錦糸町で妹と / 復活したHER CIGARのライブ / 放送大学

タイトルに目次を全部入れる。記事を分けるほどの長さにはならないはずだし、後から振り返ってどこに何を書いたかわかりやすいことを期待して。

錦糸町で妹と

用事で東京に来た妹と錦糸町で会った。

今まであまり二人で出かけたり遊んだりしていなかったので、一緒にデニーズで食べたりパルコでいろんな店を眺めたりするのが新鮮だ。

パルコのガチャコーナーで北海道名物のものがあり、どちらもよいとまけが出てお揃いになった。よいとまけは苫小牧のお菓子で、出身の室蘭でも買えたから懐かしい。

母の分もガチャをやったら松尾ジンギスカンが出た。

総武線隅田川を通過する時に、強くこの風景が好きだと思った。水辺はだいたい好きだけど、特に都市と水辺の組み合わせに弱いのかもしれない。多摩川にはここまでの気持にならないから。

 

 復活したHER CIGARのライブ

HER CIGARというバンドがあった。たぶんはじめて観たのはHAMLET MACHINEの出ていたイベントだったと思う。ボーカルのkuroeさんがなんだか気になり、その後結成されたHOLICSも観に行った。

HOLICS以降のkuroeさんの活動状況を気にし続けてほぼ10年、運よくHER CIGAR復活を知る。ライブのチケットは発売日に取った。

出演は5バンド中5番目。待ちわびる気持、とにかく帰ってきてくれて嬉しい気持、元気な姿が見られたらそれだけでいい気持、いろいろ入り混じっていた。そしてはじまったライブは、全部かっこよくて美しくて目の前のもやが晴れた。待ちわびたからすばらしいのではなくて、今やっていることがただすばらしい。

アンコールを含めると5時間のライブだった。スタンディングなので足腰よくがんばった。帰り際は足の筋肉が固まりすぎて一瞬うまく歩けなかったので、今度はもう少し足でリズムをとったりしよう。帰宅してサロンパスと休足時間を貼って眠ったらひどい筋肉痛にはならなかった。

LAD INSANE

 

放送大学

面接授業1科目の受講と、放送授業2科目の通信指導提出を終えた。

面接授業は「公共劇場の役割と地域社会」。彩の国さいたま芸術劇場埼玉会館について学ぶ。ちょっと遠いのがネックで気になりつつ受講していなかったが、卒業が見えてきたので思い切って申し込んだ。

1日目は彩の国さいたま芸術劇場での講義。劇場ツアーがとても楽しかった。設備について職員の方からお話を聞けるなんて貴重。舞台に立てたのも貴重。ここで公演した俳優やダンサーと同じ舞台に立ったと言えてしまう。

彩の国さいたま芸術劇場

2日目は放送大学埼玉学習センターでの講義。1日目は日帰りで疲れたので、2日目は前泊した。この日は埼玉会館の建築の話が印象深かった。前川國男設計なので一度見に行ったことがある。

コロナその後日記

今、新型コロナウイルス感染症は発症日を0日目として、5日目までは外出等すべきではない扱いになっている。それ以降は呼吸器系の症状ならあっても外出してもよい。

まさに当てはまって、休んでいる間に熱や喉や体の節々の痛みや声の出なさはおさまり、咳と嗅覚のなさが残った状態で6日目から出勤した。

職場では話すことが避けられないせいか、咳がたくさん出る。帰宅してから食べ物でむせたきっかけでひどく咳込み、涙や鼻水も出て驚いた。

その時に首を傷めて今は肩も痛い。サロンパスを貼ると少し楽。

嗅覚は徐々に戻ってきた。ふだん香りが苦手で避けるユリの花を飾るチャンスと買ってきたら、当日その香りがわかったので自分にとって得意じゃないほうがわかるのかも。次に入浴剤、次にシャンプーとコンディショナー。自分の体臭はかなり後までわからなかったので、ふだんより念入りに入浴してあちこち洗っていた。

コロナによる休みが無給(有給休暇がないから)だったので、傷病手当金の対象になる。再診の際に傷病手当金の書類記載を依頼する。

再診では咳と鼻づまりを主訴にした。レントゲンを撮影し肺炎ではないとのこと。今度処方されたのは麦門冬湯とムコダイン

飲み物を紅茶や緑茶にすると咳が出て、カモミールティーにするとわりと落ち着く。カフェイン有無が関連するのだろうか。

咳や体の痛みのせいかうまく眠るのが難しい。不眠の頃処方されていた薬を飲むと睡眠が濃くて起きた後調子がいい気がする。

症状は早くよくなってほしいものの、仕事の忙しさでしんどかったモードからなんだか変われた感じがある。

つつじ

 

 

 

コロナ陽性日記

新型コロナが流行して5年目、はじめて陽性になった。

流行期間のほとんどは在宅勤務で人と会わなかったので、ふつうの風邪もひいていなかった。なのであの頃たくさんあった無料PCR検査も未経験だ。

今回かかったのは、フル出勤の仕事に転職したことと、業務内容や労働時間、通勤時間の負荷が自分にとっては高くいろいろ弱っていたのだろう。ずっとマスクをしていたけど本体が弱ってたらそりゃ病気にもなる。

これまでの経緯。

・4月26日:出勤日。空咳が出る。休憩時間に薬剤師に相談して風邪薬とトローチを買う。夜から体の節々が痛くなり熱が出ている気がする。

・4月27日:休日。引き続き体の節々が痛く咳が出る。体温計を探す気力がない。美容室とライブの予定があったがどちらもキャンセルする。ライブは当日払い式だったがキャンセル料不要とのことで感謝。玉ねぎサラダを食べたら通常感じない苦さで、ただの風邪じゃない気がする。

・4月28日:出勤日だが休む。体の節々と喉の痛みが加速してちゃんと診断を受けるべきだと思った。まだ有給休暇がないので欠勤控除されるが、給料減らしたくなさに出勤できるような体調ではなかった。

近くにある風邪外来に電話して当日午後の受診予約がとれた。病院の体温計で36.7度。鼻に長い綿棒を入れるような検査でコロナ陽性、インフル陰性がわかる。発症日を0日目として5日目までは外出しないほうがいいという。会社を休む手続きに必要なので診断書をもらう。1500円と思ったより安い。

陽性者が多く行くためか、薬局も特別な受付があるところを指定された。処方されたのはカロナールトランサミンメジコン

・4月29日:体の痛みは減ったが、喉の痛みはかなりある。飲み物を飲むのもきつい。声が出ない。電話やインターホンでのやりとりはもうできない。昨日病院に行って本当によかった。

夜、少し声が出るようになったが咳も出る。あと2日で落ち着くのか不安。

 

そんな感じで症状は継続中だけど、病気にでもならないとゆっくり休めない環境だったから実はちょっと喜んでいたりもする。たくさん負荷をかけても壊れない労働者なんて誰にとって都合がいいんだという話。

もう少し昔は都合よくなれないことが悪、くらいに思っていたけど、今は反乱・反抗上等だって思う。これが私と社会との折り合いなのかな。

 

休日に関する困りごと

今の職場はシフト制かつ、管理系業務の人員が最低1人は必要。管理系業務が私含めて2人しかいないので3連休は調整が必要、4連休以上は厳しい。

これで困るのは飛行機の距離の旅行や帰省が難しいこと。まず通勤のため多摩方面に住んでいることが空港にも新幹線の駅にも遠い。羽田空港ならおよそ2時間かかる。そして着いた先の空港から目的地までも往々にして時間がかかる。実家に帰省するとしたらこんなスケジュール。

自宅-羽田空港:2時間

羽田空港滞在時間:1時間

羽田-新千歳:1時間30分

新千歳空港滞在時間:2時間(食事時間含む)

新千歳空港-実家:2時間

これだけで8時間30分かかっている。さらに北海道は電車の本数が少ないので乗り継ぎで追加時間がかかるかもしれない。言いたいのは2泊3日とすると1日目と3日目は移動で終わること。実質2日目しか目的のために使える時間はない。

自宅-羽田空港を0日目夜にずらして3泊3日にすれば少し1日目も時間ができるけど、ホテル代が高い今出費が痛い。

高齢の母と老朽化した実家がある以上、この先現地対応や手続きが必要になることもあるだろう。2泊3日だと手続きが終わらなくてこまめに行く事態になったらお金がかかりすぎる。そもそも3連休だって調整を重ねて月1回が限度だ。

 

また、何年も受診している医師が日曜午前しか外勤をやっていない。もう1人の管理系業務の人も日曜に用事がある派。よって月1回の受診が難しくなっている。受診間隔は4-5週間おきが望ましいところ、2週間や7週間になる。採用選考で日曜休めると聞いたからシフト制でもなんとかなるかと思っていたが現実は休みづらい。信頼できる医師の診察を受ける権利もない人間みたいな気分がしてきてけっこうつらい。

 

暦通りか、シフト制でも4連休以上取れる仕事に就きたい。

タオルケットの思い出

タオルケットを買い替えた。旧タオルケットの布地に穴が開きはじめて。

Amazonの購入履歴によれば旧タオルケットは2018年に買ったらしい。丸6年以上毎日使っていたら布地も弱って当然か。

睡眠がうまくいかない極みの時期は旅行にも持って行ったな。ピンク系のいろんな色のストライプで、見ると陽気になれるのも好きだった。

新しいタオルケットは快適だけど、ぼろぼろの旧タオルケットもなんだか捨てたくない。

 

春、最近

転職して5カ月目に入った。去年短期間で退職した会社の在籍期間を上回ったのと、3カ月の試用期間が終わったのがうれしい。

仕事のつらさはコミュニケーション面では少し減ってきた。恐れていた上司とはいくつかのおおごとを越えたせいか結束が強まってわりとふつうに接することができる。

部下とは難しい対応を引き取って解決したり、意見や不満を聞くことで一定の信頼が得られるようになった雰囲気。

 

生活にはまだ疲れている。ほとんどの睡眠が化粧かコンタクトか外用の服のまま、または歯磨きをしないまま始まってしまう。途中で起きて適切な状態になってまた寝る。

引っ越しから働きはじめるまでの間隔が短くて引き落とし手続きができず、いろんな請求の払込用紙が届く。一応ポストから家まで持っては来るものの封筒を開けられない。よって家のインターネットが未納で止まったりしていた。

食事の材料を買っても気が付くと賞味期限が過ぎている。いたんだ材料をたくさん捨てる。作り置きや冷凍を活用する頭の余剰がない。

在宅勤務時代と比較して通勤往復2時間、残業平均1時間があるのだから時間がない気がするのは当然だ。いつになったら慣れるだろう。

 

2月のほとんど右足首に力が入らない症状があり。かばいながら生活してたら左足やひざもよれよれに疲れてきた。整形外科で出たサポーターを使ったらなんとなく治った感覚があり、きっとねんざだと思っていたが。

昨日、右手も同じように力が入らず足首の症状も復活。うまく眠れなくて疲れが蓄積されていたのも関係あるのかな。

 

いいこともある。

小さな映画館で古い映画を見た時ひとりになれた気がして自由を感じた。意識的にひとりになりにいくことがきっと必要。

 

花壇とまるいすずめ

 

 

喪と装い

昨年亡くなったISSAYの献花の会を予約した。公式アナウンスが『「お別れ」しなくていいんです。あなたの側に寄り添っているISSAYを感じて下さい。』というのはすてきだ。参加することで自分の中で気持の整理になればと思っている。

そして参加する際の服装を考えている。公式で『喪服は必要ありません。普段通りの"あなた"でお越し下さい。』とある。ただ私の普段はざっくりしたニットにチェックのフレアスカートというリラックスした服装で色合いも黒くない。職場の人にはハイジと言われる格好である。メイクしたロックミュージシャンの喪の場にはなんとなくそぐわない気がする。そして長年ドレスコードはパーカー的なIT業界勤務だったせいか、きちんとした服をちっとも持っていない。

これはやっぱり新しい服がいりそう。ほしいのはきちんとしていて黒い服。避けたいのは本気の喪服感、式典の保護者感、結婚式ドレス感。考えながらオーケストラの団員さんの服を参考にすべきかもと思った。白いブラウス(ちょっと装飾要素あり)、黒いロングスカート。これに冬なのでツイードかニットのノーカラージャケットを足したらバランスよいかもしれない。

かなり真剣に考えていたせいか、夢にISSAYが出てきた。夢の中でも亡くなったあとでお別れ的なイベントなのに、なぜか動いているISSAYと話せた。私はそのイベントで使ったお皿を会場で洗っていた。夢はなんでもあり。