Searching for the Young Soul Rebels

音楽、映画の話題を中心に、自身が経験した病や離婚について、はたまた離れて暮らす息子のことなど、徒然なるままに書いていきます。

挫折したことがないかのように笑え~息子の9回目の誕生日に寄せて

まもなく3月23日になる。遠く離れて暮らす息子の9回目の誕生日だ。この9年間、父にも母にもこの国にも、本当に大変なことがおきた。そして恐らくは君にも…。2015年末には父の大好きだった祖母も息を引き取った。人はあっけなく死ぬ。そして死んだら何も語れない。現在、2016年3月17日、父は37歳。ひとりの部屋から君にメッセージを残す。いつ死んでもいいように。

 

君が生まれた日のことは、こちらのエントリーを辿ってくれ。良く晴れた初春の日差しを今でも覚えている。安直かもしれないが、君の名前に「希」の字を入れたのは、父母にとって希望の存在だったからだ。君のいるこの世界はたしかに輝いて見えたから。

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 君はいつしか歩けるようになり、話せるようになり、文字を読めるようになり、書けるようにもなった。届いた手紙の宛名が全部、漢字だったとき父の喜びようは大きかった。それを希望と言わずしてなんと言えば?大人になんてならないでほしい。でもすくすく成長してほしい。この相反する気持ち、君にもいつかわかる日が来るかもしれない。

 

今日は、父が読んだばかりの物語の話をしたい。高浜寛「サッドガール」という漫画だ。主人公の女は、睡眠薬の過剰摂取で自殺未遂、運よく助かるがアル中の夫から逃げるように各地を転々としていく。そして、とことん堕ちてゆく。ホームレス生活も経験する。支えになるはずの家族は、カルトにはまっている。また逃げる。そしてやがて死んでしまう。この作品を暗く重いと表現する人がいるかもしれない。でもね、これが生きることなんだ。辛い話かもしれないけど、世界はそんなに楽しいものではない。美しいものでもない。父が37年生きてきて思うことだ。だからこそ、君に「希」の字を与えた。こんな世界でも、輝く瞬間はあるから。そしてできるならば、君がその輝きを他者に与えられる存在になってほしい。

 

「サッドガール」の話に戻そう。物語の結末はちょっと意外だ。いつか君自身の目でそれを確かめてほしい。そこで語られる、こんな言葉の意味を深く考えてほしい。

生きていこう。まるで一度も挫折したことがないかのように

 そうやって決心しても、人はすぐに挫折しそうになるもの。事実、物語でもそれがうまく描かれている。もちろん、一度も挫折しない人間なんていない。むしろ日々、挫折の連続だ。だからこそ笑うんだよ。あとがきで高浜寛自身はこう書いている。

辛い中にもユーモアを持って、昔の話を、どうよ暗過ぎて笑えるでしょと、笑って話せる日がきっと来るから

 挫折なんてしたことがないかのように生きて、挫折なんてしたことがないかのように笑ってみなさい。それだけが、この世界を強く生き抜くコツみたいなものだから。父もそうして生きている。生きていく。9歳になった君がこれを読むことはないだろう。もっと大きくなり、挫折も何度か経験し、そしてこのブログの存在を知り、いつか読んでくれたら幸いだ。

 

とにもかくにも、誕生日おめでとう。君がいまいくつで、どこで読んでいるのかわからない。でも、いつまでも君を愛している。

 

SAD GiRL

SAD GiRL

 

 

 

 

豊田道倫の壮絶な20年、僕の笑えない日々

豊田道倫のCDデビュー20周年記念作「SHINE ALL AROUND」を聴いた。僕が初めて聴いたアルバムは『SWEET 26』で、もう18年以上も前のことだ。当時の僕は、収録曲「京都旅行」を地で行く生活をしていたさえない学生で、それゆえにギター1本で表現されたその歌の世界にぶっ飛ばされた。当時、彼はパラダイス・ガラージとも名乗っていた。


豊田道倫 CDデビュー20周年記念CM(カンパニー松尾ヴァージョン)

本当であれば、彼の膨大なディスコグラフィーを整理して、ベストソングTOP10でもやろうかなと考えていた。でも、どうだろう。僕にはその作業は不可能だ。僕はいまだこの男と、そしてこの男が作る音楽に、冷静に向き合うことはできない。彼の作る音楽が近すぎるからだ。

 

日本のBECKと評されたジャンクな初期、唯一のメジャー作『実験の夜、発見の朝』のポップさ、代表作『SING A SONG』の静謐さと激しさ、離婚を経た直後の『ギター』や諸作でのどうしようもない重さ、mtvBANDを率いての近年の神がかった佇まい。そのどれもが僕には近い。なかでも、僕に近さを感じさせた一番の理由は、自分と同時期の結婚、出産、離婚という出来事と、授かったのが男児という共通点があったからだ。

 

やはり書き進めても、冷静になれそうにない。

 

シアターPOOで聴いた名曲の数々。下北沢で聴いて涙ぐんだ「小さな神様」。加地等のカバー。加地等の映画のゲストで来ていた曽我部恵一と彼。新宿タワレコで買った『ギター』。そのブックレットを眺めて号泣してしまった飯田橋駅ホーム。「雨のラブホテル」を泣きながら歌っていたら飼い犬が顔を舐めてくれたこと。「そうへい~♪そうへい~♪」の部分を自分の息子の名前に置き換えて口ずさむこと。…こういうことは書いたらきりがない。

 

僕が言いたかったのはそんなことじゃないはず。もっと素直に「20周年、おめでとうございます」ということだ。歌を辞めていったアーティストがたくさんいた。この世から消えてしまった男もいた。なかなか食えない。子供はどんどんどんどん大きくなる。歌でしか(あとはブログやTwitterかな)知りえない、豊田道倫の20年は壮絶と表現すればずいぶん陳腐かもしれない。しかし、20年歌をやる、生きていくというのは、壮絶以外の言葉で形容できない。今の僕は。

 

結婚。父の突然死。出産。別居。離婚。病気。祖母の死。震災。孤独と自由。僕の笑えないこの日々もきっと壮絶だ。

 

『SHINE ALL AROUND』最終曲で豊田道倫はこう歌う。

ぼくはどこに行くんだろう

ぼくの命はいつまで燃える

わけがわからず笑ったよ

また朝が来るなんて

暗くて長いトンネルを歩いてきた。それが当たり前だとも。でも、たしかにこういう瞬間は笑ってしまうもの。もう朝が来ることなんてないと思っていたもの…。ECDが「ECDECADE」でラップしたこんな言葉を思い出す。「とっくに終わったんだって思ってた / 驚いたな50で子持ちだよ」。笑っちゃうかもしれないけど、この世界は、この人生は驚きに満ちている。

 

笑えない日々を経て、壮絶な30年目をまた祝えたら。いいな。

SHINE ALL AROUND

SHINE ALL AROUND

 
SING A SONG

SING A SONG

 
ギター

ギター

 
実験の夜、発見の朝

実験の夜、発見の朝

 

 

2015年ベストレコード TOP30 「お前、なに聴いてたのよ?」 

日本でも音楽ストリーミングサービス元年だったそうである。Spotifyはまだ開始されていないが、AppleGoogleAmazonという3大企業のそれがローンチしたのは大きい。それに加えて、日本のメジャーレーベルは独自にLINE MUSICとAWAを開始。特にLINE MUSICは公開2日で100万DL。おお!と思ったのもつかの間…無料期間が終わると大半のユーザーは消えた。AWAだってそう変わらない状況だと予測する。これについて、日本は独自の文化すぎるという論調もあるだろう。でも、これって音楽好きにとって歓迎できるサービスなのだろうか? ある部分では歓迎しながらも、どこか醒めた自分がいる。理由はいろいろあるが、「だってワクワクしないんだもん」に尽きるかも。それよりも、こんな島国根性国家でもメジャーアーティストがアナログを売り始め、世界的に見ても前年比54.7%増の売上となり、音楽市場の2%を占めるまでに回復(成長?)したことのほうがアガる。

 

かつてtofubeatsが「水星」をアナログリリースしたときに、新宿で自分の作品を手持ちしてるユーザーを見て、「フィジカルの破壊力すさまじい」とつぶやいた、その言葉にこそ「音楽が好きな人」の良心を感じる。もともと音楽なんて目に見えないもので、ただの空気の振動にしかすぎない。それを無理矢理パッケージ化して売るというのは、単なる商売でしかない。でもね。その「モノ」の破壊力ってやっぱりすごいんだよ。そのことを次の世代にも伝えたいと思うようになった。父が遺したボロボロのレコードの数々がある。ひょっとしたらもう聴けないものもあるかもしれない。ただ、それを手に取ったときの素敵な気持ちを、自分たちの子供世代にも味わってほしい。人間というのはおかしなもので、24時間無料で手に入る「モノ」に対して欲望を抱かない。「○○万曲聴き放題」と言われても、ちょっと途方にもくれてしまう。野田努が書いていたように「満足な音楽体験は量ではなく質」というのは本当に正しい。そして、それぞれの音楽には適正な価値がある。2015年。僕はダウンロードもたくさんしたし、ストリーミングにも希望を抱いたが、それを横目に見つつもアナログを買いまくった。欲望がなくなったら人間おしまい。「モノ」を欲しがらなくなったら経済も終わる。ミニマリストに中指を立てつつ、僕は物欲に忠実に生きていく。

 

と、前段がかなり長くなったが、そんななか2015年のベストレコードを選んでみた。「最近何聴いてるの?」「おすすめは?」とかって聞かれると結構困るので、「2015年はこのへんが良かった」と言えるリストを作っておきたかったのもある。正直かなりイライラしてた。単なるフェス仕様のJ-ROCKバンドたちに。野心のないインディーアーティストたちに。海外の音楽やアートと距離を置きたがる人たちに。ネトウヨに。安倍に。自民党公明党に。まぁ、なにより自分自身に。お前、生きてる意味あると思ってるの? うるせー、わかってるよ。イライラ。そのイライラの根源にあるものを、このレコードたちは否定しなかった。むしろ自分が決して間違っていない、そんなことも感じさせてくれた。

 

同時に悲しいこともたくさんあった。もう2度と会えなくなってしまった人もいた。「NO WAY HOME」。その感覚がリアルに迫ってくる1年でもあった。帰る場所を失った人間に対して、ポップミュージックはとても優しい。孤児を温かく包んでくれる願わくば2016年がほんのちょっと明るい年であるように。あなたが幸せでありますように。眠れない夜を過ごした人を皆で支え合えるように。音楽が決して鳴り止みませんように。ピース。

 

1位 Sufjan Stevens『Carrie & Lowell』

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 2位 cero『Obscure Ride』

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2015年を代表するこの2作品には共通のテーマがある。それは「母の死」「母を亡くした息子」だ。つまり「孤児」ということ。僕にとって、まるで姉妹のようなアルバムだったし、事実そういう聴き方をしていた。また、どちらにも「神」が頻繁に登場する。僕らは神をなくした孤児みたいなものなのだろうか。cero「Orhans」に登場する男女は、決してお互い恋に落ちることはない。なぜなら彼らは姉弟だからだ。そしてそれを神のように俯瞰する彼らのソングライティングに舌を巻いた。死ぬほど美しいSufjan Stevensのファルセットと、不安定ながらも強い覚悟をもった高城昌平のそれ。震えた。絶対忘れたくない人。出来事。ぬくもり。匂い。風景。でも…人はそれをいとも簡単に忘れていく。だから僕らは今日も必死に思い出を作ろうとする。生きていく。そんなことを感じさせた傑作2枚。

3位 eastern youth『ボトムオブザワールド』

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初めて聴いたのは『孤立無援の花』。もう18年も前のことだ。途中、「ちょっともういいかな」と思ったこともあった。それでも新作が出るたびに聴いてはいたが、ふーんって感じだった。だから、まさかまた彼らにここまで心を持ってかれるなんて、ちょっと自分でもびっくり。吉野の心筋梗塞や震災があった。ベース脱退やインディーズに戻る…など紆余曲折もあった。でも、彼らは相変わらずあそこに立ってた。まだあの場所で苦しそうに歌ってた。孤立無援のまま、裸足で。これは奇跡なんかじゃない。意思だ。それがどんなに壮絶で、大変で、また素晴らしいことか。OTOTOYのインタビューで吉野は「この歳になって宛てのない人生をどう生きていったらいいのかなって思うけど、どうせ最後は死ぬだけだから、死ぬまでやるしかないでしょ。まだ生きてるってことが希望だよ」と語っている。ギリギリ。このギリギリ感が今の自分とシンクロしたんだろうか。本当に素晴らしい作品だし、きちんとお金を払って聴いてほしいとも思う。亡き吉村秀樹に捧げたであろう「テレビ塔」、のっけから圧倒される「街の底」、盟友・向井秀徳やcpが参加した「直に掴み取れ」、感動的なラスト「万雷の拍手」と聴きどころ満載。ねえ、こんなバカな男にひとつ投資してみないかい?

4位 NOSAJ THING『Fated

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 LAを拠点に活動する韓国系アメリカ人。トロ・イ・モア、チャンス・ザ・ラッパー、ケンドリック・ラマー…らとコラボを重ねてきた天才。ボーカル曲も、そうでない曲も、全編にわたり悲しみ・喪失が支配している。むせび泣くようなトラックが特徴的。思い出したくもないことを思い出してしまう夜。でも、このレコードはその行為を決して否定しない。チャンス・ザ・ラッパー参加の「Cold Stares」が素晴らしいのはもちろん、ラストナンバーの「2K」にはとにかく心がギュッとなった。泣いてもいいんだよ。

5位 Donnie Trumpet & The Social Experiment『SURF

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2015年にこの作品を聴き逃していたら、それはちょっと人生もったいないレベル。トランペッター、ニコ・セガール時代の寵児チャンス・ザ・ラッパーを中心にしたジャンルレス・グループの一大ポップ作。やっぱカルチャーってSEXが大事。しかもこの作品買えません。フリーダウンロードです。ググれ。

 6位 佐野元春 & THE COYOTE BAND『BLOOD MOON』

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 この国のインディシーンの盛り上がりと、シティーポップ・ブームに後押しされる形で、ここ数年、山下達郎の再評価がすさまじい。でも、この作品を聴いて、いま評価すべきは佐野だろ!と思った。切れ味を取り戻した言葉の数々が君の胸を切り裂く。「誰がマトモに聞くもんか」と権力に唾を吐き、「すべては壊れてしまった」けど、「もう一度好きなように踊ろう」と。「人はあまりに傲慢だ。約束の未来なんてどこにもないのに」。そう、そんなものないのに、あるふりをして人は生きている。弱虫。いつでも佐野の言葉にハッとさせられるし、いつでも鼓舞される。自分もいい年になってきたので、誰かに何かを言われたら「で、君は佐野元春をちゃんと聴いたことはあるの?」と反論していきたい。なんつて。

 7位 Grimes『Art Angels』

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11月に突如配信され、すべてを塗り替えてしまった作品。欧米のベストアルバム記事では軒並み上位。そりゃそうだろう。ここにはポップの可能性のほぼすべてがある。凡庸と先進性、メジャーとインディー、スノッブとオタク、熱狂と孤独…。だからこそちんけなアイコンになって、マイケルやマドンナやガガや…そんな風にならないでほしい。でも、もっと日本で聴かれてもほしい。この引き裂かれる感覚こそポップなのかね。

8位 寺尾紗穂 『楕円の夢』

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日本のインディーシーンが誇る女性シンガー・ソングライターの7作目。アルバムとしては前作「青い夜のさよなら」の方が好き。ではあるが、タイトル曲「楕円の夢」の素晴らしさといったら!「私の話を聞きたいの  あなたと別れてからのこと」で始まるこの曲。ライブで離婚をさらっと告白していたので、それがモチーフになっているのかも。そのとき彼女は微笑まじりだったが、それがどんなに辛いものか…。彼女は「その後」、抜け殻だったり友人に囲まれて笑顔だったりしたそうだ。そのどちらも本当であり、その曖昧さのなかを生きてきた、と。「明るい道と暗い道 おんなじひとつの道だった」と。ただ、この曲は単なる別れの曲ではない。ele-kingのインタビューで語っているように、「楕円形とは真実や正義を否定するメタファー」だ。ノンフィクション作家としての顔を持つ彼女が、数々の現場で見てきた風景、出会った人々。そんな彼女は世界を円ではなく楕円だと表現する。その意味するところは何だと思う? 曲の終盤「明るい道と暗い道  狭間の小道を進むんだ」と歌われる。これは紆余曲折あった世界が辿ってきた道筋でもあり、どちらかに振り切れるのではなく狭間を歩かないと見えないこともあるという、彼女のメッセージでもある。そして、そんな曖昧ながらも辛い道を歩いていくことが、傷を癒やす近道でもあると。2015年に日本で生まれた「歌」で間違いなくナンバーワン。

9位 Sean Nicholas Savage『Other Death

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交流のある同郷のGrimesやMac Demarcoが高い評価を得るなか、この美しくも退廃的な声の持ち主が置き去りにされるのは許せない。トラックは最小限の音数と音量。そこで歌われるちょっと痛い曲の数々。まるでカラオケ。これまた同郷のTOPSやNite Jewelも参加していることから、カナダのミュージシャンズミュージシャンなのだろうか。晴れた朝からSEXしてしまって、一日なにもせずに過ごした夕方の匂い。夜になって襲ってくる死の予感と恐怖。でも、またSEXして逃げるしかない。そんな光景を思い出す。ボサノバの名盤の数々、そしてLeonard Cohenのファーストの横に並べたい、甘くエロく逃避的なアルバム。

10位 JAMIE XX『In Colour』

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The XXの頭脳による初ソロアルバム。静謐なハウス。「悲しみがないとサンバではない。悲しみながら踊るのだ」。そんな言葉を思い出す。いつぞや見たThe XXのライブは完璧すぎて、逆にその無機質さが物足りなかった。が、今作はどうだろう。ジャケの世界観同様、ちょっとキラキラしてる…!ちょっとね。あ、なんかカッコイイじゃん、と手に取ってくれる若者が一人でも多くいますように。是非、日本盤をゲットして名曲「All Under One Roof Raving」もどうぞ。

11位 tha BOSS『IN THE NAME OF HIPHOP

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「ここからだと 煽っていくのがラッパーしょ」とのライム通り、とにかくアガる。とはいえ、40歳過ぎた男の感傷や現実を感じもさせ、そこがまた新たな魅力ともなっている。かつてディスの対象だったはずのYOU THE ROCK★を召喚して「もはやこれまでって思う時もあったさ」と語らせる。DJ KRUSHとのナンバーでは、あれ(ラフラの死)から16年経ったことを思い出させた後に、「未来が俺等を待ってる」とラップする。HIP HOPやTHA BLUE HERB、もちろんBOSSに何がしかの思いを託してきた人なら、興奮と涙を禁じ得ない作品だ。僕の背中をひたすら押してくれたこんなフレーズで本稿を閉じる。「出会いすれ違った人は数知れず 行方も知れず ろくに告げもせず」「どうか留まってって親切を断って 背中で聞くのさ 何故そこまで あの世の一駅手前のこの世だぜ 肉体を使い切り骨しか残さねえ」。

12位 Benjamin Clementine『At Least for Now』

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ニーナ・シモンやアントニー・ヘガティーとも比較される、詩人&ピアニスト&シンガー&作曲家。日本での知名度は低いけど、2015年の英マーキューリ賞の受賞作である。ポップミュージックが文化として根付いている英国の懐の深さを感じる。日本だと賞獲るのEXILE系とかジャニーズだしなぁ…。元ホームレスという肩書のせいもあるのか、どんなに壮大な曲でも「ストリート」を感じさせる。つまり市井ということ。これからもっともっと大きくなるであろう才能に注目したい。

13位 ROTH BART BARONATOM

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テーマは「電気」「原子力」「革命」「帝国の崩壊」。その壮大すぎる歌詞世界とメロディーは、日本で比類するものはないと断言したい。物語の形をとりながら、世界で起こるさまざまな不条理をあぶりだす。彼らがスモールサークルながら、海外でも支持者を増やしていることは素直に希望だ。ハイライトナンバー「X-Mas」において、帝国が崩壊していく様子を描写した後に続く歌詞。「君はここで生き延びて 新しい街を作るんだよ やりたいことを やりたいように やりたいだけ やってしまえよ もしも世界がつまらないのなら 滅ぼしてしまってもいいよ」。こんな歌が大晦日のNHKから響いて来たら、救われる魂はもっとあるはず。涙。

14位 尾崎友直『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』

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アナログオンリーでリリースされた3枚目のアルバム。ヒップホップとポエトリーとパンクの間のなにか。ここで彼は自らの信仰と、それがもとで離ればなれになってしまった家族への愛を赤裸々に話す。日本人にとって宗教はタブー視されがち。でも、誰だって何かに依存したり、何かを信じたりして生きている。それが仕事だったったり、家族だったり、趣味だったり、ドラッグだったり、神だったり。そこに大差なんてない。イマジネイティブな言葉の数々と、ふとした瞬間に出現するリアルなワード。大切なものをなくし続ける自分は、それを聴いて素直に祈りたくなった。それがたとえ、彼が信仰する神とは違っていても。

15位 BRIAN WILSON『No Pier Pressure』

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The Beach Boysの最新作『That's Why God Made the Radio』が素晴らしかったので、ひそかに期待してたレコード。結果、これがもう本当にすてきなポップアルバム。孫世代とコラボしてるから古臭くない、というわけじゃないぜ。ブライアンのメロディーが時空をこえたものだからだぜ。ウキウキするけど、やっぱ切ない。もう70すぎの爺さんだぜ、これ。脱帽。

16位 鴨田潤『ひきがたり2』

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イルリメとしてより、最近は(((さらうんど)))での活動がメインだった鴨田潤の久々の弾き語り作。Evisbeatsに提供した「いい時間」を始め、感傷的な青春ソングが6曲。今年いちばん涙腺にきて、もう二度と会えない人々を思い出させた作品かも。帰りの電車のなかでよく聴きました。

17位 Toro Y Moi『What For?』

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もはやチルウェイブ、インディーR&B云々の文脈じゃなく、世界最高峰のポップソングとして語られるべき作品。最初に聴いたときの感想は「ビートルズみたい」。それが、エッヂを失くしたととらえる向きもあるかもしれないが、いやいや、これは彼が歴史とより密接につながろうとした結果なのでは。

18位 TAME IMPALA『Currents』

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 ただのオージー・サイケバンドなんかじゃなかったと再認識させる作品。あまりに折衷的で、もはやバンドでやるべきことなのか?とすら思う。これが世界的に評価されるなら、ceroも海外で高い評価を得てもおかしくない。というか、されるべき。

19位 GIRL BAND『Holding Hands With Jamie』

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ダブリン出身の4人組。ラフトレードの一押し。バンド名とは裏腹に、なんだこの粗野な感じ。絶対、行儀良くない。SEXすごそう。「ファッション行儀良くない」日本の一部のバンドに爪の垢を煎じて飲ませたい。そうお前らだよ、幕張メッセあたりでやってるお前ら。いま一番ライブを見たいロックバンドかも。

20位 Lantern Parade『魔法がとけたあと』

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傑作『夏の一部始終』に続く、バンドスタイルの作品としては2枚目。2015年は『かけらたち』(高城昌平の年間ベストに入ってた)に続く2枚目のリリース。僕は断然こっちのほうが好き。誇り高い言葉と、それを支えるバックメンバーとのケミストリーが半端ない。

21位 どついたるねん『生きてれば / 精神』

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東京インディーが誇る最高のパーティーバンドによるシングル。「生きてればいいことある」とか笑っちゃうぜ。「精神、精神、ぼろぼろー」とか、もうね。プロフィール調べたら、みんな自分より年下でまた笑った。最高です。で、君は誰推し?

 22位 ERA『LIFE IS MOVIE』

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BOSSを除けば、この作品が一番よく聴いた日本のHIP HOPかも。醒めた日常と払拭できないブルーズ。でもね、なにも諦めちゃいないんだ。「捧げる同じような奴らへ 2度目はないようなこんなLIFE」。止まってはいけないんだよ。

23位 シャムキャッツ『TAKE CARE

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三人称を駆使して物語るこの作品の魅力は、青春ゾンビさんのすてきなエントリーに譲りたい(シャムキャッツ『TAKE CARE』 - 青春ゾンビ)。しかしcero「Orhans」も三人称だった。この国が誇る若き才能のシンクロは偶然か、それとも時代の必然か。もっともっと良くなる、未来を見てみたいと素直に思えるバンド。

24位 XINLISUPREME『始発電車 The First Train』

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10年ぶりながら高評価を得た『4 bombs』から3年ぶりとなる新作。文字通り鼓膜が破れそうなノイズだらけだった前作に比べると、ちょっと物足りない印象を持つ人もいるかも。でも、ここには怒りがある。ノイズでごまかせないはっきりとした怒り。そして愛。「始発電車」で歌われる「国を追われた人の気持ちがちょっとだけ分かった」という言葉。テロ、難民、経済格差、ヘイト、戦争法案…、2015年を覆ったどん詰まり感に対して、彼らは大文字のラブソングで対抗する。突如YouTubeで発表された「I Am Not Shinzo Abe」と、若者たちが政治的行動をする姿に、自分を恥じる気持ちになって久々に国会前に行ってみた。「どうか、眠れない夜を過ごした人を皆で支え合えるように」。じゃなきゃ世界なんて滅んでもいい。

25位 Tobias Jesso Jr.『Goon

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2014年末、このクシャクシャ頭のピアノマンの「How Could You Babe」を初めて聴いたときの高揚感といったら…!アデルの比ではなかった。シンプルすぎるメロディーと言葉を敬遠する人もいるだろう。でも、僕がポップミュージックに求めるのはこのドキドキ感でしかないのだ。何に関しても初期衝動なんてとうに消えたよ。でも佐野元春ならこう言うだろう。「いや、君、それは違うんだよ」と。HEATWAVE山口洋に話したという佐野のこんな言葉が今も頭から離れない。「まもなく50になるけど、何回目かの思春期が訪れようとしているんだ。男は何回も思春期がくるぞ」。she said i'm ready for the "blue"♪ うん、ブルーになる準備はできてるんだ。

26位 Kendrick Lamar『To Pimp a Butterfly』

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音楽メディアの年間チャート総なめの作品である。Alabama Shakesと並んで2015年を代表する1枚だと思う。黒人のやるヒップホップというと、どうしても日本人には敬遠されがち。ただ一昨年ライブで見た彼は、やや背丈が小さい普通の青年だった。虐げられた歴史をもち、決して見過ごせない政治的話題を横目で見つつ、仲間と音楽を愛し、それをアートとして昇華する。冒頭「Every nigger s a star」というサンプリングだけであがる。太陽がない、星が見えないと嘆くなら、君がそれになればいい。

27位 KOHH 『DIRT』

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カニエの新曲を聴いて「あーKOHHっぽいな」なんて思ってしまうこの頃。逆だろ!という突っ込みはいらないです。たぶん、これが英語のラップでも気持ちよく聴いていられる。付属のDVDは見た? タトゥーだらけ、チャラそう、悪そう…。うん、だってKOHHだもん。嫌なら聴かなきゃいいよ。過去アルバム「MONOCHROME」「梔子」に比べても、かなりシリアスな世界観。迷いも素直に吐露している。その言葉の強度と説得力が支持されるゆえんか。1曲目の「Be Me」の独白、「死にやしない」のエキセントリックなライム。これを面白い、やばいと思えない人とは音楽の話はできないかも。

28位 Chilly Gonzales 『Chambers』

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FEISTとの仕事でも知られる天才音楽家。話題を集めた「SOLO PIANO」「SOLO PIANOⅡ」を踏襲、さらにクラシック要素を強めた作品。今回はピアノと弦楽四重奏。アナログで入手したので、とにかく眠る前によくかけた。どこかサティっぽい。クラシックというと敷居が高いイメージだが、これはそんなことはない。生活に密着した音楽。さらりとも聴けるし、じっくりヘッドホンでもOK。なんでも1曲目はバッハとダフト・パンクに捧げてるらしい! 彼自ら「正真正銘泣ける曲」という「SWEET BURDEN」は、坂本龍一ぽい切なくも重厚なナンバー。「人は誰しも背負わなければいけない重荷を抱えているが、もしかしたら音楽だけがそれを和らげられるのかもしれない」。うん。僕らは本来、自由だ。僕らはその内側にいなくてもいいし、外側にいなくてもいい。クラシカルな曲が多いが、僕が彼の音楽から感じるのはその「自由さだ。

29位 NOT WONK『Laughing Nerds And A Wallflower』

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この国の地下で起こっている新たな世代の新たなパンクムーブメント。元銀杏の安孫子真哉が立ち上げたKiliKiliVillaから、今作をリリースしたまだ10代の3人組は、まさにそれを代表する存在だ。I Hate Smoke Tapes、生き埋めレコーズというレーベル名。CAR10やTHE FULL TEENZ、THE SLEEPING AIDES&RAZORBLADESというバンド名を覚えておいて損はない。インタビューで語られていた「おれサッカー部大嫌いなんです」「無理してEXILE聴かなくていい」という言葉は、10代のバンドボーカルの正解みたいな発言だ。支持。

30位 Leon Bridges『Coming Home』

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こいついったい何歳だよ!と調べたら25歳。マジか。1960年代のソウルレコードと言われても違和感ない。ないのだが、まったく古くはない。「古くはない」というのが2010年代の大事なキーワードなら、これも生まれるべくして今生まれた作品なのかもしれない。サム・クックはとうにいないけど、もし深夜のレッドマーキーで、Leon Bridgesが拳を握りしめて歌ってくれたら…!

次点 Pizzicato One 『わたくしの二十世紀』

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小西康陽によるソロ。前作がまったくピンと来なかっただけに期待してなかったんだけど…。Pizzicato Five時代の曲を多彩なゲストを迎えてセルフカバーした今作。これが、震える。「One」という言葉には、ひとりで聴いてほしいという意味もあるという。フェス向けの仰々しい音楽が増えるなか、いかにも「らしい」。全編に渡って「死」「悲観」「諦念」が覆っていて、かなり痛々しい。でも、これだよこれ。「ゴンドラの歌」で、かまやつひろしの後に聴くことができる小西さんの声がとにかく素敵。「ぼくはたぶんもうすぐ死ぬのかね 別に悲しくなんてないよ」。ジャケも素晴らしい。

 

Carrie & Lowell

Carrie & Lowell

 

 

Obscure Ride 【通常盤】

Obscure Ride 【通常盤】

 

 

ボトムオブザワールド

ボトムオブザワールド

 

 

ワタシが70歳になっても~西原理恵子「ダーリンは70歳」に寄せて

こんなにも素敵な恋愛を僕は久々に見たかもしれない。スペリオール連載中の西原理恵子「ダーリンは70歳」の初単行本。西原理恵子50歳と高須克弥70歳、合計120歳のバカップル物語だ。1月22日発売のスペリオール4号では「ダーリンは71歳」に改題されているそうである…!

ダーリンは70歳 (コミックス単行本)

ダーリンは70歳 (コミックス単行本)

 

 西原理恵子の古くからのファンであれば、その傍らにはいつも高須院長がいたのは誰もが認めるところ。作品にもちょいちょい登場して、このふたりいつかは…と感じた読者も多いだろうと思う。とはいえ、このふたりの出会いエピソードと、作品でも描かれていた西原の「やらせろよおまえ! 殺すぞ!」発言に震えた。あれ事実かい…!

 

さて本作、基本的にはふたりのバカップルエピソードで構成されているが、やはりところどころ現れる、胸を鷲掴みにされるやりとりや言葉にノックアウトされる。前夫の鴨志田さんを「あなたの膝で見送ってあげなさい」と忠告した院長。50歳になってもやっぱり「女子」な西原の女心。若返りたい西原に「そんなのやめて一緒に年をとろうよ」という言葉をプレゼントした場面。きわめつけは次のやりとりだ(要約)。

西原「19歳の頃の私を助けて。そうすればあんなたくさんの辛い思いしなくてすむ」

院長「助けない。そんな全部があったからあなたはここにいるのだから」

 バカップルだけど、とても素敵なふたりだ。

 

年を重ねると、なかなか素直に恋愛できなくなる。酸いも甘いも知っているからこそ。人生には悲しみの方が多いと気づいてしまったからこそ。でも、本作を読んで、そんな自分の考えが浅はかだったと痛感。何歳になっても恋愛は恋愛なのだ。バカになるのだ。その姿は愚かで、同時にとてもいとおしいものじゃないか。世間がベッキーを非難しようと、僕にはとてもいとおしく感じられる。「僕に残された時間は少ない」と院長はいう。でも、それは誰にでも当てはまる。僕だって、次の瞬間に死んでしまうかもしれないし。

 

僕はいま37歳。あと30年後にこんな素敵な女性と出会って、バカになれるのだろうか。わからない。でも、どっちにしろ楽しみにして生きていたい、な。実家の本棚に眠っている「いけちゃんとぼく」を久々に読み返したくなった。初めて読んだのはもう10年近くも前だ。あぁ、でも、僕はまだ恋してる。

いけちゃんとぼく

いけちゃんとぼく

 

 

 

 

 

 

帰る場所なんてないんだよ。~サニーデイ・サービス「苺畑でつかまえて」に寄せて

曽我部恵一が2014年末にリリースしたシングル「bluest blues」はご存知だろうか? 真冬の午前3時に街を徘徊する男の歌だ。「今頃あの娘はどこで何してんの?」。そんなことを考えながら、でも何もできずに駅前で途方にくれてたたずむ男。彼は終盤こんな風にもつぶやく。誰に向かって? 神に? 「教えてください幸せのありか そしたらそろそろ部屋に戻るから」。でも知ってる。そんなことつぶやいても誰も教えてくれないことを。そもそも幸せなんてありもしないことを。だから、彼が部屋に戻ることなんてずっとない…。

 

それから約1年経った2016年初頭。今度はサニーデイ・サービス名義で新曲「苺畑でつかまえて」を発表。タイトルを見れば、音楽好きにはわかるだろう。これはビートルズ(というかジョン・レノンかね)の「Strawberry Fields Forever」と、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」へのオマージュだ。つまりは思春期の終わり、青春時代の終焉。うん、そう聴くことはできるし、再結成後のサニーデイとしては「One Day」に匹敵する名曲だろう。幼年時代の自分、そして友人たちと再会するという、このMVもまさにその通り。いいね。

 

だが、この曲の本質はそこではない。ジョン・レノンが歌ったStrawberry Fieldsというのは「孤児院」のことだ。「永遠に」と歌いながら、そこは決して戻りたい場所ではなく、とはいえ愛着がない場所でもない。大方の人間にとって故郷とはそういうものなのかもしれない。「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデンは、まさに曽我部の前作に登場するような放浪者だ。彼は「ライ麦畑のつかまえ役になりたい」と言った。でもさ、そんな人いないよ。君が捕まえてくれるかも?と思ったから、みんな穴に飛び込んだり、生活から逃げてみたりしたんだよ。でも、君はいなかった。どすーんという穴に落ちる音。家から逃げて行方知れずの人。そんなものをずいぶんたくさん見たり聞いたりした。

 

「苺畑でつかまえて」。幻想。絶対に戻れない場所。帰る場所をなくした孤児たち(Orphans)に、曽我部はそれでもこう歌いかける。「苺畑で会えるといいね」。会えないことを知ってるくせに。でも、それでも孤児たちに歌い続けるのが、ロックンロールというものなのだろうか。業なのだろうか。カップリングの「コバルト」では、こんな言葉が出てくる。「深い深い青を見に行こう」。ほら、また深夜だ。街を徘徊する時間だ。bluest blues。帰る場所なんて、本当にもうないんだよ。

 

離れて暮らす息子へ 誕生日おめでとう

2012.3.23 息子の5回目の誕生日に

 

5歳の誕生日おめでとう。

離れて暮らしているけど、パパはいつも君のことを思っています。

君がさびしい思いをしているのも知っているよ。遊んであげられるのは月に1~2回だもんね。

本当にごめんなさい。

もっとそばにいてあげられたら…いつもそう思っているよ。

 

でもね。

君が元気に、すくすくと成長しているのがとてもうれしいです。

ママとじいじ、ばあばに感謝しないといけないね。

ありがとう。

 

5年前、君が生まれた日を昨日のことのように思い出します。

3月末の長野。まだまだ寒かったよ。でもとても晴れていた。

春の気配が感じられる日だった。

パパが病院に着いたとき、帝王切開で生まれた君は透明なケースに入れられていたね。

必死に手足をバタバタさせてあくびをしていたよ。とても、とてもかわいかった。

パパがこの世界に生きる理由。それをすごく考えたよ。

あの日、長野新幹線の車内でパパが繰り返し聴いていた曲。

Mr.Children『しるし』

愛の歌。子を思う父親の歌。

 

「「おんなじ顔をしてる」

と誰かが冷やかした写真

僕らは似ているのかなぁ?

それとも似てきたのかなぁ?」

 

「ともに生きれない

日が来たってどうせ

愛してしまうと思うんだ」

 

「泣いたり笑ったり

不安定な想いだけど

それが君と僕のしるし」

 

いつまでも君を愛しています。

生まれてきてくれてありがとう。

 

パパより

 

僕が親権をあきらめたワケ -2-

前回記事(僕が親権をあきらめたワケ -1-)の続きを書きます。

うつ病で仕事を休み、家族とも別居した僕は、とりあえず借りていた家を離れ実家に戻ることにした。といっても歩いて10分くらいしか離れてはいない場所だ。家族の思い出の染み込んだ町。そこで引き続き僕は生きていた。体調がとても悪い時間が続いていたので、外出するのもままならなかった。唯一、心の拠り所になっていたのはTwitterであった。現実世界の友達も心配や同情はしてくれるが、病気のことや離婚や別居の苦しみを真に理解してくれるわけではなかった。親でさえそうだった。僕が母に病気を打ち明けた時、彼女が最初に言った言葉は「やめてよ!私だって苦しんでるんだから!」というものだった。苦しくて寝込んでいると、舌打ちされながら「なに寝転んでるの!しっかりしなさい!」と叱咤された。もちろん母なりに心配をしてくれていたのだろうが、僕の辛さをわかってくれる人はリアルには存在しなかった。しかし。ネット上にはたくさんいた。同じような病気で苦しんでる人。働けなくなって会社を休んでいる人。辞めた人。離婚問題に苦しんでいる人。離婚経験者。彼らの存在は僕にはとても大きかったように思う。彼らの辛さも理解できたし、僕の辛さもわかってくれた。

なかでも、僕にとって一番気になった人たちは、いわゆる「親子断絶に苦しんでいる人」だった。離婚して子供と離れ離れになり、会うこともままならずにいる人たち。そんな人たちがとてつもなく多いことも知った。僕にとって他人事ではなかった。明日は我が身。彼らの多くは離婚問題の争いで疲れ果て、そしてさらに子供と会えない辛さなどで心を病んでいる人も多かった。いったいなぜこんなことがおこるのだろう? なぜ真っ当な親子が自由に会えないんだろう? ここは2010年代の日本だぜ?

 

調べれば調べるほど、この国の離婚制度、親権制度に疑問を持つようになった。欧米先進諸国は離婚後も父母が親権を分けて持つ共同親権の形をとっていた。お隣の韓国でさえも。離婚後も責任をもって子育てにあたる、という観点。子供にとっては永遠に父母であるという観点。それを考えると至極まっとうな制度であると思った。しかし、この日本では古来から続く単独親権制度のままだった。欧米に比べ「家」を重んじる文化をもつ日本にとって、共同親権になると面倒な問題が出てくることも理解できる。夫婦別姓の問題もこのへんがネックなんだろう。でも、子供の成長は待ったなしだ。現実に制度のせいで離れ離れになっている、断絶している親子がたくさんいるのに、いつまで古いしがらみにとらわれるのだろう? 「共同親権になんてなったら役所が混乱して大変!」なんていう意見を僕に送ってくる人もいた。は? 役所のための制度なの? あくまで子供を守るための制度にしなくちゃダメでしょう。「共同親権反対!」と叫ぶ某国会議員もいた。抗議のツイートをしたこともあった。すぐに「勉強不足でした」なんて謝罪してきた。はぁ。正直、バカばかりで閉口した。みんな離婚するなんて、子供と会えなくなるなんて想像しないから。当事者たちがどれだけ苦しんでいても、この国は知らんぷり。そこから僕は共同親権になるためにこれからの人生、自分にできることは協力していこうと誓った。そう、共同親権制度があれば、僕は元妻と争うことはなにもないのだ。

その頃に書いた文章があるので長いけど転載する。

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私は共同親権推進派です。1月16日には渋谷で大規模な集会がありますので、息子の写真を持参して参加してこようと思っています。世界各国からマスコミも集まるそうなので、ニュースになるかもしれません。なぜ世界各国が注目するのか?それは、今や日本を除くほぼすべての先進国は共同親権・共同監護の国だからです。お隣の韓国や中国でさえも法律が変わりました。子の福祉という視点に立った時に、離婚後の単独親権はこの国の大きな負の財産です。ハーグ条約批准に応じない先進国も日本だけで、そのため国際結婚した後、子どもを日本に連れ帰り片親に会わせない拉致まがいの事例もたくさんあり、各国では「日本は北朝鮮と同じ拉致国家だ」という認識をされています。また、引き離された片親が絶望のあまり、うつ病などにかかり自殺した例も数多く聞きます。はたして、この制度に未来はあるのでしょうか?子の福祉についての世界的な潮流をみたときに、「親権を争う」という行為自体・発想自体がすでに時代遅れのものと言えるでしょう。また、幼児虐待、引きこもり、うつ病、自殺、いじめ…など、蔓延する社会問題の根っこにあるのも、この単独親権制度であるといっても言い過ぎではありません。私のネット上の友人多くが離婚後、不当な親子引き離しにあい、子どもに会わせてもらえないで、裁判を起こしたり、絶望感から精神的な病にかかったりしている例はたくさんあります。彼らは口をそろえて言います。「共同親権制度に移行する前に離婚してはいけない」と。親が不幸な目に合うこともありますが、いちばん不幸なのは子どもたちです。両親の離婚後、片親の再婚相手である血の繋がっていない他人に暴力をふるわれたり、「女性は男性によって変化する」という言葉があるように、母であった女性がひとりの女に変化してしまい、育児放棄や実子に暴力をふるう事件も数多くあります。その結果、子の成長に大きな影響を与え、引きこもりや学校でのイジメ、また子どもの精神疾患などに繋がります。このような現状のなか、世界的な流れを受けて、日本でもやっと国会等で共同親権に関する討議が行われるなど、法律改正への動きを見せ始めています。大阪府議会では、橋下知事(当時)が「(離婚後も)原則、共同親権で、子どもはしっかりと両親が育てるべきだ」と述べ、海外で広がっている共同親権制に法改正すべきとの見解を示しました。昨年12月には公明党内に「共同親権を検討するチーム」が発足し、そのリーダーである大口衆議院議員に私もさっそくメールで陳情をしたところです。また、公明党は庶民の声を国政に生かせる数少ない政党ですので、知り合いの市議会議員に日本の実情を話し、彼を通じて国政につなげてもらおうとコンタクトをとりました。また、新しく就任した民主党江田五月法務大臣(当時)は自身のメルマガで、「チルドレンファーストの考え方にたち、単独親権制度を見直す議論が必要」とはっきり明言しています。なかでも私がいちばん期待を寄せているのは、自民党の馳浩議員を中心とした超党派の議員たちが、今年度の通常国会で議員立法化しようとしている「親子の交流断絶の防止に関する法律(法案)」です。その概要はこうです。

子どもが両親から愛情と養育を受け続けること等が子どもの健全な発達にとって好ましいことから、離婚や別居によって親子の関係が断絶することがないよう、親子の交流継続を確保するための手続き等を定める法律。

■1■子どもの連れ去りの禁止

両親の一方が、もう一方の親の同意なく、子どもを連れ去ることを禁止する。同意なく子どもを連れ去った場合には、まずは、子どもを元の住居に戻し、その上で、早急に、両親間で子どもの養育をどうすべきか話し合うこととする。

■2■親子の引き離しの禁止

児童虐待防止の観点からも、両親の一方が子どもと離れている場合、必ず、その親と子どもが、2週間に1度(趣旨は定期的という意味)は、泊まりがけで会えることとする。

■3■子どもの養育に関する取り決めの作成義務化(共同養育計画の義務化)

両親が別居又は離婚する場合には、子どもの養育方法(①子どもをどちらの親が主として養育(=養育親)するか、②養育親でない親と子どもがどの程度の頻度で会うか、③養育親でない親が子どもの養育費をどの程度支払うかなど)についての取り決めをする。どちらの親が養育すべきかを決定する際には、友好的な親(=FRIENDLY PARENT RULE:もう一方の親に、より多くの頻度で子どもに会わせることを約束する親)に子どもを養育させることとする。

画期的なことはなく、子どもの福祉先進国では当たり前のことが並んでいます。ただ、ここ日本では、FRIENDLY PARENT RULEなどは画期的ではないでしょうか。日本では「3歳神話」「母親神話」が強く、現実的にほとんど母親が養育していることが多いです。しかし、このルールに倣えば、「子どものことを第一に考え、別居親にも誠実に対応し、またより積極的に親子を会わせようとする親の方」が養育親になります。DVでっちあげなどで親子引き離しに加担する自称・人権派の悪徳弁護士には恐怖となるルールかもしれません。このように立法・行政の場において、共同親権・共同養育の実現に向けて、少しずつ歩んでいっていると感じています。トム・ヨークはその昔、「個人の内面の問題はすべて社会的な問題でもある。だから悪いのは君じゃない」という名言を残しています。いま私が抱えている内面の悩み、離婚、親権問題、うつ病…それは個人の問題ではなく社会の問題である。ということを改めて思いだしました。自分の悩みを解決させるには、社会を変えていかないといけないということ。そうしないと自分の病気も治りませんし、単独親権の被害で苦しんでいる私の友人たち、そして不当に引き離されている子どもたちの幸福もないでしょう。私のこれからの人生のライフワークとして、この国の共同親権・共同監護、子どもとの面接交渉の法制化に取り組んでいくべきだと決意をしました。

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そう、この頃はまだ、共同親権が実現しない限り離婚はしないと思っていた。時は2011年の初頭。まだあの激しい揺れが来る少し前のことだ。  

ということで、次回に続きます。