みほしブログ

趣味は生活と読書。

画面越しの乾杯

最近「紙の本」ならぬ「リアル飲み会」という単語をちらほら見かけるようになった。

使用例:「コロナ収まったらリアル飲み会しようねー!」

そう、いつのまにか飲み会といえば「オンライン飲み会」を指す未来に来てしまったのだ!

別に今までもオンラインでグループトークしているひとはたくさんいたと思うし、わたしも誘われたことがある。
人と話すのは全然苦手じゃないけれどどうも自分の顔が映っているのが嫌で、仕事上必要なとき以外お断りしてきた。

あの、自分の顔が画面に映るというのは自分の顔を見たくないというだけじゃなく、生理的経験にも反すると思う。
例えばカフェで自分含めて4人でおしゃべりしているとき、自分の目に写る人間は3人なのに、zoomやLINEのおしゃべりだと自分を含めた4人が目の前にいる。山小屋の四隅に座ってタッチしていく怪談みたいな居心地の悪さを感じる(伝われ)。

とかなんとかぐずぐず言って、今まで参加してこなかったけれど大流行のオンライン飲み会に参加してみたらこれがとても楽しい。

3月からほぼ家族以外のひとと話していなかったので、久しぶりの友人の顔を見ただけでお互い生存していた喜びではちきれそうになる。
当たり前だけどわりと遠くに住んでいる友だちとも集まれるわけで、緊急事態宣言が全国に出される前は地方の友だちとかなり温度差を感じた。各地域の話を聞くのは興味深かった。
子持ちの友人が多いのでお子さんがサプライズゲストとして登場するのもオンライン飲み会の醍醐味。親としては子が寝ててくれたほうがディープな話もできて楽しいんだけどね。
ペット自慢も多い。このあいだは友人の飼ってるいぬがカメラの前で寝てしまって、ずっとぷーぴーすこやかな鼻息の音が聴こえて幸せでした。

先週末は中学からの親友ふたりとオンライン飲み会をした。親友のうちひとりが次の日に誕生日を控えていた。
夜ふけまで話し込み、午前0時を迎えた瞬間「お誕生日おめでとう!!」とお互いワインやほろよいやビールが入ったグラスをパソコンのカメラに向かって掲げた。
「ありがとう〜誕生日になった瞬間を祝ってもらえるなんてすごく嬉しい!」
ひとつ歳を重ねた彼女は中学生のときと変わらないにこにこ顔でそう答えた。

その瞬間、あーーー直接会っておんなじおいしいもの食べてグラスを本当に合わせて乾杯したい!!!!と急激にさみしくなった。
親友のお誕生日を顔を見ながらお祝いできてよろこばしかったけれど、うれしさが高まっていくにつれ「わたしたちは今いっしょにいないんだ」ということを強く感じる。

これから疫病が収まってもオンライン飲み会はひとつの文化として定着していくのかもしれないけれど、やっぱりわたしは電子より紙の本が好きだし、オンラインよりリアル飲み会のほうが3倍くらい好き。

今週もまたオンライン飲み会のお誘いが来ているけれど、あまりにもオンライン飲み会が広がりを見せているせいか「その日は別のオンライン飲み会があって」と日程の調整が難航している。みんな家にいるのに忙しそうで、ちょっとおもしろい。ひとはどんな状況でもあたらしい楽しみを見つける。

 

ちなみにわたしのお気に入りオンライン飲み会用デッキはこちらです。缶入りのレモンサワーなんて買ったの大学生以来かも。

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  • メディア: 食品&飲料
 

 

 

 

お題「#おうち時間

最後にマスクを買えた日

わたしが使い捨てのマスクを最後に買ったのは1月26日。はっきり覚えているのには理由がある。

まだダイヤモンド・プリンセス号は大黒埠頭に横付けされておらず、東京オリンピックも習近平氏の来日も行われる予定でいた時代のお話。

わたしは横浜市内に住んでいる。武漢で新型のウイルスが流行っていることは既に報道されていたけれど、まだまだ中国の国内に限った話で、身近には思っていなかった日本人が多かったと思う。日本人の感染者も武漢滞在歴のあるひとくらいしかいなかったし。

でも、横浜はご存知の通り中華街がある。日本のほかの地域より中国を身近に感じている街だと思う。春節が始まれば町場の中華屋さんだって中国へ帰郷するためお店が閉まるし、逆に横浜にいる親のもとへ帰ってくる中国の方もいる。

「春節なのに渡航禁止にしなくていいのかしらね」とばったり会った近所のママ友さんと春節直前に話したことを覚えている。

春節を迎えた次の日、駅前のちいさなドラッグストアへ立ち寄った。何か買いたいものがあってわざわざそのドラッグストアへ行った記憶があるけれど、何を買いたかったのかは覚えていない。

商品を手にぼんやりレジの列に並んでいると、前に並んでいる女性が持っていた買い物かごに目が吸い寄せられた。

袋入りの使い捨てマスクが買い物かごから溢れそうなほど積み重ねられていたのだ。

髪をひとつに束ねた化粧っ気のない女性は「領収書ください」とたどたどしい日本語で言った。中国系のひとの発音だ、と気づいた。レジに表示された値段を見ると5万円を超えている。

わたしは知らない。
彼女がなんのために大量のマスクを購入したのかも、彼女がなぜ領収書を求めたのかも。
でも、彼女が大金をはたいてでもマスクを欲していること、そしてとても疲れていることは人間としてわかった。

これはまずいことが起き始めている、と彼女のやつれた横顔を見て察知した。わたしはレジを一旦離れ、マスクを購入しようとしたがそのドラッグストアのマスクの棚はすでに空っぽだった。彼女がすべて購入してしまったのだろう。

わたしはとりあえずドラッグストアで欲しかったものだけ買って、その足で100円均一ショップに行った。そこにはいろんな種類のマスクがまだフックにぶら下がっていた。
白いマスク、グレーのマスク、黒いマスク。
大きいのに小さいの。花粉症じゃないしどのマスクが良いとか知らなかったけど、とりあえず2000円分80枚くらいをその場で買っておいた。

5月1日現在、わたしが今年最後に買えたマスクはそのとき100均で賄ったものだ。
それからいつドラッグストアや100円均一ショップへ寄ってもマスクの棚は常にからっぽのまま。

マスクを買い置きする習慣は持ち合わせていなかったので、そのとき買っておいたマスクのおかけでこの3か月間の数少ない外出をしのいだ。

マスクはほとんど使ってしまったけれど、あのときマスクを買い込んでいた女性の緊迫した表情は脳裏に焼きついていて、今もわたしを怯ませる。

徒歩2分の旅

3日ぶりにマンションの外へ出る。


足の感覚がなんか変。
浮腫んでいるのでも筋肉痛でもなく、ふくらはぎに水風船をぶら下げているようなやさしい怠さを感じる。ほとんど歩いていないからだろう、足の筋肉がおとろえているのだ。


わたしは人口がとても多い街に住んでいる。新宿や渋谷の土日の人出は8割減、とテレビのニュースはすかすかのスクランブル交差点を映し出す。その減ったひとたちは自宅とその周りで過ごしているので、必然的にわたしの住む街はたいへん賑わっている。平日もいつにも増してひとが多いが、土日なんて公園はぎゅうぎゅうでスーパーのレジは30分待ち。
怖くて土日は家から一歩も出ないようになった。なるべく用事は平日に済ます。


土日と家にこもって3日ぶりに外へ出て、徒歩2分のコンビニに行くだけでうれしい。娘以外の人類を見てほっとする。滅亡していない。


徒歩2分のコンビニはちょっとした八百屋みたいに野菜の品揃えが充実していてたいへん助かる。皮に土がついたままのたけのこ、粒の大きさによって値段の違うパックのいちご、穂先がぴんと立ったアスパラガス。野菜やくだものに春が来ていて、それを収穫してくれるひとがいるという事実だけで泣きそうになる。


わたしはアスパラと牛乳とパンとアイスと炭酸水と払込用紙を手にレジの列に並ぶ。ふだんコンビニでこんなにたくさん買い込むことはほとんどないけど、「ふだん」ではないからよいことにする。もしかしたら、これが「ふだん」になるのかもしれないけれど。


レジの列をつくるところの床には立つ場所を示す線が描かれている。たしか先週はこの線はなかった。その線にしたがって立っても、前のひとと1メートルも離れていない。ソーシャル・ディスタンスは2メートル以上ではなかったっけ。でも広くない店内でそれは難しいのだろう。わたしは線を無視してなるべく前のひとと距離を開ける。


男のひとがわりとぴったりわたしの後ろに並ぶ。しかもマスクをつけていない!久しぶりに他人の口元を見た気がする。職人さんぽい日に焼けた壮健そうな男性だが、小池百合子都知事みたいに手をかざして「密です!」と叫ぶ勇気はなかった。後ろのひとをちらちら見ると、あっ、と気づいたみたいで一歩後ろに下がってくれた。床の線のほうに気づいたのかもしれない。


レジの台のまえには天井から透明なシートが掛かっている。台とシートのあいだは買い物かごがぎりぎり通るくらいの隙間が開いていて、隙間にかごを滑り込ませる。
レジのひとはいつもどおり丁寧で礼儀ただしい。払込用紙にスタンプをリズムよく3つ押し、手際よくレジ袋へ買ったものを詰め、シートのしたから荷物を差し出す。この透明なシートにどれだけウイルスを防ぐ効果があるのだろう。わたしはせめて店員さんの手に触れないようレジ袋を受け取る。


徒歩2分の旅を終え、娘が待つマンションの部屋へのろのろと戻る。新鮮なアスパラは茹でてポーチドエッグをのせて食べたいな、と明日の朝ごはんのメニューをぼんやり考える。

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全然書いてないのにブログを残しておく理由

最近全然ブログを書いていない。
それなのにわたしはまた、このブログのためにはてなブログProの2年分の料金を送金した。
改めて見てみたら、なんと去年は町屋良平『青が破れる』の書評しかアップしてないし、今年はコインチェックNEM流失事件についてしか書いていない。

書かない理由はいくらでも思いつく。昨年4月から仕事の業務内容が変わって勉強しなくてはいけないことが増え、そのうえ娘が受験生なので勉強を見てやらなくちゃってことで時間がないとか、ほかに色々書いているものがあるとか。

あと、わたしが飽き性ってこともある。
最初のうちよりブログに対するモチベーションが明らかに低くなってる。それと「あ、これもっと深めてブログ書きたい…」と思ったテーマでも他人に話したりツイッターでつぶやいたりするとなんとなく満足してブログを書くまでに至らないことも結構ある。

それでも、わたしはこのブログを可能な限り残していくと思う。

 

振り返ればわたしが初めてブログを書いたのは、人の依頼によるものだった。当時法科大学院の二期生だったわたしは、まだ珍しい属性に目をつけられて「うちのサイトでブログを書いてみないか」と言われたのだ。

最初は面白おかしく書いていたものの、企業を挟んである手前好き勝手には書けないし、自分の体験を切り売りしているような感覚がしんどくて妊娠して休学したことをきっかけにそのブログは閉じさせてもらった。

ふたつめのブログは自分の意思によって始めた。HTMLもよくわかんないのに「これからブログやるならワードプレスで自分で構築しなきゃ!」みたいな言葉を鵜呑みにしてサーバ借りていきなりワードプレスをぶっこんだ。
トライしてみたものの、好きでもないのに文章を書く以外に学習しなくてはいけないことが多くて嫌になってしまったので、レンタルサーバの契約が切れるタイミングでこのブログも閉鎖してしまった。

 

それで、みっつめのブログがこの『みほしブログ』。

このブログを始めた理由はふたつある。

ひとつは自分の世界を広げたい、と思ったから。
離婚して娘をひとりで育てて、とあわただしい生活がようやく落ち着いたとき、ほんっとうに狭い世界で生きているなと呆然とした。
小さな会社の同僚たちと同じ区域に住んでる数人のママ友。
家族以外だと1か月その人たちとうすい会話しかしていないこともざらにあった。
高校や大学からの友人たちは結構いたけどそれぞれ仕事や家庭で忙しいからひんぱんに会えるわけではないし、仲は良くても趣味嗜好が同じというわけではないからたとえば本の話とかを深くできるわけでもない。
でも、ブログで自分の好きなものや考えを発信したらそれをきっかけに知り合いやチャンスが広がっていくのではないか!?と考えたのです。

そんなブログくらいで世界を広げるなんて無理でしょ、と思われるかもしれないけど…実際広がったよ!!

 

ブログのエントリが賞獲ってWEB記事にしてもらえたり、

www.mihoshiblog.com

 

 ちきりんさんにインタビューしてもらったり、

www.mihoshiblog.com

 あとはブログを読んだ方から声をかけてもらって、ウェブサイトの記事を書いたこともありますし、知り合いになった方もいます。

そのほか結局使われなかったけどテレビ局からブログのエントリを使わせてもらえないか打診がきたり、出版社の方からメールをいただいたこともあります。

生活はそんなに変わっていないけど、ブログを始めたことで確実に自分の世界は広がりました。ありがたい。うれしい。

 

そしてブログを始めた理由ふたつめは、自分の考えたことを書き残す場を確保しておきたいから。
アクセス数はずいぶん減っちゃったけど、自分の意見を長々と書いて公表できる場があるってわたしにとってはとても心が安定する要素。

今では当たり前のようにみんなブログやTwitterやnoteで自分の意見を公表しているけど、表現の自由の歴史をひもとけばこれは素晴らしいこと。権力者とマスメディアしかもっていなかった力を個人も持てるようになったのだから。

そのときどきで色んなサービスを使い分けて意見を書いていくのもいいなと思うけど、ワードプレスで挫折するくらいのITリテラシーしかないわたしはひとつ「これ」と決めたサービスで自分の考えの変化もおもしろがりながらほそぼそと書き続けて行きたい。

 

だからわたしは全然書いていないのにブログを残していくのです。

はてなブログProに2年で14400円、サーバ代も支払いながらね!!

(はてなブログProにしてるのは広告を入れたくないのと独自ドメインは使いたいけどITの知識が最小限で済むからです)

まあ実はAmazonアフィリエイトでそのくらいは賄っているのでトントンなのですが。

さすがにもうちょっとブログに手を入れたいなと思い始めてこちらの本を購入して勉強中。

はてなブログ Perfect GuideBook

はてなブログ Perfect GuideBook

 

 コードをコピー&ペーストできるサービスがついてるので助かりそう~。ぼちぼちがんばります。


それではごきげんよう!

コインチェックNEM盗難被害、日本円で返金補償について思うこと

NEMが日本円で補償される件、「よかったね」という声が多いけど顧客にとっては「ゼロになるよりは全然いいけど補償方法としては最低限」だと感じました。
最善はNEM財団やホワイトハッカーの協力を得て盗まれたNEM返還、次によいのはコインチェックからNEMで補償。

JPYでの返還はその次くらいでさらに言うと、履行不能となったコインチェックから盗まれたときの値段(チャートをみると103円前後)で返還するのが妥当なのに、NEM取引中止後〜返金のプレスリリースをだしたときまでの平均値である88.549円での返還。

単純に損する人も多いだろうし、強制的にJPYへ利確/損切りされることにより雑所得として最大55%の所得税+住民税が課されることに。年収は平均的だけどNEMで億もってるようなサラリーマンは税金が予想外のすごいことになるよね。翌年の所得税の予定納税もすごいことになる(これは減額申請可能だけど)。

これは予言ではなく予測だけど、今回の補償でNEMの価格をいつの時点で考えるかという争点の訴訟が顧客からコインチェックへ提起されることでしょう。そのなかで「取引所はそもそも顧客の仮想通貨を補償する義務を負うか」といった議論がなされ今後日本における仮想通貨についての重要な裁判例となると思います。

それにしても、NEMがゼロになるのではとの不安をあおる役員たちの会見からの、日本円での補償の流れ、お見事でした。ドアインザフェイステクニックだね!
あとNEMの補償が発表される直前にNEM大量買いした人がどなたなのかわかったら誰か教えてくださいね。

いちばん悪いのは盗難グループであり追跡もできているようですし、最も最悪なのはコインチェックが破綻することなのでそれは回避できる道筋が立ったことはコインチェック利用者として素直に喜んでおります。

ちなみにわたしが3日前に購入した本です。
まだ読んでません。

いまさら聞けない ビットコインとブロックチェーン

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