甘くて苦い人生にウォンカのめちゃうまチョコをちょうだい

 

チャーリーとチョコレート工場を大阪でやっと観劇しました。去年の3月の解禁から長かった。自分が気持ち的に落ちてた(これは光一くんもつよしも何も悪くない)時期に帝劇が始まり、KinKiコンがあって年が明けて博多座が終わって…やっと!!!長かった!!!!

死ぬほど見たかったFNSを封印し、ツイッターのネタバレや感想は薄目で避けてたのですがわたしが観劇するのは前楽日ともう内容の理解に裂けるほどの時間はなかったのでジョニーデップ版の映画は見た。行きの新幹線の中で。相変わらずのリアルフェイサーっぷり。

観劇はSHOCKぶり、なんならSHOCK以外のミュージカルは初めてで超楽しみ!!!なんだけどなんだか緊張する、自分が舞台に立つわけでもないのにそわそわする…劇場で過ごすこの時間がわたしは大好きです。

以下、観劇した人にしかわからない感想文。

 

 

工場の外

幕が開くと全身黒ずくめの光一くん。歌が始まった時には「え、光一くんがわたしの知らない歌い方してる!」と驚いた。具体的にどんな感じかは言葉にできないのがもどかしいけど…SHOCKでも、もちろんKinKiでも聴いたことない声で、びっくりした。うわ〜ここにきてこんな光一くんが見れるんだ、初めて見る光一くんだ、新規のオタクとして過去を振り返ってとかではなくここにきて…!と出だしから勝手にジーンときてた。

キャンディーマン、物語の始まりとしていかにもおどき話に連れてってくれそうなファンタジー感と甘さでポスターで知っているあの毒々しいウォンカはどこ行った?と焦る。踊りながら黒一色からサーモンピンクのベスト、エメラルドグリーンのタイがお目見えしたと思ったら極め付けにベージュのロングコートに赤いキャンディーのステッキで超かわいい!!あの毒々しい色の衣装だけじゃなかったんや…。

浸すレモンパイ♪、お皿ごと食べる♪、と歌うとこがかわいくて頭にこびりついてる。好き。どんどんアンサンブルが出てきて最後にキャンディーショップの屋根の上でポーズキメるのもミュージカルっぽくてテンション上がる。歌ってる中のセリフでキャンディーマンに扮して街に繰り出す、という説明も丁寧にあったからすぐ理解できた。

 

キャンディショップ

キャンディーマンに扮するウォンカに続いてチャーリー役の子がでてくるんだけどもーーー!!!天使かな?と思うくらいにかわいい!!!そして歌も上手!!!!出てきた瞬間からチャーリーはなんていい子なんだ…と感じさせるピュアさが溢れ出てて眩しかった。チャーリーが歌うウィーリー・ウォンカ♪はクセになりますね。ここの耳に残るメロディーが後から効いてくるのもいい。

 

次の日/バケット家の掘っ建て小屋

お家のセット、よくできてるな〜と感動しました。お家自体はボロボロで色味はあまりないけれど、おじいちゃん・おばあちゃんたちのお洋服やお布団のカラフルなパッチワークとチャーリーとバケット夫人の淡いパステルカラーのお洋服の色味がアクセントになっているところからあったかい家庭が垣間見える気がして。あと階段に小さな家がついてることで屋根の上から街を見下ろす形になるのもすごい!

チャーリーとジョーじいちゃんが腕組みながらチャーリーとワシ♪、と歌うところ尊くてかわいくて浄化された気持ちになる。「チャーリーとワシ」、本当に好き。

チャーリーがお手紙飛ばすシーンも印象的ですね。小窓でちゃんとウォンカがお手紙を受け取ってるシルエットが映ってるの、最初全然気付けなかった。多分このシーンのことだと思うんですけど、エンタかなんかで真冬にあんなとこで寝るなんて、この物語はチャーリーの夢オチなんじゃないか(真冬にあんなとこで寝たら死ぬから)…みたいな考察を光一くんがしてるのを観劇後に思い出し、普段メリバ厨と揶揄されることがあまり好きではないわたしでも思想"堂本光一"すぎんか…とさすがに思った。

 

ゴールデンチケットの当選者たち

オーガスタスとグループ夫人はとにかく目を引く!!2人が出てきた瞬間に場がパン!!と明るくなる。歌自体は多分グループ夫人が旦那さんと出会ってオーガスタスが生まれて…みたいにストーリー上になってて、モニターに絵本みたいにイラストが映ることで歌詞がわからなくても初見でスッと頭に入って分かりやすかった。グループ夫人もオーガスタスもキャラ濃くてチャーミングで目が離せないと思ったら隅っこでウォンカとチャーリーがとんでもなく可愛いことになってて頭抱えた。ウォンカがチャーリーと腕もってぶんぶん動かすの、世界一尊いシーンに認定するレベル。

ベルーカはロシアのバレエ少女。ということはワガノワ式だね♡とか思っていた。動きも全部バレエっぽくて、ただ立ってるところでも5番ポジションだったりと徹底してた。衣装もチュチュっぽくてかわいいな〜と思っていたら日本的な部分としてロリータ要素を入れた、というのを知って天才?と思った。ソルト氏の存在感も抜群なのにあの尻に敷かれてる感が出てるのすごい。べルーカが欲しいものとして最後叫ぶのが「ピラミッド!!!」なの、舐めたクソガキ感が最高にでててかわいいよ…。あとチャーリーと一緒に首をこてんと後ろに下げるウォンカかわいい。

バイオレットのシーンは曲がまたガラリと違ってびっくりする。ディスコっぽいロックっぽい曲で歌い上げるヴァイオレットちゃんちょ〜お歌が上手!ボーレガード氏もバイオレットに負けず歌うし踊るし迫力がすごい。気付いたらキャンディーマンいなくなってる、と思ったらお立ち台みたいなのに乗っかって華々しく出てきてウケた。前の2曲よりここのシーンから一気に踊ることが増えた気がする。ポジションの移動も多くて油断するとダンサーの頭ぽかぽか叩いてたりするちょ〜おかわいいキャンディーマンを見逃す。

ティービー夫人は今まで出てきた両親たちとはまた違う雰囲気のやばさというのが曲から伝わりますよね。薬流し込むのはグラス一杯のビール!!!だし。そんなことアメリカ国歌調の曲で歌い上げていいのか…。マイクが出てくるところでガラリと曲調が変わってロック!マイクはまだポストは言わずツイートというタイプの子。キャンディーマンもさっきは指揮してステップ踏んだと思ったらDA PUMPのUSAの振り、からのエアギター。全部のせ丼?!

 

このシーンでは立て続けに違うジャンルの踊りをそれぞれの親子と踊る光一くんが本当に最高だった。光一くんの踊りは品があってどの所作も綺麗なところが大好きなんだけど、それが良いように作用してどんなジャンルを踊ってもウォンカ(というかキャンディーマン)のままなんですよ。

そしてメインは親子たちだから、ウォンカにスポットライトが当たってないのもよかった。光一くんって0番の才能もあるけどキャラクターダンスの才能もあるし、多分コールドの才能もある!!確実にここは主役じゃない場面だから目立ちすぎず、だけど目を引く、でも馴染む、みたいな…そんな光一くんが見れたのがレアで超よかった。

どんどん当選者が報道されるテレビの演習、展開の速さとテンポの良さが生きてて面白かった。「見ろ!!!!バケット!!!!」とどんどんハイテンションになるキャンディーマンと「もうー?!」と言いながらテレビに駆け寄ったり、ウォンカに負けないくらい「早ー!!!」と絶叫するチャーリー、どちらもかわいい。

 

さよならキャンディショップ/最後の当選者

キャンディーショップでの所作もいちいちきれいだった。ステッキ捌きもそうだし、カバンを開ける、カバンを渡すとか。でもお札数えるのは雑w それもよかった。光一くんが演じるウォンカは上品さの中に貫禄もあって紳士さ、いい意味でのおじさを感じられた!おじにしては顔だけ抜群にかっこいいけど。

一幕はポップに、そしてコミカルに話してるんだけど「遅れをとるなよ」、「好きなことを諦めるな、愚痴を言わずに待つんだ」、「君に出会えてよかったよ」…みたいなチャーリーに向けて言う大事なセリフですっとトーンが落ちるのが本当に良…!!!特に「好きなことを〜」、ちょっとオタクには刺さりすぎる言葉だよね。英語版は何で言ってるんだろう?神翻訳…!いつでも刻める心のタトゥーリストに入れました。

そして映画版を見てなくてもチャーリーが最後のゴールデンチケットを手に入れることなんてストーリー上明白なのに、これがゴールデンチケット♪、と歌うチャーリーを見て心の底から当たってよかったッ……って泣くかと思った。

あとジョーじいちゃんとバケット夫人があんなに踊れて歌えるのがびっくり。小堺さんの持ち前のキュートさにおはよう〜太陽♪、と元気よく歌う「ジョーじいちゃん絶好調!」がピッタリだったしタップもすごかった!

バケット夫人が映像のシルエットと踊る演出もすごかった。あれパパ役のシルエットもバレエっぽいだいぶ難しくてエグい踊りをしてると思うんだけどその人とのデュエダンで違和感ない観月ありささんすごすぎる。

 

ついに工場の扉が開く

最初は当選者たちがどんどん工場前に到着してお祭り騒ぎだったのにいざ工場の扉が開くとなったらあの緊張感。あんなに可愛く歌っていたチャーリーのウィリー・ウォンカ♪と同じメロから始まるとは思えん。

ついにウィリー・ウォンカのお目見え!と思ったら突然足腰弱いおじいちゃんがが出てきて????ってなった、あれは何?!本来はあの姿で魔法がかかって若返ったってこと?!じゃあキャンディーマンのときはなに?!

頭がぐるぐるしてたら一瞬であのメインビジュアルでお馴染みのどキツイウォンカが登場。全体的に淡い色合いで可愛いキャンディーマンから急に原色でダークな雰囲気になるの痺れる〜!!!光一くんの顔が整っていて美しいからそれが絶妙に不気味さ、妖艶さ、ミステリス具合を演出してるのが本当に面白いと思う。色味に関しては明らかに浮いてるんだけどそれが醍醐味で、パーソナルカラー外すことでそうなってんだな、顔がいい人の顔ってこんな風に作用すんだな〜と感心しました。

「見れるって思ってるね?」はザ・チャーリーとチョコレート工場!って感じがするようなチョコレートの甘い部分だけじゃない苦さが全面的に出てて印象的ですよね。始まりから不穏だし、ゆっくりな動きと醸し出すオーラがウォンカがただモノじゃない感、やべー奴がすごいでてて、ウォンカの登場シーンとしてはこれ以上ない…。色気も一気に出て、「甘く淫ら」はチョコレートだけじゃなくてこのウォンカを表す言葉としても的を得ている。人生は変わる〜遅れをとるな〜♪、あたりから歌声もどんどん強くなっていってこの世界は幻 見えるのかい?本当に〜♪、のロングトーン、良・良・良〜〜〜〜!!!!!!からの当選者たちの名前を呼んでくところ、ここ苗字なのがよかった。「チャーリー!」じゃなくて「バケット!」。オケ的にもクライマックスに近づいてって最後♪ようこそ!チョコレート工場へ、で幕降りるの放心。え?!ここで終わるの?!てか何起きた?!かっこよすぎて放心した。幕間で放心するの、あるある!英語版だと「Do come in!!」って言ってるらしくて、えええこ、この翻訳…神翻訳、神演出〜……………!「ようこそ!」で力強くて「チョコレート工場へ」って囁かれるの、無理っしょ。落ちていく感覚がある、チョコレートの沼に。イメージ的には失恋ショコラティエのOP。

 

お菓子の森(楽園)

二幕から一気にセットがビビットで毒々しくなる。立体物と映像という平面の組み合わせが絶妙で全体が立体的に見えて、そこに匂いもある!舞台が生きてるって思ったのちょっと初めてだったかもしれません。

ウォンカの話し方はキャンディマンとはうって変わってちょっと芝居かかったような、高めの話し方。こっちの方が繕ってる感じ、何かを隠していそうな気がしちゃうけどでも一幕の方のあっちが擬態してんだよね?でも光一くん自身は雑誌で「敬語で話してる方が本当のウォンカな気がする」みたいなことを言っていて…確かに、一幕での怒りの感情って指差したりステッキ構えたりだったけどこっちはガチでキレるしばかでかい声も出すからやっぱこっちが本当の姿なのかも?…やばい、完全に手の上で転がされてるかもしれない。

ピュア・イマジネーション、見れるって思ってるね?で一幕が終わったとは思えない優しい始まりだしいい歌…!!まるで夢みたいなセットの中で「この世界は私の頭の中、本当は存在しないのかもしれません」みたいなこと言ってた気がするんですけど覚えてない。大事なとこだった気がする。世界さえ、人生さえイマジネーションで自由に変えられる、ただ「望めば、君が」…じ、人生に置いて大切なことを歌っている…!!!!こういうイマジネーションの精神って子どもの方が豊かで、大人になるにつれて現実を知りすぎて嫌でも無意識的に失われていってしまう部分もあると思うんですけど、チョコレートを生み出し続けているウォンカはこの精神を持ってるんですよね。忌々しい見た目してチャーリーと匹敵するくらいのピュアさを持ってる。でもいつそれが失われるか=まずいチョコレートを作ってしまう時が来るのか、という…。それを大人のウォンカが歌う。永遠のピーターパンでいたいけどいれないしいれないことをわかっているみたいな…。ここで自分は違う!!!と抗わないウォンカえらくないですか?まぁえらいというかノートの続きが書けなくって嫌でも気付かされて諦めたんだと思うんですが。でもそれを受け入れられるかられないかって別の話で、自分のありのままを受け入れた挙句すぐに「後継者探そう!!!」なれるのがすごいというか。

子どもたちがお仕置きされるシーンは目玉で、ここのオーガスタスのシーンでウンパルンパがでてくる。映画版見ておっさんのイメージだったからちょーかわいい見た目で驚いたw 大人の膝の下くらいの身長をよく表現したなぁ…!って最初でてきた時びっくりした。ウンパルンパと一緒に首をこてんとするウォンカかわいい。あと曲の最後特徴的な振り付けあるじゃないですか?←抽象的すぎる 歌詞ももう出てきませんけど。あれもかわいい!!!

オーガスタスが吸い込まれるシーン、どうなるんだろうって思ってたんですけどこのド派手なセットにさらに筒の新しいセットが出てくるとは思わなかった。ここも立体物と映像とのリンクがちょ〜お自然ですごかった、本当に吸い込まれちゃったみたい。あとはウンパルンパがコミカルに歌うところが不気味さに一役かって出てて、怖くないけど不気味みたいな、残酷なことしてるけど歌われている内容は至極真っ当というこの違和感こそがこの世界観だよねえ…としみじみした。

 

 

SSウォンカ号

↑名前かわいい。

船のハンドル握ろうとしてるのを制したり、携帯取り上げようとしてたりするマイクとウォンカの絡みがかわいくて毎回そこ見てた。

ウンパルンパとの出会いの曲、超いいよね!!!!!剣捌き、美しすぎてマジで普段から剣振り回してる人のソレだったよ。とにかくフル歌詞欲しいけど、「自由だと叫んだんだこんなふうに!」「歌ってくれNo.1ソング!」「翻訳してあげましょう!」「契約成立!」…って大事なとこ歌い上げてくれて全部すき。ウンパルンパダンスはこんなコミカルだけどどこかお上品な振り付けがよくできたな…すごすぎる…思った。手の振りがメインで、上半身があまり動かないのがちょっとバレエ要素っぽいというか、クラシカルで上品な部分なんだと思う。だからもう全身コミカルなウンパルンパがやるとコミカル100%だけど一緒にウォンカがこの振りやっても違和感ないからすごい!!!仲間がいる一人じゃない ウンパルンパファミリー〜♪ハッピーな曲ありがとう!!!!

 

ミックスルーム

いや、お菓子の森に負けじとセットす、すご〜!!!!!!

チャーリーに「開けてごらん」と言って「勝手に開けるな」と怒ったり、チャーリーのみんなにバカにされたアイディアも「それはいいアイデアですよ」と優しく言ったり、わたしはチャーリーじゃないのにウォンカに感情かき乱された、なに!!「さすが匂い嗅ぎ少年」、とかの一幕の出来事の匂わせも堪らないですよね。あとは「チョコレート作りのレッスンワン、人を信用しないこと」、ここ!!大事!!コミカルな流れでテンション感も面白おかしい感じだけどウォンカのガチが垣間みれる。重。暗。でも大事。

ガム・ジューシーはこの曲だけウエスト・エンド版なんですね!知らなかった!!権利の感じとかどーなってるんだろう?それにしてもこの曲は最高。耳に残る!ウォンカのステッキ持ちながらのロックダンス、このアンバランス感良すぎ。ボレーガード氏の芋さんとウォンカがセンター挟んでシンメで踊るとこ、体格と衣装とか全てのものが違いすぎて異種格闘技感があってw、それもよかった。ブルーベリー化はバイオレットのお洋服自体が膨らんだと思ったらウンパルンパとウォンカたちに目を奪われて気付いたらバイオレットがちょーおでっかくなってて爆発して驚く。毎回真剣に見てるのに何回びっくりすんだよって思うんだけど毎回気付いたら爆発してる!!!w 果汁が溢れ出す音とともに銀テが飛んできて終わりなのも曲の締めとして最高だった。

 

ナッツの部屋

リスのシーンどうなるんだろうと思ったら激かわパペットだった!「グッドイブニング!」ってリス相手にばかでか声で叫ぶの、なんだっけと思ったら越岡くんの挨拶だ!でもあそこは台本通りと教えてくれるこーちゃんかわいい。

リスたちを避けながら踏んでるステップは全部バレエのもので、どのパも綺麗だった!振りにリフトとかもあってそれがどことなくネズミの王様に襲われるクララ…じゃなくてロシアだからマーシャを想像させて、「ベルーカのくるみ割り人形」というタイトルを後で見た時納得した。それにしてもあんなに助けを求めているのに頼りないというは保身的なソルト氏にウケちゃう、ベルーカの後を追ってダストシュートに飛び込むのも毎回嫌そうにビビるシーンは回によって違って面白かった。

 

チョコレート・テレビルーム

マイクの曲は1幕から異質で一番印象的かもしれない、楽曲の統一性があんまりないですよね。ここの曲も機械音だったり歪んだ音だったり…いわゆるファンクっぽくて聴き取りづらいのを配慮してくれてか歌詞出してくれてありがたかったw 歌詞見ると結構強くてひどい言葉使っててびびる。まぁどんな言葉があったか忘れたけど…。でも面白い翻訳なんだなってわかったからまじで歌詞全曲知りたい〜つら〜!!!!

ここのシーンは今までもすごかったセットと映像、立体と平面のリンクの真骨頂ですよね。大きいめちゃうまチョコと人間のマイクがテレビの中に入る、それが取り出せる、ウォンカの腕だってテレビの中に入っちゃえば無限に伸びる。テレビから取り出されてたマイクがお人形さんになっちゃったのにちょっと喜んでる、言う事聞かせられると喜んでるティーヴィー夫人は今までの両親と別のヤバさが見えるの、ちょっとグロいし面白い部分だと思う。この世にはいろんな種類のやべー子どもと親がいるよね。ウォンカのロボットダンスはかわいかった!

 

想像の部屋/イマジネーションルーム

チャーリーが楽しい!って言った後「子どもたちがお仕置きされてるのが?」と聞くウォンカを見てお仕置きという自覚あったんだ、と思った。そんで「ちがう!チョコ作ってるのを見るのが!」というチャーリー…ピュアピュアなのかお仕置きについてはなんとも思わん残酷さを持ってるのかどっち?!ウォンカも「本当に?」聞き返してるよね。まぁチャーリーは天使のようにかわいいので「もちろん!」と答えた瞬間にこちらも何も思わなくなるのだが。

イマジネーションルームという名の通り白紙のようなあたり一面が白くて簡素な世界観、これまでがビビットで盛り盛りのだったからかなり効いてる。一幕はシンプルというフリが効いてるから二幕でより派手に感じるしその派手さがまたクライマックスのシンプルのフリとなる…!

「ショーは終わり、ここまで!」と宣言してハイ帰って?というウォンカのちょっと今までより突き放すような冷たい話し方だったのにチャーリーが約束破ってノートの続き書き出したのを見つけてからの優しい話し方、その落差無理すぎる。あそこから纏っていたものが少し取れたような、柔らかい話し方になってる。あとしみじみ嬉しそう、チャーリーがウォンカの期待していた通りの子で。チャーリーがノートに描くものが実際にスクリーンに描かれる演出もすごくよかった。こんな子が想像するのをやめれられないだなんて、天職すぎるもんね。ウォンカ、わかるよ。

 

ガラスのエレベーター

ガラスのエレベーター本当にに飛んだからびびる、映像も使ってガチで空飛んでるみたいですごかったー!

出だしからあんな優しい顔で♪チャーリーとわたし、って「チャーリーとワシ」のリプライズから始まるのな、泣いちゃう…!!ジョーじいちゃんが歌ってた時はあんなにほっこりする曲だったのに、チャーリーを見ながら噛み締めるように優しい顔であんな風に歌うから…!!もうこの時点で相棒になったんだねえ。歌の中で「絶望」というワードだけすごい強い言葉だったから頭に残ってる。多分誰も信じられない、レシピ盗まれたりして裏切られて絶望にいたけどチャーリーと出会えた、みたいなことを歌ってるんだと思うんだけど…。ここ、多分すっごい大事なことを歌っているんだと思う。思い出せないけど。でもわたしのメモに「ガラスのエレベーター 大事なこといってる!」って書いてあった。なにが大事か書いて!!!!歌詞ください…。チャーリーとウォンカが一緒に歌うシーンってこのシーンまでなくて、最後の最後でこんな曲歌うのってちょっと…ずるい…。で、最後♪この景色を〜、って工場とこの景色というか街?を受け取ってくれって終わる。ウォンカのすべて。でも譲り渡すというよりチャーリーと私って歌ってるから相棒みたいな感じなのかな。

 

想像すれば見えてくる

ウォンカとバケット家に突撃のシーン、毎回「なんだこのイカれポンチは」って言われてるウォンかウケる。でも明らかに浮いてるので合ってる、ここのウォンカの浮き加減がバケット夫人の「本当なの?!」と疑うことへの説得力強めるよね。それに対してウォンカが「この子は嘘をつかない、たまにつくけど家族を困らせる嘘はつかない」って褒めるけどチャーリーを聖人君主みたいな"いい子"だとは言ってなくてそこが超よかった。チャーリーはだいぶいい子だけど誰しもがお仕置きされた子たちのような思想、一面を持ってるものじゃないですか。演出のウォーリーさんが言ってたこの物語が持っている七つの大罪的な側面、改めてすっごく納得のいく表現で、だいぶファンタジーだけどご都合主義の綺麗事なお話ではない、これがこの作品の魅力だよねって最後の最後でも思わせてくれた。

ウォンカの「もっと美味しくするには?」という問いに対して「マシュマロにつける!」と答えたチャーリーの「チーズって言おうとしましたが…君の案でいこう」、ここの余白!!!!チーズって言おうとしましたが」で自分の帽子とった後の間!!!「君の案でいこう」でチャーリーに帽子被せるの…あぁ…チャーリーと私や…こんな…その歌詞をこんなに実感させられるセリフと仕草…泣く…。最後、永遠のテーマだった「イマジネーション想像すれば見えてくる」でウォンカが去って行った後、最初ウォンカが言っていた自己紹介文的決め台詞をチャーリーが言う。あんな始まりでこんな終わりって!!!!ずるい!!!最高!!!ここで最後に去っていくチャーリーの背中は本当に大きく見えて、小さい役者さん…すごすぎる…と毎回感動してた。

 

 

イマジネーション、多分光一くんもものすごく大切にしてる言葉だと思うし、それを意識的に忘れないでいてくれている気がする。相変わらずわたしは本当に光一くんが作り出す何かが大・大・大好きで、これが味わえるのはきっと光一くんがただの演者じゃなくてアイドルだから。でも演者としての光一くんも最高!!!!!ナイツテイルを観れてないオタクだからSHOCK以外の誰かに演出される光一くんをやっと見れたわけだけど、最高!!!!ていうか逆にやっと誰かに演出される光一くん見れたってなんだよ、って自分で書いててわろけてしまう。そして光一くんは自分のイマジネーションも大事にしつつ、受け手側のわたしたちにもその自由を委ねてくれてるのが嬉しいな〜SHOCKについてのディレクションかいてくれたインスタのストーリーでも「Everything is in your imagination」って言ってくれてたのみて当時思ったんだけど、それから時が経ってこういう作品に巡り会えてファンとしてすっごく幸せ。

 

そしてSHOCKも人生の話だけどこれもだいぶ人生の話で、夢を見ることも空想することもそれが厄介なこともあるけれど、それでも夢は見続けたいし、空想もできなくなるようなつまんない大人にはなりたくないな…と思わされる一方で「イマジネーション、想像すれば見えてくる」は、「自分から思い込めばそれが真実」*1ではないじゃないですか。それを普通に生活する上でも、光一くんとつよしとKinKi Kidsを応援する上でも間違えたくないなって思いますね。むずかしいけど。ちょっといい加減にしろよ、と思うことが多すぎるからキレちゃうんだけど、自分自身ができることはキレることじゃなくてこの二つの言葉を繰り返し唱えることしか…ない…がんばる…。

 

あと光一くんはよく"頑張れる人"って言われますが、光一くんの"頑張る"はマジで並大抵じゃない頑張りで、光一くんの死ぬほど頑張れるところにわたしは陶酔できなくて…それはそこまでしても相変わらず自己肯定感が低い光一くん見ていて胸がキュッとなるくらい痛くなるからで、自信満々に立ってくれれば陶酔できるかも知れないのに…。まぁでもそんなんじゃ好きになってなってないだろ、と言われればそうなんだけど…。事務所のことがあって1人で記者会見に立つ姿も、ボロッボロの台本も、いつも凛として立ってる姿から勘違いしそうになるけれど中身を知れば知るほど繊細なのにバグで「俺は丈夫」とか言い出すし不安で押しつぶされそうになったりイップスになったり。心配…が近いニュアンスなんだろうけどステージに立つ姿や光一くんが作り出すもの、スケジュールをこなすところは心配してなくて、多分そこまでの過程の心労具合が心配なんだと思う。だけど、そこまでやらないと不安。不器用すぎる。要領よく生きてそうな顔なのに。なんだその顔っていい顔。

でもそんな光一くんが「好評をいただいてホッとした」、「20年経ってもやれる役柄だね言ってもらえて光栄だった嬉しかった」って、そんな風な言葉が聞こえてきて嬉しかったし、大千穐楽のカーテンコールはもちろんどの公演でもやり切ったような素敵な顔を見れてそんなのは結構吹っ飛んだ。自分には技術がない、自分より歌がうまい、踊りがうまい、芝居がうまい人もいるそれはそうかもしれない、だけどわたしは光一くんだから見たいんだよ、光一くんだから好きなんだよ〜!!!っていつだって叫んでやりたいよ!!!!!!まぁわたしが言ったところでだろうけど!!!

SHOCKが一旦終わることとチャリーとチョコレート工場、全然別の話だと思っているけど、それでもこのタイミングでこの役をやってくれて嬉しかったな、ファンとして。バランスは難しいけれど、グループ活動と同じくらい舞台に立っている光一くんが好き。正直SHOCKが終わる悲しさでそこまで見えてなかったけどずっと舞台に立っててほしい、たとえ0番じゃなくても…と本気でそう思うよ。

光一くんが今回、素敵な旅ができたみたいな本当に良かった。素敵な旅に連れてってくれてありがとう!

 

 

*1:なんでキャンジャにちゃんにはこれが書けてキンキには変石とか鉄塔なの?

相変わらず君に都合のいい夢ばかりを見続ける

 

錦戸亮ちゃんを追えなくなったのはいつからだろう。

 

私の中で大きく変わったのは亮ちゃんがやめたときよりすばるくんがやめたときだった。6人のエイトを見ている私の熱量は7人だったあのときよりもはるかに落ちて、ぼんやりとしか追えてなかった。 

でもいつかはあのときの熱量は戻ると思った。メンバーが「俺らも(すぐに慣れないのは)一緒だから」みたいなことを言ってくれていたのを信じてて、ゆっくりでいいんだなって思ってからは無理に追うのを辞めた。すばるくんが辞めなければ、と何度も思ったけれど、結局渋谷すばるを恨むことも憎むこともないまま月日が経った。すばるくんががああ言うんだから、と納得させる力があるのが私の見てきた渋谷すばるだった。

そして私が6人のエイトを心の底から受け入れるより先に、亮ちゃんが辞めた。報道を見たときはいろんな感情が入り混じったけれど、その中には「あぁ、もうエイトを追わなくていいんだ」と首を切ってくれたような清々しさもあった。

 

事務所を退所した次の日にすぐにロケットスタートを決めたときはわくわくもした。すぐにFCに入ったし、CDも買った。グループを抜けてから初めて亮ちゃんを見たのは、渋谷公会堂だった。十五祭オーラスから3ヶ月しか経ってなかったけれど、心の整理なんてとっくにできているつもりだった。だから現場に来た。でもそれは物分かりのいいオタクになりたいという願望の表れだったようで、「元気でよかった」とか「今日も顔が可愛くてかっこいい」とか思った次の瞬間にはこんな小さなところで歌わないでくれ、と思っていた。

松竹座という小さな劇場から始まったのは百も承知だが、私が見てきたのはだだっ広いドームに立って眩しいくらいのライトを浴びてフロントに立つ錦戸亮だったのに。渋谷公会堂だってそれなりの会場だけれど、ドームに慣れた私には手が届きそうだと勘違いするバグが起きている。双眼鏡なしで亮ちゃんを見た回数なんてたかが知れているのに、会場のどこにいたって肉眼で全てを捉えられてしまう。オタクに寄り添ってくれて欲しい言葉なんていらないから、ドームに立ってほしい。踊らなくたって、喋らなくたって全然いい。ただ、あの頃みたいに圧倒的なパワーで手なんて届くわけがないと実感させてほしい。会うたびに勝手に失恋する感覚さえもが恋しかった。

関ジャニ∞としてではなく錦戸亮としての記念すべき初めてのライブを見終えた後も、私はよくわからない気持ちに襲われた。よくはわからなかけれどプラスな気持ちで満たされているわけではないことは確かだった。そんな自分に軽く嫌気がさす。

アイドルじゃなくなっても愛せると思っていた。錦戸亮という人間が好きだと思ってたのに、アイドルじゃなくなった瞬間に徐々にとその気持ちが消えてしまうなんて、アイドルじゃなくなった彼も愛せている人たちのことを横目に私は本当に好きだったのかと後ろめたくなった。私って本当に錦戸くんのこと好きだったのかな、と友人に聞いたら「好きすぎて3年半付き合った人と別れたこともあったじゃん、それくらい好きだったよ」と言われて、本当に私って11歳の頃に銀魂沖田総悟に恋してから何も変わってねえなと呆れた。そうなんだよ本当に好きだった。亮ちゃんを好きでいるために、1人で生きていくために就活を頑張って長く働ける安定した会社を選んだし、あった方が便利かと思って車の免許もとったりもした。大好きだったから、あの頃の私の行動の根底にはいつだって錦戸亮ちゃんがいた。

 

でも結局、アイドルしてほしかった自分に絶望すると同時に関ジャニ∞という場所でいろんな表情を見せてくれる彼が好きだったのだと実感する。

関ジャニ∞は私の前に突然現れた青春を具現化したような男たちだったから、ずーっと放課後みたいな時間が続くと思っていた。でももう放課後なんてとっくに終わっているのに、いつまでも終わらない放課後を求めて彷徨う亡霊になるしかなかった。

亮ちゃんのライブに行ったその日は家に帰ってすぐに7人の関ジャニ∞を狂ったように見た。でも多分この先過去を擦りながら生きていくのは限界があると嫌でも察する。好きだった彼らは画面の目の前にいるのに。脳内で「そばかす」が流れる。想い出はいつもキレイだけど それだけじゃおなかがすくわ。一生おなかをすかせて生きていたら餓死することは頭でわかっていた。でも餓死する前にあれだけ私の人生の中心にいたアイドルが二の次になった。

突然両親が離婚した。弟が大学を卒業するまでは絶対にしないと思ってたのに。仲が良くないとわかっていたけど、仲良かった2人の姿も知っているから離婚しないでほしかった。私と弟に何も言わずにいつの間にか父が家を出て行った。そんな父になんて連絡をしたらいいのかなんてわからなかったけれど、ある日父から久々にきた連絡は「病気になって入院している」という内容だった。そこから3ヶ月も経たないうちに、父は亡くなった。そしてすぐにコロナ渦になった。父の葬式もまともにできなくなった。気付いたら母と祖父母(父の両親)の関係が最悪になっていて、その仲介もした。父の借金の話を、私を通して母と祖父母がやりとりするのが地獄だった。そもそもそんな話知らなかったのに、知りたくもなかったのに。コロナの状況がどんどん悪化して、友だちと出かけて憂さ晴らしみたいなこともできなかった。遊びにはいけないけど、仕事には行かないといけない。コロナのせいでイレギュラーな対応に追われた。社会人1年目で通常業務もままならないのに。

なんやかんやありすぎて、普通にHPがゼロに近かった。錦戸亮ちゃんのことも、エイトのことも考える元気は私の中で残ってなかったし、趣味をなくしたけれど新たな趣味を探す元気もなかった。

そんな日々から1年経った頃にインスタライブを見て堂本光一くんに落ちそうになり、そのまた1年後くらいには完全にKinKi Kidsに落ちた。自担と自軍がある生活を取り戻し、一切見なかったテレビとSNSを見るようになった。あんだけエンタメから遠ざかっていたのに、好きな人ができると途端に興味のあるものや気になるものがどんどん増えていった。エンタメが私に近づいてきて世界がどんどん彩られていく中で、自然と5人の関ジャニ∞のことやすばるくん、そして亮ちゃんのことも目にするようになった。

 

KinKiを好きになった年の秋に友だちから亮ちゃんのライブに誘われたので速攻で行くと返事した。アルバムが出てからの公演だったから、アルバムが発売された日にすぐ車で聴いた。錦戸亮のアルバムを聴いているから当たり前だけれど、私が好きだった人の声がして動揺した。あんなに好きだったのに、声を聴くのは久しぶりだった。インタビューで「歌が特別上手なわけじゃないけど、せめて自分で作った曲で届けられたら」とみたいなことを言っていたのが頭に浮かんだ。わたしはやっぱりこの人の作る曲が好きだった。

4曲目に流れてきたのはグループにいた時のソロ曲だった「Half Down」で、イントロを聴いた瞬間にまずい、と思った。予感は的中して「過ごした日々だけが今も輝いたまま 閉じ込めた思いが 時折この胸に渦巻くんだ」というサビが合図かのように亮ちゃんとエイトがなによりいちばんだったあの日を思い出す。閉じ込めた思いが一気に溢れかえったせいでなんとか家にたどり着いたはいいものの、駐車をミスり家の門柱に車をぶつけるハメになった。抉れた門柱の跡を見てどれだけ自分が動揺したかを思い知る、ただ曲を聴いただけなのに。

ライブ会場は、神奈川県民ホールだった。懲りずにドームがホームのグループを好きになってしまったのでだいぶ狭く感じたけれど、渋谷公会堂の時よりは拒否反応はなくなっていた。久々の錦戸亮ちゃんだった。独特なぴょこぴょこと背伸びしながら歩く姿、見覚えのあるギターたちとストラップ。予習したアルバム曲と、たまに懐かしい曲。驚く時に目を見開く顔。手を振る時、一度両手を大きく上にあげるところ。歌ってる時はハイパーかっこいいのに、喋り出すと眉毛を下げて困った顔をしながら歯切れの悪く話すとこ。2年ぶりに見た亮ちゃんは、私が思っていたよりも私の知っている亮ちゃんだ、と思った。

最後の曲は「ラストノート」だった。私が亮ちゃんを追えなくなってから光一くんに落ちるまでのあの空白の3年間の中で、たまたま耳に入ってからいちばん聴いた曲だった。上書きなんで簡単にできなかった。まぁ新しい自担ができたという面ではしたんだけど。でも人混みの中で似た残り香を探したのは確かだし、見返した写真もその続きも、寝ても覚めても追いかけた私にとったら足りないのは錦戸亮ちゃんと7人のエイトだったからあの頃がフラッシュバックしてついに涙が出たけど、やっと泣けたことで同時に少し成仏できた気がした。すばるくんがやめた時はあんなに泣いたのに、亮ちゃんがやめてからはこんなにわんわんと泣いたことはなかった。

"好き"の対象が何もない状態でこの現場に来たらまた私は渋谷公会堂の頃と同じように変わったなと感じる亮ちゃんに寂しさばかり感じて、自分が受け入れられないところばかりに目がいっただろうけれど別の"好き"ができてから行く現場はいい意味で距離もできて当時より昔に固執せず、今の錦戸亮ちゃんを真正面から受け入れることができた。だから、このタイミングで亮ちゃんの現場に来れたことは私の中でとても意味があることだった。

 

冬には18祭にも行った。夏の18祭は、祭だっていうのに勇気が出なかった。エイトコンは十五祭ぶりだった。アイドルではなくなった錦戸亮ちゃんと向き合うことを避けていたように5人のエイトにも向き合えないまま3年が経ってしまったから、元々ホームだった場所なのにすごくアウェーを感じて緊張した。チケットを譲ってくれた人から「誰が好きなんですか?」と聞かれてドキッともした。錦戸くんが元々好きで…と答えたら「そうなんですね!亮ちゃんが好きな人が来てくれて嬉しいです!」と言ってもらえて、すっごく嬉しかったしなぜか救われた気持ちにもなった。

ライブではそこまでネタバレを踏んでなかったので、関ジャニ∞全部のせ!!!みたいなセトリが最高に楽しかった。キラキラのイントロが流れただけで自然とキャー!と口にしてしまう「ダイヤモンドスマイル」、ノーマークだったのにこの現場で聴いたのをきっかけに私的2022の楽曲大賞に食い込んできた「ブラザービート」、ジャニーズメドレーと銘打つものでセトリ入りをすること自体に痺れる「まいったネ、今夜」、もはや嵐の現場では一回も聴けたことないのになぜかエイトの現場でやたら聴く「台風ジェネレーション」etc。そしてマジでなんなんだよ、と思いながら見ていた「ニク食いねェ!」。意味がよくわからないけどなんかおもろくて可愛い、みたいな感情に久々になって懐かしくて泣きそうになった、目の前では丸山くんが肉食いながら歌ってる姿を見て他の4人が爆笑しているのに。ちなみにこの時の私はエイトが全力で夏の18祭の天丼をやっていることを知らないので、当然スタジアムで歌いながら寿司食っていたまるちゃんのことも知りません。

∞レンジャーはイントロがかかった瞬間に身体が反応してポーズを決めてしまうし、よくわかんない必殺技で敵を倒したと思ったら久々にこの目で見ることが叶ったキャンジャニちゃんに会えて、ここのネタバレは踏んでいたのに腰を抜かす。7年ぶりに現れて秋元康作詞で新曲を出す、こういうことを関ジャニ∞は、っていうか妹分のキャンジャニちゃんはするんだよ…としみじみした。

本編の最後は「ひとつのうた」だった。錦戸亮ちゃんのソロパートの中でも「明日になればまた次の街 伝えたいことがまだあり過ぎて…」が飛び抜けて好きだったなぁと、手元の黄色く光らせることを許されたペンライト越しに見る5人のぎゅっと寄り添った姿は多分この先忘れることはできないくらいいい景色に映って、あー来てよかった、と心の底から思った瞬間だった。女子ドルにも通ずる部分があるけれど、一度好きになったグループはいちばん好きだった人が卒業しても脱退してもやっぱり"魂"が好きなんだよ…!と痛感する。いちばん好きだった人はもうそこにはいなかったけれど、愛した5人の姿と愛した楽曲たちがいたるところに散らばっていたライブだったから、この祭に来れて本当によかったと思った。

 

亮ちゃんの現場と5人のエイトコンにやっと行けて、今までは泳げないと知りながら乗った船からわざと海に飛び込んで勝手に溺れていたような息ぐるしさがあったけれど、初めて自分の足で陸に降りれた感じがした。私を降ろして出発する船にも手を振れた気がしたし、今度復路で戻ってくる時にはまたその船に乗りたいなとも思う。

そしてその背中を押してくれたのは私の中では間違いなくKinKi Kidsだったから、光一担になって、KinKi Kids好きになって本当に良かった〜!!KinKi担になってから広いインターネットの世界でエイト担だった頃の友だちにも再会できたりもしたのも嬉しかった。インターネットは最悪だけど、それでもインターネットの世界ではだいぶ期間が空いても昨日のように話せるような出会いもあるからやめられない。

そして3年のブランクがあってもオタクとして何も変わってなかった自分にびっくりする。私は多分、永遠に理想ばかり棚に並べて、相変わらず誰かに都合の良い夢ばかり見ることをやめられないんだと腹を括ることにします。錦戸亮ちゃんの「Half Down」、人生の歌に認定します!

 

Endless SHOCKを初めて観た話

 

Eternalを観た話はこちら

minoriko2.hatenablog.com

 

Eternal観劇から4ヶ月後、ついにEndless SHOCK本編の公演を観れるときがやってきた。

Eternalを観劇した5月とは違うところは3つあった。光一くんに恋したこと。失恋したこと。自担にしたこと。だいぶ状況が違う。

Eternalのときはそんなことなかったのに本編を観る前はめちゃめちゃ緊張したのは、多分光一くんとSHOCKという作品が好きだからだった。相変わらず本編を初見でネタバレも踏まないできた。Twitterで「コウイチ」「ヒロミツ」「ライバル」等、思いつく限りのワードをキーワードミュートに設定して公演期間を乗り越えて来た。

 

幕が上がる。ダイヤ型に上がる幕と題名のネオンを目にした途端、ああ、私はやっと本編を観れるんだと軽く泣きそうになった。あっという間だったけれど、すっごく今日まで長かった。あの頃は何も分かってなかったが、「間もなくEndless SHOCKの世界にお連れします」とコウイチじゃなく光一くんの言葉に鳥肌がたった。

 

「So Feel It Comming」のフライングは、Eternalのときより大きく旋回していた。ここのフライングが優美でハッピーで、私はいちばん好きだ。3階席だったので客席上空を舞う時は死角になってしまったけど、それでも優美に宙を舞うコウイチは、相変わらずこの世のものとは思えないくらい美しかった。

車が飛ぶ演出にも過剰な反応はしない、なぜなら私は車が飛ぶのを知ってるから…と思ってたけれど、やっぱりその場面を観るとすげー車飛んでる!!新鮮に興奮してしまった。

 

ONE DAYでは、Eternalのときにはいなかった男性のダンサーが増えていた。この方たちが「チームUSA」と呼ばれる方たちだ!!初めてONE DAYを観た時のダンサーの動きも目を引くものがあったが、チームUSAが加わることで、綺麗で繊細なシーンに力強さとダイナミックさが加わってEternalのときとだいぶ印象が違った。

 

「It’s A Wonderful Day」の公園のシーンは、多分Eternalではなかったはずでスポットやダイジェストを繰り返し観ていた私はあのシーンだ!とめちゃくちゃ興奮した。サントラには入っていないキラッとした音に合わせて人が動き出す魔法のような非日常感と、オープニングとは打って変わってラフな格好の登場人物たちのありふれた日常感が音にのっているそのシーンに、めっちゃミュージカルだ!ディズニーみたい!と感動した。

サントラだけをずっと聴いていたので歌詞がなくなってわちゃわちゃする音のところ(語彙)では何が舞台で起きているのかずっと謎だったが、コウイチとヒロミツの小競り合いの姿を観て謎が解けた。このシーン、キングオブ男…いや、ウエスト・サイド・ストーリー*1やってたんだ。

あと印象的だったのは、光一くんのパッセがものすごく綺麗だったこと。そしてパッセと同時に腕を上に上げて円を作るアン・オーも、指先まで神経が行き届いてるバレエ特有のその動きはどうやったら綺麗に見えるかと研究され尽くしたものだった。

 

「Dancing On Broadway」は音を聴いてるだけでも華やかなのに、ネオンのセットもキラキラの衣装も、一斉に出てくる出演者たちも、全てが眩しかった。踊りを見ていると、光一くんが小柄だということを忘れさせる。シェネの時の回転の速さ、顔の付け方、腕の動き、全てが綺麗でそのシーンだけでもいいからリピート再生したかった。

その後突然タキシードを脱ぎ出すコウイチにびびり散らかした。色気で目が潰れるから事前に教えて?!と思ったらEternalでもこのシーンはあったみたいで完全に忘れてる自分に笑う。

 

SOLITARY」は、Eternalの時になんでこの記憶があんまりないのか不思議なくらいかっこよかった。SOLITARYのかっこよさは致死量を超えるんですよ。ずっと美しかったけれど、そこに突然男性的なセクシーさがプラスされたような感じがした。ハットで顔が影になり、あまり表情が見えないところさえも官能的に思えた。ヒロミツがでとちって俺が代わりをやる!とリカの肩を抱くコウイチは完全に恋だった。そりゃリカ恋するよ!!!!とキレるところだった。

あと帽子ってあんなに綺麗に飛ぶんだ…と新鮮に思った。めっちゃ綺麗になくなってたかEternalのときどこいったかわかんなかったが、飛んでたよ帽子。最後のピストルを打つところはEternalのときは音にとにかくびっくりした記憶しかなかったが、今回はピストルを打つ顔まで見れた。顔がかっこよすぎた。

 

その後のバックステージでヒロミツが刀を手にとって「Show Must Go Onかよ…」というシーンが強烈に印象に残った。ダイジェストで観たタツヤのここのセリフは力強くて怒鳴ってるイメージで、ショウリもタツヤほどじゃないけれど力強さはあったような感じがしたけれど、ヒロミツの嘆くように言う演技に驚くと同時に、これがライバル役が変わるたびに受ける印象が変わるSHOCKの面白さなんだなと実感した。これはライバルが変わるたびに見たいでしょ。今までのライバル役たちを全て円盤で見れないなんて嘘だろ?コンプリートボックス作ってくれ…。なんでもするから、頼むから、本当にお願いだから私にリョウを見せてくれ。

 

「Japanesqe」での「必ず生きて帰れ!!!!」がコウイチの台詞だったことに驚く。…光一くんってこんなでかい声出るんだ…?どんなもんヤでお経みたいなラジオをやっている人と本当に同じ人なのか?

Eternalでは持ち合わせていなかった双眼鏡を構えて、ライバルがコウイチを刺すシーンを見る。…いやめっちゃ殺してるー!!!!ちゃんと刺してるー!!!!血が大量に出てるー!!!!気がついたら血だらけだった前回とは違って、きちんと刺すシーンをこの目で見たので「何してくれてんだよヒロミツ!!!」と新鮮に思った。

階段落ちを見届けて一幕が終了。いつもツイッターに並ぶ「幕間順調です」は、今日も無事コウイチは階段から落ちて死にました、という死の合図だったんだんですね(多分ちがう)

 

シェイクスピアシアター」も初めて見た。腹から声を出すシーンに度肝を抜かれる。だから本当にどんなもんヤと同じ人?!?!古典的なミュージカルの世界線堂本光一に似合わない訳がない、最高に似合う。シェイクスピア作品を演じるという設定と発せられる台詞、クラシカルで布の厚い衣装も全てが大優勝なんだよこのシーン。

初めてSHOCKを観る人はどこまでネタバレを観るべきかということを調べてたところ、「『ハムレット』と『リチャード3世』のあらすじと名台詞を知ってるといい」という情報を観たので、ネタバレは踏んでないけどそれだけは頭に入れておいた。「裏切り者に死を、その胸に剣を!!」「絶望して死ねええええ!!!」とコウイチが叫んだときには「出、出〜!!!!!」となれたので結果それを頭に入れて置いたのは大正解でした。まじで初めて観る人はシェイクスピア履修しとくのは本当におすすめです。

 

「Higher」はヒロミツの存在感がすごかったし、途中から登場するコウイチの存在感もすごかった。私は関係ないのに、ヒロミツと一緒に絶望した。あんだけ場を掻っ攫うコウイチを見たらヒロミツも絶望するわ。でも私が一緒に絶望できたのは、きっとヒロミツの絶望加減がめちゃくちゃすごかったからだと思う。Eternalでは多分ライバル役も後半も踊ってたと思うのでヒロミツの踊るところも見たかった…。

 

「ONE DAY -reprise-」の前のヒロミツが「俺を殺してくれ!」とリカに迫るシーンは、気迫の中に悲しみもあって、ここの表現がとにか凄かったのを覚えている。コウイチが自身が自分が死んだことに気づいていなかったのにはあ、マジで気づいていなかったんだ?!とびっくりしたけど。あとまたジャパネスクのときの剣に懲りずに刃物(ナイフ)出てきて、いやもう勘弁してくれ!!!と思った瞬間にまたコウイチ刺されてて「イヤーーーーー!!!」と叫んだ。心の中で。

 

そして前回観れなかったラダーフライング。3階席だったのでほぼ同じ目線の高さに光一くんが来て多分今まででいちばん近くで光一くんを見たが「わ!!光一くんが近くにきた!!!」とテンションが上がらなかった自分に驚いた。どんなに近くにいても、私の目に映っていたのは光一くんじゃなくてコウイチだった。コウイチがすぐ近くにいるのに、それでも目の前にコウイチがいるのが信じられない気持ちもあった。私が見ているコウイチもカンパニーのみんなと同じように幻なんじゃないか?本当にこの人は存在するのか?と疑問に思わせるくらいの非現実的な美しさだった。マスクをしていることなんて美しさには全く関係がなかった。

 

Endless SHOCKは「Show Must Go On」という言葉とテーマが先行しがちで「何があってもショーは続けなければならない」話だと思っていたけれど本質はそうじゃなくて、走り続けるそのためには「1人では続けられない」「周りが見えなくなったらおしまい」で、「疲れたら休む」「迷ったときには一度立ち止まって振り返る」ということの大切さを描いた話だということだったんだなと最後の「CONTINUE」のシーンを観ながら思った。

 

やっぱりSHOCKはすごい。これを20年以上、ずっと同じものをやり続けるすごさ。ただ同じことを機械的にやるだけじゃなくてずっと進化し続けて、コロナ禍にもEternalという形でエンターテインメントをなるべく止めずに対応して。進化の仕方も、大きい変化もこれまでもちろんあっただろうけど、「あそこの照明を0.5秒早くしよう」とかすごく小さなことの積み重ねだと密着番組*2で言っていたことを思い出す。

20年以上やっていると言葉で聞いただけだとすごいなぁ、と思う程度だったけれど、このすごさはSHOCKを観たことある人にしかわからないから、すごさをを人に伝えるにはSHOCKを観せるしかないんですよ。だから私の人生に関わる全ての人とSHOCK観に行きたいと思う気持ちが湧き出るのは当然のことなんですよね。(?)*3

 

あとはEternalを見た時とは違って、今回は光一くんだけじゃなくて少し周りを見る余裕もできた。多分じゃなくてこれは本当なんですけど、松崎くんと越岡くんはとんでもない。群舞に溶け込む時は群舞で、自分をを出すところはきちんと個が出ていて…ずっと動きを追えていた訳じゃないけれど、スキルと表現力の高さにびっくりする。

あとはここの場にJr.の子たちを起用する意味が大いにありすぎる。アンサンブルの方達のプロ集団の中に、突然ポンっと放り込まれるJr.の子たちも周りと見劣りしないのもすごい。色んな子たちがSHOCKに出れたことを大きなこととして捉えてくれているけどそりゃそうだよね、とんでもないエンターテインメントなんだもん…。

ああ、私は光一くんのオタクをしているけれど、自担がライバル役に決まるという経験を違う世界線でしたかった。SHOCKに出演が決まったJr.担をやりたかった。光一くんのオタクとしてSHOCKに出会ったのは幸せだけれど、違う視点からもSHOCKに出会いたかったし観たかったなー!!

 

福岡からの飛行機を降りた時、うわぁ光一くんのいない東京に帰ってきてしまった…と思ったら剛くんのTHE FIRST TAKEの「街」が解禁されていて、あー、こーちゃんのいた街の空気も美味しかったけど、つよしがいるこの街の空気も美味しいなと思った。

KinKi Kidsだとジャニーズのアイドルの中でも世代や性別をあまり問わないものをやっている印象があるけれど、ソロ活動では光一くんはミュージカル、剛くんはファンクとジャンルとしてはだいぶ偏っていてそこまで万人に受けるようなことをやっているわけじゃないのがめっちゃくちゃ面白いなと改めて思った。キンキもこーちゃんもつよしもおもろい。きっとどれも大事で、ソロのお知らせにげんなりしてるオタク見るともったいないよって思うのはきっと私が露出が多いアニバーサリーイヤーにハマってまだ全然グループ活動ない時期を経験してないからなのかな…ともぼんやり思うけど。今のところキンキのオタクは楽しいのでよかった。次は初めての冬コンのために生きます!

 

 

*1:ジャニーズが二手に分かれて対立する=ウエスト・サイド・ストーリーみたいなところがある

*2:2020.03.13 RIDE ON TIME

*3:でもそう簡単にチケットが取れない現実に絶望して死ぬ

Endless SHOCK -Eternal-を初めて観た話

ミュージカルの観劇経験は多くない。そもそも舞台もそこまで観たことはない。当時の自軍の子たちが主演した舞台を何本か見たくらい…それも外部舞台で、いわゆるジャニーズ舞台と呼ばれるものにはこれまで縁がなく、一度も行ったことがなかった。

 

異動したての仕事と家の引っ越しに追われていた今年の5月。SHOCKのチケットを取った3月の時点では、5月末なら余裕だと思っていたのが嘘みたいに追い詰められていた。新居の引き渡しが1ヶ月早まったのだ。完全にやばい。忙しすぎて私の脳内は一気に仕事と引っ越しで埋め尽くされた。

SNSをチェックする暇もなくバタバタと日にちが過ぎていったときに目にしたのは、休演のお知らせだった。サッと血の気が引いた。この世の中において、当たり前に開く幕はないのだと痛感させられるお知らせだった。

どれくらい休演するのだろうか。カンパニーは大丈夫なのだろうか、そして私はSHOCKを観劇することはできるのだろうか?でも忙しさのあまり、そのことで落ち込んでる暇もなかった。

行けなかったら行けなかったでしょうがない、とさえ思った。この時の私は既に光一くんに失恋済みであったし、まだ光一くんは自担ではなかった。でも、観れるもんなら観たいという気持ちは本物で、とりあえずEndless SHOCK公式インスタグラムの通知だけはONにしておいたことを覚えている。

 

運がよく、私が持っていたチケットは休演明け1発目の公演だった。初めての帝国劇場。幾度となく名前を聞いてきたけれど、決して立ち寄ることのなかった場所だった。赤い絨毯を目にした瞬間、本当に私は帝劇に来たという実感が込み上げてきた。神聖な場所に足を踏み入れた気がした。

席は2階だった。入ると劇場独特の香りに包まれた。ステージの周りの舞台セットには、ニューヨークを思わせるビルたちが描かれていた。

…SHOCKってこんな洋風な話だったっけ?いやでもなんかニューヨークっぽい画をWSとかで見たことある気がする。じゃあよく見る殺陣のシーンはなんなんだ?突然の日本?

基本的になんでもネタバレを見ない方が楽しめる精神で、私は一切ストーリーについてや演出のネタバレを見てなかった。あるのは、ジャニオタというだけで自然と目にした薄い知識のみだった。

開演が近づくと突然携帯が繋がらなくなって、軽くパニックになった。携帯が壊れたのかと死ぬほど不安になったが、どうやら劇場の仕様の妨害電波だったと知ったのは終演後だった。劇場に行かなすぎてこんなことまで新鮮に驚いてしまう…最近の劇場すごい…。

 

幕が開いた。まず、生のオーケストラに驚いたのは覚えている。オケピがあったことすら気付かなかった。普段ほぼほぼドームにしか行かないので、小さな劇場で聴くオーケストラに圧倒された。眩しいほどの照明、華やかな衣装、そして出演者。初めて目にする世界で、あまりにも多くの情報量と湧き出る感情に脳内がパンクした。

そんな中でもギリギリ記憶にあるシーンがいくつかある。まず覚えてるのが、車が宙に飛んだこと。あの衝撃は忘れられない。えっ、車飛んでるんですけど?!と思わず前のめりになりそうなくらいだったが我慢した。え?車が飛んでる?どうなってんの??すごくない??

衝撃のあまり周りを見渡したが、そこまでみんな驚いていないようで洗礼を受けた気がした。SHOCKくらいになると車も飛ぶのか…と無理やり自分を納得させたが、まぁなんで飛んでいたのかは特にわからなかった。

 

そして殺陣のシーン。どうやらこの殺陣のシーンは突然の日本(?)ではなく、ショーの一部ということがなんとなくわかった。目で追うのがギリギリくらいの速さで動き回る演者たちに釘付けになっていたら、いつの間にかコウイチが血だらけになっていた。

え…?なんで?殺陣でしょ?なんで血だらけ?何が起きた?気が付いたら名物の長い階段も出てきていた。血だらけのままコウイチが階段から落ちて1幕が終わった。

え…?もしかしなくても…コウイチ死んだんじゃない…?

いやでも待って、なんか何年か前に死んだみたいなことコウイチ自身が言っていたけどここで死ぬの…?階段落ちのシーンは有名で見たことはあったけれど、死ぬとは思ってなかった。ていうかそもそもあんな血だらけだったか?え?コウイチ死んだ?!

幕間になったのにその場からすぐに動けないくらいに放心状態だった。脳内がとっ散らかっている。動揺してる人を探すようにあたりを見渡したが、そんな人は1人もいないように感じた。車が飛んだときと同じだ。「もしかしてコウイチが死ぬのを知らなかったのは私だけだったんじゃないか…?」と思えるレベルで、さすがにネタバレを検索せざるを得なかった。

どうやらショウリ(ライバル役)が殺陣の剣を本物の剣にすり替えて刺してしまったことを知り、先ほどの謎がやっと解けた。え…いや、全然わかんなかった。観てたはずなのに。私は何を観ていたんだろう?今すぐ私に双眼鏡を持ってきてくれ。

それにしてもそんな話だったとは知らなかった。華やかな世界の話じゃなかったのか。いや華やかな世界の話ということには間違いないんだけど。人が1人死んでる!!人が1人殺されてる!!!

 

少し頭を整理できた状態で迎えた2幕。リボンフライングは、階段落ちの次によく目にしていた場面だった。命綱がないことは知っていたが、実際に飛んでいるとこを見ると「嘘だろ」とシンプルに思った。力強さと儚さと美しさと哀しさと、いろんなものが一気に襲ってきて感情がぐちゃぐちゃになった。

 

その後の「夜の海」も印象的だった。昔関ジャムでジャニーさんに「こんな暗い曲で終わるなんてYOU最悪だよ!」って言われたけれど押し切った、という話を覚えていて、これがその曲かぁと思った。

赤くキラキラした、着物のようなそうじゃないような、丈の長い衣装が抜群に似合っていた。動くたびにワンテンポ遅れて光一くんについてくる布でさえ綺麗だった。

踊る姿を見るたびに光一くんは華のある、より引き立つセンターの踊り方をするなと実感させられた。ど真ん中にいるから、1番目立つ衣装を着ているから…それだけではないものがあって、よく耳にする「帝劇0番」の正体をまざまざと見せつけられた感じがした。

脚を上げるところでは90度にあがり、跳躍の場面での高さも結構な高さだった。フライングで旋回する時や、ターンの時の軸のぶれなさ。顔の付け方。どれくらいの体幹が必要なんだろう。

全ての動きで、手先から足先まで神経が行き届いていることが一目で分かった。そしてこれがどれだけ辛いことか、これを常にやり続けるのにどれだけの稽古が必要なのか…幼い頃クラシックバレエを習っていた頃の記憶がぼんやり蘇った。

さっき見た殺陣でさえもきっと計算され尽くされた動きだったんじゃないか。美しい。何においても、とにかく美しかった。男性をここまで美しいと思ったことはなかった。これを歌いながらやっているだなんて思ったらゾッとした。


見惚れているうちにいつのまにか終わっていた。あっという間にカーテンコール。やっとコウイチではなく私が恋した光一くんの姿が見れたような気がした。…が、何を話していたのかさっぱり覚えていない。その時の私の頭の中はコウイチの方でいっぱいだった。

 

外に出ると辺りは暗く、時間を見てびっくりする。体感は秒だったので、ミュージカルってこんな長いもんか…?と驚いた。明日も仕事だ。早く帰って寝ないといけないという思いとは裏腹に、目はギンギンだった。

すごいものを見た。久々の現場にしてはすごいボリュームだった。数日前まで見れなかったら見れなかったでしょうがないか、と思ってた自分をぶん殴りたかった。全然しょうがなくないわ。本当に見れてよかった。

帰り道、ひたすらSHOCKについて検索をかける。そこで初めて、「Endless SHOCK」と「Endless SHOCK -Eternal-」は別物だということを知り、衝撃を受けた。

え?そうだったの?私が見たのは3年後の世界?…確かになんかそんなようなことをコウイチが話してたかも?プレイバックみたいなシーンも所々あった気がする…。

「Eternal」がついてることに何も疑問に思わなかったのか?と後日友人に聞かれたが、全然疑問に思わなかった。長くやってるし副題くらいつくかな、程度に思っていた。「Eternal」という言葉は飾りみたいなもんじゃないの?いや…「Eternal」って言葉めっちゃ大事じゃん…!

Eternalでもあんだけ凄くて衝撃を受けたのに、本編だとどうなってしまうんだ?という疑問が湧いた。そこでそういえば少ない知識の中にあった、コウイチが2階席に飛んでくる演出がなかったことを思い出した。2階席だったから地味に楽しみにしていたのに。

本編だとあるってことか?私が見たのは完全版ではないのか?まだ見れていない演出、そしてコウイチ目線の話があるってことか?…絶対に本編を見たい。この本編の見たさが、堂本光一さんが自担になったきっかけだった。

 

追い討ちをかけるように、今回「Endless SHOCK -Eternal-」を上演するにあたり「Endless SHOCK」がジャニーズネットで配信があったことを知る。嘘だろ?本編配信あったんか?しかもショウリで?…知らなかった。初めて見る人も多いだろうからっていう光一くんの計らいだった。いや私も初めて見る人でした!!!私のための配信だったじゃん。悔しすぎて半泣きになった。

本編の配信を見れなかった自分の欲を満たす方法をとりあえず探した。検索でヒットした、20周年記念の円盤を買うか死ぬほど悩んだ。…が、先ほど生のSHOCKを見て人生が大きく変わった人間だ。配信もどうせ見れなかったのだ。ここまできたら絶対に本編の初見は生で見るべき、という脳内に住むもう1人の私の忠告を素直に聞き入れた。のちに今でもこの判断は間違ってなかったと思う。

 

検索し続けるとサントラが出てることを知る。サントラありがたい!!!どこにいても何をしていても曲を聴けばすぐにその世界観に浸れるような気がするから、サントラが好き。過去にも映画のサントラを何枚か買ったことがある。迷いもなくすぐに買った。今頼めば明後日には届く。Amazonプライム会員な自分に感謝した。

サントラが届いて、歌詞カードを見た。ミュージカルの音楽って独特だよな、誰がこういうの作ってるんだろう…とクレジットを一通り見るとありとあらゆるところにある「堂本光一」の文字。え…?光一くんって演出・作・構成だけじゃなくて曲も作ってんの…?すごすぎ?どれだけの才能があるの???普通のJ-POPとミュージカルの曲が明らかに違うことくらい、私でもわかる。あの一番耳馴染みがある「CONTINUE」も光一くんが作っていたと知ってびっくりする。ミュージカル音楽って、それこそディズニーソングみたいにいかに耳に残るかみたいなところがあると思うけれど、SHOCKを見たことのない頃から「♪大空が美しい〜」というメロディーは知っていたくらいだった。

光一くんは「愛のかたまり」も作るし「CONTINUE」も作って、「恋涙」も作るし「夜の海」も作るのか?私自身はクリエイティブな才能が0に等しいのもあって、昔から作詞や作曲ができる人への憧れがすごく強かった。そして普段はプロデュースされることの多いアイドルたちが自分の言葉で、または自分が紡ぐ音で作る曲たちは少しその人の本質を見れたような気がして好きだった。ジャニオタになったきっかけも、当時の自担が作った曲にひどく感動したからだ。それと同じ現象が起きた。

 

その日からの通勤のお供はSHOCKのサントラになった。朝の通勤時間が、だいぶドラマチックなものになった。

サントラを死ぬほど聴いて、ジャニーズの公式やレコード会社のYouTubeにアップされていたSHOCKのスポットやダイジェストを繰り返し見た。どれだけ見たいという思いが募っても、頑なにフル映像には手を出さなかった。ここまで来ると意地だった。いつ本編が見られるのかわからないけれど、その想いを支えたのはEternalを見たあの日から日に日に強くなっていった、絶対にこの目で本編を見てやるという気持ちだった。

 

長くなりすぎたのでSHOCK本編を観た話はこちら…

minoriko2.hatenablog.com

 

 

堂本光一さんに恋をして失恋をしてKinKi Kidsを応援する話

 

14歳からジャニオタになってからそれなりの時が経つが、ここ最近で初めて自担や自軍がいない時期…つまりジャニオタじゃない期間があった。

初めて好きになったグループは活動を休止した。最近まで好きだったグループはメンバーが減った。減ったのは自担だった。

アイドルじゃなくなった自担の姿は、いつの間にか追えなくなっていた。何かきっかけがあった訳ではなく、突然と。あんなに好きだったのに、アイドルじゃなくなった瞬間にこんな熱が冷めるものかと自分に引いた。結局はグループに属している彼が好きだったのか?本当に私は彼のことが好きだったのか?と疑問にすら思った。

そんなことを考えているうちにその彼から発せられた「永遠はない」という言葉がフラッシュバックし、もう誰かを応援するのはたくさんだと本気で思った。

 

趣味を無くした私はとにかく暇だった。環境の変化もあった。コロナ禍になった。あと結婚をした。大学生の頃、自担が好きすぎて元彼と別れたことがある私にとって、結婚は大きな出来事だった。今となっては恋愛的に好きだったのかはもはやわからないけれど、当時の私からすると「恋」だった。好きに種類があれど、シンプルに元彼より自担のことが好きだったから別れた。クリスマスは彼氏とイルミネーションを見て素敵なディナーを食べて過ごすより、私はナゴヤドームでのコンサートに行きたかった。

今の夫に出会えたのは幸せだし、結婚できたことに喜びはあれど、グループが私の一番好きだった頃から変わらなければ結婚してたか…そもそも恋愛に発展していたかはわからない。オタク友だちには「この推しがいないタイミングだから結婚できたんだよ…」と言われた。何かに落ちるきっかけは、フィーリング・タイミング・ハプニングの3点セットだった。私にとっては自担も推しも恋愛も結婚そうだった。

 

ある日、V6の解散のニュースを見た。ジャニオタじゃなくなったけれど、このニュースの衝撃は大きかった。前好きだったグループはJ-FRIENDSより下の世代だったけど、Jフレは私にとって幼い頃から当たり前にいてくれる存在だった。

Jフレまで変わってしまうなとやるせなさを覚えると同時に、どこか懐かしくもあり携帯を手に取りJフレの動画を見あさった。思えば誰かのことを携帯で調べるのは久しぶりだった。

見ていくうちに、そういえば私はJフレ中ではKinKi Kidsが好きだったなとぼんやり思った。とにかく曲が好きだった。昔からなぜか失恋ソングとかが好きで、キンキの何歌っても暗い感じとか、前向きな曲でもどこか切なさを感じる楽曲たちが魅力的だった。その日はそれ止まりで、そのまま携帯と共に寝落ちした。

 

それから何日か経たないうちに、光一くんのインスタライブ*1を目にした。本当に偶然見れた。そこに映ったのは私が見た史上、いちばんラフな姿で映る光一くんだった。

ハーフアップにはしているけれどそれほどセットされていない髪、すっぴん、黒いTシャツ姿。背景はツアー先のホテル。内容は全然インスタライブのコメント欄をオンにできない光一くん。「コメントオフはあえてですか?」という質問に対し「あえてじゃねーんだよ!やり方わかんねーんだよ!」といたずらっぽく笑う姿に、ノックアウトだった。

 

堂本光一があまりにも彼氏すぎた。

 

顔面のかっこよさと全然インスタを使いこなせない可愛さ、加えて家っぽい背景という親近感まで持ち合わせてきやがった。だって私の知ってる堂本光一さんは生粋のエンターテイナーで王子様で…あれ?「堂本光一」と「彼氏」という言葉は結びつかない言葉じゃなかったか?少なくとも私の人生の中でそうだった。

 

一目惚れの勢いだった。気持ちは止められなくて、もっと堂本光一さんについて知りたくなってすぐさま色々調べた。辿りついたのは、ゲスト出演していた「密会レストラン」*2だった。

当時の彼女がもうちょっとドライブしたかったがために全然車から降りず、「F1始まるからはよ降りろや!」とキレたエピソード。のちにこれが光一くんの古典落語だと知るが、初見の私には結構なエピソードだった。

完全にタイプだった。仕事とか趣味とかより、恋愛の優先順位が高くない人が好きだ。恋愛以外の自分の世界を持ってる人が好き、絶対にその人の世界の中心なれないところが好き。推しを今まで追う人生だったからだろうか。卵が先か鶏が先かもはやわからないが、私は恋愛でも追いかけたかった。思い返せば、夫もアイドル以外で初めて自分から好きだと思えた相手だった。とにかく、愛されるよりも愛したかった。真剣(マジ)で。

好きに拍車がかかってきた。一目惚れをした人が、自分の好みだった。やばいかもしれん、と思った瞬間に飛び出した「俺、最短3年なのよ」の言葉に衝撃を受けた。アイドルから発せられる「最短3年」のワードの強さ。最短で3年ってことはそれ以上もあるってことじゃん?

え?堂本光一と3年以上付き合った女がいる?

別に付き合っている人がいるのは結構。いい歳こいてない訳ないのはわかってる、そこまで夢見てない。ただ、「最短3年」という言葉は、あまりにも余白があったアイドルの恋愛観がかなりリアルになったような感じがした。携帯を閉じ、ただただベッドの上の天井を見つめることしかできなかった。この世には2種類の人間がいて、それは堂本光一さんと3年以上付き合える人間と、付き合えない人間がいる…というのをこれでもかと実感させられる言葉だった。

気持ちも伝えてないのに、勝手に失恋した感覚だった。数時間前に恋に落ちたと思ったばっかりだったのに。自分が結婚してるとか相手がいるとか、そんなのは関係なかった。ただただ、この気持ちを表すには大学生だったあの頃と同じく「恋」という言葉が自分の中で適切だった。

その衝撃は凄くて、思わず違う部屋にいた夫に突撃し何の脈絡もなく「光一くんってさぁ…付き合った期間最短3年なんだって…」と思わず報告してしまうほどだった。これを1人で抱えることができなかった。夫には「何かと思ったら世界一どうでもいい報告きたわ」とあしらわれた。あしらわれてもなお、私は魂が抜けていた。失恋が思ったより自分の中でデカくて、その日から光一くんのことを調べるのをやめた。これ以上好きになってしまったら、自分がとんでもないことになるんじゃないかと思って怖かった。あの1日の感情の起伏は凄まじく、まさにジェットコースター・ロマンスだった。しかもロマンスのジェットコースターからは振り落とされた。

 

5ヶ月後に何かのタイミングで「スワンソング」の大サビの切り抜きを見た。*3 『死にゆく鳥が綺麗な声で 歌うように波が泣いた』という歌詞に合わせて、向き合った2人がお互いに手を伸ばして歌う姿に目が釘付けになった。この振り、すごいなと純粋に思った。誰が見ても正反対な2人なのに、あまりにも誰も介入できないような、2人組の真骨頂を見せつけられた気がした。

『波が泣いた』のところで、一瞬顔を歪めて歌う剛くんが最高にかっこよかった。テレビで見る姿は、わりと表情をそんなに変えず歌うイメージだったから驚いた。

そうだ、光一くんに失恋したせいで私は剛くんにもキンキにも辿り着かなかったんじゃん、とインスタライブを見たあの日のことを思い出した。光一くんだけじゃなくて剛くんもキンキもやばいんじゃないか?と沼の前で足がすくんだ。それ以上踏み込めなかった。

 

ある日、舞台「Endless SHOCK -Eternal-」のチケットが一般発売されてることを知って、すぐに取った。あんなにも沼には踏み込めなかったのに現場へはすぐに出向こうとする自分のフットワークの軽さは、間違いなくオタク人生の中で培われた賜物だった。

5月公演だった。その頃は異動したての仕事の忙しさと家の引っ越しの忙しさにやられていて、そもそも「Endless SHOCK」本編の配信があったことも知らないまま…というか自分が見たのが本編じゃなかったと知るのは観劇後…というめちゃくちゃな状態だったが、まんまとやられた。

あの日恋をしてそして失恋した光一くんに会いに来たはずだったのに、私が目にしたのはコウイチ*4だった。

 

私にとって久々の現場だった。音楽、歌、踊り、芝居、ド派手な演出。久々の現場にしてはボリュームが多すぎるくらいのエンターテインメントがSHOCKには詰まっていた。出演だけじゃなくて、作・構成・演出までしている堂本光一さんが只者ではないということが、数時間でわかってしまった。やっぱり、堂本光一さんはエンターテイナーだった。

ジャニオタじゃない期間は、本当にエンタメから離れていた。SNSも熱心にチェックしなくなったし、音楽も聴かない。とにかくテレビを見ない。特に何不自由なく過ごしてきたつもりだった。エンターテイメントは人生の中で必要不可欠ではないかもしれないけど、それでも私にとっては心の栄養だったことを思い出させてくれた。これを摂取することで間違いなく私の人生が豊かになるな、というか、そうやって今まで生きてきたじゃん私は、と思った。

生のパワーとエネルギーは凄くて、流石に腹を括った。シンプルに逃げられないと本気で思った。その日、自担が光一くんになった。光一くん自担にするということは、剛くんを、そしてKinKi Kidsを同じくらい愛するということを意味した。今までもそうやってオタクをしてきたから。*5

 

この時期にハマれたのは本当にラッキーで、25周年イヤーのテレビ露出祭りに間に合った。特に金スマは、新規が2人の歴史を辿るにはとてもわかりやすく本人たちの言葉もダイレクトに聞けて、このタイミングでの放送に感謝した。番組で引用される言葉も、出典が明記されてることにありがたみを感じながら見ていた。この頃の私は、とにかくネットの情報で見た2人のとんでもない発言たちのソース探しを必死にしていた時だった。*6

金スマと同じに日に「Amazing Love」のMVが解禁されたので、金スマ終わりにすぐさまMVを見たら引くくらい泣けた。(あ、私マジで結構この人たちのこと好きだな…)と思う気持ちと、(ずーっと前から、そして今もKinKi Kidsでいてくれてありがとう)という気持ちが渦巻いた。そして何より大きかった、(私、何も知らんなこの人たちのこと)という気持ちが合わさり、情緒がめちゃくちゃになった。

25年。自分の年齢と変わらない。2人での活動はそれ以上前から。ジャニオタというだけで、他人よりキンキのこと少し知っている気になっていたのがバカみたいに感じた。夫と今までキンキの話なんてしたことなかったが、いざしてみると私より13個年上*7でいわゆるキンキ世代の夫の方がキンキのことを知っていた。

夫が話すAアルバムの曲がわからない。当時のバラエティーやドラマのタイトルさえ知らない。「欲望のレイン」と「Bonnie Butterfly」は知っているのに。*8 

久々にTSUTAYAでCDを借りた。夫が当時買いに行ったと言っていたAアルバムから順番に。この時代にCD読み込んで携帯に同期させて…というクソめんどくさいことをするのは、好きだから以外の何物でもなかった。

 

「Amazing Love」のMVが解禁されてからは、何度も何度も繰り返しこの映像を見た。この頃にはだいぶ剛くんにもやられていた。リボンをファンに見立てた演出で、愛おしそうにリボンにちゅっとする剛くんに度肝を抜かれた。堂本剛さんがこんなにもアイドルだなんて知らなかった。

いろんな映像を見るたびに、歌っていても踊っていても楽器を弾いていても…何をしてても目を引く力が剛くんにはあることをこれでもかというほど感じた。死ぬほど努力をしているのは承知の上でも、天才という言葉がなぜこんなにも似合ってしまうのか。多才が時には十字架になることもあっただろうけど、なんでもできるから、なんでも見たくなってしまうのはオタクのわがままなんだろうかとぼんやり思った。

 

日に日に自分のもっと知りたいという気持ちと熱量は大きくなっていった。この時代にインターネットがあってよかった。2人やキンキのことを知る喜びに満ちて、逐一夫に報告していた。誰かに共有したい衝動が止められなかった。夫からある日、「かわいそうに…俺しか話せる人がいなくて…」と言われた。周りにキンキのオタクはいなくて、本当に夫しか話せる人がいなかった。

この言葉を聞いて、ハッとした。じゃあ周りを引きずり込めばいいんじゃん。私の中で革命が起きた。7月末のオタク友だちとの旅行には、KinKi Kidsのプレゼンを作って持参した。現段階で私の持ち合わせている全ての知識と熱量を注いだ。

プレゼンの表紙には「2人が出会ったのは、広い世界の中で隕石が衝突するくらい運命的」*9という剛くんの言葉を拝借させていただいた。“運命”いう言葉が、こんなに似合う2人はいるのだろうか。オタクはなんでも都合よく運命にしがちだけど、それでも”運命”という言葉以上にぴったりはまる言葉が出てこなかった。

KinKi Kidsの運命度合いはまぁ色んなエピソードがあるだろうけど、やっぱり人に説明する上で一番最初に出てくるであろう「名字が同じ『堂本』である」*10という事実が、最大のパワーを放ってると思う。世の中がもう当たり前のことのような感じになってるけど、キンキのオタクになってから改めて名字が堂本ってすごくない?というターンに何度もなったし、今でも思う。剛くんもよく言うし、本人たちもそのターンに入ってるのも含めて面白い。

あとは誕生日。私は勝手に同い年かと勘違いしてた。ただ、「誕生日が100日違い」というのを知って、本当にぶれないなと思った。運命が。

決死のプレゼン、そして金スマを見せ友だちは見事に沼に落ちてくれた。

 

その友だちと、25周年イベント「24451〜君と僕の声〜」に参加できた。一曲目の「FRIENDS」は、私が生まれた年の歌だった。歴史の長さを感じるたびになんでもっと早く好きにならなかったんだろうと好きになってから何度も思ったけど、むしろ25周年を一緒に祝えて幸せだなとイベントに参加できた喜びがまさって、その気持ちはわりと軽くなった。

まさか自分が音楽活動してる中で最年長のKinKi Kidsにハマるなんて思ってなかった。間違いなく、フィーリング・タイミング・ハプニングがもたらしてくれた結果だった。

そして、永遠はないけれど、懲りたはずの永遠を信じさせる力がKinKi Kidsにはあった。

これに尽きます。

最初は恋(のようなもの)から始まったけれど、あの恋がなければ今KinKi Kidsを応援してないだろうなぁ〜!

KinKi Kidsさんへ、可能な限り最高のビジネスパートナーでいてください。

 

 

 

 

 

 

*1:2021.8.11のもの

*2:NHKトークバラエティ。恥ずかしがらず、恋の話を楽しむ番組らしい

*3:見たのはMコンのものだった

*4:「Endless SHOCK」における光一くんの役名

*5:ぶっちゃけ"寄り"とか"派"とかの独特な文化は今でもよくわからないし、そもそもあんまり自担とも表現しないみたいだけど、私の自担は光一くんです。だけどつよしくんのこともキンキのことも好きです…と私にとって当たり前のことを明言しなきゃいけないキンキ界隈はシンプルにめんどい

*6:新規にとって情報の取捨選択をすることは難しく、Twitterとかで目に入る情報のソースが全然なくて翻弄されている

*7:私はショウリと同い年で主人はタツヤと同い年

*8:Jr.がカバーしがちで知っていた。夫にはその曲は知らんと言われた。そりゃそうだ

*9:2006.12.12 女性自身

*10:しかも日本で4700人くらいしかいないらしい