minminzemi+81's blog

あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ ノシ

GW人気スポット 𝙸𝙽 和歌山【お勧め】

GW 人気スポット 和歌山

 

一位 ポルトヨーロッパ
二位 新庄総合公園
三位 片男波海水浴場
四位 四季の郷公園
五位 加太森林公園

(ウォーカーplus調べ)

 

🤔一位以下は「へぇ…?」て、感じするけども。いま人気あるのかなぁ?まぁ、お金かけずにほどほどに、てな場所ってコトになるのかなぁ。

二位 新庄総合公園ってまったく知らないな。四位 四季の郷公園は、ファミリー層にはお勧めな場所。子供が大興奮できるよね。あとは・・・

五位の森林公園といえば「トイレの幽霊でしょ?」これ結構有名なんだよネ!あと「深山砲台跡の兵隊?」の目撃談とかも、あったなぁ~。

そういや、こんな怪談話、あったよぉ・・・

 

~夜にはイク♡な~

 

私は和歌山県和歌山市に住んでいる男性です。ずっとこちらに住んでいる為、心霊スポット関連の情報は色々と耳にしました。若い頃は好奇心が勝ったり、女性と一緒に出掛けてみたりしたものです。幸い心霊現象等にもあわず、所詮噂だけでなんてないなと感じていました。でもある場所へ行ってから、その考えは変わったんです。そこへ何故、行ったか?そこは、何処か?といった体験をご紹介します。

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これは今から15年程前で、私が30歳ぐらいの頃の体験です。この頃、私には交際中の彼女がおり、彼女は和歌山県橋本市在住19歳でした。高校卒業してからは私の家へお泊りする機会もふえ、夜中にどこか連れて行って欲しいと言われる事が多くなりました。最初は夜景スポットへ連れていってあげていたんですけど、そのうち連れていく夜景スポットもなくなってしまいます。「もう近辺の夜景スポットは行く尽くしたなぁ」と彼女に伝えると、彼女から「心霊スポットへ行ってみたい!」と、お願いされました。まぁ彼女は若いですし、好奇心が旺盛でした。

それに和歌山市在住ではないので「和歌山市にはどういう所があるんだろう?」と、気になったのでしょうね。それでお泊りする度に、心霊スポットを連れていったというワケなんです。そして行って後悔する事となった、和歌山市の加太にある深山砲台跡へ行ってみました。私もこの場所へ出掛けるのは、実は初めてでした。というのも、以前より友人から「あの場所へ夜行くのは、止めた方が良い」と、言われていたからです。

その友人は私のドライブ仲間で、高校卒業して車を購入してからは、よく深夜ドライブをしていました。和歌山県内は大体この友人とドライブし尽くしたのですが、ここだけは友人から止められたんですよ。その友人曰く「ツレが休暇村紀州加太で働いているんだけど、そこだけはマジでやめとけ!」と、言われたそうです。恐らく友人はツレから詳しい事情を聞いていたから、強く私を止めたのだと思いますが、それは何故か?という事は話してくれませんでした。

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友人が止めてくるけど、どうせありがちな心霊スポットだろうと、タカをくくってたんですよね。友人から止められて未だ行った事はないし、彼女は心霊スポットに行きたがっている。「それなら連れたったら丁度良いんじゃないか?」と、思って彼女を連れて深山砲台跡へと向かいました。自宅から車で30分程で、深山砲台跡手前の駐車場へ到着しました。深夜1時過ぎだった事もあり、他に車は停まっていません。「誰もいないから人目気にせず、イチャコチャ出来るねぇ~♡」なんて、バカ話をしながら深山砲台跡へ向かって歩いていきました。月が出ていたので、それほど暗くはなくガラケーライトでも十分歩いていけました。

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現場へ到着すると物凄く雰囲気のある場所でした。周りはレンガ造りの建物ばかり。天空の城ラピュタに出てくるような建物群でした。ここは第二次世界大戦以前に要塞として築かれたそうです。ここに大勢の兵士が詰めており、大砲等も設置されていたとの事。この辺りの情報は後から知ったのですけど、この時は唯ただ不気味で。いまのように廃墟ブームなんてない頃でしたし、確かにここはヤバそうな場所だと実感しました。

レンガ造りの要塞群をみた時、ゾクゾクッと来るものがありました!彼女の顔も引きつっていましたから、恐らく彼女も感じるものがあったのだと思います。ここで引き返しておけばよかったのですが・・私と彼女は、「ここまで来て引き返せない!」という事で奥へと進んでいきます。そしてレンガ造りの建物を見渡しながら歩いていくんですけど、ひときわヤバイ感ある場所を見つけました。

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その建物内には大きな室内が一つあるだけで、他は何もなくガラーンとしています。そして向かい側は窓のようになっていました。これまで以上に寒気を感じます。「これはヤバイかも?」と思って部屋から出ようとし、彼女の手をとって外へ出ようとしました。

すると、彼女が部屋の奥にある窓側をみて、固まっています。「どうした?」と尋ねると、彼女は我に返ったものの、物凄く怯えているんです。ここから彼女の様子は急変し「大丈夫?」と尋ねても頷くだけで、声に出して返事はしてくれません。これは早急にここから出た方が良いなと感じ、探索途中でしたが、撤退を決めました。

「もうここから出よかぁ?」と伝えると、彼女は頷き私にヒシっとしがみ付きながら、一緒に歩きました。しかしその時も彼女の様子は、少々おかしいんですよね。何かに怯えているというか。とりあえず深山砲台跡を抜け出し、駐車場まで戻ってきました。

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車内に入ると彼女はようやく落ち着いたようで、彼女がレンガ造りの建物内でみた事について、話しだしました。到着時の印象は、私と同じような感じだったようです。「レンガ造りの建物ばかりで、雰囲気があるなぁ~」ぐらいの。そして私と一緒に歩いているうちレンガ造りの建物内に入りました。ここがヤバかったのだそうです。入口の反対側は窓になっていたのですが。その窓から外をのぞくような感じで軍服を着た男性兵士の姿が見えたそう。まるで旧日本軍兵士のような感じだったそうです。

こちらに気付く事もなく、ただ外を見つめているというか見張っているような感じだったそうです。こんな時間に人が、まして兵士がいるなんて事は、ありえません。これはマズい所へ来てしまった!と彼女は感じ硬直してしまった。そんな時に私から声を掛けられて、我に返ったものの声を出して返事をすると、兵士に気付かれそうだと恐怖したそうです。だから私が話し掛けても、返事をしなかったと言われました。そして恐怖はまだ続きます。

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私と一緒に戻る事になったものの、先程通ってきた通路の状態も変だったそう。レンガ造りの建物と建物の間に通路があるんですけど、そこに先程みた旧日本兵と同じ姿をした兵士が通路に座っていたり、窓から私達の様子を伺っていたようです。話をして兵士に気取られたらイヤですし、戻っている最中も声を出さなかったそうでした。

深山砲台跡を出てからは、旧日本兵の姿は見えなくなりましたし、車に帰ってきたという安心感から落ち着きを取り戻して、事情を話せるまで回復したと教えてくれました。私は寒気を感じたもののそこまでは見えていなかったので、驚いていると・・彼女の表情がまた変わります。彼女は怯えた顔つきで私の方を、いえ、私の後方を見つめていました。彼女は小さく震えた声で「ぅ後ろぉ…いま、後ろにいるぅ…このまま車を出してぇ…」と、お願いしてきます。 

彼女の話し方と表情から冗談ではないと感じ、言われるがままエンジンをかけて車を走らせました。そこから一般道へ出るまで、彼女はずっとガタガタと震えていたので「もしかして外に居た?」と聞いてみました。すると彼女は声を出さずに頷くだけ。さっきも姿を見掛けた時は、声を出していないといってましたし「もしかしてまだ追い掛けてきているのかも?」と感じながら車を走らせました。

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往復4車線で車の交通量が多くて明るい道路まで来ると、彼女は落ち着きを取り戻しました。私の想像通り旧日本兵の姿をした兵隊がいたそうです。しかも後部座席に。これを聞いた時は心臓が飛び出るぐらい驚きました。彼女から「もういないから大丈夫」と言われましたけど、本当に落ち着かなかったですね。これで終わってくれれば良かったのですけど。

異変はまだ続きました。このまま自宅へ戻るのも怖いし、途中でファミレスへ立ち寄る事にしたのです。この頃のファミレスは24時間営業をしていますし、夜中でも週末ならそれなりにお客様も入っていて、賑やかでした。「人がいて明るい=これにて安全」というわけではありませんが、こういう所に来ると安心するんですよね。

席に座っているとスタッフが何故か、お水とオシボリを三人分持ってきました。ここで彼女も私も固まります。そう、恐らくスタッフには私達二人と、何かがみえたのでしょう。ここまで来たから安全だと思っていましたが、大間違いでした。私も彼女も瞬時にこの事を悟り、青ざめました。結局このお店では、ドリンクだけをオーダーしてすぐ飲み干して退店。コンビニで塩を購入し、清めの塩代わりに使用しました。これが効いたのか、それから妙な現象は起きていません。

でもそれ以降、彼女から「心霊スポットへ連れていってぇ♡」と、言われる事はなくなりました。もちろん私自身も行かなくなりました。昔、友人から行くなと言われましたけど、本当にヤバかったから止めてくれていたんだなぁ・・今更ながら忠告を守っておけばよかったと、後悔しました。  ~終~

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🐱なんか怖いにゃ~ん♡

〇この場所の関連情報書いております。

https://minminzemi81.hatenablog.com/entry/2021/05/17/200000

https://minminzemi81.hatenablog.com/entry/2018/07/16/123000

「この海の向こうに」とりあえず記録し、記憶しておこうか。【神曲】

その親子は何処までも透き通る、キラキラと輝く宝石のような海に、釣り糸を垂らしている。緩やかな風が親子を撫でている。もう陽は、傾きかけていた。

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「今日は釣れないねぇ」と、子どもは言う。

「そうだね・・」と、お父さんは言う。

「なぁ、つよし」とお父さんは不意に言った。

「おまえは、海が好きか?」

「好きだよ」と子どもは言う。

「お魚がいるから好き」

「そうか、そうだよなぁ、お魚は可愛いよな」

「お父さんは、海が嫌い?」

「嫌いじゃないよ、好きだよ」

「ふ~ん」

「あのなっ。お前はまだ小さいから、難しいかもしれないんだけどな・・」と、お父さんは少し間を空けてから言った。

「この海のなっ、ず~っと、ず~っと向こうには、とっても、とっても、大きな国があってな。たくさん沢山の人が住んでるんだ」

「知ってるっ!アメリカ!」

「うん。アメリカではないんだ」

「うん」

「その国の人たちとは、俺たちと見た目がとても似てるんだ。肌の色や髪の毛の色は、アメリカの人から見たら区別がつかないくらい、似てるんだ」

「うん」

「でも、話す言葉や書く文字も違うし、考え方も違うんだ」

「うん」

「それでな、その大きな国と俺たちが住んでる島の間には、誰も住んでいない小さな島が、一つあるんだ」

「うん」

「ちょうど真ん中くらいにあるんだ・・」

「うん」

「どっちのモノだと、思う?」

「うぅ~ん」

「じゃあ、さぁ、いま釣りをしている、この海は誰のものかわかる?」

「う~ん」

「つよしのか?」

「うぅん、こんなに沢山持てないよ!」

「じゃ、あの向こうに生えてる木は、つよしのか?」

「違うよ!僕のじゃないよっ、僕よりおっきいし!」

「そうだよなぁ、お父さんでも持てないなぁ・・」

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親子は釣りをほったらかしにして、空を眺めていた。

「お父さんに、あの雲あげるぅ」

「いいの?じゃあ、つよしには、あの雲あげる」

「ぎゃー!変なかたちすぎる!ギャハハハハッ!」

「なぁ、この空は誰のものだと思う?」

「わかんないっ!」

「アッハハハッ!わっかんないよなぁ、お父さんもわかんないやぁ」

その時だった。

「あっ!お父さん、引いてるよっ!」

 

戦争がおこった!

 

「STOP THE WAR!」

ロックンローラーは、言いました。

「支えてくれた家族に感謝」

ラッパーが、言いました。

「もっと思想を持つべきだ!」

詩人が、言いました。

「もう二度と、こんなことが起こらないようにしましょう」

先生が、言いました。

「戦争とかマジヤバくねぇ〜?」

女子高生が、言いました・・

 

すっかり陽は暮れていた。

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「お父さん・・今日は釣れたの、一匹だったねぇ~夕ごはん、足りるかなぁ?」

「おまえなぁ・・こないだもそう言って、ごはんおかわりしたのに、残したろう」

「うぅ~ん」

「大丈夫、足りるから。きっと足りる!」

その時のお父さんの顔は、何時になくとても厳しく見えました。

 

▽オリジンはこちらで๑

https://youtu.be/skHsCRuyc-U?si=fyWFpLHQkKsGiG_R

詩人は時代性を鋭くエグってくる。才能がとてもあっただけに、事故で亡くなったのがとても悔やまれる人物だった。

〇不可思議/wonderboy

1987年生まれ~2011年。不慮の交通事故により早逝した。学生の頃より谷川俊太郎に詩作の影響を受けていた。谷川俊太郎の詩をラップ調にした「生きる」を披露し、谷川本人から直接音源化の許諾を得た逸話が遺る。

(Thank you for reading, let's have fun.)

ツユの合間に『南高梅 サワー漬け』サクッと作ってみろし【和歌山特産品】

南高梅のサワージュース作ります

六月は、雨だよ、雨だね、また雨が、ショボ降る。ツユの季節は、漢字で書いたら「梅の雨」だ。気づいてみれば、もはや六月だった・・

そう、梅シーズンなのです!猫でも杓子でも、出来まっせぇ「南高梅サワージュース」。こりゃ簡単、カンタン♪

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今回、新鮮な南高梅を漬けることで「爽やか香りたつ♡ジュース」目指します。もちろん、和歌山南部産 南高梅を推奨デス。

 

今回用意するものども

 

○ガラス製漬け瓶・・お好みでどうぞ。見た目勝負も大事な要素なのカモ?市販のオシャレな漬けビン、オカンが買いそうなビン、高級海苔の空き硝子瓶とかもイイ感じに。

南高梅、青梅を適量・・近年値段が上がっています。(1kg、販売単位)あまり沢山買い込むと、残処理に困りますよ。少し追熟させます。

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○氷砂糖・・キロ売されています(最小単位は500だったかなぁ?)。

○焼酎(梅酒にも使えますし、残りは呑んじゃえ)・・自分にあった適量を。

○酢(黒酢推奨)・・約200cc。

 

梅ジュース作りの開始です!

 

①漬けビンをよく洗い、乾燥させます。滅菌のために瓶の内側に軽く「焼酎付け」します。小さなシャレオツ瓶なら、熱湯滅菌だけでOKですね。

南高梅(100g)を水でサッと洗います。キッチンペーパーで水気をとり「竹串、爪楊枝」などで、梅のヘタとりをします。コレはカンタンにとれます。

③青梅をジップロックなどに密封、冷凍庫で氷結させます。これは冷結作用で梅細胞が破壊され「梅エキスが出やすくなる」からです。または数日間、梅を部屋内で放置して追熟させます。赤みがさした黄色になれば、これにてOKです。

④ビン内に梅を配置します。乱暴に入れないで。次に氷砂糖(量はお好みで増減して)を上に載せます。見た目も愉しみのうち、エエ塩梅になるよう地層配慮を。最後にお酢(200cc)を、静かに注ぎ込めばこれにて完了です。蓋をしっかり閉めます。

⑤あとは冷暗所で保管します。たまには取り出して、軽くユサユサ揺すってみたりして、愛情かければ梅も歓びます。

☝これは梅酒仕込みの瓶です

ほらほら~変化がけっこう愉しいですよ。だいたい1ヶ月程たてばOK!

これからやってくる暑い季節に、原液を炭酸で三倍程度に薄めた、梅炭酸ドリンクが美味し~い♪お子ちゃまには、牛乳割り🥛にしたりしてさ。

(1,000文字、Thank you for reading.see you again.)

てんてん てんまり てん手鞠♪童謡「紀州 手鞠歌」に隠された謎【歴史異聞】

紀州公の大名行列は凄かった!

御三家紀州徳川家(55万5千石)の大名行列は、「前駆、前軍、中軍、後軍、+荷駄隊」の軍事編成を組む。内訳は騎馬武者103騎、徒武士1639人、荷駄人足が2337人・・・堂々たる四千人規模だった!

徳川家大名行列、作者「歌川広重

大名行列。街道筋や宿場に入った時などに、人々に土下座を強いた。行列前を遮るものは、全て排除されたという。

前駆は「露払い・金紋先箱・先槍」が務める。まず露払いが「したにぃ~!したにぃ~!」と、お馴染みの文言を大音声を発しながら歩く。これは“尾張紀州家のみの大特権”だった。金紋先箱も、ごく僅かな大名家のみ許された、「控えおろう、この紋所が目に入らぬかぁ!」と。漫遊中の水戸黄門御一行だって逃げ出すよね。なので先槍の穂先の相違で遠方からでも、その家格が判別できたらしい。

そして「徒士武者・槍組・弓組・鉄砲組・騎馬隊」が繰り返し続く。駕籠専属の「護衛家臣団」。そして、お殿様が乗る「黒漆塗り御駕籠」となる。駕籠の前後左右には、「馬廻り衆」が羽織袴姿でぐるりと囲んだ。 それに続いて「刀持ち・薙刀持ち。医者・茶坊主・弁当持ち・草履取り・傘持ち」などが、それぞれ付き従う。

後尾の荷駄隊は、長持に諸々の備品(草鞋、金銭、衣類、馬具)などを入れた。馬列では、家臣達の荷物・献上品やら土産品まで運んだ大所帯だった。

(※街道を大名行列が通過する時、近隣すべての人は道を開けなくてはならなかった。例外として「産婆さんと飛脚」だけは、行列を横切ってもお咎めなしとされたという)

 

童歌「手鞠唄」実は恐ろしい?!

紀州てまり

手鞠唄の歌詞をじっくり眺めてみると、何やら只ならない情景が描かれている。一体これ、何を言わんとしているのだろうか?不思議だ。

 

1.てんてんてんまりてん手鞠
てんてん手鞠の手が逸れて
どこから どこまで飛んでった
垣根をこえて屋根こえて   
表の通りへ飛んでった
飛んでった
 
2.表の行列なんじゃいな
紀州の殿様お国入り
金紋先箱供揃い
お籠の傍には髭ヤッコ
毛槍を振りふりヤッコラサ
ヤッコラサ
 
3.てんてんてんまりてん手鞠
弾んでおかごの屋根の上
もしもし紀州のお殿様   
あなたのおくにの蜜柑山
わたしに観させてくださいな
くださいな
 
4.お籠は往きます東海道
東海道は松並木
とまりとまりで日が暮れて
一年たっても戻りゃせぬ
三年たっても戻りゃせぬ
もどりゃせぬ
 
5.てんてん手鞠は殿様に
抱かれてはるばる旅をして
紀州はよいくに陽の光
山の蜜柑になったげな
赤い蜜柑になったげな
なったげな

 

以下引用文『・・大名行列が見えてきた。人々は平伏す。その平伏した目の前を異様なものがコロコロ転がった。それは、手毬だった。そう思った途端、お河童頭の女の子が飛び出してきた。もちろん毬を拾いに出ていったのである。

しかし、次の瞬間侍の大きな声が聞こえた。「無礼者っ!」ただひと声だった。刀がキラリと光った。ばさっという音とともに、女の子の体が崩れ落ちた。悲鳴すらなかった。肩先から胸に切り裂かれた傷口から、赤い血がただ、どくどくと流れていた。大好きな手毬を追っていった女の子は、何の前ぶれもなく理由を聞かされることすらなく、ただばっさりと斬り捨てられた。

「一体何が起こったのだろうか?」

即死してしまい、痛みさえ分からぬ女の子は、目の前の毬に魂をのり移らせてしまったのだ。

「はずんでお駕篭の屋根のうえ‥」とは、死ぬことにより浮遊した霊が、殿さまよりも上にいるという状態を歌っていたのである。でなければ殿さまのお駕篭の上に乗るなんて、あまりにも不謹慎すぎるではないか。死んだ女の子の心は、毬にのり移って東海道を旅するのである。死んでしまったという意味、いなくなってしまったということを、「一年たってももどりゃせぬ、三年たってももどりゃせぬ」と表した。

戻らないとは、もう二度と帰ってこない、つまり死んでしまったという意味になるのである』

(合田道人著「童謡の秘密」より)

何だなんだ、この話はっ!とても気味が悪いぞ。まさにホラーぢゃないかぁ・・たまりませぬ。もっとも「毬と殿さま」の作詞者は、西条八十とされているので、昭和時代なのだけどさ。

アリリィ…?

▷以上諸々、踏まえまして。こちらのお話もどうぞ。これは・・いったい?!何なのか…

【怪談】手毬歌【朗読】 - YouTube

(1,800文字、Thank you for reading.see you next Time.)

終戦後、ジャングルにて二十九年間も戦い続けた男ONODA!【大好きな映画⑫】

🎥『ONODA一万夜を越えて』

二十九年間も孤軍奮闘、フィリピンのルバング島で、戦い続けた奇跡の男の物語。

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ほんと小野田さんはラストサムライ。もの凄かったからなぁ・・この映画等々踏まえ、小野田さんの人生のアウトラインを考察&補完してみる。いったい戦場で、何があったのだろうか?

 

小野田寛郎氏、数奇な運命

 

1922年。小野田さんは和歌山県海草郡亀川村にて、父 小野田種次郎、母 タマエ、名家小野田家の四男として産まれた。実家は、海南市小野田にある「宇賀部神社」の宮司家だった。

しかし父は政治家で、兄三人はいずれも陸軍将校の家柄だった。小野田さんは、そんな父の在り方に強く反発し、単身上海へと渡った。現地の貿易会社、田島洋行で働いていたという。

(※宇賀部神社は古代豪族「名草戸畔の頭」を祀っている。小野田さんは父や祖父から名草戸畔伝を聞いて育った、最後の伝承保持者でもあった)

 

召集令状をうけ、故郷にて入営す

 

1942年。徴兵検査を受け「和歌山第61歩兵連隊」に入営する。さらに「歩兵第212連隊」へ転属した。同連隊にて「幹部候補生」を志願し試験に合格する。やはり兄達の影響もあり、一兵卒ではプライドが許さなかったのだろう。

1944年に小野田さんは「久留米第一予備士官学校」へ入校する。この頃、日本側は「捷一号作戦」発動。戦局は悪化の一途を辿り、アメリカ軍がレイテ島へ上陸する。それを迎撃した連合艦隊は、レイテ沖海戦で壊滅状態に陥る。

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すでに戦地への補給路すら、ままならない状況だった。だが陸上戦の「フィリピンの闘い」は劣勢ながらも、8月15日以降も散発的に続いていくことになる。そんな戦況の中、彼は・・

(※守備側、山下奉文大将がマッカーサー元帥と、降伏文書に署名したのは1945年9月3日。これで「捷一号作戦」はようやく幕を閉じた)

 

不思議な面接試験があった

 

ある日のこと。小野田さんは上官に呼び出され、不思議な面接を受ける。面接目的は何なのか?この将校は一体誰なのか?事前説明などは一切なく、プレッシャーだけが存在する状況だった。

会議室に入ると部屋の真ん中に、背もたれのない丸椅子がぽつんとある。促され正面を向いて椅子に座る。長机越しには面識のない四、五人の将校が座っていたという。

無表情、こちらに視線だけを投げつけてくる。

「後ろを向けっ!」

命令に従い180度からだを回転させた。やがて合図があり、正面に向き直ると、将校の一人が尋ねた「この長机の上に、何が置いてあったか?」これは思いがけない質問だった。見ると机に置かれていた物が、きれいサッパリ片付けられていた。

「灰皿、万年筆、たばこ・・・」懸命に記憶をたどり、五つほど挙げた。「よし、帰ってよろしい」それで、奇妙な面接はそれで終わりだった。これが小野田さんの「運命の分かれ道」となった。

 

中野学校二俣分校とは・・何?

 

天竜川沿い、二俣城近くに中野学校分校があった。不思議な面接に合格した小野田さんは「(仮称)東部33部隊」へ転属する。特務曹長(見習士官)の階級章を付け、腰には軍刀を吊るしていた。この誰も知らぬ「中野学校二俣分校」で諜報活動、山岳ゲリラ戦を学んだ。

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静岡県浜松市

ある日の教練中。教官が川を渡り終えたところで突然足を止めた。矢継ぎ早に質問を浴びせてくる「この橋の長さは?」「川の水深は?」「どのくらいの爆薬があれば、橋を壊せるのか?」などと。

そして悪名高い陸軍戦陣訓の真逆である「どんな生き恥をさらしてでも生き延び、下命任務を完遂するのが中野魂であ~る!」と新たな精神棒を注入される。正に、コペルニクス的転回!

(※戦陣訓。昭和16年に、陸軍東条英機が配布した戦場心得。なかでも「生きて虜囚の辱めを受けず」という文言が陸軍兵卒から民間人まで、悲惨な玉砕攻撃や自決に追い込む結果となった)

 

謎の陸軍中野学校(東部第33部隊)

 

帝国陸軍諜報機関であり、「間諜や防諜(所謂スパイ)」などの情報戦の教育訓練を目標に始まった。その所在地は、帝都中野区中野四丁目(校名は地名由来)に存在していた。

参謀本部直轄の学校で、陸軍内でもその存在は秘匿された。戦争が激化した1944年。静岡県二俣町に「ゲリラ戦養成」を目的とした、陸軍中野学校二俣分校が設立された。

 

そして離島残置工作員となる

 

1944年。フィリピンで「ゲリラ戦指揮」の任務を与えられ、同地に派遣される。第14方面軍隷下、第八師団(八甲田雪中行軍遭難事件で有名な師団)参謀本部付となる。

師団長の横山静雄中将からは「玉砕は一切まかりならぬ。三年でも五年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が一人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張れ。いいか重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん!わかったな」と、またもクギをさされた。

これで逃げ場は一切閉ざされた。そして、ルバング島に潜伏し工作活動を開始する。

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日本陸軍階級(標準)~

元帥

○将校
大将◁中将◁少将
大佐◁中佐◁少佐
大尉◁中尉◁少尉

准尉(特務曹長)

下士官
曹長◁軍曹◁伍長

○兵卒
兵長上等兵一等兵二等兵

驚くのは約二年程で「二等兵⇒少尉」までスピード出世したこと。8階級特進なのである!それがいかに凄いことか。

旧陸軍で星一個上がるのに、軍歴数年はかかるという。しかも配属先は第八師団参謀部。さらに任地は最激戦地、これら考え合わせると、彼はとびきり「優秀なソルジャー」だったのです!

 

戦争の真実はいずこ

 

実は、小野田少尉は『戦争がとっくに終わっていたこと知っていた?!』らしい。中野学校出身の残置工作員として、日本軍の上層部だけが知る、機密情報までも共有していたという。

要するに日本敗戦は、既に折り込み済みだった。

また戦後にはラジオ、新聞などで逐一世界情勢の把握に努めていたそうです。ルバング島では、仲間達と島民を襲い食料などを強奪し、さらにたくさん射殺している。

これであっさり投降すれば、報復リンチにあうだろう。みずから白旗あげることだけは出来なかった。

しかし、最期まで作戦行動を共にしていた部下、小塚さんがフィリピン警察に射殺され、ジャングルに独りぼっちとなった。これで守るべきものもなくし、精神的にも耐えられなくなったのか・・?

1974年3月9日。当時の上官より任務解除命令を受け、小野田少尉はついにジャングルより投降し、永い闘いは幕を閉じた。

しかし、帰国にさいしては“惨めな敗残兵扱い”だけは是非とも避けたい。それで軍刀を捧げる最敬礼するなど「時代かかった大芝居」を打ったのかもしれない。その姿は世界に配信される。それにしても・・・

(※マラカニアン宮殿での投降式セレモニー。マルコス大統領は降伏印としての軍刀を、小野田さんより直に手渡される。すると大統領は「第二次世界大戦は終わった」と軍刀を返した。)

 

永遠の命題、なぜ人を殺してはいけないのか?

 

これについて賢者、ニーチェのお答えは・・

『なぜ人を殺してはいけないか。これまでその問いに対して出された答えはすべて嘘である。重罰になる可能性をも考慮に入れて、どうしても殺したければ、やむをえない。それにしても、なぜ、他の人々は誰もこうした明白な真理を、口にしようとしなかったのか。そしていまもしないのか。それは彼らが不道徳で恥知らずだからである』これが、ニーチェが導いた答えである。

近年で例えれば、不審者が列車内で刃物を振り回し、塩酸とオイルを撒いて火をつけ大量殺人やらかしても、ニーチェなら「まぁ、しようがねぇ奴」と、なるのだろう。

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戦後、引き続き小野田少尉が30年近くジャングルに籠り、約30人(フィリピン側の推定)殺害したとしても・・・

実際のところ、小野田さんがジャングルからようやく投降した時。マルコス大統領は、その罪一切不問とした。

ただ、それに対し現地の遺族達が騒ぎ始めたので、日本政府は大慌てし口封じ・・いや、違った「見舞金100万ドル(三億円)」支払ったそうです。勿論、金銭受取にも一悶着あったそうだが。

戦争はホント罪なもの、お金がやたらかかるのだ。そして、ひたすら虚無感ダケがのこる・・。

 

小野田さんその後の身の振り方

 

昭和四十九年。母国日本へようやく帰還を果たした。しかし、大変貌した日本社会にはなじめず、一年後にはサッとブラジル移住してしまう。現地ではジャンルを切り拓き「小野田牧場」をつくり、そこで経営者となった。

昭和五十九年。日本で野外活動などを通じて「子供達の生きる力を育てる」といった目的の「小野田自然塾」を始める。このように最後まで、何かとワイルドな話題を振りまくヒトでした。

Did you watch the movie "ONODA"?

▽映画『ONODA 一万夜を越えて』フランス人監督だから描けることもあるワケで。日本監督だとやはり色々と表現が難しいのかもしれないな。

youtu.be

『三年でも五年でも頑張れ。必ず迎えに行く』

(3700文字、Thank you for reading, Please enjoy movie!) お題「ゆっくり見たい映画」