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本のこと 本のある場所のこと

       私がお世話になった大切な本のこと 本がある場所のことを書きました。              ここに来てくれた方の今のこと 先のことが考えやすくなればとてもうれしいです。       

“美しい瞬間”を生きる   向田麻衣

 

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わたしは友達の背中を押してあげようと思ったときに、

持ってる言葉を尽くして自分の思いを伝えるのだけど

そうすることがほんとに背中を押すことにつながってるのかなぁと最近考える。

きちんと効果が出ているのか、効果というと薬みたいだけど

正しく相手に作用しているのかなぁと、そんな風に思う。

 

いつも相手がどう言って欲しいかより、自分がその子に何を言いたいかばかり

考えてそれを思い切りぶつけてしまうから。

 

1年前くらいに読んだ本の、手紙を書く人の心得みたいなページに

「どう書いたら相手が喜ぶか考えて書けないなら手紙を書くな」とあって。

その時は、少しびっくりして、少し落ち込んで、それから少しだけ反省して

すっかり忘れていた。

でも最近ふっと思い出して、急にハッとして、

いやその通りやわ。全部そうや!と突然思った。

最近こういう、「突然思う」みたいなことが多い。

たった1年の間にわたしの頭と心はぐるぐる変わる。

 

「“美しい瞬間”を生きる」はとても大切な友達にあげるために買った。

友達はパワフルハッピー野郎で、パワフルでハッピーで女の子だけど野郎って

呼びたくなるような子で、今思いついたばっかりだけれどぴったりのあだ名で。

 

彼女はいつもわたしのやる気スイッチを押してくれる。

どんな風に押してくれてるのか、後から考えても結局わからないのだけれど

友達にあった後は頭がすっくりしてぐんぐん走れる。

それがしっかりわかるから、わたしはいつも彼女に会いたくなる。

 

そんな彼女が次のステージに上がろうとしている。

 

もうそのこと自体もわたしのモチベーションを上げてくれて、

ほんとどう伝えていいかわからないくらいありがたい。

 

だからお礼に買った。

とにかく大変かもしれないけどあんたなら絶対もっと世界で活躍できるし

その姿を見ることがわたしはむちゃくちゃうれしくて

わたしのやる気もびっくりするらい上がる、ありがとう!!!

という思いを込めて。 

 

喜んでもらえるといいな。

美沙

 

東京国際文芸フェスティバル

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文芸フェスのオープニングイベントに行ってきました!!!

大好きな西加奈子さんのお話が聞きたくて東京まで行ったのだけれど

ほんとに行ってよかった。その場にいれてよかった。

後から何かのメディアで見たり、人から聞いたりすることもできただろうけど

やっぱり自分で触れるのがよかった。

尊敬する作家さんたちの感性を目の当たりにして

ひりひりしたりうっとりしたり、頭と心がフル回転して大忙しだったけれど

幸せすぎる時間を過ごさせて頂いた。

 

フェスには西加奈子さん以外にも

作家の角田光代さん、小野正嗣さん、翻訳家の藤井光さん

海外からは詩人のエリザベス・アレクサンダーさん

作家のイーユン・リーさん、セス・フリードさん

そして、日本・アメリカ・韓国の学生の方たちが登壇されていた。

 

ご自身の著書のお話、世界中の物語について、、、

たくさんの興味深いお話を聞くことができた。

全てのお話が新鮮で、初めてで、だから聞きながら真剣に考えないと

間に合わないのにそれでもむちゃくちゃ感動できた自分がうれしかった。

生のものに自分で触れるってやっぱりすごい。

感動を手渡しでもらってるかんじ。

 

全てのお話を聞きこぼさないように真剣に聞いた。

聞いたけれど恥ずかしながら、今のわたしには難しくて

どういう意味かわからないお話もあった。

 もっともっとわかるようになりたい、感動できるようになりたい。

 

詩人のエリザベスさんがおっしゃっていた言葉が心に残った。

「詩とは、自分の体の中のペースと外のペースの差」。

その言葉で、すごく詩を読みたくなったし、読もうって思った。

 

詩以外のものでも触れていないものがいっぱいあって

死ぬまでに全部に触れるのは難しいかもしれないけど

できるだけたくさん自分で触れたい。

 

 文芸フェスに登壇されていた作家さんの本を買った。

読むのが楽しみ。

美沙

 

 

魔女になりたいわたし 長崎源之助

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わたしはこどもがすきだ。

すきというよりすばらしいなと思う。

 

欲しいものは欲しい、あげたい時はあげる。

思ったことをそのまま口にしてしまう、

自分の考えているとおりに動いてしまう、

そういうところが本当に美しいなといつも思う。

 

仕事場で、こどもと話したり遊んだりすることがある。

お別れするときに、「また来るから!」と言われると

絶対1人で来られへんやん〜と思う。

思いながらも、100%それ以外の意味を含まない彼らの言葉に

たまに泣かされそうになる。

 

きっと家に着く頃にはわたしと遊んだことも、

また来ると言ったこともすっかり忘れてしまうのだろう。

けれど、わたしの目の前にいるこの瞬間は

たしかに彼の全部が、わたしだけと向き合っている。

 

先のこと、仕事のこと、他のいろいろなつながりのこと。。

大人になるにつれて大切な持ち物が増えていく。

わたしはその全部を大切に持っていたいし、

そうしなくちゃいけないって思っていた。

失くさないように、壊さないように。

 

「バランス良く」って言葉はあまり好きじゃないけれど

言葉にするとほんとにそんな風に触れているように思う。

 

でもこどもは違う。

今、目の前にあるものだけを、ためらいなく抱きしめる。

力加減を考えずに、人目もはばからずに全力で。

だからこどもと向き合うと泣きそうになるのかなぁと思う。

 

身動きがとれなくなっても、その後さみしくなっても

その一瞬はお互いに最高に幸せだから。

 

「魔女になりたいわたし」を読んだ後もいつもそんな気持ちになる。

魔女になりたい1人の女の子と男の子たちとの友情のお話。

 

いつどこで買ったのかも覚えていなくて、

もしかしたらわたしが買ったのではないのかもしれないけれど

ずっと前から家にあって少し汚れている。

最初から読んだり、ぱっと開いたページを読んだりして

もう何度読んだかわからない。

 

いつも本を開くたび、こどもたちがわたしに聞いてくれる。

ちゃんと全力で抱きしめてる?って。

そしていつも反省する。

たぶんもっと大人になってもこの本にはお世話になると思う。

美沙

 

 

 

 

 

 

永い言い訳  西川美和

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友達のお母さんが亡くなった。

 

以前から病気を患っていらして、ここ数年はほとんど寝たきりの状態で

友達のAは病院と家を行ったり来たりしながら介護生活を送っていた。

 

A はとてもおもしろい。

どうおもしろいのかって、お笑い芸人さんのように

人を笑わせる技術とサービス精神がある。

そのどちらもないわたしはこの10年、Aに笑わせてもらって生きてきた。

もしこの世に彼女が生まれていなかったら、

わたしの10年のうちの70%の笑いはなかったと本気で思う。

 

Aの家族もみんなおもしろい。

お母さんは何度会ってもわたしのことを名前じゃなく出身地で呼ぶし、

おばあちゃんはいつも、もっと食べといってわたしのお茶碗に

びっくりする量のごはんを入れるから、帰り道に吐いたことがある。

沖縄出身のお父さんは朝の4時に三線を弾いて大きな声で安里屋ゆんたを歌い

Aに怒られる、けれどめげない。

 

だからわたしはこの家族が大好きだ。

 

お通夜とお葬式に参加した。

いつもどおり、人のことを気にして

せかせか動き回るAがいて、わかっていたけど尊敬した。

そういうところがうらやましくて、いつもありがたい。

 

おばあちゃんは、親より先に死ぬ親不孝な娘は見送らんと言って

お通夜には来ていなかったし、お父さんは、お母さんの遺体には

どれくらいの室温が適温なのかを会場の人に何回も聞いていた。

 

そして昔一緒に美容学校に通っていたAは

「化粧をしてあげたけど、わたしがお母さんのおでこに

チューしすぎてファンデがとれてしもた」と笑っていた。

 

大好きな彼女たちのためにわたしができることはないだろう。

ここに来る前からわかってはいたけれどやっぱり何もなかった。

 

そしてふと思った。

わたしは自分の家族がこの世からいなくなった時

こんな風に自分の全部で悲しむことができるのかなぁと。

 

いや、本当は「ふと」じゃなくて

以前から心にひっかかっていたけれど

わたしは悪くなかったし、今は考えなくてもよいだろうと

向き合ってこなかった気持ち。

 

友達の家族を見るたびに、いつもうらやましくて、

でもきちんと傷つく勇気がなかったから

長い間考えないようにしていた父親のことを思いだした。

 

「愛するべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくない」。

帯の一文で、たしかに苦しくなった。

じゃあどうしたらいいのか、ほんとはずっと答えがほしくて

出会うべき時期に出会えた本なのかなと思い、もっと苦しむ覚悟で読んだ。

 

長年連れ添った妻・夏子を突然の事故で失ったとき

その悲しさを”演じる”ことしかできなかった主人公。

 

そんな自分に不幸を感じて、自分を見つめ直しても、

他の人に愛情を注いでも絶対に埋め合わせのできない

生きているときに「愛するべきだった存在」。

「してしまったこと」じゃなく、「しなかったこと」を罪と言ってしまうと

西川さんの伝えたいこととは違うのかもしれないし、

救われないように思えるけど、でもたしかに自分を苦しめてしまうことだから

やっぱりこれは罪のお話でもあると思う。

 

失ってから初めて相手と向き合うことの苦しみ。

そして、一緒にこの世に生きている時間の尊さ。

それが主人公の痛みにのせて伝わるから

自分までとても苦しくなったけれど、だからこそ残った。

 

生きているなら、どうにでもなる。

死が分つまでは、人間同士は何とかなる。そうだろ夏子。 

 

 この物語には「愛し方の答え」が書かれていたわけではない。

でも、今のまま、自分の家族が死んだら

もしかしたら、わたしは生きていきにくくなるかもしれない。

たしかにそう思わせてくれた。

 

わたしには大切に思えるものがいくつかある。

そして、大切にしなければと思えるものもある。

 

全てに、今、向き合っていこうと思う。

 

美沙

アメリカにいる、きみ           C・N・アディーチェ

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どこかの国で何万人の人が死んだ。

テレビのニュースで知ることがある。

知るのだけれど、「知る」より先に心がすすまない。

遠い国だからか、規模が大きいからなのか。

他人事って書くと、とてもいやな感じに聞こえるけれど

ほんとにそんな風にしか思えていない気がする。

 

「アメリカにいる、きみ」は限りなく優しい、

みんなのわかる言葉を使って紡がれた物語。 

この物語の中にわたしの体験したことのある出来事は一つもない。

なのに、どうしても他人事にならなかった。

自分の日常と重ねて、自分の心を使って実感しようとしていた。

 その国で生きたわけでも、その時代を過ごしたわけでもない。

けれど物語の中に息づく、さまざまな命の歩みを自分の中に

確かに見つけてしまう。

 

物語に込められた思いの強さ、作者の表現力、読み手の心のあり方。。

たくさんの奇跡が重なり合ってこんなすばらしい作品が生まれるのだと思う。

 

でも確かに思うのは、

チママンダさんの物語には、神さまみたいなものが入っている。

本当にそう思う。

 

こうやって文章にしてしまうと、ちんぷに感じてしまうし

わたしの筆力じゃこの物語の持つ力は絶対に伝わりきらない。

わたしがこんな風に考えたり、

分析みたいなことをするのも少し恥ずかしいというか、おこがましく思う。

 

でも確かにこの作品には神様がいて、

遠い国で生きる、知らない人の命の存在を、

わたしに、わたしの心を使って考えさせてくれた。

 

表現することは自由だと思っているし、自由であるべきだと思う。

わたしもここにこうやって思うことを書かせて頂いている。

ただ、この本を読んで、チママンダさんの「表現」に出会って改めて思った。

表現したものが、受け取る人の心に直接ふれて、

その心の一部になってしまうことが確実にあると。

 

わたしに才能はない。

それでも表現させてもらえる場所があるならば、自分の全部を注いで、

嘘なく丁寧に書いていこうと思う。

ブログを書くことも、仕事をすることも、どんな場所でも。

自分の作り出したものが人の心の一部になる可能性があるから。

 それは些細なことなのかもしれないけれど、たしかなことだと感じる。

  

最後にある著者のインタビュー。

「わたしは書きます。書かなければならないから。

わたしが書くことを選んだのではなく

書くことがわたしを選んだと言いたい気持ちです」。

 

この本がわたしのもとに届いたように、世界中の人に届いてほしいと思う。

 美沙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

働く男   星野源

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♪ 祈り届くなら安らかな場所にいてよ

僕たちはいつか終わるから 踊る 今 

 

星野源さんのSUNの歌詞のワンフレーズ。

 

この歌がとても好きで、気がついたら最近いつも歌っている。

鼻歌とか口ずさむとかじゃなくって、歌う。

家に1人でいる時は、しっかり大きな声で歌う。

 歌詞を確かめながらというか、味わいながら。

 

星野さんのことはこの歌を聞くまでほとんど知らなくて

シュッとした、素敵なお名前の、歌を歌う人。とだけ思っていた。

(ごめんなさい)

 

でもSUNに出会って、 好きになって

どんなものに触れてきたら、

こんな素敵な歌詞にたどり着くのかなぁ。。

絶対の絶対わたしこの人のつくるもの全部好きだろうなぁ。。

と、つまり惚れてしまって、

星野さんのことが知りたくてこの本を読んだ。

 

星野さんが2010年〜の2年間、

雑誌「ポパイ」の映画ページで連載していた映画コラムをまとめたエッセイや

ご自身で作詞作曲、カバーした曲、出演したTVや映画、舞台について。。

 

星野さんを星野さんにしてきたものことが

全部ではないだろうけどたくさん詰まっていた。

 

音楽で世界を変えることはできないと思う。

でも、誰かの悩みを一瞬忘れさせたり、夢中にさせたり、

笑顔にすることはできるはずだ。

それをどうやるかが、本当の意味でその人の芸の術なんじゃないか。

そこまで考えて初めて芸術家という言葉が使えるはずだし、

それなら世界中の人間がアーティストでありえる。

 

思ったとおりの方だった!

 

 わたしは歌も映画も詳しくないけれど

ものづくりにどこまでも誠実な星野さんが、

向き合ってきた作品たちにわたしも触れてみたいと思った。

作品を通して少しだけでも星野さんの感性に触れてみたいと思った。

 

 「星野さんの作る歌はオルタナティブなんだよ」と

言われて自分の音楽を深く聞いてくれる人が現れてうれしかった。

 

恥ずかしながらオルタナティブが何かわからなくって調べた。

そして少しずつ聞いて、だんだん好きになっている。

 

映画も音楽も小説も、誠実に苦しみながらでも作った人の作品には

魂みたいなものがこもっているんじゃないかと思う。

どうやっても、それがにじみ出るから、みんな吸い寄せられるのかな。

受け取る側も敏感でいたいな。

 

星野源さんとオルタナティブ

好きなものがまた増えた。

うれしい。

 

美沙

 

 

社会人大学人見知り学部 卒業見込    若林正恭

 

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そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってんだろうけど、

20年間調査した結果、それはただの穴だよ。by若林(オードリー)

 

ほんとはおもしろいはずの文章なのに 、少し泣きそうになった。

でも嫌な気持ちからじゃなくって、

 

肩をぽんぽんって優しくたたかれて

振り返ったらたまたま教えてもらえたような、

自然と寄り添ってくれる言葉だったから。

 

わたしはたぶん人見知りだった。

自分のことはあまりわからないけれど

今より昔のほうが人と話すときに何話そうって考えることが多かった。

どう自分をみせたらいいかわからなくて緊張もしたと思う。

 

今は人に聞きたいことが多いからそんな風に思わない。

できるだけ人に会いたいなと思う。

人に教えてもらうことが多いし、純粋に人に会うのがたのしい。

 

それでも若林さんの帯の言葉を見た時は、はっとした。

わたしの中の、人好きに進化した人見知りさんが反応したのかもしれない。

 

この言葉がこんなに残るのは

きっと若林さんが、おもしろくしようとか、

大げさに書こうとか考えて作ったものじゃなくて

ほんとに嘘なく思っていて本気でみんなに伝わればいいなと思って

書いたからかなと思う。

 

これは社会人大学人見知り学部1年目に若林さんと社会を隔てていた壁が、

いつのまにか消えていてほんとは壁なんてもともとなかったんじゃないの?

いや確かにあったから、ちゃんと壊してきたから今になってる。

って思えるまでの話。

 

こうしたらこうなれる。

みたいな書き方は一切されていないのに

大切なことがおもしろくわかりやすく伝わる。

やっぱり芸人さんてすごい。いや、若林さんがすごい。

 

一つひとつの自分がぶち当たった社会というものを

きちんと考え尽くして自分なりにその時出せる答えを

全力で振り絞って出してきたこと。

 

ふて腐れても、もし間違っていたとしてもいいから

社会の中から逃げないで、生きること。

自分が社会の一員だということを、素直に認める大切さが書かれていた。

 

あとは、出会い。

若林さんの社会の見方、自分と社会との距離感が変化していくまでに

若林さんを救ってくれた出会いを、「確かなもの」と書かれている。

 それは間違いなく、自分を押し出そうとしていると思っていた

社会の中で見つけたもの。

 

最後にある言葉がわたしはとても好き。

自分も社会も素晴らしい世界だ。

成長という言い方は乱暴だし少し違う気がするけれど

そう思えるようになった若林さんの文章からは社会に対する愛を感じる。

 

この本を読んだからって、今目の前にある世界が変わるわけじゃないと思う。

けど、「こんな風に思えたら。。」って思えたら、

自分の日常の中にある、自分の知らない感覚にあこがれを抱くことができたら

少しでも楽になれるはず。

 

出会えてよかった本です。

ぜひ読んでみて下さい。

 美沙