次世代型港区女子™みかのサイト

管理人みかが【次世代型港区女子™】になっていくまでの過程や、現在の活動をご紹介していきます♪

グルテンフリーって何!?レベルの私がグルテンフリーのお菓子を作れたわけ

ついにやってしまったんです!!!

ちょっと前に流行った松居○代風に言うとこんな感じ。
親友の体調を想って、思い立った事が、ついに実現してしまった
グルテンフリーのお菓子をつくってしまった!!!

http://organic-world.jp/

f:id:mikavision:20170824173411j:plain(※注意 私ではありません HPのモデルになった方です。)
でも、これにはちゃんといきさつがある。
どうしてこのチャンスが巡ってきたのか分からないけど、
多分、あほみたいに常にがむしゃらに動きまくってるから、神様が”いい加減手を下すか”ってくれたチャンス何だと思う。(笑

何年か前から仲が良い男友達が連絡をしてきた。
「みかりん、1人プロデュースしてほしい女の子おるんやけど」
よくよく聞いたら起業をしたい25歳くらいの女の子らしい。たまにこういう事を頼まれる事があったので、二つ返事で「うんいいよ~」。でランチミーティングをすることになった。

当日、ヒルズの52階のフレンチレストランMOONに行くと、
友人ゆうすけ、25歳の女の子名前をいくみちゃんという、あと1人知らない男性がいる。
「こんにちはー。ゆうすけさんの紹介で今日ご一緒させていただきますー。えちごやですー。」「え!?えちごやさん!?名前がすごい」笑
えちごやさんは、窯元を日本に持つ宝石屋さんだった。

で、話はいくみちゃんの方へ。聞いてみると、自分でハーブティを調合しているらしく、それを販売をしたいのだという。資金、融資、ブランディング、マーケティング…色んな話をしながら聴いて話をしていると、ふと、えちごやさんがニヤニヤしながらこっちを見てる。

「なんですか?笑 超、笑われてませんか?私…」
「いや、なんか良いな~と思って 笑」
「なにがですか?!」
「いや、うちにもこれくらいの年(←失礼 笑)の女性リーダー欲しいな~と思って」
「…そうでしたか。(なんや変わった人だなぁ)」
気にせずいくみちゃんとお話。いくみちゃんがメディカルハーブに関心を持ち、ハーブの力でカラダを健康にしたいという想いに賛同した。そこで、私の会社(もう1個の)でHPを作成することになった。と、同時に、少し千明の話をしてみた。
・小麦粉アレルギーで困ってる親友がいる。
・だから私がオリジナルでお菓子をつくろうと思う。
・その為に販売を考えてる
するといきなり、えちごやさんが
「俺、お菓子工場知ってるよ。一緒につくる?」
「え?」「え??」「今なんて???」
「俺、昔、和菓子をつくってたんだよ。だから、工場繋がってるの」
「え~!!!!!!!こんなところに!!!!!!じゃあすぐサンプルつくれる?」
「よし、じゃあスタートしよう」

……………何この展開!!!(笑
ってなわけで、会った初日に一緒にビジネスやることが決まって、
会った初日に次回の打ち合わせの日程を決め、グルテンフリーのお菓子つくりが始まった。本当にこの出会いに感謝しかないし、びっくりするくらいラッキーな出会いだった。

でもね、こういうことを、千明に話ししたら、
みかが千明のことを考えて、グルテンフリーのお菓子に興味を持って、
みかがいつも、年下の子や、色んな人のサポートをしてるから、ゆうすけが私にいくみちゃんのプロデュースの話を持ってきて、
みかが(男みたいに←おい)リーダーシップを取る姿がえちごやさんの目に留った。
もちろん、様々な出来事は感謝するべきことなんだけど、全てはみかの行動がつくりあげた結果だよ。って。
うわー!!!うわーーーー!!うわーーーー!!!凄い嬉しい!!!!
そうか…
未来に起こる全ての出来事は自分の行動次第なんだ!!!
未来は自分で創れるんだ!!!

私の大好きな、スタンフォード大学のクランボルツの考
その幸運は偶然ではないんです!!!

オーガニックのお菓子プロデュースをしてみた

「喜んで欲しい」

結局、これくらい単純な理由で、今こうして色んなビジネスに手を出してるんだと分かった。
最終的にやりたいことはある。子供にビジネスを教えたい。
でも、今、私がやってる色んな事って、直接的にそこに繋がってるわけじゃない。
じゃあ、なんで、あれもこれも手を出して行くのか。って考えた時に、私は「人に喜んで欲しい」んだと思った。

もうね、綺麗事とか、何だかんだ言われたとしても仕方ないんだけど、これが結局行きつくところの本心なんだと思った。それが分かったら、最近色々あったもやもやが一気に無くなった

グルテンフリー、アレルギーのある人向けのお菓子をプロデュースしたいと思ったのは、相棒で親友でもある千明の体の弱さが原因だった。

f:id:mikavision:20170817214859j:plain(美人で頑張り屋の千明)

当時千明はまだエステシャンとして朝から晩まで働いていて、会えるのはいつも夜21時過ぎだった。それでも毎日のように電話したり、会ったりするようになった。
お互いに起業したいって夢があって、そういう未来の話でいつも盛り上がった。

でも、千明は良く体を壊してた。会うとびっくりするほど荒れた、ぼろっぼろの肌だったり、具合が悪そうな事が多かった
私は良く、「あんた起業したいって言っても、その身体じゃ大変じゃない?」って言ってた。それでもどこかで ”とはいえ、大丈夫でしょ”という気持ちがあった。
でも、ある日の夜中の2時頃に千明からの電話が鳴った。何だよこんな夜中にって電話にでた。でも、返事がない。何度か千明ー!って呼びかけてると今度は、息苦しい感じで息をすったりはいたりしながら「みたん(と呼ばれてる)、ごめん、やばい…」とか言ってる。明らかに過呼吸の状態。電話の向こうで何分経っても、全然治らないし、なんかもう明らかに状況おかしくって、

「そこで待ってて!行くから!」って言いながらベッドから飛び起きた。そしたら支度して家出る瞬間くらいに千明の声が出た「…もう大丈夫。おさまった。みたんごめん。」って。

私は訳がわからなくて聞いたら、たまにこういう発作があるっていう。「なんだよそれ」って聞いたら、小麦粉アレルギーだっていう。

知らなかった。

重度じゃないけど、小麦粉いっぱい食べるとこうなるって。だから酷い肌荒れも、発作も起こる事があるって。

びっくりした。
私が大好きなピザも、パスタも、ラーメンも、ケーキも、パンも、全部、千明にとってはダメなものなんだって知った。それから千明の行動を良く見るようになった。ご飯に行って頼むもの、食べてるお菓子。コンビニに寄っても、いつもナッツか、ドライフルーツ(しかも小麦粉なしのやつあればの話)ばっかり買ってることが分かった。
それから、千明に何か差し入れする時は、成城石井とか、ちょっと高めのスーパー行ったり、どこか行くたびに小麦粉の入っていないお菓子を探すのが癖になった。

でも、探せば探すほど、小麦粉(グルテン)フリーで美味しいお菓子って本当に無くて、食べてもぱさぱさしてたり、あってもべらぼうに高かったり、記念日に見た目が可愛いグルテンフリーのお菓子探しても、都内で中々見つからなくて神奈川まで買いにいったり、そんなことばっかりしてた。

なんだよ。小麦粉アレルギーの人って超しんどいじゃん。店行っても選ぶの大変だし、美味しいスイーツもろくに食べれない。これ、超大変じゃん。健康過ぎて気付かなかったけど、これ、悩んでる人、結構入るよな。何か凄い可哀想だ。
アレルギーだってなんだって、美味しいもの、可愛いもの食べたいに決まってる。
だって、相方の千明がそうなんだから。

f:id:mikavision:20170817215323j:plain(戦友でパートナーの私と千明)

<だったら私がつくればいいじゃん>

そう思った。次回へ続く…

中国配送の壁!!

何度目!?ねぇ何度目!?

と、これまでの経緯を知ってる人なら思うだろうけど、また失敗した(笑
てか、失敗じゃなくて学びだ!と本気で思ってるけど、まぁうまくいかなかった(笑

中国北京で美容師をやってる友人が、お店に置いてくれるというので、泥パックを全て送ることにした。ちゃんと入れ物を変えて、密封して郵便局から、EMSで送った。

EMS(国際スピード郵便) スピードって書いてある…
配送してから2週間たっても全く連絡が来ない…おかしい…なんかおかしい…友人に連絡しても全く受け取って無いっていう。え?なんでだ?スピード郵便で送ったぞ。おかしい。

そこから郵便局に何回も電話で問い合わせ、ラチあかないから郵便局に3回も行き、色々色々調べて、配送してから3か月目…郵便局から連絡あり。
・北京の郵便の倉庫で発見
・1度届けに行ったけど、不在で持ち帰り
・再配達せず
なんやねん!それ!そんな宅配あるか!!と思いつつ、仕方ない。再配達を依頼。
それでも、届くなら…と安心もつかの間…
友人から電話が…
「みかちゃん!中身がぐちゃぐちゃに漏れてるよ!使えるやつが1つも無いよ!!」
3か月もの間酷い扱いを受けていた、段ボールさんは箱が原型をとどめていないほどぐちゃぐちゃになり、中身もほとんどぶっつぶれ、友人の美容室に届いたらしい。

今回の学び。
中国配送はひとすじ縄じゃ行かないってことね。
去年中国でイッセーミヤケのバイヤーやってる人と知り合ったんだけど、聞いたら、皆中国への配送は、すでにある配送ルートに乗せてもらうんだって。
ふーん。ふーん。ふーん。…先に調べたらすぐに分かった気がする(笑

でもね、また今度書くけど、結局このパックあきらめずに居たら、今ビジネスになってるんだよ♡♡笑 ありがたいよね♡

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さて、そろそろ現在のことを書こうかな♪
凄い事になってるよ♪

なまこからの泥パックにチャレンジ

なまこにチャレンジして、頻繁に行くようになった沖縄。

余りにも行きすぎて、ほぼ沖縄往復だけで、ANAのマイレージでスターフライヤーズのカード申請出来るくらいマイルがたまった…(スターフライヤーズには航空券に80万近くかけると取れるそうだ…そんなかけていたのか!!笑)

ただ、いつも余りにも多忙すぎて、金曜会社終わり→最終便で沖縄→沖縄の関係者と飲み→土曜朝6時起きで漁師さんたちと海→なまこ関係周り→漁師さんたちと飲み→日曜繰り返し→最終便で帰り→月曜朝から会社 な状態だった。

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そんなある日、いきなり沖縄で全身にじんましんが出た!!赤みとボツボツがば~っと!!もうそれはそれは酷かった…ので、ホットペッパービューティーでエステサロンを探しまくった。

で、見つけたのがあるマンションの1室で開いてるエステサロンだった。
行ってみたら、やったら柔らかい口調(おねえ口調風…)の男性1人…あれ?間違ったか?名前は大川さん、おーちゃんと呼ばれていると言う。全身金色の着物をきて、おーちゃんは玄関に走ってきた。この時点で逃げなかったのは、なんか面白すぎて初対面から好奇心に溢れてしまったからなんだ。
※お→おーちゃん み→みか
お「はぁ~いいらっしゃぁ~い。」
お「あらぁやだぁ~。顔真っ赤っかじゃないの~」
お「す~ぐなおしてあげるから、こっちいらっしゃい!」
で、ベッドに寝かされ、手際良くなんやかんや。で、良い匂いのパックが顔に塗られて、心地よくウトウト…スタートから約30分、仕上げに入る前、「ほらっ!見てみなさい!」と鏡を渡され見てみると、…え!?え!?赤みが無い!!!!なんだこれ!?一切無い!!!それどころか、ボツボツまでおさまって、顔がつるつるになってる!!なんだこれ!!なんだこれ!!!凄い!!!凄すぎる!!!!
み「これ!なんですか!?」
お「これ、あたしが調合したのよ~沖縄のサトウキビと、宮古島の深海の泥を使ってね、調合した泥パックなの~もう薬事法も通ってるから大丈夫よぉ」
み「何これ!?販売してるの!?」
お「まだこれからよ~。え~みかちゃんこれ気にいった?売りたい?
み「売る!!!
で、決まった。泥パックを売る事に…初めて行った沖縄のエステでオリジナルの泥パック作ってるオーナーと、話盛り上がって売る事になった。(爆笑

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東京に戻って2週間後、泥パックが届いた。まだ、パッケージも出来てないからって状態だったんだけど、100均のタッパーに入った3000g分の泥パックが家を埋め尽くした。(笑 さてどう売ろうかな?ま~た見切り発車でやってしまった、山積みの泥パック入りタッパーをにらんで考えた。
面白いと思うとすぐに手を出す癖は誰に似た!?(笑

なまこの売り場をさがせ

見切り発車でつくった乾燥なまこ

そもそも、売り場探す前にお金投資してスタートしちゃう時点で、今思うと本当におもいしろいぞ!私!笑 でも、その時は、おかしいなんて全く分からなかった。何も調査せずに見切り発車でビジネスをやってみる。で、その瞬間は結構マイナスだらけ。損をしてたけど…今思えば、この時があったから、今はビジネスを始める時に自然と売り場を探していけそうな匂いを感じたら、スタートするとか。もう少し調査をすることを覚えた。(それでも、基本は見切り発車気味だけどね 笑)

で、この時私が始めたのは、食べてみる事!!
形がやっぱりグロテスクで、触れもしない「なまこ」を食べてみる事にした。
偶然、友人のお父さんが銀座で老舗の中華屋さんをやっていたので、そこに乾燥なまこを持ちこみ(→笑)数日かけて水につけて戻してもらい、調理してもらった。

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「…超美味しい!!!」
「…超美味しいぞ!!!」
ここで、売れる!と思いこんだ私。
次の休みを取れた金曜~日曜は何をしたか…
これまた友人の住む北京に飛んでみた。

彼女は私の2個下の女の子で、北京で美容室を開き5年で3店舗展開させるという凄くパワフルな女の子だった。北京で彼女を知らない日本人は居ないというくらい、とても有名な彼女。そんな彼女のサポートを受けて、北京に行く事にした。

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お金なんてほとんど無かったけど、沖縄往復で溜まりまくったマイルで、飛んでみた。(笑 そこで、なまこの売り場を探しまくった。北京の日本人会というものにも参加して、ボランティアで手伝いまで飛び入り参加して、とにかく現地の日本人と仲良くなってみた。(この時に、私はアジアCANONの社長で中国CANONの社長と、大阪出身の鍼師の男の子と知り合う。これも私の大切な出会いとなる。)

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でも、結果…売り場は見つからなかった
というか、あったんだけど、想像以上に価格割れしていて、配送を考えたら、全然利益が上がらないことが分かった。中国では密漁が横行していて(もちろん日本にも来てた)その為に、なまこの価格が下がり、ピークの半分以下だと、北京の中国人が教えてくれた。そもそも、中国大陸なら、まだまだ需要があって、高値で売れるんじゃないかって思ってたけど、需要があれど、価格割れしている事は、現地に行ったからこそ分かったし、肌で実感できた。

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そこで、日本に戻るなり、「なまこ」を手放す事に決めた。諸々経費かけてつくった「なまこ」は、漁師の元に全て送りかえして、このなまこへのビジネスは終わった。
商売ってこんな感じで良いんじゃないかと思えたのも、この時だった。
”現地に行って、売り場出口で、ピンと来なかったら、次に進む。”これで良いかなと。こうなったら、次を見据えるしかないでしょ(笑
さて、次は何をしようかな♪

なまこをビジネスにしてみよう

与論の漁師と再会したのは、初めて与論島に行ってから2か月後の5月だった。

産業カウンセラーを目指していた私は、ちょうど沖縄で”産業カウンセラーの全国大会”に参加することになっていた。

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せっかくの御縁だし、与論で出会った沖縄で居酒屋をやってる人、与論の漁師、女漁師さんとその友達、皆で那覇で再会することになった。なぜか偶然、それぞれ予定が合って実現した。

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その時、なぜ与論島の漁師が沖縄に来たのか聞いて、少し驚いた。漁師たちはわざわざフェリーに車をのせて、そこに魚を積んで、与論から沖縄まで売りに来ていたのだ。勿論、与論で売る事も出来るけど、売れる値段が全然違ったりするらしい。そういう話を聞いているうちに、ますますなにか一緒に出来る事は無いか考えるようになった。

その時に、漁師が私を驚かせようと、【大量のなまこ】の写メを見せてきた。

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”ほ~らみかちゃん、これ何かわかる?”
その瞬間<キャー!!>みたいな悲鳴は一切出ず、口から出た言葉は
「ひらめいた!!」だった。本当にひらめいた。

私、本当に色んなことをすぐにひらめくだけど、この時は何か降ってきた感じのひらめきだった。
「なまこ獲れるの?禁止じゃないの?」
「なまこ、まだ平気だよ。少なくはなってきてるけどね。」
「なまこ、売るの?」
「なまこ、売るよ」
「なまこ、いくらで売るの?」
「なまこ、1回でどれくらい獲れるの」
ずっと、質問攻め。(笑 
しまいには漁師に、「みかちゃん、なまこ以外の話をしようよ~」と言われたくらい、酒の席で私はなまこに夢中だった

すぐに携帯で、海外のなまこ相場を調べて、需要を調べて、中国に詳しい友人に電話をかけた。「なまこ、売れる?」笑 
他にももっともっと調べなきゃいけない事があったから、翌日からなまこを調べた。
本屋に行って、
インターネットで、
九州の大学生の論文で、
海外の論文を翻訳して、
なまこを調べまくった。
会社の休み時間はネットを開いてなまこを調べてた。
郵送や、価格、諸々加味して、今まで生のなまこを売りに出してた漁師に
”乾燥なまこをつくろう!”と持ちかけた。
そこで、沖縄での再会から1か月後、今度は2人で沖縄の壺川漁業組合の組合長になまこの乾燥のさせかたを習いに行く事にした。会社員なので、金曜の夜に出て、土日でまた沖縄。

まだまだ暑い沖縄で、ショーパンにヒールで(→笑 壺川の漁業組合の作業場で、IC録って、ノートにメモをしながら、2人で必死に乾燥のさせかたを学んだ。
それから、養殖のさせ方を学びに那覇の漁港にも行った。
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やれるかやれないかなんて分からなかったけど、行動が先行して、イメージは持てた。
その1か月後、私は会社員をやりながら、個人事業主の登録を区役所にしにいった。
登録区分はもちろん・・・【漁業】