他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

区別between

ぼんやり本を読んだのか、読んでないのか分からないまま一日が終わった。読んでうきうき、めくってわくわくという本をしばらく読んでないので、何と言えば良いのか、心のオツユが足りない感じがしている。私の選球が下手くそなだけだろうが、めんどくさいので、古本屋ネットで、書店では普通に手に入らなくなっている本をどかっとまとめ買いしてもいいような気がしてきた。火傷は、あんまり気にならないくらいまで回復した。こういう時は自分の体力に感謝したくなる。気力に感謝する時は一生来ないかもしれない。アダルトグッズの紙カタログを見たが、なんというか、こう、何と言えばいいのだろうな。実店舗で見られるのを知っているからか何なのか、ただの羅列に見えた。パイナップルを切り、少し食べて残りはアイスにするために冷凍した。手がまだ甘ったるい匂いがする。

明滅

形は変われど、ずっと雨が降っていた。今は止んでいるかもしれないけれど、等間隔で物音がするのでまだ降っているのだろう。不意に熱湯がかかってしまい、利き手を火傷した。赤いまだらになって、大したことなく終わる火傷が今までのほとんどだったのだが、今日はかなり本格的なやつをやってしまい、冷水で冷やさないとじんじん響いてきた。面積自体は体表の1%にも満たないはずで、それでこんなに意識に介入してくるということは、原爆で全身に負った火傷、火傷、大火傷はどれほどのものだったのかと、広島で育った者としてつい考えてしまった。些細なミスではなく、対人、明確な敵意のもののもたらした火傷について。

チャリ沈没

開高健のまだ読んでない本はないかと本屋を探して、中公文庫の棚に二冊あった。片方は版面がお粗末で最低だったので買わなかった。今思い出してもひどい。字はでかいし版面は小さいしフォントは品がよくない。本屋をうろうろして、棚を見ても目が滑る。結局、知っている作家か聞いたことのある名前にしか目が留まらないので、可能性の暗渠に落ち込んでいる。前に買った初等読み物さえまともに読んでいないが、また中国語の初等テキスト? みたいなものを買った。最初に買ったのは短文で、暗唱できそうなものばかりだったが、今日のはほどほどに量があり、そして相変わらず何が書いてあるのかは分からない。悪いのは私だ。日中中日翻訳を扱ったテキストもあったが、姿勢はよいものの、内容に「ねっちり」したところがなく買わなかった。語学の中級テキストにはねちっこい細かさと熱意が欠かせないものだと思っているのだが、そういうのを備えた本はまだ見つけていない。そもそも、私が「行きたいところ」を特に持っていないのが一番の問題なのである。行きたい場所がないのに自転車にまたがっても仕方がない。仕方がないのだ。私はこの問題で一生苦しむだろう。

揺曳

パッとしない天気だったが、結局雨は降らなかったのではないか。私が外をうろうろしている時は降らなかった。一昨日までの気温と比べて妙に寒いので、春がまた、自らを忘れてしまったようでもある。天気の悪さがずどんと頭に来て、寝起きが恐ろしく悪かった。一日中、正体がなくぼんやりと眠いのはそのせいだと思う。電車で移動している最中の、目の端に映るような、切れ切れで曖昧、具体性のない、車内の風景が脳内でちらちらしている。どこでもない、この世のいずれでもないコマが。髪が伸びて量が増えたので、頭頂部のあたりが、自然なのか寝癖なのか分からなくなってきた。鼻血は治まったかもしれない。

広がる紋

特に書くことが思いつかないので困った。空気が乾いているのか、私の皮膚ないし血管が薄くなったのか、鼻血が出るし、それが固まって鼻腔が獣道になるし、参った。驚くべきことに、しばらくまともな飯を食っていないので、栄養状態の劣化がそういう形で表れてきた可能性はある。未読のSMSがあった。眠かったはずだが、分からなくなってきた。

物支えるに痛し

渋谷を用あって歩いたが、人が多いし、外国人が本当に増えた。外貨レートを見ていると、そりゃあ安いから来るわなと思う。新しい本が足りないというか、物理的に、かつ精神的に足りないので、本屋に行きたい。経済的には、まあしばらくは死なないだろう見通しが立ったため、土が干割れないくらいにはおしめりを与えていきたい。乾燥しているのか、鼻血鼻くそが多かった。むずむずする。

想像上のキッス

昨日は書くのを忘れていたが、何で忘れていたのかというと、家に帰るのが遅くなったため、諸々を済ませて布団に入ると、日が変わっていたからであった。今日は思い出し、ついでに日が変わる前に家に帰ってきたので書けていると、そういうわけだ。日曜日まで用事があるので、たまにはこういう玉突き事故も起きてしまうのであるな。まだマスクをしているんですねと言われ、まあそれはそうだが、いつまでマスクをするのだろうか。いらないリスクは負いたくないとの思いでしているが、コロナがall is overと宣言される日が、果たして来るのだろうか。小人の身にはさっぱり分からない。

見る前から倒れている

レイアウトが変わっていて戸惑った。身体が、「いつもの」「あそこ」という動き方をするので、少し変わるだけでもつんのめる。ガラケーは鍵を見なくても文字が打てるが、それに似ている。似てるか? 夜なのだが暑くて、パジャマは衣替えしてもいいかもしれないと思ったものの、あの、あれだ、名前を忘れた、ともかく、厚めとぺらいのと2パターンしかないので、グラデーションに欠ける。服はもうちょっと持っていてもいいのかもしれないが、だり〜〜〜めんどくせ〜〜〜という気持ちを乗り越えることができていない。私の内面世界にはもっと世間が具体的に存在しなければならないのだが、荒涼とした透明のぐずぐずがあるばかりで、ぽかんとして、誰も通らない道のかかしみたいになっている。芽が出まくって化け物のような見た目になったじゃがいもを、全部あれこれして、圧力鍋で香草煮にした。火を通せば何とかなるのか。

パーケシュース

私の思考の傾向は連想ゲームであり、飛び石であり、分析とか研究とかその手のものではない。桃と一緒だ。すぐ傷むので、さっさと次に行ってしまうという意味である。相変わらずめたくそに眠いのは眠いのだが、眠気の色が変わったと感じる。暖色系になった。それで楽になるわけではないのだが。眠いし首が痛い。

ノーフォーク

あんまり記憶がない。牛乳パックと食品トレーがすごい量溜まってきたので、そろそろ回収ボックスに放り込む日が必要だ。今週末は、なぜか予定がある。いっぱいある。たまにはそういうこともある。資源ゴミと燃えるゴミと不燃ゴミと資源ゴミを捨てる日が一週間のうちにある、そんな感じで。古い本を預かったが、持ち主の言っていた通り、かっこいいというか、上品な版面である。見た目のよい本というのは、余白が多い。天地小口ノドのスペースの取り方がたっぷりしていて綺麗なのだ。またやたらと眠くなってきた。

根こぎ

随分とあったかいというか暑い日で、うっかり生物(なまもの)を室温で置いておくとダメになりそうなほどだった。室温で、炊いたご飯をほっといても大丈夫じゃなさそうになると、季節が変わったなあと思う。その念をついでに強くするのは、買ったことを忘れていたじゃがいもたちから、腰の座ったずくずくとした芽が出ていたのもある。水溜りに船を浮かべる時、どれくらいの大きさから狭いと感じるのだろうか。

守れない壁

用があったので、普段行かない駅から帰った。駅前ロータリーの、なんでそんなところで酒盛りしてるねん、という若者の集団がいて、地べたに汚く座ったコア部分の振る舞いが幼稚で酷く、ゴミを積んでそのままにしており、ああ、こいつらはこれを放って帰るんだろうなあと思わざるを得なかった。公徳心とまで大きく踏み出さないにしても、ゴミをポイ捨てしない(ポイ捨てではなくめちゃくちゃ前のめりに捨てていたわけだが)だけのことがそんなに難しいのか。タバコの吸い殻を恥ずかしげもなくポイッとする大人もそうだが、どうしたらそうなるのだろうか。振り返ると、しょうもない半畳ばかり入れていた。しかし、思いついたら言いたくなる。明日の朝、汚い駅前であろうことを想像すると、あんまり関係ないのだが後ろ向きな気持ちになる。

傍白

10年くらい前に自分が書いた記事のpdfがふとしたことで目に留まり、「うお……」と思った。「き、きっつ……」と思った。なぜそういう文体なのか、なぜそういうテンションなのかは、自分のことなので文脈から想像してみればまあおおよそ分かるのだが、それにしても時代を振り返ってみるとうお……きつ……と思うことを避けられないのは確かである。頭が熱くなるというか、胸の辺りがぎゅっと苦しくなった。うおお。そういう意味では、私の内的ワードプロセッサは、開高健を読んだ前後である程度トーンダウンしているらしい。スキップみたいな文章は、わざわざ書くぞ書くぞ、書くったら書くぞルルルンと、わざとらしい助走をつけなければ出てこなくなった。いや、文章とはなべてそんなもんかもしれないが。あまりにぼよぼよの一日を過ごしてしまい、それはそれとして自責の念がひとつまみも湧いてこないので、全く困ったやつである。

放物線消失

本を読んで、おもしろ……と思った以外に、取り立てて記憶がない。その経験さえも、今振り返るとホンマか? と思ってしまうので、ぐじゅぐじゅの玉ねぎみたいだ。この前腐った玉ねぎを捨てたが、腐った玉ねぎはいつ見ても気持ちの良いものではない。色の悪い油粘土みたいな色になる。臭いし。カブが安かったのか、普段買わないからもしかしたらそんなに安くなかったのかもしれないが、ともかく買ったので、コンソメで煮た。また圧力鍋を使ってしまった。煮物のことがたまらなく好きだ。前にカブを食ったのがいつか覚えていないが、スーパー店頭で見た瞬間に、ああ、こいつはあれやらんあかんな、と頭に閃いたのだった。そんなに食ったことないはずなのだが。茎のところまで全部放り込んだ。圧力鍋に入れればおよそ大体全部食えるのだから。余っていたというか、使うのを忘れていた椎茸も全部入れた。いい感じにできた。圧力鍋で2、3食分を一気に作り、数日の間それをもそもそ食う、というサイクルができてきた。いいのかどうか分からない。しかし、煮物が好きという欲動には逆らえないのである。

腕を広げて

大変よろしく晴れたのでシーツを干した。これで今夜はよう寝れるで、いや、よう寝れんと困るな、最近寝つき悪いし、と思った。家に帰ったら、前の道路脇に掛け布団のシーツが丸まって落ちていた。なぜ。ハンガーとピンチハンガーの二重留めで干していたはずなのだが、なぜ柵を飛び越えて、まだ見ぬ世界へ乗り出そうとしているのだ。他の洗濯物も数点落下し、物干し竿の直下でうずくまっていたため、いい感じに強烈な風が吹き、入り組んだ住宅街、ちょうど建物の裏手となるくぼんだ箇所、いくつかの要因が作用した結果、ぽんと飛んで、公道に吹っ飛んだと推測される。脇に丸まっていたのは、もしかすると、道のど真ん中に広がって吹っ飛んで、やさしい近隣住民がよけておいてくれたのかもしれない。たまたまそうなっただけかもしれない。どちらかを選ぶなら、世界がステキに見える方を選びたいではないか。明日は毛布を洗いたい。