読み切りアイディア・ストーリー〜メニュー〜
一口サイズの読み切りアイディア・ストーリー
ショートショート・読み切り童話・SF・ファンタジー
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●因果応報 脳死と臓器移植をモチーフとした原稿用紙7枚弱のSS
●赤いクモ〜夢の前兆〜 4枚強のショートショート
●守護霊〜一人称について 7枚余りのSS&ぷちエッセイ
●暗示効果 8枚のショートショート
●地震の予知 8枚のショートショート
●不老の理由 9枚半の奇妙な味の小説
●チョウのみた夢〜善意の報酬〜 12枚の児童小説
●愛しいまぼろし 13枚強の児童小説
●金色の首輪 5枚半弱の読み切り童話
●団地さいごの日!? 5枚半弱の読み切り童話
●神への陳情 1枚半のショートショート
●地球のタネ 14枚余りのSFメルヘン
●病院跡の座敷童子 20枚半の児童小説
●雨の日の通信 7枚半の読み切り童話
●おじいちゃんのしんぱいごと 2枚半の読み切り童話
●カエルの念力 10枚弱の児童小説
●人面ガエル 8枚半の童話(怖い話)
●きえた大はつめい 2枚ほどのショートショート童話
●チョコといっしょのおるすばん 4枚ほどのフェレット童話
●愛犬家博士の<夢の発明> 2枚半のショートショート
●とどけられたポケッチ 12枚の読み切り童話(小3・国語)
●いきいきリサイクル 5枚余りのショートショート童話
〜番外〜
●巻貝が描く《幻の地図》 4枚ほどの幻想掌篇風着想メモ
●小説版『ミラクル☆スター〜復活篇〜』 ※読み切り 3万字以上あります
●バーベットin夢 2枚半弱のショートショート風メモ
※ワープロ専用機を愛用していた時期に作成していた星谷 仁の個人誌《チャンネルF》──そのブログ版。
メインブログの移行先は…
Yahoo!ブログで10年ほど続けていた【星谷 仁のブログ】は、Yahoo!ブログのサービス終了(2019/12/15)を受けて、引っ越しすることを余儀なくされた。当初ははててなブログも引っ越し先の候補の1つで、【チャンネルF】を開設して試行運転で創作小品などをいくつか投稿してみた。
しかし、結局、メインのブログはFC2ブログへ移行し、ブログ名を【チャンネルF+】とした。このあたりの経緯は、『ブログ引っ越し騒動:ひと区切りついて』に記した。
はてなブログの【チャンネルF】は文芸小品置き場として残すつもりでいる。
●FC2ブログ版〜抜粋メニュー〜(FC2ブログ)
●創作童話・ショートショート・漫画メニュー(FC2ブログ)
●作品評・感想など(映画・本)〜目次〜(FC2ブログ)
●エッセイ・雑記の目次(FC2ブログ)
はてなブログ試行:行間問題
ahoo!ブログ終了に備えてはてなブログを試している件。はてなブログのよい点は──、
・固定トップページを設定できること。
・表示画像が大きいこと(僕は横幅を690ピクセルにして使っている)。
・記事の字数制限がYahoo!ブログ(20000字)よりは大きいこと(30000字以上の記事が投稿できた)。
ただYahoo!ブログのカテゴリーにあたるグループは貧弱で、例えば「昆虫」をキーワードに検索してみたところ、みつかったのは3つのグループに計22のブログが参加しているだけ。昆虫を扱っているはてなブログがそんなに少ないとは思えないが……興味のあるカテゴリーのブログがどこにあるのか、まだ使い勝手がよくわからずにいる。
はてなブログでは、ここ1ヶ月ほどの間にショーショートや読み切り童話や創作周辺についてのエッセイなどを投稿している。
今は創作作品の一覧をトップページにしているが、新しく投稿したタイトルを追加すると、追加個所で(改行の)行間が大きく空いて見苦しくなるという現象⬇が発覚して、これが気になっていた。
リンクを貼った緑のタイトル(これは画面のスクリーンショットなのでクリック不能)を含む文章の最後で改行をし、追加するタイトルをコピペすると、行間が異様に広がってしまい、見苦しい。
ふと思い立って、改行せずに、改行前の文章にコピペ文章を挿入して(改行はコピペ文章内でしてある/重複した「ショート」は挿入後に削除)、そのあとタイトルのリンクを貼ってみると行間の不揃いは解決した。
とりあえず懸案の行間問題の解決の仕方の1つをみつけたということで。
ところで、Yahoo!ブログの方は10日ほど更新をしていないが、その間も日に100人以上の訪問者がある(一番少なかったのが124/PVは200前後)。Yahoo!ブログで昆虫関連の記事も多いし色々なジャンルの記事を投稿しているので、検索で訪れる人が多いようだ。一方、はてなブログではちびちび投稿を続けているが訪問者は少ない(大半はYahoo!ブログの方から来た人)。連続投稿19日目にはアクセス数が「0」であった。まだ記事も少ないし、その内容も創作や創作にまつわるエッセイなどで検索されにくいということもあるのだろうが、予想していた以上に「人目につく機会が少ない」のではないか?──という気がしている。
いきいきリサイクル(読み切り童話)
とどけられたポケッチ(読み切り童話)
日常の中の小さな事件。ちょっとしたウソが意外な展開に……小学3年生の葛藤を描いた原稿用紙12枚ほどの作品。
小学3年生の国語のテストで使われる素材文として依頼を受けて書き下ろした作品。条件が色々細かく指定されていたので、少々とまどったが、それを満たす話を考えた。テストの素材文とはいえ、読者が興味を持って読める(楽しめる)作品でありたい。
子ども同士の間で、ちょっとしたミエから、つい嘘を言ってしまうということはありがちなこと。そんな小さな嘘が予想もしなかった方向に展開していき、後戻りするのがキビシイ状況に追い込まれてしまう──そんな主人公の葛藤を描くことにした。主人公が苦しまぎれについた嘘が現実になってしまう!?(嘘で紛失したと言った流行玩具が戻ってくる)──という意外な展開を盛り込むことで読者の気持ちを引きつけようと工夫したつもり。
ちなみに《ポケッチ》は一時大流行した携帯ペット育成ゲーム《たまごっち》のイタチ版(イタチ科のフェレットを想定)をイメージしたものだった。
執筆時間と作品の出来映え
時間をかければ良い作品が書ける…わけではない
【ノルマを課して書くことについて】の中で僕は《修行中の書き手がすべきことは、効率的に作品を量産する訓練よりも、時間を充分にかけて作品の質を高めること》と記したが、ちょっと違ったニュアンスで受け取られかねないと気がついたので、誤解がないように少し補足しておくことにした。
筆が進まなくなっときに、無理矢理書き進める量産訓練をしていたのでは、作品の質を下げることになりかねない。そんな時は立ち止まって執筆の障害になっている原因を見極め解決してから書き進めるべきだ──という意図で書いた部分だ。つまづくたびに立ち止まって考えることは、作品の本質を見極める分析力を養う上で必要だと僕は考えている。《時間を充分にかけて作品の質を高める》というのは、取り組んでいる作品の執筆の障害になっている問題の把握や解決策の模索には時間がかかる──そうした時間を充分ついやすべきだ、という意味で記したものだ。
《時間をかけた作品は良い作品になる》という意味でも《時間をかけずに書いた作品は質が低い》という意味でもない。
個別の作品の質と執筆に費やした時間の関係で言えば、《時間がかからずに書けた作品の方が質が高い》傾向にある。これはつまり、《執筆は抵抗なくスムーズに筆が進んだ》ということであり、作品に不備・障害がなかったことを意味する。逆に何度も筆が止まり完成までに時間を要した作品は《修正を要する問題を多くはらんでいた》あるいは《作品の根幹にかかわる部分で不備があるために滞り、時間がかかってしまった》可能性が高い。
作品の本質を見極め自覚するための分析力を養うには充分に時間をかけるべきだが、これは時間をかけさえすれば良い作品になるということではない。完成度の高い作品は逆にスムーズに(時間をかけずに)描けるものである。
作品合評会について
僕も昔、同人誌活動や児童文芸の研究会等で合評会を経験している。合評会は創作仲間が互いの作品を批評しあう場だ。創作をする上で必要な《作品を適切に評価する能力(分析力)》は合評会で培ったように思う。我流で創作を始め、右も左もわからなかった僕が、自分なりの《ものさし》を形成する上で合評会は大いに刺激になった。そんな合評会をふり返って、思うところを少し記してみたい。
自分が苦労して書き上げた作品というのは、うまく描けているのかどうか、判断するのが難しい。読み返して判断しようにも、冒頭を読む時点で、その後の展開や結末が全てわかっているので、ニュートラルな気持ちで読むことができない。書いているときの苦労や不安が脳裏に蘇ってきたりして、とても読者として客観的に見ることができない。
そこで、他の人が読んだらどう感じるのか──他者の意見が知りたくなる。また、同じように創作をしている人がどんな作品を書いているのかも気になるし、皆がどんなことを考えながら作品づくりをしているのかにも興味がある。ということで、同人誌や研究会などに参加した。そこでの合評会は興味深く、色々と学ぶことが多かった。
ただ、同じように創作を志している人たちの意見というのは、イコール・(一般の)読者とは、またちょっと違う。僕が書いていたのは童話だったので、特に読者対象の子どもとは違った──《読む側》ではなく《与える側》の大人の視点で考えている人が多かった。合評をするのは、純粋な読者ではなく、書き手だということを考慮にいれて意見を仰ぐ必要はあると思う。書き手である以上、それぞれに目指す理想の文学観(作品論)のようなものがあって、その考え方に当てはめて作品を判断しようとする傾向があるからだ。書き手の批評は、どうしても《その人の文学論に偏った見方になりがち》だったりする。
自分の作品に対して自分ではニュートラルな読み方ができず、他者の意見も、その人の文学論に偏ったものだとすると……自分の作品に対する評価がどれだけ妥当なのかを正しく分析するのは、やはり難しい。
そこで僕は、他の人が書いた作品に対するメンバーの評価に注目した。自分の作品はなかなか客観的に見ることができないが、他者の作品なら客観的に見ることができる。他者の作品に対し、僕が抱いた感想と、他のメンバーが指摘する評価を比較することで、客観的に理にかなった批評をしているのはどちらか──自分の作品分析力がどのていど妥当なのかを判断することができるようになった気がする。
自分が書いた作品が他の人にどう評価されるかも、もちろん関心があったが、合評会では、他者の作品の評価を試金石に自分の評価能力の程度を確認し、作品分析能力を磨いていたように思う。
作品の合評となると、自分の作品に対する評価ばかりを気にして、他のメンバーの批評にはあまり関心がない人もいたが、僕の場合は、むしろ「客観的に読むことが出来る他者の作品」に対する合評が《作品を測るものさし》づくりに役立ったというう思いがある。自分なりの評価基準のようなものができてくると、それを自分の作品にあてはめて考えることもできるようになる。
僕の場合は、そんな形で合評会が有益だった。ただ、参加した同人誌の中には合評会にあまり熱心でないグループもあり、《合評会の質》はそのグループによって格差があったように思う。褒め合い励まし合うことは互いの書くモチベーションの後押しになるのかもしれないが、率直な意見交換ができる場であることが、より良い作品を書くためには必要な気がする。
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作品一覧とは別に創作雑記ほかエッセイのタイトルをまとめてみた
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