションです。
でも私はいつも思うのですが、初めて会うから、相手がわからないからこそ話す内容は簡単です。「相手が何を好きか」を聞くだけでコミュニケーションは成立します。
「あなたはどんな人ですか?」を中心とした会話を組む
初対面で相手がどんな人かわからないなら、「あなたはどんな人なんですか?」と聞き続ける会話を続ければ良いだけです。
「あなたの趣味は何ですか?」
「あなたの家族は何人ですか?
「あなたの尊敬する人は誰ですか?」
そういったことを聞いていけばいいだけです。
合間に自分も「ちなみにわたしはこういう人です」と挟むことで、円滑なキャッチボールが成り立ちます。
こうしてお互いの情報が積み増されていき、いつしか最初いただいていた「相手がどんな人かわからない」という悩みは胡散霧散します。
これがたとえ多少人数増えた中での会話でも同じです。
「あなたはどんな人ですか?」
「へー、じゃあ隣のあなたは?」
とすればいいだけなのです。
こういった会話、簡単なようで難しい。
緊張でストレスを感じると、脳は萎縮しますからね。
大袈裟に共感して「仲間」感を出す
初対面同士では、お互いに警戒します。
相手のことがわからないので、まだ敵か味方かもわからないからです。
それならば、相手に「味方である」ことを表明してあげましょう。
簡単です。さっき言っていた「あなたはどんな人ですか?」の質問をしている中で、少しでも質問したあなたと似通ったポイントを見つけたら、共感するだけ。
「えー!マハラージャン好きなんですか?僕も大好きです!セーラームン太郎のMV何回も見ちゃいますよね」
ってな感じで、相手の言葉に大袈裟な共感をしてあげるだけです。
共感すれば、「わたしはあなたと似たポイントがあります。私は敵じゃないですよ。なぜなら似たもの同士ですからね」と簡単に表明できます。
これは相手が男性だろうと女性だろうと通用します。
わからない事はこわい事であることを認める
初対面の人とのコミュニケーション、それはこわいこと、恐怖です。
相手のことがわからないわけですから当然のことです。
でも相手のことがわかれば、当然のことながら怖くはありません。
私くらいになると、初対面の会話前から「どうせこれからこの人のことがわかるから、この会話にこわいところなんてない」という感じになります。
さながら、相手の出方に完璧な対応ができる武術の師範です。しかしここまで達するにはやはり、それなりに多くの人との手合わせが必要です。
こわい、難しいコミュニケーションの手合わせを続けるなかで、打たれ強くなり、筋肉もついて、いつしかコミュニケーション強者へとなるのではないかと思っております。