ねむいつらいかえりたい

もうただの日記

そばにいたいよ君のためにできることが

8月末から、covid-19に罹患し10日間ホテルに隔離されていた。
2日後に海外出張を控え、準備万端のところに。

貴重なわたしのひと夏がベッドの上で終わってしまった。
自分がそうなる前は、巷で言われるホテル療養とか自宅隔離とか、もうやりたいことやれる最高の10日間でしかないと思ってた。
でも無理だった。普通にしんどすぎて。普通に症状が全部出て。
ここ5年、風邪の一つもひいたことがない、けっこう健康だった私の夏の思い出。

1日目
朝起きたら喉が痛かった。クーラーのせいかな…と思うレベル。
しかしあまりに痛すぎたため、一抹の不安を覚え、家にあった抗原検査キットを試してみるが、ひと思いに棒を鼻に突っ込む勇気がなくinvalid判定。家庭内隔離へ。
夜になると、頭が割れるほど痛くなった。偏頭痛と違って、なんかもう顔全部が痛いレベル。下半身の関節もなんか痛くなってきた気がする。
寝なければいけないが寝れず、2時間おきに目が覚め悪夢を見続ける。

2日目
なぜか喉の痛みはすっかり治り、頭痛と咳と熱へシフト。
リスクを感じたので会社に連絡し、検査受けます(^_-)-☆と告げて休みにする。
感情は一切ないが便利な薬を簡単に出してくれる近くのかかりつけの医者に行き抗原検査で陽性確定。
疑いのある患者は個別治療室に移動させられる。恐怖!"ワクチン打ってないです、一回も。"って言うおっさんの横で受ける抗原検査。
車の中でクーラーはつけず窓を開けながら、自分はいったいどこで感染したのか考え続けた。
その週は毎日出社していて、やったことといえば、サシランチ、すし詰め会議、レイトショーの映画、通勤。
周囲に陽性者は出まくってるものの、近しい同僚は一切感染しておらず、同じ部屋にいて自分だけ感染したとも考えづらい。
それ以外は、ああ…デパ地下だ…。出張のおみやげを探し求め1時間強ひらすら歩き回った…。デパ地下、一番感染する確率が高そうだ。
マスク手洗い最優先で飲み会は一切参加してない(単に嫌いだから)私ですら罹ったのに、この町を歩く人はかかってないのかよ…自由に歩けるのかよ、みんなかかってないなんてすごすぎる。

カロナールを飲むと頭痛と熱が途端にひき、普通に動けるようになったので、昼から会社への諸々の連絡と引きつぎをする。それと同時にホテル療養する方法を調べる。
大阪では、若齢者のホテル療養や支援物資の要請は自分で動く必要があり、自宅待機緊急SOSという番号に電話してみることにした。
私はぜんそく持ちで、家庭内に高齢者がいる旨を伝えると、そこから2時間くらいで府の担当者から折り返しがあり、すぐに翌日のホテル療養が決まった。
夕方ごろタクシー会社から迎えの時間を告げる電話。

もうね、普通に保健所対応が早くて驚いたし、電話は丁寧すぎて恐縮したし、正直こんな丁寧にやってたらそれは自治体はパンクするだろうと思った。
もっと適当になろうや日本。そんな一から百まで全部説明しなくてもぶっきらぼうな電話でいいよ。
2日目は終日37.5-8.0の熱がひかず、本当に寝られなかった。

3日目
ホテルへ行く用意はすぐにできた。なぜなら私は陽性になる直前まで海外に行けると信じて疑ってなかったから…。
スーツケースはそのままで、服はパジャマに取り換え、療養のしおりにあるタオルやシャンプーリンス、ドライヤーなどを追加していく。
正直意識がもうろうとしてたし、家族と鉢合わせるわけにもいかなかったので、何が必要か、何が食べたいか考える余裕がなかった。

3日目の症状は、咳に加え鼻水がひどくなってきて、さらに背中と肺が痛くなっていた。ウイルスが肺に降臨した感があった。
午前中にお迎えが来てホテルへナドナされる。こんな辺境の地に、自分1人のために、ハイグレードのアルファードでお迎えに来てもらう機会はもう霊柩車に乗るまでないだろう。

到着したホテルの受付はビニールで覆われ、微妙なクオリティのマイクとスピーカー越しに手続きの説明をされる。
いやもうそんな丁寧にしてくれなくていいよほんま。しおり読んでろクソボケの一言でいいよ、紙もいらんよ。
部屋に戻ると看護師さんから電話があり、体調と薬の確認、まだ発行されていなかったハーシスIDを確認して教えてもらい無事登録が完了。
このサイトを介し1日2回自分の体温と酸素濃度を記入する。
そして実に3日ぶりのシャワー!!!アメニティもタオルもドライヤーもないけど、でもそんなことアフリカを経験した私には何でもないのよ。お湯が出るだけで世界に感謝。
だんだん咳と鼻水がひどくなり朦朧としてきたが、航空券のキャンセル手数料を無料にしてもらうために航空会社のSMSサービスでやりとりし、ハーシスから出した療養証明のスクショを送る。
ものの1時間で返信があり、キャンセル料も無料になり本当にありがたかった。エアライン最高。
夜ご飯は6時ごろ。普通にバランスよく野菜も豆も肉もある食事に感謝。正直私は大してご飯に興味がなかったので、食べられれば何でもよかった。
この日も夜からさらに鼻水と咳がひどくなり2時間で起きてしまった。
寝れないのでひたすら金カム3期を見ていた。

4日目
5時半まで暴落中の米国市場とSATC続編のAJLTを眺め続けていたが、ついに咳に疲れ果てて2時間ほど寝る。
朝7時の検温で8.5度。ワーーオ。なぜこのタイミングで経験値上昇?また頭痛が復活したのでロキソニンプレミアムに手を出しまた寝る。
ところが11時に起きると驚くほど鼻水がない。え?3時間まであんなに鼻水でパンパンだった鼻が通るようになってる!?奇跡だった、私の強靭な身体の抗体に感謝。熱も5.8度と平熱になった。
かなりクリアな身体になってきた喜びを噛み締めるが、エレベーターで下に行っただけなのに脳貧血のような吐き気に襲われ元に戻らない。
4日目は貧血のターンだった。それからずっと寝る。

5日目
熱が下がり切らず36.5-7.5度を行き来するが咳と鼻はだいぶ改善。
と同時に、何食べても異常に塩辛いだけで味がしない。今思うと鼻づまりのせいだといいけど、このあたりから本当に完全に良くなる日が来るのか悲観的になってくる。

6日目
在宅勤務を開始し、ひたすら打ち合わせを傍聴。
ホテル療養に不満はないものの、私は普段からホワイトモカを愛飲し、週5でドーナツやケーキを食べる砂糖依存症なので、一切甘いものがない生活にイライラしはじめる。
お弁当に文句はないが、私がかなり嫌いな部類の焼き魚が出てくることが多く、生臭さに耐えきれなくなってくる。
プリンとかクッキーとか菓子パンを持ってこなかった、いやそんな頭がなかった自分を心から恨んだね。

7日目
完全に解熱。在宅勤務。
でもまだ蓄膿みたいな鼻づまりとそれによる頭の重さが治らない。風邪っぽいな~と感じるあの感じ。
味覚は、苦い・辛い・甘いの判定はできるけど味はせず、ったく、コロナぽくなってきやがったぜ…。

8日目
前日夜9時から爆睡したのに起きたらひどい貧血だった。後で気づいたけど、吐き気と貧血は処方されたトランサミンの副作用だった気がする。
鼻づまりと咳はあまり改善せず、ひたすら在宅勤務。
あとUNEXT独占配信のシリコンバレーを一気見。

9日目
痰がつまるのでおっさんのような咳払いをしないとしゃべれない。それ以外はかなり普通に戻ってきた。
ひたすらホワイトモカとオールドファッションハニーとチョコミントと犬のことを考えて過ごす…。
毛のある動物が恋しく、ずっとYouTubeで犬動画を見ていた。
自分の人生で、外に出たり人と交流することよりも、甘いものと犬と暮らすことのほうが重要度が高いなということがわかってきた。
旅に出ると、自分から色々なものがそぎ落とされて本質が見えてきますよね。

10日目
最終日なのに、まったくホテル療養をエンジョイできていなかったことに気づき、巻きなおしを図る。
仕事関係の本をすごいスピードで読み、なんとなく作業をやった気になり、よく寝る。

出所日
朝、保健所からの電話でもう熱ないから出ていいよという許可と、出所時間の連絡があった。
どうでもいいけど"出所"の枕詞は"お勤めご苦労様です"ですよね。
ありがたいことに母に迎えに来てもらうことができ、即スタバでホワイトモカベンティを頼んだ。
10日ぶりに外に出ても、正直大して感慨はなく、本当に私は外に出なくても日の光浴びなくても生きていけるんだなということを思い知った。
ただ夏は終わった感じがあって、8月より柔らかくなった日光を浴びながら、なんとなくふがいなくなる。
カメラロールには、スクショ以外何もない。

まあ、一生のうちそんな夏もあるよな、と思いながら、8月と相性が悪い自分の体をもう少し労わろうと思った。
ワクチン接種から5か月目で感染したのでそれも関係あるかもしれないけど、とにかく睡眠不足で免疫が落ちてた気がするので、毎日6.5-7時間は寝ようと思う。

世間はもうコロナなんかない顔してるけど、いまだにどこで感染するかわからないし、2週間経ってだいぶマイルドになってきたものの、咳、痰つまりは治ってません。
皆さんもご自愛ください。

 

5月から6月のこと

思考のトレーニングどころか存在を忘れられるこのブログ。いつもその都度ツイッターに垂れ流してるからすぐに頭空っぽになってしまう。

過去のことですが駆け抜けた5月から6月について振り返ろうと思う。もう世間は8月なのに…。

GW後、実は社の留学選考試験みたいなのを受けて、時節柄人数が少ないためほぼお情けで受かり、受かったからにはマジでやらんとやばいなあと思いつつ、焦燥感だけで一歩も進まず。
で、東京に行ったのでついでにリニューアルした国立西洋美術館とか国立博物館とか国立近代美術館とか行ったりしたりして全力で楽しんでしまった。
念願の上村松園の焔、クラーナハゲッセマネハンマースホイ、その他三岸幸太郎とか小倉遊亀とかもう見たもの全部よかった。
銀座の三笠会館で一人でディナーしたら、店員さんも雰囲気も他のお客さんも穏やかで優しくいい時間が流れてた。

東京に行くたびに思うけど、東京に住む人たちはその大半が東京生まれ東京育ちでもないくせに、東京に住んでる人みたいな顔してるのがうすら寒いなと思う。地方からはるばるのこのこ住み着いてるくせに澄ました顔で迷わず電車に乗ってる様とか本当に嫌いだ。
でもこんな街に住んでたら自分たちが中心だと思うのも仕方ないだろうな。
無駄に品が良くて穏やかで調子乗ってていらつくぜ…。

で、そうこうして翌週には数週間エチオピアへ。落差やばすぎる。
それはまた違う記事で書きたい。死んだ顔して生きてたここ2年で最大に楽しかったイベントなので(仕事だけど)

6月中旬に帰ってきて、6月末にイベントがあったのでしばらくその準備が忙しく残業をしており、そう忙しかったから英語の勉強ができてないのも仕方ないわけだが、本当に一瞬で過ぎ去った2か月だった。
その間、出張で京都に泊まったので、夜に三条のあたりをひたすら一人で数キロ歩くやつもやった。京都に来るたびに大学時代の亡霊に敬礼するのがやめられない。10年経っても。
過去に毎日通ってた道を、違う人になった自分が10年後にまた歩くのは、本当に不思議な感じがする。

こうして振り返って思ったけど、めっちゃ楽しそうやな私のライフ…。別にそんなに楽しいことないと思ってたのに。
自意識は高いが、いや高いが故に自己肯定感は雨の日のツバメの飛行並みに低く、日々存在意義を見失ってるが、身体はもちろん、精神が健康で、週1回飲むホワイトモカがおいしいならもうそれでいいと思うよ本当に。
年取って図太くなった神経はたいていのことでは擦り切れない。

来迎 たいせつな人との別れのために@中之島香雪美術館

やたら天井が高いオフィスビルのなかに、ひっそりと、しかし異様な落ち着きと堂々たる風格を示す中之島香雪美術館。

通常いつもガラガラ(失礼)なのだが、私が行ったときは結構人が入っていた。
今回の展覧会のキャッチコピー「たいせつな人との別れのために」そしてキャプションにつけられた「死後、人はどこに行くのだろうか?」という文章がとてもいい。
こんな時代だし。
優しげなポスターも目をひいて、よくわからんけど観に行くかという気持ちになった。

まずもって仏画に理解の乏しい私なので、「来迎図」とか「浄土図」というジャンルを初めて知った。

なるほど円陣来迎図…菩薩のまわりをいろんな菩薩が囲んで天から降りてくる様子は…いや、これ…かぐや姫の物語の天上人と宝石の国の月人のモデルですよね…?そうか、これが元ネタだったのか。

この来迎図には、もちろん阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩、それと周りで楽器を演奏しまくる二十五菩薩がメインで描かれているパターンが多いものの、様式は多様で、中には、菩薩を見て鬼が逃げる様とか、家のなかで臨終者とそれを悲しむ家族が描かれていたりと、人の生活に密着した絵だったことがわかる。

平等院鳳凰堂の扉にも描かれてる九品来迎図によると、現世での暮らしぶりによる極楽ランキングであるところの九品次第で、来迎パターンにも差があるらしく、最上位ではフルメンバーで来てくれるけど、最下位ではもはや誰も来てくれないらしい…うろ覚えですが…。極楽浄土も楽じゃないな…。

今回は、香雪美術館所蔵で修復直後の「帰来迎図」も展示されていた。通常、来迎図は阿弥陀如来が天から降りてくるのが主要な描き方だけど、臨終者とともに天へ昇っていく後ろ姿を描いた珍しいタイプの来迎図らしい。臨終者がちょこんと蓮台の上に載ってるのがかわいかったですね。

普段見る機会がない来迎図というジャンルを知ることができて、やっぱり仏画の世界は深いなと思いました(浅いコメント)

美術作品を見るのに仏教そのものをもっと勉強しないとな…と思ってるけど今のところ如来と菩薩しか区別がつかない。

あと、香雪美術館…色々ありそうだけどキュレーションも受付や学芸員さんたちもとてもいい感じなので、経営陣はともかく頑張ってほしいといつもひっそり思ってるよ…。

ミニマル/コンセプチュアル ドロテ&コンラート・フィッシャーと 1960-70年代美術@兵庫県立美術館

兵庫県立美術館に行ってきました。ドイツのフィッシャー夫婦のギャラリーとそれをめぐる膨大な資料と作家とのやりとりと作品群。
結論から言うと、作品も見せ方もめちゃくちゃ良かった。
"ぶっちゃけ普通にわかりにくいけど、徹底解説します!"という見せる側の心意気が表れてたように思う。

私自身ドイツとミニマルミュージックは好きだけどミニマルアートという単語にはいまいちピンとこず、様式の前情報なしに作品を見た。
"ミニマルアートとは形態、色彩を最小限に単純化し、今ここにある単なる物体を対象にするスタイル"。うん…無味乾燥って感じか。

と思い作家を見ると、カール・アンドレ、ソル・ルウィット、ダン・フレイヴィンなど。あーグッゲンハイムとかMoMAでみたやつだ。現代アートのあれだ。
と若干冷めた目で見てたけど、見れば見るほどなぜかしっくりくるものがあった。

数字や記号や物体の規則的な並びはとても落ち着く。それに執着するこだわりを私も理解できるからだ。

また、このジャンルの場合、展示施設とアーティストの関係性がいかに重要か知ることができてそれも面白かった。

人間の生活は往々にして単調で美しくなくつまらないけど、今回の展示を見て、数字、材質、距離、あらゆる概念がアートになり得ることに不思議な勇気をもらった。
私は全然何の創作もせずミニマルライフを日々繰り返してるだけだけど、何かふとしたきっかけで物の見え方が変わる瞬間をもっと大事にしたいと思った。

そもそもミニマルアートっていうのは、こういった感情的表現を排除する、理性による理性のための表現なんだろうけど、逆にそこに落ち着きを覚えるし、人間的だと思う。
これは私がミニマルミュージックが好きな理由でもあるけど。

こういう人にはわかりえないこだわりを持ち続けていつかそれが評価される日が来たらいいよね。

以下、記憶に残った作品を羅列。

河原温
Todayシリーズは単品で見たことがあって、ふーん程度にしか思ってなかったが、今回ニューヨークの絵葉書に毎日自分の起床時間をタイプしてフィッシャー夫妻に送り続けたI Got Upシリーズが上から吊り下げられ何百枚も展示されていて、、
継続性の美しさを見たというか、時間の記録だけで生命の痕跡を感じることができるんだと思った。
全く話は変わるけど、今年どこかの漫画家にTwitterのDMで毎日の勉強時間をひたすら送り続けた受験生がいたという話を思い出して、もうそれこそデジタルミニマルアートなのではと思った。

・スタンリー・ブラウン
道路に敷いた白紙の上を通行人に歩かせてその軌跡を作品にしたり、自分の歩いた芝生だけの写真を撮ったり、歩くことと距離に異常な執着を燃やしている謎のオランダのアーティストらしい。
私は道も好きなので彼の好きなものにすごく共感できて興味深く見れた。

・ハンネ・ダルボーフェン
正直理解できない数式が羅列している。何が違うのか結論は何なのか見るものには伝わってこない。しかしそれは彼女にとって命に等しい規則性なんだと思う。
昔からよくネットにいる、何かを必死に妄信してる人がツイートしてる手書きのよくわからない数式とか、もう時代変わってこれもミニマルアートやろ…。

・ベッヒャー夫妻
グリッド配置された産業構造物の写真シリーズが最高だった。給水塔とか溶鉱炉とか、ちょっと角度変えたりして見える姿が変わっていくのがかわいくてたまらない。大好きすぎてこれは写真集を買う勢い。
このベッヒャー夫妻のフォロワーがグルスキーとかトーマス・ルフらしい。なるほど。

・ギルバート&ジョージ
まだ現役の2人。過激なおじいちゃんだと思ってたら原点はこういう活動だったのか…。若い頃はまるでクラフトワークみたいなビジュアルの面白い作品が多々あって、しかも作品数とフィッシャー夫妻にあてた手紙の数も多くて見ごたえがあった。
日本でも個別の美術展やってほしいな。

余談だけど、兵庫県立美術館に久しぶりに行ったら撮影会?か何かなのか、よくわからん女の子と、事務的な会話しかしてもらえていない男性カメラマンたちのドライな関係性を目の当たりにし、これは何なんだと思ってしまった…。
いや場所代はタダだし公共施設だから迷惑かからなければ自由に使えばいいんだけど、彼らの関係性に料金は発生してるんでしょうか…。女性は単なる被写体なんでしょうか…。

まあそれはそれとして、今回初めて隣のJICA関西の食堂でパラグアイ料理も食べてきた。週替わりで各国の郷土料理が食べられたり、ハラール認定のランチがあったり、前から気になっていたので。
パラグアイ料理は…うーん、肉団子!

2022年GW総括

GWマジで何もしてない… いやそんなことないよ自分なりにちゃんと色々やったよと自分で自分を納得させるための箇条書き。
ついでに可愛い写真も載せておこう。そして最後に毒を吐こう。

・家BBQ
・家の掃除
・親戚のお世話
・中華料理を食べにいく
・アウトレットに買い物
・在宅勤務
神戸空港送迎
・図書館で勉強
・部屋の模様替え
・衣替え、めっちゃ洗濯
・家の掃除PART2
伊丹空港送迎
渡航前ワクチン接種
・昔付き合ってた人に会う

一番重要な英語の勉強がここに入ってないということはよほどやってないんだと思われる。
マジで私はクソ。継続力、集中力、カケラも見えない。

そして最終日の最後が蛇足だった。 友人に唆され勢いでランチしてみた結果がこれ。
なんか昔からもやもやしてたので、最後に謝ってみたら、今更そんなこと忘れとったわと言われて、あーそうかそりゃそうだよなと納得してしまった。
それと同時に自分の馬鹿さ加減を思い知った。 ほんと今更だよ何を言いたかったんだよ。 復縁したかったのだろうか?もはや自分でもわからない。
数年ぶりの彼は、変わらずよく喋りよく食べよく金を使い、私とはさらに正反対な感じになってた。
そのがつがつした消費欲を少し分けてもらいたかった。

さらに、なんとなく深夜にFacebookメッセンジャー見てたら、まだFacebookが活発だった頃のやりとりが見つかり、もう何年も前に、昔の同級生から会おうよ!みたいなメッセを私がひたすら無視してた痕跡を見つけてしまった。
それに目を伏せながら、私はこういうふうに、人の好意や優しさを踏み躙って生きてきたんだなと悟った。
異性に好意を向けられると途端に気持ち悪くなってしまう性格が悪いとは思わないけど、そういうふうにしか生きられない私に、これからやってくる寂しさや今回みたいな後悔は来たるべくしてやってくるのだと思う。
どうしたらこの気持ちと折り合いをつけて生きていけるのか。

いやそんなことわざわざGWに考えなくてもよかったやん??
ワクチンの副作用かマイナス思考のせいか五月病のせいか、やたら体調が悪い。
なのに5月ラストへのカウントダウンが始まった。
こんな気持ちに囚われて生きていけないんだよ、私の時間は一人でも有限だから。

車はあくまでも

4月中旬に、<strong>私の新車</strong>が納車された。夢にまでみた青い車だ。
本当はVWのGOLFかTiguan、VOLVOのV40か60が良かったけど、整備工場やパーツの普及具合とか何かあったときのフォローと車体の質実剛健さを求めた結果、国産車、しかもオタク大好きSUBARUになってしまった。
というのは言い訳で、あのボディカラーにひかれたのが購入理由の8割かもしれないけど。

この時代になぜ車を買うのか、みんなに首を傾げられる。もっともな意見だと思う。
でも、自分で行きたいところに行けることの、本当の楽しさをみんなは知らない。

わたしは車で育ったと思う。
両親はともに車人間で、車がないと生活できない住環境にもあって、私は子供の頃からほぼ公共交通機関に乗ったことがなかった。

市街地に行くのも田舎に行くのも全部車、定期的に片道6時間かけて車で田舎に遠出したりしてたので、電車やバスの窮屈さや、乗り換えの不便さに今も耐えられずいる。

徒歩圏内にコンビニも駅もないような郊外に住んでる人はみんなそうだと思うけど、つまり私にとって、どこかに行くには車がないといけなかったので、必ず親の許可が必要だった。
いや、正式には自分の気持ち次第で全然家からは出られたはずだけど、私は外に出る勇気がない子供だった。

この閉鎖的なクソシケタウンを抜けて自由にどこかへ行くことは、親とこの町と自分で自分にかけた呪縛から逃れることに等しく、別に学生時代に外出を制限されてたわけでもないのに私は勝手に自分の呪縛に縛られていたんだと思う。

だから、免許取り立てで初めてこの町を運転してまわったとき言いようのない高揚感があった。
その高揚感が30歳も過ぎた今もまだ続いていてこの高い買い物の理由になったと思うとまたいつもの衝動的な良くない癖だ。

それでも、親の運転で通り慣れた道を、阪神高速中国道を抜けて昔住んでた家まで一人で運転したとき、初めて大人になったなと思った。
カーナビの目的地を無視して、続く道ならどこまでも運転して行けると思ったとき、言いようのない楽しさを知ってしまった。

そしてその感情は今も続いてる。
映画レディバードのラストシーンで、主人公が地元サクラメントの街中を初めて運転したときのことを思い出しながら想いが通じない母親に語りかけるシーンがあるけど、わたしはあそこで号泣できる。
いつもの幹線道路を走るとき、沿道の木に透ける陽の光が綺麗だったとき、まさにあの気持ちだった。
あと、最近出たつづ井さんの新刊で、実家に戻ったつづ井さんが夜にドライブする話も泣けた。

楽しいだけじゃなく、破滅とか快楽とか郷愁とか悲壮感とか全部ひっくるめたぐちゃぐちゃな感情に浸りながら、最終的になぜかスッキリできる最上の行為はドライブ以外無いと思ってる。爆音で音楽を聴きながら運転するのは、私にとって旅行の次くらいに楽しい。

とはいえ、ただ車に乗るだけなら誰かの車でもカーシェアでもレンタカーでもいいのにやっぱり自分のものにしたかった。
最近思うけど、私は所有欲がすごいタイプですね…。これが人に向かなくて俗物的でよかった。

ただ、免許取った当初は運転スキルが壊滅的すぎて、自分でどこか行こうなんて微塵も思わなかったので、私にとって車を運転することが自由だと感じるようになれたのは本当に運転せざるを得ない職場で鍛えてもらったおかげです。
上司、先輩各位に"死“が脳裏をよぎる恐怖体験を複数回プレゼンしてしまいすいませんでした!

これからも縁石や柵にはぶつかってもとにかく人だけは傷つけず車間をとって頑張りたいと思います。
ガソリン代とか税金とか保険代とか、正直もう欲しい気持ちには勝てないからどうでもいい。
とりあえず初めての愛車で行けるとこまでどこまでも行くよ私は。

Don’t make any excuses

また更新が開いてしまった。というか存在を忘れていた。

直近の悩みは、ずばり自分の英語の勉強のできなさと時間管理の甘さです。
というのも、(上司の圧に負けて)インハウス英語試験的なものを受けることになってしまい、1ヶ月で100時間以上勉強する必要があるのだが、事実上在宅がなくなってしまい毎日出勤してるため、思うように時間が取れない結果、睡眠時間が削られ気力も体力もなくなっている。
もう座りながらいつのまにか気を失ってる最近、高校生。

絶対この時間までに帰るぞ!!目標から10分、15分と過ぎていき、結果1時間くらい無駄に残業している。
締め切りに追われてないほうの、急がないけど重要な仕事の調べ物も空いた時間にやらないといけないので、もっと勤務時間中にフル稼働できればいいんだけど、最近毎日やらかしている。
というか、やらかしを恐れ上司に萎縮して無駄な時間を過ごしてる。
出来杉後輩にはさらに平身低頭しながら萎縮してる。私ができないこと全部できる。あのhe/sheは。

あーー去年の夏から全く現状が変わってない。全く良くなってない私の頭と段取りの悪さ。
そもそもこんなオンライン英会話で講師にキレられる英語力で留学できるわけない。
なんて大それた夢を抱いてしまったんでしょう。
しかも日に日に悪化していくロシアをめぐる欧州の現状とインフレと円安。どうやって希望を抱けばいいんでしょう。

…いやいやどうした、なにこのネガティヴ思考のオンパレードは…。
うだうだ言ってても、そもそもあんたはろくに勉強してないので、まだなにも始まってないんですよ!

とはいえ、4月にちゃんと動いたことが1つある。
これまで見ないふりしてた、それでよく卒業できたな大学のGPA低すぎ問題にちゃんと向き合おうと、米国の学力審査NPOみたいなところに登録して、大学にもお願いして英文成績表を送った。
えらい、えらすぎる。もう大学にメールをしてさらに郵送をするというめんどくささを乗り越えただけで百万点だ。
正直これでGPA上がるか変わらないかはわからないので完全な賭けなんだけど、いや上がるかも…やっぱり上がるんじゃないかなあ!?

5月はマジで勝負かけよう。本気出す。もう弱気にならない。
大丈夫、市場がナイアガラでもわたしは全力ブル相場です!もうブロードアピールになる。前に届くか!届くか!届くか!届くか!届いた!届いた!

とはいえ、その試験の結果はもうどうでもいいんです…天才と秀才には敵わないので…。
とにかく今の私に必要なのは内省chin upとbe confidentなんです多分。