宇宙お遍路お旅たび

スピリチュアルだったりすっとこどっこいだったり

ワニと故郷

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突然書きたくなり、突然停止する自分本位なブログです。

本来は自分のスピリチュアル体験をシェアしたいと考えてのブログだったのですが、前提部分が長すぎて私本人が飽きてしまった…本当に駄目な人間だ私。

膨大な情報を書きつらねることに怖気づいている、ともいえるし困難を感じているともいえるのです。
前の記事はあくまで膨大な情報を書く前の前提なのです。
本でいったらはじめに、ってやつですね。

これからは端的に書いていくことを考えようと思います。

まず。私がローデッドと呼ぶ存在(本名は知りません。名前は必要ない、と断言する存在なのです)彼はベガの魂です。
二十年来の付き合いでありながらそのことを知ったのはつい二年前くらいのことです。

多くのスピリチュアルの探求者がそうであるようにここ数年は浄化ともいうべき期間であり、個々人で違いはあるでしょうが体調を悪くす方も多いでしょう。
私もその一人です。
胸腺あたりがどうにも苦しくてこれは心筋梗塞かと思い、ああ、私は浄化しきれない魂でここまでかもな。と思っていました。
実際アセンションに興味を持てないし、ダークサイドの人間なので仕方ないと諦めていました。
苦しんでいると、ローデッドが突然現れ(公式訪問の姿でした。彼には私的訪問のカジュアルな姿と公式訪問の厳かな姿とがあるのです)
「ハートチャクラを介して私たちは繋がっている」と言いました。
そして胸腺のあたりがクルクルと開きはじめ、所謂チャクラと呼ばれるものがとてつもなく美しい緑色に輝きはじめました。
その後、静かにローデッドは「私はベガです」と告げました。それ以降はあるビジョンをみせられました。

人種的には南米の人たちに近い姿形のたくさんの人が集まっている場所がありました。
そこは聖なる場所です。祭壇や神殿のような物はなにもありません。ただの原っぱのようにみえます。
しかし目に見えない枠線を感じ取りました。その場にいる人たちにとってははっきりと境界が存在しているのです。

男性が話し始めました。
彼の話す内容は、もうすぐその聖なる場所、そして彼らの住まう場所を失うことになるだろう。というものでした。
そこに集う人々に選択をしてもらうための集まりのようです。
選択とは、その地に残るか。或いは新しい土地へと逃れるかを個々に決めることです。
その地に好戦的な人々が押し寄せ、彼らから奪うであろうことを予言してあるのです。
とても静かな彼らは慌てもしないし、悲観して泣き出すようなこともありません。
小さな子供から老人まで淡々としていました。ただその表情は思慮深く私には見えます。深く静かに考えているようでした。
私は彼らとは違う部族であるのでその聖域には足を踏み入れないようにしていました。
彼らに私の姿が見えているのかわかっていませんでしたが。

やがて集会が終わると彼らは家族単位や個人にばらけて家路を辿るようでした。
その中に幼い男の子と赤ちゃんを抱えた女性がいました。どんどん私に近づいてきます。
どうやら彼女には私が見えているようでした。彼女は私の前に来ると無言で何かを差し出してきました。
差し出されたものは水色と灰色から茶色をしていて母岩つきのターコイズのような物です。そのターコイズのような物は長さが20センチほどあり、ワニの姿が立体的に彫ってあります。

直感的にその地の人たちの大事な物だとわかりました。神様を象った御神体だと思いました。
そのターコイズのワニを女性は私に持たせようします。
私は「こんな大事な物、持てない」と伝えました。しかし、彼女は「あなたに持っていてほしい」といってきました。押し問答のすえ、とにかく手に握らされてしまいました。
小さな男の子が私の手にふれてきました。私の手のうえからそのターコイズを撫でるかのように。
私は戸惑いながらその場を離れる時が来たことを感じました。

ローデッドに「今のはなに?」と尋ねました。彼は「わたしたちの歴史でありあなたの歴史だ」と告げました。
私は前世の記憶で幾つか南米のものがあります。つまり、私の過去生でもあるのかもしれないし、ローデッドの故郷のことであるのかもしれないと思いました。

ローデッドの故郷はもうないのです。多次元のどこかにはあるのでしょうが、わたしと交流を持つローデッドにはない。
そのことはよくわかりました。
そしてローデッドだけでなくそれはベガという括りだけでなく宇宙の人達は遥か昔にこの地球に訪れてきました。

その姿を目撃した人は天孫降臨と呼んだかもしれません。その頃は実体を持っているように見えたようです。
彼らの目的はなにか。と尋ねれば遺伝子を手繰る旅だと答えます。私達とあなた方は遺伝子で繋がり分岐した。今は肉体の構造が違うので更にエネルギーセンター(チャクラ)で繋がり、常に傍にあるのだと。
私達の感情や肉体を通じて、またクオリアを通じて彼らに還元し得るものがあり共有するのだと。
よく、ローデッドは言います。
スピリチュアルな疑問に対しての答えは大概あなた方の体にある、と。
全ての答はそこにあるのだと。
正直、飲み込めていないのですが人間の本質は泡である、多次元の泡である、と言った女神のいうこととローデッドの言うことに私は殆ど差分を感じません。
そのクオリアを言葉で説明できるほど言葉に精通してないので伝えることがうまくできませんが、一因としてローデッドも女神も同一の物であるからかもしれません。
根源が同じという意味です。そして、私が見たいように感じたいように彼らの存在を「見る」のだと思います。

そして彼らの存在を「見る」のに適した場所は幾つかあります。
自分の部屋でも車でもどこでも同じことですが、ひとつ、スピリチュアルブームに乗っからせてください。
そう、高千穂や伊勢神宮や所謂パワースポットと言われる場所です。

本来、目印があるような場所ではありませんが昔の人々は今より肉体感覚が研ぎ澄まされていたのでしょう。五感により、そこが聖なる場所であることを感じ取り磐座を祀り神社を建ててきたのですね。そのことを実感できます。もちろん、各人相性があると思います。
私と相性がよかったのは高千穂の秋元神社でした。
とはいえ、出不精で全国パワースポット巡りなどしたことないので乏しい経験からだけの話になりますが。

秋元に訪れると、決まって鮮やかなフトマニ図が見えてきます。3DCGで作ったらさぞ美しいでしょうね。
黒地に七色の文字が描かれ、躍動し生き物のようにうねるのです。
そして、それもやはり「遺伝子」なのだと教えてもらいました。
フトマニ図の他には幼い男児の兄弟が草原を走り回るビジョンを見たりしました。
衣服は古墳時代、それも初期の頃のものでしょうか。
彼らの意味するところはよくわかりません。(わからないことばかりで情けないですが)
ですが、よくよく考えると上記で私にワニを渡してきた女性の子供、私の手の上からワニを触った子供と同じ顔をしているのです。(この子供はしょっちゅう色んなビジョンで出てくるので印象深い。誰かはわからない…)
兄弟は別々の道を辿るのですが海彦山彦の話みたいですね(仲良しだったけれど)…山彦の妃はワニでしたね、そういえば。

なんだか、いま書いていて何かの扉が開きそうになったのですが、取り敢えず今日はここまでにしておきます。

えー、高千穂、いいところです。また行きたいなぁ。













幣立神社とサムライブルー

ワールドカップ日本戦前日にこのブログを書いています。普段はサッカーはスポーツニュースでみる程度の興味しかない、まさにニワカなんですが、椎名林檎のNIPPNというNHKのサッカーテーマ曲が素晴らしくて繰り返し聴いています。
死んでもいいから、やり抜きたい、勝ちたいって瞬間の、敵とか味方とかの枠をこえて殴り合いながらその空間に存在する全てと愛し合ってるような高揚感をうまくあらわしていて、聴いていて気持ちがいいのです。

『さいはて目指して持って来たものは唯(たった)一つ
この地球上で いちばん
混じり気の無い気高い青
何よりも熱く静かな炎さ』

とか

『爽快な気分だれも奪えないよ
広大な宇宙繋がって行くんだ
勝敗は多分そこで待っている
そう 生命が裸になる場所で』

とか

『噫また不意に接近している淡い死の匂いで
この瞬間がなお一層 鮮明に映えている
刻み込んでいる あの世へ持って行くさ
至上の人生至上の絶景』

とか。

わたしもまじりけのない純粋なものを持って最果て目指してきたはずなのに( ;´Д`)

長いこと身体のなかから出すことが出来なくて気付いたら硬いシコリになってましたよ、まじりけのない炎が。

いま、それを時間かけて溶かしている最中なんです。その途中て命つきたとしても後悔しないようになければ。

みなさんの青い炎がこの世を包みすべての災いを清浄に焼き切りますように。

と、昂ぶっておりますが。

前回、幣立神社と高千穂について書くと予告していたのでその話をしようと思います。

霊能者に拾われ丁稚奉公をしていたわたしが運転手付高級車にて幣立神社に連れていってもらったのは18年くらい前のことになります。

幣立神社といえば説明も不要なくらい知られた神社ですが、私にとっては大人になってはじめて触れた神社です。
とりたてて信仰心もなくスピリチュアルな世界にも縁がなかったのでどのような場所か知りませんでした。

しかしはじめて訪れた時、ああここはアンテナなんだなと思った記憶があります。
発信し、受信する場所。人により、時により役割は変化するでしょうが増幅し共鳴するようなアンテナであると思いました。

幣立神社に向かう道中、ずっと酒の匂いが車内にしていててっきり御神酒が破損したと思っていたのですがその匂いは私にしかしない。
都合よく歓迎されているのだと思うことにしたからでしょうか。
一歩踏み入れた瞬間、エクスタシーのように鋭い、でも暖かな歓びがわたしを包みました。

私の印象ではボッティチェリの春を思わせるような賑々しさがその空間にはありました。足元のスミレのような小さい花や名も知らぬ木々やその梢を渡る穏やかな風にそこら中の植物の仄かな匂いが含まれて肺を洗います。
五百枝杉の香りも天神木の香りも、清らかな水の香りもすべてが調和のなかにありました。
そしてやはり、わたしの鼻には豊かな芳香のなかに御神酒の香りが混ざっていました。

拝殿にお詣りを済ませ東御手洗に通じる道に向おうとしたとき、お辞儀をしている女性に気づきました。
現在に生きる人ではありません。明らかに服装が現代の人とはがちがいます。所謂、衣とか裳をお召しになった女性が深々とお辞儀をなさったまま立たれています。
軽く会釈して通り過ぎました。彼女の存在に私以外は気づかなかったようです。ですのでその時一緒にいた人たちには話しませんでした。
東御手洗に行くまでの間の参道を彼女は私たちの後からついてきてくれました。

その間、お酒の匂いと雅楽のような微かな音が耳元で聴こえていました。
わたしはまるで酔った人みたいに気分が明るくなり普段より饒舌にはじめて訪れた幣立神社の感想を話しながら歩いていました。

と、実はもう五年以上、あるいはそれ以上の年月幣立神社には足を運んでいないのですがお辞儀をした女性のことはずっと記憶に残っておりました。が、どなたかわからない。
しかし、二年前ほどでしょうか。
ある日夢をみました。

とても大きなお社のある神社に私はいました。
天井まで何メートルもある、巨大な神殿です。入り口にとても綺麗な女性が立っています。その女性がこちらにお入りなさい、と手招きしてくれました。
わたしはおずおずと中に入りました。
見上げても天井が見えません。その美しい女性はふわりと宙に舞うと龍の姿になりました。くねるように私の周りをまわり上昇します。そして、本当の姿になるわ、というと七色の泡になりくるくると回っています。
貴方も本当の姿になってみたら?とその泡になった女性がいいます。
私は思い切って飛んでみました。すると、なんとも気持ちよく飛べるうえに気づいたら私も七色の泡になって巨大な神殿のなかを泳ぎ続けていました。
重力のない世界の開放感。すべての細胞が喜びに溢れている感覚。喜び以外の何物でもありませんでした。
そして彼女は人間の本質は泡だと言い残して上昇していきました。私は帰らねばならないので残念ながら目を覚ましてしまいました。

うっかりしているのでこのブログを書こうと決めたあたりまで幣立神社でお辞儀をしていた彼女と夢の彼女を別に考えていたのですが、裳の色が同じであることに気づき、ああ!あのときの!と納得したのでした。

私はこれはどんな意味があるのかと追求するのを忘れてしまうため点は点でしかないタイプで反省しきりですが人間には脊髄の縛りから逃れた本来の姿があるのだと教えて貰ったと思います。
本来の姿に戻りたい。喜びの存在に戻りたい。
最近強く思うことです。
人間の本質は泡。
多次元宇宙の泡、あれは人間の本質をあらわしているのかも。

さて。次回は高千穂のことを書きたいと思います。



✴︎日本サッカー第一戦、惜しくも負けてしまいました。しかしあと二試合全力で向って欲しいと思います。

丁稚奉公した話

今回は前回のブログで神秘体験したことで、なんだかちょと困ったことになったぞ…と思うようになった後のことを書きたいと思います。

なんだかよくわからないけど異常に直感が優れたり人の周りに色のついたモヤモヤが見えはじめたり、妄想みたいに関連する人の映像がみえたり。未知との遭遇後、日々未体験の戸惑いの最中にあった私はある霊能者にスカウトされ、そこで丁稚奉公をすることになりました。

なんというか古典的とでもいうのか、先祖ガー、水子ガー、というタイプの霊能者さんでたまたまその人の経営するお店に行って話し込んだら気にいっていただき働かないかと持ちかけられました。自分の身に起きている得体の知れない事の答えがみつかるかもしれないと思い、はたらくことにしました。
しかし実際出勤しても仕事といってもなんにもすることはありませんでした。

その霊能者カ(以外、先生)は表向きはショップ経営者ですが訪れるお客さんの9割は霊能者としてのその人の元にやってくるので、わたしはただ先生の横に座りふむふむ、と適当に相槌をうちながら依頼者の話を一緒に聞くだけでした。
たまにこちらに話を振られて、社会的立場のある方々に今思うと赤面ものですが、それでも率直に答えることはありました。(よく小娘の話を聞いていただけました。)
ただ、先生の霊視内容と私の感じ方に乖離があることと、人に対する横暴さと私に対する依怙贔屓ぶりに不安を感じていました。
店内の掃除くらいしか仕事しないのにお給料を出していただく事や、先にも書きましたが先祖ガー水子ガーとその霊能者が霊視しても私には小さな光の球みたいのがクルクル回って見えるだけだったり、いっそなんにも感じなかったりということがあったので感覚が違いすぎるけど大丈夫なのか?と思っていました。
そんなこともあり結局勤務している間に自分の体験したこと全てを先生に話すことは出来ませんでした。勿論ローデッドのこと含め。

失礼な話ですがあまり信用できていなかったので自分にとって繊細な出来事を話す相手とは思えなかったし先生から何らかのサジェスチョンがあるとも思えませんでした。

そのショップには様々な人が出入りしていましたが、強く記憶に残っている人がいます。やはり霊能者というか恐らくチャネラー(この頃チャネラーという存在も名称もしらなかった)だと思しき人が先生に会いにこられたのです。
その方のお話を伺っていると宇宙空間が見えてきて眠りたいわけではないのに目蓋を閉じるしか出来なくなりました。
先生とその方の話が盛り上がっているのをいいことに私は目蓋を閉じました。
目蓋を閉じたら、あの見渡す限りの光り輝く物体が集まる場所が見えました。凄まじい煌めきです。ああ、美しいと思いました。やはりそこは静謐で混じり気がなく、純粋で美しいと思いました。純粋で美しく、そして暖かい。
『終わりもなければ始まりもない』『増えもしなければ減りもしない』そんな言葉が響いてきます。いつものローデッドの声でした。
実際の時間はわかりませんが、気が済むまでその光の園を眺めていました。
パッと目を開けるとチャネラー氏がそれまで雑談なさっていたのに急に私に向って「おかえり」と仰いました。
チャネラー氏はきっとあの宇宙をご存じなのだと思いました。
もしご存じなら、なぜあの空間に私はたったのかとかあれはどこなんだ、と聞きたいことが山ほどありましたが、それ以上個人的にお話をすることは出来ませんでした。
しかしながら、あきらかに先生とは系統が違うチャネラー氏を前にどうやらこの分野には様々な形や個性があるんだな、ということを理解しました。

そしてそこで働く二年で霊能者という才能は非常に不安定な精神を持つ自分を常にケアし、どのような相手であれ相対する人に不安を煽るような言動や暴言を発してはならないのであり、人格を尊重するというごくあたりまえのことを殊更自覚的におこなわねばならないという、今の私の信条でもあることを学びました。
先生のもとで学んだことの全てはそれです。先生がどんどん遠い存在に、そして相容れない存在になって行く姿を通して重要なことを見せられたのだと今は思います。

その先生との関わりの中で感謝することのひとつに幣立神社と高千穂の幾つかの神社へと導いて貰った事があげられます。
記憶を手繰ったら17.18年前のことにもなります。
当時の私には神社仏閣に行くという習慣などありませんでしたし、思い返せば運転手つきの高級車であの幣立と高千穂に行っていたのですから贅沢な話です。

幣立神社や高千穂の神社を経由して少しずつ理解を深めていったことを次は書いてみようかと思います。




すべてのはじまり

未知との遭遇


わたしがチャネラーとして目覚めたのは成人してから、それもUFOと遭遇していわゆる神秘体験をしてからです。二十年以上も前のことです。


二十代の初め頃、寒い冬の日(記憶が確かなら11月16日くらい)の夜遅くにバイトから疲れ果てて帰ってきた私はとにかく休みたい、と思いました。お風呂に入るより眠りたかったのです。

明日、出かける前にお風呂に入ればいいやと思いながらなんとか化粧を落として早々に布団に潜り込みました。


すぐに眠りに落ちたのだと思いますがある瞬間、自分の体が物凄いスピードで上昇していることに気づきました。


あ、夢だ。早く起きなきゃ。

そう思ったのですが、なかなか目覚めない。いつもならなんとか目覚めるのに。

しかもスピードが尋常な早さではない。体が全く動かないのです。あれ?あれ?なんで?夢なのに?あれ?早く起きなきゃ、と起き上がろうとするのですが、どこも動きません。

指さえ動きません。

気持ちだけもがいていると、声がしました。頭の中に響いてくる感じです。

『動かないでください。あなたを運ぶのに一番安全な方法を取っているのです』

男性の声です。その声にビックリした私は余計にパニックになりました。怖くて怖くて仕方ありません。

目が開かないので実際は自分がどんな風になっているのかはわかりませんが、なんらかのエネルギー?の柱?の中に真っ直ぐに横たわっているのはわかります。

確かに物凄いスピードで上昇しているので下手に動いたら大変

だろうなと思うのですがその時はそれよりなにより、その声がすることの方が何倍も怖くて頭の中で、怖い、怖い、怖いと繰り返していました。

すると、また声がします。

『怖がらないでください。あなたに見せたいものがあるのです』

その声に更に怖さが増すのですが猛スピードの上昇が止まり何かの上に横たえられました。

暖かくて、それ自体が輝いているウォーターベットのような感触のものです。

それはとても気持ちがいいもので私は緊張の極致にありながらも、少し心に余裕が出てきました。それでも怖いことには変わりはなかったのですが。


頭の方に誰かの気配があります。目は瞑ったままなのですがなぜか男性ひとりと女性が二人いるのがわかります。男性がまた語りかけてきました。

『怖がらないでください、あなたをここに連れてくるには方法がこれしかありませんでした。あなたにみて欲しいものがあるのです』

とても優しげな音声(と、いっても声を聞いているわけではないのですが)です。ベットの心地よさに少し緊張が解れてきた私は目を開きました。


するとそのベットといい空間といい目の前全てが星でした。無数の星が輝く、漆黒にも似た青のなかに私はいるのです。


いまならベットや空間は光学迷彩とかレアマテリアルのような物質だったかも、と言えるかもしれませんが二十年前の私にはそんな知識はありません。

そしてなにより、目の前の宇宙空間があまりに美しかった。もちろん完全に恐怖がなくなったわけではないのですが、それを忘れるほどの美しさです。

そして、徐々に目の前の映像が変わっていきます。

紅暗い惑星が目の前に押し寄せてきます。

次はベージュ色の惑星。次はグリーンがかった星。


次々と惑星が目の前にあらわれて、あれ、これは太陽系なのかなと思いました。それまでにみたどんな天体写真よりも鮮やかに目の前にまで迫ってきます。

そして、信じられないくらい美しい星が目の前にあらわれました。青い星です。なんて綺麗なんだ、と思った瞬間『あなたの住む星ですよ』と男性の声が響きました。


声がする前からそうだろう。と私は思っていました。その星をみた瞬間すっかり恐怖心は去り、ひたすらその星を眺めていました。

『最後はこの星です』

そう声がすると、目の前が真っ赤になりました。燃え盛っています。今まで以上に目の前に迫ってくるので熱い、燃えてしまう!落ちる、太陽に落ちる!と、またパニックになってしまいました。

『あなたにみて欲しいのです』そうその声が響くと今度は体がすごいスピードで下降し始めました。

最初より早いくらいです。私はここでも、あ、夢だったんだから目覚めなきゃ!なんで目が覚めないの?などと思っていましみた。


そしてどんっ!と地上に到着した感触がしました。暫く目は瞑ったままでしたが背中の感触で自分が布団の上に居り、気をつけの姿勢でいるのがわかりました。

わたしはヨロヨロ起き上がり、辺りを見回し自分の部屋であることを理解しました。

同時にすごいリアルな夢だったなー、と思っていました。

しかし、私の寝ていた筈の布団はいま正に敷いたばかりのように少しも乱れていません。

冬の寒い最中に布団に潜って寝ていた筈の自分が掛け布団も毛布も捲らない状態の布団の上に気をつけをして転がっていることに、頭は混乱しきりでしたが、体の疲れが半端ないこともあって全ては夢だということにして、私は眠ることにしました。


ここまでが、以後長い付き合いになる彼らとのはじめての出会いです。

この経験によりわたしは人生の変換を余儀無くされていきました。なぜならすっかり体質が変わってしまっていたのです。



なんだか不可思議な夢をみた翌日、目覚めると世界が崩壊しそうになりました。

会う人会う人、人の体の周りに色のついた光のようなもがボンヤリとみえます。目がおかしくなったのかと思いました。あるいは脳が…と疑いました。

徐々に私の精神は荒廃しました。それまで精神世界にも心霊的なことにも全く縁がなかったので何が起きているのかわからなかったのです。気が狂ったんだな、と思いました。


また面白いように自分の人生自体も荒廃しまくりで、身から出た錆ではありますが色んなことで苦痛を味わうことになりました。

なにをしても、何をやってもうまくいかない。自分の無能さに打ち拉がれるだけの毎日がはじまったのです。

人間関係も仕事もなにもかも駄目でした。右に舵とれば左に傾く。人を信用しては騙される。いくらまだ若くて目が節穴だとしてもあまりにも学ばないアホでした。


そのうえ、相変わらず人の周りに色のついたモヤモヤはみえるし、なんならその人物が今後どんな風になるのか映像が見えるようになったりしました。飛んでもない妄想だと思っていました。幻覚幻聴の類だと。

失意の毎日を過ごすあまり、とうとう死にたいと思うようになりました。どうせいいことは何もない、生きていてもどうしようもない。なんの才能も自分にはない。

いま思うと単なる甘ったれですが、その時のわたしは追い詰められていました。

いまの基準でいけばなんらかの発達障害がある子供時代を過ごしていましたから元々の劣等感がいたく刺激されていたのだと思います。

なんでも人並みに出来ないことが本当に辛かったのです。


そんなある日。不可思議なあの『夢』をみてから半年くらいでしょうか。もう、いいや。と思っていました。

死ぬにはもってこいの場所を見つけていたわたしはその日死んでしまおうと、その場所に向かっていました。誰も通らないのをいい事にひとりで泣きながら。覚悟を決めてしまうと幾分気持ちが楽になっていましたが、死んで楽になりたいと思う気持ちと家族に申し訳ない気持ちと、でもどうしようもないという気持ちが30秒おきくらいに入れ替わるのでやはり冷静ではなかったでしょう。


よく晴れた日でした。ずっと地面を見ながら歩いていましたがふと空を見上げたとき、上空に丸い球体が浮かんでいました。

人工衛星にしては近いし、まん丸すぎる。

なんだろう、と思っているとあの声がしました。

『場所が決まっているなら、死ぬのは明日でもいいんじゃないんですか』と。

ああ、あの時の人だ!と瞬時に理解しました。

夢として片付けていたあの時のあの存在が上空にいる。しかも、あの時と同じように語りかけてくる。

わたしは眠っておらず、勝手に歩いているのに。そして、死ぬのは明日でもいいんじゃないんですか、と言ってくれている。

なんというか、その一言だけの言葉に私は救われました。許された気持ちがしたのです。そうだ、明日にしよう。いつでも死ねるのだから明日にしよう。

泣きながら、その丸い球体(ガチャポンのカプセルのよう)を見上げていました。

スコーンと抜けた青空にずっとその物体はいました。なんだか見守るようにわたしが自宅へ帰りつくまで。


自宅に帰り着くと途端に力が抜けてしまいまった。

ふと気づくと宇宙空間を滑るように進んでいた。光化学迷彩のように外の景色が丸見えでそこが室内なのか判断はつかないが、私の体はやはり固定されているように動かない。

かなりのスピードで私は移動している自覚はあるのだけどとても静かでなんの音もしない。

そして突然移動が止まった。


目の前にはその場全体がひとつの光の塊のように無数の輝く物体がひしめいていた。見渡す限り、光の物体が?どう表現したらいいのだろう。

天の川のように。もっと密度が濃く。無数の光が集合している。金色のような、銀色のような無数の光が漆黒の空間を覆い尽くすほど目前に広がっている。

ひとつ離れてはひとつくっつく。そんな動きを光の物体は繰り返している。永遠にみていても飽きないだろう。美しいというより凄まじい光景でした。


それがなんなのか一切説明はない。ただ、声が『増えもしないし減りもしない』と伝えてきました。

わたしには見えないのですが、どうやら隣に『彼ら』はいるようです。


そして、その発光する物体で出来た人間の形をしたものが目の前にあらわれました。

昔の新聞の写真のようにドットが粗くて水玉のようですが人間の形をしっかりしています。ダビンチのウィトルウィウス的人体図のようなポーズをしています。男性です。青年といっていい容貌をしています。

彼は僅かに両手を広げると私の正面に立ちました。そして映像が逆回転するように、彼は一回り小さな少年になりました。

今度は更に小さな子供に。次は赤ん坊に。

更に彼は逆再生されていきます。新生児の姿になり、遂には胎児になりました。どんどん小さくなっていきます。胎芽と呼ぶくらいまで小さく。32分割の受精卵。16分割、8分割、4分割、受精卵。

私は人の成り立ちをみせられました。そしてその受精卵は私たちのいた場所から遥か遠い位置にあった地球に落ちて行きました。


声がしました。『みていてください』と。なにを?と思いましたが一切の説明はありません。

この声の主とはその後とても長い付き合いになるのですが、こんな風にいきなりみせられるばかりで一切ヒントも説明もありません。

自分で解釈しろということなんでしょうが、あまりに不親切だなと思う時もありました。

その反面、知人といるときにでも時間帯を選ばずガチャポンのような乗り物に乗ってあらわれたりもするのでよくわからない性質だと思います。


彼らの名前はわかりません。ずっと必要ないと言われてきました。しかし、それでは人に説明しづらいと告げると好きに呼んでいいと言われました。

そのとき、なぜか私の頭にはヴェルヴェットアンダーグランドのアルバム、ローデッドのジャケットが浮かんだのでそれ以来ローデッドと便宜上呼んでいます。


ローデッド。

私の体質を大きく変えた人物であり、すべての始まりであったわけです。

ありがたいことばかりではなかったけれど、ローデッドとの出会いにより自分の扉を少し広げることができました。


そのローデッドとの話を少しずつボツボツとアップしていけたらと思っています。



ブログはじめます

おもに私が体験したオカルト的なことやスピリチュアルなことを書いていこうと思っています。

たいして世の中の役に立つとは思いませんが、へぇ、こんなことあるんだ、くらいに思っていただければ幸いです。

わたくしは所謂、チャネラーです。

あらゆる宗教、思想的団体に属していないので知識に限界はありますが見たまま感じたままを書いていこうと思っています。あくまで私の個人的見解です。

では以後よろしくお願いします。