考え中

まったく公共性のない備忘録

連休の課題を終えないままで

振替休日の本日まで休む予定だが、明日から仕事したくないマンである。

連休中は国内をいろんな手段で一人旅をする人がSNSに投稿する時期で、それを見ながら架空の旅計画を妄想していた。飯田線で愛知県から長野県まで各駅停車に乗って景色を眺めるとか昔からあこがれている。

今はスマホで情報検索できるから、ガイドブックとか時刻表とか本をかばんにたくさん入れなくてもいい。もちろん時刻表の最初のページの路線図を見ながら移動するのも懐かしいけれど、Googleマップも同じぐらい楽しい。ヘッドホンで音楽を聞きながら、読書もしながら、景色も見ながら、7時間ぐらいあっという間という気もする。

 

連休中に消化したい課題がいくつかあったが、掃除や剪定など体を動かす系の課題はなんとか9割ぐらいはこなせた。フィットネスアプリで歩数などを見ると、それほど動いたことになっていない。しかし腕が筋肉痛になる程度には動いた。いつもヘッドホンとスマホで音楽を聞きながらやっているので、iPhoneのバッテリーが弱ってきた。そもそもラジオを直接聞けばいいのに、アプリ経由でBluetoothで飛ばしてステレオ再生という回りくどさが問題かもしれない。

課題の話に戻り、一方、頭を使う方は面倒でまったく手を付けていない。その焦りの裏返しか、旅に心が持っていかれる。

 

モッコウバラの枝が広がってガスメーターなどが隠れてしまったので、強めに剪定。まだ咲いている花は拾って花瓶へ。

剪定のとき、隣にあるツルバラの枝が複雑に絡んでいるところで、間違えて切り落としてしまった枝についていた蕾も花瓶へ。

花瓶では開かないので、このあとドライフラワーにしてみた。

 



流出する日本人

一般書を読んだら読書記録を、という方針なので、GW中ぶらぶらと読んでいたものを記録する。

 

流出する日本人―海外移住の光と影
大石奈々 著

中公新書 2794

 

目次
序章  日本人の海外移住の歴史
第1章 日本の人口減少と世界の移民政策―移住をめぐる構造変化
第2章 若者たちの海外移住―ワーキングホリデーの光と影
第3章 「自己実現」と「生きやすさ」を求めて
第4章 日本が抱えるリスクと不確実性
第5章 移住先の選択―文化から税制まで
第6章 海外移住の影―永住のハードルと移住後のリスク
第7章 日本の未来と政策の選択肢―誰もが住み続けたい日本へ

海外移住の諸相を、歴史、文化、社会、政策、経済などの面から多角的に掘り下げている。データとインタビューの客観情報から考察しているので、海外移住ノウハウ的な本ではない。

 

移住と言っても、そのときの日本の文化的、経済的、政治的、国際的要因によってずいぶん性格が異なることは序章ですぐに分かる。日本という国を通時的に見る場合、こういう視点で考えたことがなかったので、いろいろ考えが整理できた。

 

どういう層が移住するのかという点も、若者なのか、引退後の世代なのか、女性なのか、それぞれの移住の要因や背景は決して意外な情報ではなく確かにそうだと納得するのであるが、日本という国が現在どういう状況にあるのか、移住という現象に反映される日本という国を、こうして改めて見る思いだった。

 

目的がはっきりしている経済や教育などの移住から、日本から抜け出したいといった精神面の要因による移住まで、背景も様々である。駐在家族のような自分の意思ではない移住もある。それでも移住先での生活基盤が築かれ始めると、移住者にとって不公平な政策や制度だったり、制度に穴があったりという問題もある。

翻って日本に住むということはどういうことなのか、どういう利益・不利益があり、何を我慢して何を実現させることができるのか、そういう点にも目を開かれる。

 

ワーホリについては、一部テレビ報道で、豪州でかなり稼げるなどの印象を作ってしまっていたが、実際には(当然であるが)そんなわけないばかりか、うまい話に引っかかるケースもあることも、根拠とともに示されている。

 

少々悲観的に分析されている部分もあるが、移住とはそもそもリスクを伴うものである。それでも移住をするならば、その動機は決して小さいものではない。

ヤマザキマリの世界

 

刈谷市美術館で「ヤマザキマリの世界」のちらしを見つけた。「高浜市やきものの里かわら美術館」で開催中である。刈谷市美術館からは車で20分ほどの、まあまあ近いところにある。しかも両館入ると半券で20%引きになるという。

 

かわら美術館には去年の夏休みにはじめて行った。そのときは展示会もなく、無料展示の瓦を堪能した。

 

さっそく、かわら美術館へ向かう。ちょうど昼時だったので、かわら美術館の一階にあるフレンチ(だと思われる)レストランへ行ってみた。予約がないと今日はもう…と言いかけて「お一人様なら」と入れることになった(ラッキー)。

 

前菜、スープ、パン、サラダ、魚料理(今日はグラタン風のキタアカリと魚介)、デザートとコーヒーまで出てきた。ちなみに予約するとローマ風のコラボメニューやフルコースメニューもあるらしい。イタリアンレストランなのかな。

 

さて、ヤマザキマリ展の展示室は2階で、中に入るとヤマザキマリの声が聞こえる。まさかの講演中かしらと思ったが、ビデオ上映されている話し声だった。

展示は、テルマエ・ロマエの手描き原稿や、コミックの、あのふざけた各表紙など、漫画原画はもちろん、美術を志す学生時代の作品や、商業デザイン、山下達郎アルバムジャケットなど手広く手掛ける作品が見られる。

 

↓昨年訪問時の記録。

mihalita.hatenablog.com

 

new born 荒井良二展

刈谷市美術館で「new born 荒井良二:いつも しらないところへ たびするきぶんだった」が始まっている。刈谷市美術館は良質な絵本作品や関連展示を特徴とする良い美術館だが、それほど何度も行っていない。絵本を嫌いと思ったことはないが、どこか信用できないというか、たぶんおおかたの絵本に馴染めない人間なんだと思う。

 

この展覧会に対しても、会場で最初の作品を見るまでは、それほど心を開いてはいなかった。

最初は『あさになったので まどをあけますよ』という絵本の表紙である。表紙に続いて一連のページに描かれていた原画が続く。窓を開ける子どもたちが次々に描かれ、その視界に映る景色がそれぞれ挟まれている。窓の外で犬が笑っている。日常的なのに衝撃的な風景である。子供の絵本に対する不信感はいっさい感じない。

景色のどこかに窓を開ける子供がいるし、それ以外の人や動物もいる。絵の中にたくさん楽しみが仕掛けられていて全部は堪能できないほどである。小賢しい仕掛けではなく、世界観の鍵となるモチーフや遊び心である。展示会場内のあちこちで、そういったモチーフや企みに気づいて「あは~」と明るい驚きと納得の声が聞こえる。

 

もやっとした輪郭のないプリミティブな画風、原色が溶け合うような色選び、ゆらゆらとあいまいな筆致なのに、見事なデッサン力と色彩感覚で写実的とも感じられ、描かれている人も景色も架空なのに確かな存在感がある。

架空ながら親しみ深いのは、昭和の時代の暮らしや、ラテンの国々、東欧の山岳地帯、こけし、楽器、スカーフ、お祭りの屋台などが基盤となった架空の民族の文化がイメージとして体系的に創造されていて、”しらないところ”だけれど、懐かしいところへ”たびするきぶん”になるからだろうか。

昔、美術館で見た絵や、昔の絵本に出てくる絵が遠い外国の風景のようでもあった。立体作品も充実している。美術館敷地内の茶室・佐喜知庵にも展示がある。掛け軸やふすまの絵、和菓子のデザインもしたのか。

 

じっくり見ないとみつけられないものが描き込まれているので、手にとってじっくり眺めたいと思ったけれど、印刷された図録や絵本では何かが失われていた。持ち帰ることのできない、遠い、けれど必ず今もそこにある国のことだと思って何も持ち帰らずに帰ってきた。

 

アシナガバチが巣を作ろうとしていた

モッコウバラが落ち始めたので掃除をしていたら、ハチが来た。そういう季節かと思って家の中へ入ろうとしたら、ドアの外側にアシナガバチが巣をせっせと建設している。

 

まだ、今朝取り掛かったばかりと見えて、最上部のみでてきているが、巣の形はしていない。ハチは1匹だけだし、巣も巣の片鱗サイズなので、さっそくハチスプレーで追い払って巣も撤去した。

 

もうかなり前の話だが、実家の庭に大きな巣ができたときは、まだハチスプレーもない時代だし、アシナガバチも知らなかったので、対応が分からず巣の下で蚊取り線香を炊いた。ハチ5~6匹が庭の中を大きな音を立てて大騒ぎで飛び回った。それが怖くて、かえってどうしてよいのかわからなくなった。しかも煙を嫌がったハチが1匹家のなかに入ってしまった。それも、家で蚊取り線香を炊いて追い出した。

 

翌日、ハチは巣から逃げた模様でいなかった。そこで、棒でつついて落とした。その年はほっとして、そのまま何もなく過ごした。

 

しかし翌年、ハチは同じ場所に戻ってくるらしく、同じような位置に2匹で営巣していた。そのときには、もう私も知恵がついて、さっそく虫のスプレーをかけて追い払ったあと、さっさと巣に紙袋をかぶせてもぎ取った。その後は二度と現れなくなった。

 

今はハチのスプレーが効くが、自分まで喉が痛くなって困る。

髙木竜馬ピアノ・リサイタル

W.A.モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調トルコ行進曲付き」 K.331
S.ラフマニノフ:幻想的小品集より 前奏曲「鐘」嬰ハ短調 作品3-2
S.ラフマニノフ=江口玲:パガニーニの主題による狂詩曲 作品43より 第18変奏曲 変ニ長調
P.I.チャイコフスキー:6つの小品より「主題と変奏」ヘ長調 作品19-6

E.グリーグ:抒情小曲集 第5集より「夜想曲ハ長調 作品54-4
C.ドビュッシー:ベルガマスク組曲より「月の光」
R.シューマン:謝肉祭 作品9

 

アンコール曲

シューマン トロイメライ

ムソルグスキー キエフの大門(展覧会の絵

 

このプログラムが聞きたい曲ばかりだったので演奏者を調べたら髙木竜馬といいうNHKアニメ『ピアノの森』のピアノを担当していた人だった。それなら間違いないと思ってチケットを取った。

 

サラマンカホールは遠い。電車で岐阜まで行くだけでも遠いのに、そこから30分ほどバスに乗れという。全行程で2時間かかるし交通費もかかる。今週のはじめには雨予報も出た。

GWなので渋滞もありうるし、電車のつもりだったけれど、昨日から電車の遅延ニュースがあったりして気になったので、今朝になって気が変わってドライブすることにした。車でも2時間かかる。GW初日の2時間ドライブは心配していたほどではなかったけれど、連休ドライバーは平日ドライバーとは違う人達なので、かなり気をつけて走った。

 

さて、コンサートは、ちょうど新譜が出て1つめのリサイタルだとのこと、Metamorphoseというアルバムである。今日のプログラムがすっぽり入っていて良い選曲だったので発売日にApple Musicで買ってみた。

それを往路のカーステレオで流しながら行った。

 

演奏前にかなり詳しいプログラムノートを語ってくれる。最初のモーツアルトはアルバム曲ではないけれど、ある理由で次の「鐘」にいいつながりだとのこと。前半最後はチャイコフスキー19-6で、かなり単純な主題から始まって、快く変奏が終わった。

 

後半はグリーグ夜想曲夜の音楽続きで月の光、シューマンの「謝肉祭9」はこのリサイタルがなかったら向き合うこともなさそうな曲だったが、向き合ってみるととても面白い。1曲なのか20曲なのかわからないような曲だが、アルバムでは22曲扱い(スフィンクスと間奏曲もカウントして)である。

私自身はワルツが前半と後半で都合2回挟まれるのを合図に、今どのへん弾いているかしらんと感じるのであるが、御本人の解説では別のある曲を合図にどの辺弾いているかを感じてくれということで、親切にも演奏前にその曲の予習演奏をしてくれた。

 

アンコール2曲目で突然のムソルグスキーが来た。唐突かと思ったけれど、ラフマニノフの「鐘」のあとで、鐘つながりだし、なにより「キエフの大門」は素晴らしい曲なので、生演奏が聞けて大感激だった。

 

コンサートもよかったけれど、サラマンカホールがすごく良かった。音響が神がかっていた。たぶんちょっと無茶しても受け止めてくれるぐらいの良いホールだった。

豊田市博物館

明日から連休、今日は昼までで仕事を終えて、豊田市博物館のオープン初日に行ってみた。場所は、豊田市美術館と同じ敷地内である。

 

昨日が関係者、今日が一般向けの初日ということで、混雑に備えた広報などを見たが、私の見立てでは明日から連休で混雑するけれど、今日は平日だから大丈夫と踏んだので、とにかく行ってみた。実際、見立てどおりで大丈夫だった。

 

豊田市美術館の隣にできたこの博物館、坂茂がデザインした建物が見どころである。玄関から、入口内のロビーまで、天井にはこの木を組んだ意匠が続く。チュロスのような柱も続く。

 

 

 

展示室は1室で、歴史・民族・産業・自然のキーワードごとに銅鐸や土器に始まり、松平氏の資料、蚕業の歴史や道具、地層、虫、そしてトヨタ自動車まで常設展示されている。

 

2階への異動は、螺旋状の回廊スロープで、ガラスの向こうの豊田市の町並みを眺めながらの登山である。

 

 

外からはこんなふうに見えている。

 

 

2階には図書館、研究室、キッズ広場、カフェなどがある。カフェは出口のほうにあり、館内からも館外からも入ることができるが、こじんまりとしている。

 

 

出口というのは1階エントランスとは反対がわ、しかも2階である。2階から空中廊下が渡されている。入館前に、すでにここを渡る人々を見ることができる。空中を渡る人々を下から見ることには常にワクワクする。

 

 

この空中廊下から見渡す庭は、坂茂ではなくランドスケープデザイナーのピーター・ウォーカーがデザインしている。

 

この通路の延長に美術館への経路があり、中間あたりで振り返ると、谷口吉生坂茂が並んで見える。最も興奮する眺めはここかもしれない。

 

美術館の2階に接続するあたりである。

 

 

振り返ると坂茂

 

 

 

パンフレットやチケットの色合いもおしゃれで、分かりやすい。

ロゴは、天井の木組みのデザイン化と思われる。

 

美術館のロゴの方はモンドリアン風の四角が区切られているやつで背景は青、一方の博物館はこの逆台形で背景は赤だ。豊田市内を自動車で向かうときに、このことを知っているとたどり着くのに苦労しない。なお、博物館へは、美術館の駐車場からも歩いて行けるが、博物館の駐車場は別途ある。博物館の入口は美術館の反対側(豊田市街側)なので、博物館駐車場へ止めたい場合は経路が少し異なる。案内が出ている。

 

ところで、午前の仕事と午後の博物館で結構歩いたつもりだったけれど、フィットネスアプリによると、もう少し歩かないと本日分が達成できない模様である。

フィットネス(アプリ)とヘルスケア

iPhoneのデフォルトで使えるフィットネスのアプリを開くと歩数や速度、消費カロリーを関連付けてヘルスケアデータを作ってくれる。その目標値も作れるようになっている。こういうものとあまり真剣に向き合うとプレシャーになるので、たまによく歩いた日に見てみるというぐらいだった。

 

春の日差しが暖かくなってきて、散歩を日常に取り入れるようにしはじめたので、このアプリで管理する頻度を上げた。まず、目標値を長年「240KCAL」に設定してあったので、200まで下げた。

そうすると、速度にもよるけれど7000歩/日ほどを確保しなければならないことが判明した。

 

仕事をして帰宅したら、特に歩数が少ない日は1300歩ほどしか歩いていない。まったく足りない。少し多めに移動した日は3000歩ぐらいだった。7000には程遠い。仕事以外で散歩に出ると30分ほどで2キロぐらい、4000歩前後である。仕事のあとで30分歩くのはきついので20分ぐらいとすると、一日7000歩はやや高めの目標ということになる。

 

これらを勘案して、1日に3キロ、5000歩ぐらいが妥当だと考えて、150KCALに設定した。簡単に達成できそうだったら、170KCALぐらいまで上げようかと思う。

新鮮で腰のあるプリン

 

 

プリンは<とろとろ>か<固い>かの分け方で語られがちだが、昔のプリンだって単に固かったわけではない。柔らかな中に腰のある新鮮さが、ある種の固さとして認識されているのだと思う。

 

新鮮さ確保には、やはり新鮮な卵と牛乳で作って翌日ぐらいまでには食べるという厳しい条件がついてくる。腰のあるいわゆる「ぷりんっ」とした歯ごたえは、配合や火の入れ方と新鮮さがいずれも条件となるのかと思う。

 

大量生産すると「プリンっ」とはせず、均一な安定した固さの食べ物になってしまうか、あるいは別の配合物、例えばゼラチンなどの力を借りて固めた別の食べ物になってしまう。それらもそれらで美味しいのだが。

 

個人経営のケーキ屋さんや喫茶店なら、満足なプリンが出てくる確率が上がる。とはいえ、「これだ!」というのにはまだ巡り会えない。写真のプリンは和菓子屋で売っていてかなりいい方のプリンである。

 

関連して卵料理でいうと、オムレツの卵もとろけるようになって久しい。

焼いた香ばしさはないし、卵なのかライスなのかわからない一体となったやわらかな食感が物足りなさでもある。パイプオルガンのようなイメージである。

パリッと焼いた香ばしい薄焼きの卵に満タンに詰め込まれたケチャップ味のライスをスプーンでつついて食べると、卵とライスの異なる2つが働きかけ合って、それもまたよい。ピアノとチェロが協奏するイメージである。

いろいろ花ざかり

 

モッコウバラがちらほら咲き始めた。

ジャスミンも日当たりの良い鉢から咲き始めたので、キッチンに持ち込んで香りを楽しんでいる。

 

 

散歩には毎日出ている、いまのところ。

ワイヤレスイヤホンを使いこなせないまま、やっと外音取り込みができて、後ろから自転車が全速力で来ても察知できるようになった。

 

ちょうど、木陰になっている散歩道を30分ほど歩くのだが、30分程度で3楽章ぐらいまである1曲が終わるようなタイミングを目指して歩く。今日は到着前に次の曲が始まってしまったが、そこそこいい時間歩けた。

ワイヤレスイヤホンと散歩

 

ソメイヨシノは散っていったが、八重桜が満開になった。

 

運動として歩きたいのだが、外に出るのがめんどうである。出かけるきっかけとしてワイヤレスイヤホンを買ってみた。それを耳に差し込んでできるだけ毎日少しづつ歩くことにした。

 

スマホでストリーミングの音楽を選曲してワイヤレスイヤホンで聞いて歩く。

ウォークマンに電池を詰めてカセットテープを入れて、有線イヤホンで犬の散歩をしながら聞いていた頃を思い出す。

 

落ちた一輪を拾って、窓辺のサイのおめかしとして。

 

トースター買い替え

トースターの下火が弱くなり、むらも出て、トーストに少し時間がかかるようになったので、美味しいパンを食べるために新しいトースターを注文した。買ったのはまったく同じトースターである。

 

このトースター、天井が低いので、早く焼ける。

早く火が通るので水分が飛ばず、中はもっちりふっくら、外はカリッと焼ける。そういうトースターとして信頼して使っている。

ただしトーストしかできない(グラタンとか、お餅とかには天井が低すぎる)。

ジャスミンの剪定と開花

気圧差が大きい時期、強風が2日おきぐらいのペースで吹いている。

 

夜のうちに吹いた風と警報並みの雨で、朝でかけようとすると玄関ポーチに落ちた葉っぱが散乱している。

近所の車庫の屋根のうえに、カラスが運んだらしき充填豆腐のプラケースが落ちているというか置いてあるというかがずっと気になっていたが、今日の強風でさすがに飛んだかと思って上の方から覗いたら、まだちゃんとそこにある。うちの植木鉢が落っこちて転がっているのに、なぜ高い屋根の上のプラスチックゴミが飛ばないのか不思議に思って観察している。

 

ところで、3月下旬のこと、ジャスミンが伸びすぎているのが気になっていたが、4月にはいってこれ以上伸びるとご近所迷惑というぐらいに伸びてしまっていた。

そこで、蕾がたくさんついた枝を残念ながら剪定した。

 

何本か拾って花瓶に投げ入れたけれど、蕾が膨らむ前だったので咲くかどうかはわからない。

 

そのハゴロモジャスミンが、数輪咲き始めた。

モッコウバラの蕾も膨らみ始めた。

ピエール・ド・ロンサールの蕾も出てきた。

 

出勤して嫌な仕事をなんとかこなして家に戻ると、強風とともに変な手紙が舞い込んでいて、また気分が悪くなっている。

カード不正使用でもフィッシングでもなかった日

帰宅してメールチェックをしていると、クレジットカード会社からメールが2本届いていた、それがなぜかテキストメールではなく大きな画像のメールである。

 

内容は、「本日、この時間に、この金額を国内ショッピングとして使いました」ということを知らせるものだった。

その時刻は会議中なので買い物などしていないし、金額にも覚えがない。

 

えええ?

カード不正使用?

 

という反応になるよね、普通。

それで、すぐにクリックするとパスワードや暗証番号入力を求められる。そこで新たな恐怖が襲う。

 

えええ?

フィッシング詐欺

 

メール発信元を見ると、公式が「カード利用のお知らせ」に使用するメールアドレスで間違いない。しかしアドレスを詐称しているだけかもしれない。

疑心暗鬼になっている。

 

公式サイトの注意事項なども読んでみると、お店に行って実際にショッピングをしていなくても、カード請求に指定している購読料や光熱費などが引き落とされた場合もあるので、調べてみるようにということだ。

 

そこで、まずは落ち着いて記憶をたどると、会議前の昼休みにアマゾンでトースターなどキッチン用品と文具を併せて3点注文をしたことを思い出した。金額を見ると、カード会社から2つのメールでお知らせが合った金額の合計と、アマゾンショッピングの合計金額がピッタリ合う。なぜ2つに分けて請求したし!

しかも、アマゾンからの請求がすぐにはなされず、2時間後ぐらいにカード会社に請求されたらしい。

 

 

そこまで分かったので、安心してこの記録を書いている。

ところで、このカード会社からこのような利用のお知らせが来るのは初めてである。何か不審かもしれない請求のときだけ送るというふうに説明してあるが、ありがたいのか迷惑なのか、もう少し分かりやすい内容のメールにしてほしい。

 

ちなみに、2018年に買ったトースターを愛用しているのだが、下火が弱くなってきたので同機種を注文した。バルミューダとかそういう高いのではないが、ちょっと変わった製品でそのへんには売っていない。アマゾンの口コミでも賛否分かれている。価格はお手頃だけれど、前回セールで買ったこともあり、それよりは高くなっている。

ヤギとシカとポニー

一昨日の続き。

大池公園のお花見はならず、散歩だけして帰ってきた。

 

大池公園は東海市の施設が集まっていて、市役所や図書館が隣接する。公園は池の周りに木々や花々を植え、散歩コースやマラソンなんかもできるようにしてある。

 

 

春のヤギはとくにかわいい。

 

 

名古屋市内のうちの近所は子供が少なく高齢者が多い印象だが、東海市の大池公園に集まる人は家族連れが多くて雰囲気が違う。