ライ麦畑の向こう側

解体新書と備忘録です。

そとあそびは理系の宝庫 それでも僕は文系の極みへ

小さいとき、基本的に遊ぶのは外だった。
マンションの敷地が広くて、その敷地全部を使った壮大なドロケイをやったのが一番の思い出で。夜にやるから夜ドロって呼んでいたんだけど、文字面だけ見ると夜の泥棒って。もうね、ただの泥棒。


とにかく、あの真っ暗な中で息を潜めて生垣の中に隠れたことや、大声をあげながら走り回っていたのは、すごくビビットに自分の中に残っていて。今もああいうことできるのかな?治安的な意味で。多分できないだろう、モンスターたちのせいで。

当たり前の話だけど外遊びってすごく重要なんだなあ。体を使ってやったことは20数年たっても覚えているもんで、そういうのは多分大人になっても変わらないんだと思う。
すげーうるさかったと思うけど、そういうのを許容して受け入れてもらっていたあの感じ、今考えるととてもありがたい環境だったな。しみじみ。


体を使うというか、五感で遊ぶっていう感じか。
そういう意味で、夜ドロ以外で覚えているものといえば不思議ジュースづくり。
もう、とにかくすっごく臭い汁を作るのだ。それは、マジで臭い。

そこらへんに生えてるありとあらゆる草と、猫のう○ことかバッタとか、メイソンジャーみたいな瓶の中に水と一緒に夢を詰め込んでシェイクする。それはもう、気が狂ったように。
「太陽に当てたらきっと何か変化するよ!」とか言って、発酵させようと一週間ぐらい置いておいた。当時は小学3年生とかだったけど、やっぱり日本人には元から備わっているんだと思うね。発酵の精神は。
その工程が終わったら、それを秘密基地という名ばかりの生垣の中に放っておく。人生はトライアンドエラーだから、それに固執することなく次の遊びを探すのだ。深いよね、子供って。


そのあと、3ヶ月ぐらいしてから公園に落ちてるエ○本(当時は「たからもの」と呼んでいた)を集めまくって、おんなじように秘密基地に隠しにいった時にその不思議ジュースを見つけるのだ。あれーつって当時からの親友K君とそれを引っ張り出してきて、どうしてあの具材でこの色になんの?みたいな不思議ジュースを眺めながら、「とにかく開けてみよう」っていう、大人では到底思いつかないトンデモなことを言い出すのだ。

もうその臭さたるやなんとも言えないわけなんですが、そういう五感を刺激するものって最近あんまりないなーって思うわけ。それがなんだかとてつもなく寂しくて、くだらない大人になってしまったなあと密かにしょんぼりする。
あんだけ理系な遊び方をしていたのに、気がついたらテレビ見て笑っているような奴になってしまった。いかんよ、これは。


この土日は、なんだかそういうことをやけに思い出してしまって。すごくノスタルジーな感じになっていた。
今だってできるんだろうけど、僕の中のモンスターがそれを止めるのだ。



そんなこともあって、とりあえず今年は絶対キャンプファイヤーをやろうと思う。あのパチパチいう火を囲みながら、臭い汁の代わりに酒飲んで昔のことをゆっくり語り合って大笑いしたい。
そうこうしてたらあっという間に30だぜ、困ったなあ。



今週のお題「何して遊んだ?」

バレンタインなんてワクワクしない

中学生の時、やっぱりバレンタインはなんとなくそわそわする日だった。


「明日はチョコあげるからね」なんて誰かに約束されているわけではないんだけど、朝上履きに履き替える時にドキドキ。机に座って、何気ない顔しながら机の中に手を入れてドキドキ。授業の合間の休憩時間に、女子が傍を通るたびにドキドキ。帰りの会が終わって、浮き足立ってる女子を目の端に入れながら友達と騒ぐ、そんな時にもやっぱりドキドキ。好きな子はだいたい休みだったりする。何それ。

結局部活が終わるまで何にもなくて、汗臭いままいつもと変わらない帰り道を歩いて、鶏の臭いがぷんぷんする養鶏所の横を通って幼馴染と別れを告げる。特に変わらない。いつもと同じ帰り道。
家の前について、ああ今日も寒かったなあ、なんて思いながら、いつもは見ないはずのポストがやけに気になる。


あれ?もしかして?ポスト、あれ?もしや、いや、え?嘘でしょ?


それはもうとんでもなくバクバクしながら、ポストを開けてみる。朝日新聞の夕刊が届いていた。あとはピザのチラシ。ああ、もう!

はあ、なんつって玄関を開けると母親が立っている。
「ハッピーバレンタイン」つってドヤ顔でゴディバ
そんな感じ。


結局のところ、灯台下暗しなのだ。
期待しているものなんてものは探さないとダメだなとは思うけど、だいたい与えられるのは頭の中から捨て去っただいたいそんぐらいにやってくる。
ブルゾンちえみじゃないけど、待つの。





何というか、そういうことを考えながら生きているので、だいたいあれやろうと思ったことはすぐ始めてすぐ放っぽることが多い。
灯台下暗しになる。あえて。

自分の潜在意識にしまっておくのだ。それってすごく難しいけど、そうなるとふとしたタイミングで色々といいものが降ってくる。
何の気なしにこのブログを書いているわけだけど、前回から実に約1年ぐらいは経っている。そしたら物凄く書きたくなって、普段はあんまりそうでもないのにバーッと文字がかけるようになる。そういうイメージ。
有望な株を仕込んで放っておくのと似てるかも。実際は超ど短期投資しかできないのだけど。


とまあ、そんな感じで生きているわけなのだが、そういう意味で最近一番気になっていて放っていることというか、やりたいな〜とふつふつと思っているのがtwitterだ。
うそ、いまさら?って思われるかもしれないけど、それこそこれも4年ぐらい放ってみて、意外に使えるかもなって思い直している。いわゆる打診買い(株用語)みたいな。

SNSやってるやつやばいよ、とか言われるから「そうだよね、恥ずかしいよね〜」なんて話し合わせがちなところあったかもしれないけど、正直こんなところにこんなくだらない文章かいている時点でもうダメだと思う。欲望抑えきれてないじゃない。

もうバックキャスティングしまくってるせいで、とにかく何かを書きたい衝動がすごいのだ。言葉で人のことを動かすのって、本当にすごいし。そうなりたい。


だから、別に何のきっかけもないんだけど、もうそろそろこの感情を温めすぎたので始めてみてもいいかなって。始めよう。

よし。寝よう。


本当に内容なくて焦るわ。
はあ、川口春奈かわいい。

 

 

今週のお題「新しく始めたいこと」

或る阿呆の土曜日

きながらにして眠るというのは、ある意味人間の限界を超える
誰しもが憧れる所業ではないかと思う。

僕は、まさにいま、それをやってのけた。
いとも簡単に、布団にくるまってね。




視界から入ってくる情報はあまりにも多すぎて、何度も何度も目を瞑ると
今度はやかましい貶めの声が聞こえて来るのだ。
これは誰だろう?なんて思っている間に、僕の口は「勝たなきゃ」と
口癖のようにつぶやき始めている。

勝つってなんだろう?誰と争っているんだ?
「ここだけは負けらんねえ…!」と、太陽に向かって吠える訳だけど、
負けていい場面なんて本当にあるのだろうか?負けていい日はあるのか?


一番幸せなのは、何にもない土曜日に
ただただ太陽が落ちていくことを眺めながらテレビをつけ放して、
何が流れてこようと聞こえてこようと、布団にくるまってチョコを齧ることだ。
それが勝ちであって、負けであって、起きながらにして眠ることだ。
そういうものじゃないのかな、とふと思ってみる。




「毎日が、こんな風であればいいのに」と名探偵コナンに。
「どうだか、仕事があるしね」と、わけ知り顔で僕が。




僕が働かなきゃならないかな、と仕事を意識し始めたのは高校生のときで、
そのときの僕は美容師になりたいと思っていた。
なんでだろう、と思い返すのだけど、尤もらしい理由なんてほとんどなくて、
ただただ中学校の野球部5厘時代から反動のように蓄えてきた髪の毛を愛おしみ、
髪の毛いじることが毎日の楽しみみたいになっていたからだ。

「好きなことを仕事にするのがいいじゃん。最高じゃん」
そういう感じ。とてもストレートで我ながら気持ちよくて愛している。


結局、「髪の毛で世界を幸せにしたいんだ!」という僕の言葉の奥底に、
オラ、大学受験したくねえんだ!)という孫悟空よろしく横たわる
イノセンスの塊を兄貴に見透かされていて。
真冬にバイクで連れ出されて、久しぶりに兄貴の背中を感じながら諭されるという、
一つ屋根の下のサボテンの花が流れるようなドラマを経験してから、僕の考えは
すっかり「大学いって、幸せになるんだ!」と変わってしまっていた。


大学にいっても結局何をするわけでもなく、俺が世界を変える!という
勘違いも甚だしい野望に燃えて就職活動に望むわけで。
一般的に言われる華やかな業界に入って、したり顔で仕事をしてきた。

そんでもって、晴れて全く別業界の今の仕事に転職をしてきたのだ。
同じように、俺が世界を変えてやる、とニヤニヤしながら。







ここまで書いていて笑ったのだけど、おそらく僕は勘違いで全ての
物事を決めていて、それが正しいと完全に信じ切ってここまで進んできていた。

しかも、幸運なことにそれが全て思った通りに進んできていて、
驚くかな最高の道筋を辿ってきているのだ。

これは多分これからも同じように進んでいくわけなのだけど、変わらずに前を見て、
「絶対これだわ、間違いない。これしかありえないからやってやろう」と、
虎視眈々と世界を目に見据えているのだ。


だから、なんで転職したの?って聞かれると、
「胸をはれる仕事がしたいから」と小学5年生の百点満点の返答をしている。

難しいことはよく分からない、けど、出来ると口に出せばなんでも出来る。







つい最近、ある本を読んでいてすっかり忘れていた習慣を思い出した。
僕が常々嫌いと言っている、いわゆる本の読み方に関する本みたいな類だけど、
その本に関しては割りかし読んで悪くなかったな、と思える本だった。

自己啓発書を読んでベンツを買った話

自己啓発書を読んでベンツを買った話

 

タイトル見て「まじかよ」と思い、内容よんで「まじかよ」と思った。
ネタバレするから(別に気にしないからいいだろうけど)言わないけど、
なんでも文字にしろ、向き合え、というものが大体の内容で。


ああ、そういえばずっと僕は言葉にしていたし文字に書いていたな、と
昔の性格を思い出して、すぐさま手帳に20代の目標を書きくだしたのだ。


言葉に向き合えば、自ずから道が見えてくる。
孫さんとか三木谷さんみたいな偉人ではないから重みはないけど、
そうやって僕は勘違いを実現させてきたのだ。


だから、世界を変えてやる、といまの仕事を選んだ僕としては
やっぱりニヤニヤしながら着々とその準備をしているのだ。











さて、そんな僕が手帳に一番最初に書いた目標はというと、



「マイルでニューヨークに行く」だ。



ああ、目標を叶えるのはなんて楽しいんだろう!






今週のお題「今の仕事を選んだ理由」、おしまい。