鬱からの回復の兆し
過労により身体を壊していました。
復職も何度かさせていただいたのですが、やはりうまくいかず、辞めることになりそうです。
いまだ通院中ですが、自分の心に正直になることができはじめているような気がします。
かれこれ3年、、、
当初は何も動けず、布団から出られない、社会に適合できていないと感じる日々を過ごしていました。
いや、そうだと思っていました。
・・・大切な時間をなんて、無駄にしてしまったんだ。
周りの人は、一生懸命働いて、出世をしたり、結婚したり、子供を産んだり、何もできない自分が悲しくて、本当に辛かったです。
たまに外に出られたら、私だって人生無駄にしてないよと変に明るく振る舞い、その結果疲れて、ひどくなったりしていました。
生きている意味も感じ取れず、本当にいなくなってしまっても変わらないと思っていました。
でも私には幸いなことに、両親がいます。
私がいなくなった後には、両親が辛い思いを抱えて生きていくことになってしまう。
そのことを頭に浮かべて、とどまれたと思います。
周りの人も心配をしてくれて、真剣に考えてくれていると肌で感じました。
そんな中、やはり会う約束をしていても、外に出ることができずにキャンセルしてしまうことも多く、その度に罪悪感に苛まれました。
それでもまた体調良くなったら会おう‼︎気にしないで。
反対の立場でもそう思うでしょ?
って言ってくれました。
そんな優しさに触れていく中で、私はあまり人のことをちゃんと見ていなかったなと気づきました。
ある日、友達に話を聞いて欲しいと言われました。
実感はなかったのですが、今思うと相談を受けられるくらいに、少し回復したのだろうと思います。
しばらくして、こんな私でも人の役に立ててるのかな?
何も言えないけど、私だって、話を聞いてもらえるだけで、とても楽になれたから、私もただ聞いてみようと思いました。
そんな時に昔の自分だったら、、、そんなことが頭をよぎりました。
昔の自分なら、相談をされることがあっても、普通に考えてこうだよ‼︎こうあるべきだ‼︎と思う、どうしたら相手の人は変わるのだろう、なぜこんなことで悩むのだと心の中で思いつつ、話を聞くことが多かったと思いました。
本当に間違っていたなと思いました。
人それぞれ考え方も、価値観も違うのに、私の価値観をぶつけてただけだと反省しました。(あまりはっきりと言えるタイプではないので、心でそう思っていました)
なんだか自然に相手のことを観察して、本当はどうしたいのだろう。まずは聞いてみよう。
またこうすべきという気持ちを相手に押し付けるのではなく、私は〜こう思うよ‼︎などと、些細な事ですが、自分で変えてみることにしました。
私はこう思う。今までなら心でそう思っていたこと。それが口に出せてなぜか私が楽になりました。
友達には友達の考えがあって、聞くなかで、
なるほど。こんな考え方もあるんだな。だから悩んでいたんだ。
私なんかよりずっとずっと深くて優しい人なんだと、思いました。
それからは、色んな人から相談を受けるとが多くなり、人の痛みや、どんなにうまくいってる人も悩みがあるということを知りました。
頭ではわかっていても、本当の意味でわかっていなかったのです。
私はふと思いました。
無駄じゃなかったなー。あのまま過ごしたよりも、良かったのかもしれないと。
すごく心が軽くなりました。