・ 先生も子供達も健全な学校生活を送れますように。
教師の過労が言われる昨今。
原因は何か。
学校の過密スケジュール。
ことあるごとに行われるアンケート結果では満足いく結果と出されるも、周囲の保護者からは、” 学校は何がしたいのか分からない ” といった声を良く聞く。このギャップは何なのか。
課題をこなすので精一杯の先生、その先生に課された課題をこなすので毎日精一杯の子供達、その子供達をフォローするのに精いっぱいの保護者、精一杯の保護者をさらに頑張れとPTA活動。
学校とはそもそも子供のための場のはずが、周囲が過熱し消耗し、当の子供達がおざなりのように感じます。
学校の過密スケジュールや行事の内容を今一度見直し、整理するべきでは。
もっと子供達を信じ、もっとシンプルな学校生活が送れないものか。
教師が忙しいのと同じく子供達も忙しい。
掛け声をかけるのは簡単でも、それに応える側の負担を考えて欲しい。
掛け声をかける側は、子供達の本当の声に耳を傾けて欲しい。
子供の生活の質を確保した結果、先生方の負担が減るように。
その逆は似て非なるものと思います。
・ 新学期はじめ、平和を守る学び願う。
本日のあさイチ特集、「戦争はイヤ!子どもと考える」を受け。
日々の子育てを通し、子供は大人を信じたい気持ちが潜在的に備わっていると感じる事が多々あります。頼るべき人に愛されなければ生きていないか弱い存在で、健気さすら感じます。
その分、子供への影響を考え、周囲の大人は言動に責任を持つべきと思います。
自己実現のためには平和が不可欠であること、戦争を起こさないために学び、行動する。政治に常に関心を向ける。そういったことを軸に子供に学ばせたいと思います。
考え方が違う = 戦争する。 → 考え方が違う = 話し合いで解決する。
足りない = 奪う → 足りない = 助け合う
世の中必ずしも 原因 = 結果 じゃないこともあるということ。
情報をうのみにせず自分の頭で良く考える。そして良く議論し合う。
学力や能力は個性で、差があっても良い。平和な社会を守り続けるため、学力平均アップより、政治を正すべきもととなる知力平均アップを目指して欲しいです。
・ 今日一番怖いと感じたこと。
今日は子供の小学校の始業式。
雨じゃなくて良かったね。夏休みの宿題をたくさん抱えての登校、車に気を付けていってらっしゃい、と送り出す予定でした。
しかし、早朝、アラートによるミサイル発射の情報が。
今後どう行動すれば良いかニュースを注視していました。
ミサイル通過、その後軌道の画像。関係者の発言。
………で、私達、どうすれば良いのかしら。
二発目と続かないとも確証がない状態で子供を通常通り登校させるのか。
学校に確認すると、「本日は予定通り」の一言。
学校・市・県からの情報、対応は国に準じたものの動き以外は一切なし。
集団登校の集合場所に送って行けば、登校班の子供たちが普段通り一列に並んでいました。なぜか私はその様子にゾッとしてしまったのです。
有事に国民として冷静に対応するのは大事だとは思います。私は騒ぎすぎかしら?でも私達の国の頭上をミサイルが通過したときに、子育てを大事にと声高に訴える方々のノーリアクション、ヨーロッパから日本は良く出来た共産主義国家で良く統制されている国とみなされていると話を聞いたことがあるが、今回ほど身に染みたことはない。
これじゃ少子化とまらないわ。と、本日ミサイル発射を受け感じました。
これは映画やゲームの出来事ではない。誤爆もあり得る。そんな中、どこに逃げ込めば良いか、どっちに逃げれば良いか分からず、騒ぐこともなくやり過ごす事しか出来なかった事実を受け止め、今後に生かせればと思います。
・ 正義のある社会で子育てを
「性犯罪。被害者が悪い、からですか?」本日、あさイチでの特集です。
被害者の脇の甘さが性犯罪を誘発するというような偏見が世の中にはあるようです。
そして、抵抗しなさそうな人が被害に合うことが多いそう。何だかイジメの話みたいですね。
大人の社会でもイジメはあり、いわゆる ”良い人” では社会を生きて行けないと、我が子に教えて行かなければならないのかと複雑な気持ちになることもあります。
善悪を論じる事を怠り、弱者を責める社会では子供は良く育たないのでは。
事件は社会全体が生んだ問題で、社会全体が当事者意識を持つべきと思います。
そして、社会の傷ついた部分を皆で協力して癒していかなければ、やがて痛みが社会全体に広がり、加害者と被害者の負の連鎖が続いてしまうのでは。
せっかく大事に育てた子供達が晴れて大人となったとき、正義ある、安心安全な社会に迎え入れてあげたいと思います。
・ 洗濯物をたたむ機械と家族団らんの時間について。
洗濯物をたたむ機械を見て、思ったこと。
家事について。独身時代は、必要だからやる、といった感じでした。
今後を想像すると、老後や病気になった時は、家事が出来なくなったり負担になったりする可能性があるなと思います。
現在の自分は、基本的に家事全般が好きです。面倒と思うのは、他の用事があり忙しいとき、ケンカや体調不良などで機嫌が悪いとき。
もちろん必要に迫られてという事もあるかとは思いますが、結婚・出産後は、家事を通じて、手仕事を通じて家族との繋がりを構築してきた実感があります。仕事をしていた時も、忙しくストレスを感じながらも家事をすることで自分を取り戻せる感覚がありました。家事があってこそ家庭での幸せを感じられた気がします。
今では、家族みんなで一緒に家事をするのも家族団らんの時間になっていて、家族でお出かけするのと同じくらい大切な時間です。だから、もしもの時まで家にはこれ以上家事代行機械はいらない、と思っています。
技術革新は素晴らしいし恩恵を受け感謝していますが、家族の事情は家族の数だけあると思うので、何事も、良いから使うのが当たり前と決めつけたり押し付けたりせず、必要と思った時に使えるように、そして選択しない自由も残してほしいなと思います。
・ 母性の価値
大分ご無沙汰しておりました。久しぶりのブログです。
そろそろ我が家の財政事情を鑑み就活をと、そちらの方で色々あり、感じたこと。
地方では未だ男女平等参画社会になってきた実感が得られません。
子供も大きくなってきたとはいえ、相変わらず帰宅後は学校でのあれこれを消化すべくいる様子に、親としてその手助けをする必要を感じる毎日です。スパッと切れない気持ちが甘い親なのか。子供を甘やかすことになっているのか。その葛藤の奥で、毒親や子供離れできない親など、どこからともなく聞こえてくる否定的な言葉が見え隠れしています。
しかし。うちの場合ですが。こんな手間のかかる個性的な子供に粘り強く接する事が出来るのは自分しかいない!と思ってしまうのです。勘違いも含め、母性の成せる技なのか。子供の事となると、自分とは思えないパワーを感じます。
母性のマイナス面ばかりが強調されるのはフェアじゃない。性別を超え理解が進むのは大歓迎ですが、かと言って女性の母性を否定しなくても良いのじゃないか。あのパンダの出産育児シーンに共感し、あたたかい気持ちになったお母さん方も多いのではないでしょうか。
母性の良い面を引き出し続ける社会になって欲しいです。
・ お金が無くても出来ること、出来ないこと。
ゴールデンウイーク、お疲れさまでした。
我が家では、限られた予算で家族が楽しく過ごすため知恵をしぼりました。
今の世は何をするにもお金がかかります。
妊娠したときのこと。
出産で収入が減ると考えると。
お金のせいでやりたいことを諦めたと思いたくないので、自分の思考回路を変えてみようと思いました。
子供の習い事や家族旅行など、何かしたいと思ったら、まずはお金がある前提で考えてみようと。
お金がないからやれない、ではなく、やりたいけどお金が足りない、では子供を誰かに預けて自分が働きに出て稼いだお金でやるほどのものなのか、お金をかけずに代わりに出来ることはないかと考えます。もちろん出来ないことを子供のせいにしないのは大前提です。
その習慣は今でも続いています。
夫婦間においても。結婚生活楽しいことばかりではありません。
1人で子育てしていくお金があったとして、今の家族関係を続けたいのか。
お金の必要性を認めたうえで、お金の問題と問題の本質を切り離すと、お金に惑わされることなく大切なものを見失わないで済むし、清々しい気持ちで暮らせるような気がします。
今年10歳になる我が子。そろそろ自分でしたい事、憧れの世界が広がってきているようです。これから親離れがすすみ、ゆくゆくは自立し自分の力でお金を稼ぎ、やりたい事をやれる人生を生きて行ってほしいと思います。
そして、子供の自立や夢をみる土台となる子供時代に、子供の心安らぐ生活環境を整えること、親が毎日かかさず子供に手・目・声をかけること。
そんなお金にかえがたい贅沢を、子育て中の親と子が味わえる社会にするためには、社会として、どこにどの様にお金をかけていけば良いのか真剣に論じること。大人が子供のために出来る数少ないことの1つなのではないかと思いました。