わかこの手帖

毎日いろいろあるけれど、「今日もありがとう。」そう思いながら眠りにつけたら。

話してみないとわからない

「話してみないとわからないね。」

 最近、続けて人にこう言われた。
人と話してみて、なじみの土地に縁があったり、大好きなものが一緒だったりと自分との共通点を発見するのもおもしろいし、自分がその人に抱いていたイメージをくるりと変えるような言葉を聞いたり、その人の大事にしていることに触れられたり、どんどんその人を知りたくなっていくのも楽しい。自分が見ていた、つもりだったその人が、立体化するような、色合いが複雑になっていくような、そんな感覚。

 先日、4カ月くらい喧嘩していた父親と久しぶりに会って話した。今も思えば「なんで喧嘩したんだろう?」と思ったりするけど、その時は、感情が大きく動いてたんだし、交われない部分があったのは確か。父の言葉に傷ついて、父の思考や価値観が理解できなくて、距離を置いた。仲直りしようと思って向き合おうとしてみては、やめて、を繰り返した。あるとき思った。仲直りができる時間は限られている。一緒に過ごす時間も。このままじゃいけない、と思った。きっと私は、父から、ごめんなさいと謝ってくるのを待っていたのだ。だけど、もしかしたらその時はずっとこないかもしれない。そして父はきっと、仲直りが苦手だ。自分にできることを考えた。手紙を書いてみた。私が何によって、どう感じたか、本当はずっと何を言いたかったのか、手紙に書いた。そして最後に、いつかまた家族みんなで話したい、と書いた。

 手紙に対する返事はなかったけど、お中元に角煮まんじゅうが届いた。学生の時、私が帰省するときは、必ず大好物の角煮を用意して待っていてくれた。お中元カタログを見ながら選ぶ姿を想像したら心がすこし苦しくなった。なんだかわからないけど、「もう許そう」と思った。許すとか、上から目線だし、許す許さないの問題でもないのだけど、とりあえずそういうことにした。

 4カ月ぶりに会った父は白髪が増えてどことなくひかえめだった。少しずつ会話し、ぎこちないながらもなんとなく仲直りした風になった。植物や野鳥に詳しい父は子供のころから一緒に外を歩いていたら「あれは○○だよ。」とよく教えてくれた。その日も「あの鳥はなんていう鳥?」と聞いたり、行った先に植わっていた植物について教えてくれた。一緒にケーキ食べて、お昼ごはん食べて、母と一緒に帰っていった。

 仲直りってなんだろう。子供のころから、兄弟間や保育園なんかで仲直りをさせられてきた。子供自ら仲直りをする、というより、周りの大人に言われて悪い方が「ごめんなさい。」と謝り、謝られたほうが「いいよ。」というふうに。あの仕組みがきっと無意識にしみついていて、どっちかが謝ることで仲直りが成立する、と思っていたような気がする。

 父とは喧嘩の種になった問題について結局ちゃんと話してないし、ごめんとも言われてない。私も言ってない。悪い方が悪いことをしたと認めて謝る、それだけが仲直りの形じゃないのかな、とふと思った。「根本的に解決していない」といえばそれまでだし、形を変えてまた同じようなことで言い合ったりするんだろうけど、それでもまぁいいのかもしれない。どっちかだけの問題では、きっとないから。
そうやって自分とは違う人と関わって生きていくものかもしれないな。


 わたしがもうすこし成長したら、自分の言い分は置いといて、まず相手の言いたいことを聞くことができるのかな。どちらが悪いとかではなく、互いの胸の内をわかりあおうとすることを大事にできたらいいな。

 喧嘩って苦手だ。でも、人と生きていく上で必然であり、必要だったりもするのかもしれない。

わたしがなりたいものってなんだろう。

 

 ある勤務中に、「あんたじゃ無理だとおもう、ベテランの人を呼んできて」と言われた。同じ日に、同じ人に数回言われた。「うっ…」と心にささるものがあったが、その度先輩を呼んできた。次からその人を担当するのは代わってもらった。
 また別の日にも、ちがう人から「ベテランの先輩を呼んで来たら?」と言われた。心の中では、ベテランの人も、私と同じ答えを出すだろうと思ったけど、きっとそうしないとこの人の気が収まらないのだろうと思った。経験年数は私の方が長いけど、年齢が先輩の人を呼んで、来てもらった。結局、判断と処置はすべて私がしたが、それに対して不満は言われなかった。

 この人たちの見ているものはなんだろう。人より少し高いこの声と少し童顔の見た目によって、おそらく実年齢より若く見てくれてはいるんだろうが、私も今年で7年目になる。ほかの先輩に比べたらまだまだなんだけど。ベテラン、かぁ。自分との隔たりを感じる言葉。でもどこかで、羨ましい姿。

 きっと数年前なら、なんの迷いもなくいそいそと先輩を呼びに行ったし、それが当然だったと思っていただろう。「先輩を呼んで」と言われて心がざわざわ、もやもやするのは、きっと自分がそれなりに経験を積んだという意識がどこかであったからだろうか。「こう見えて、7年目です!そこそこ経験してます!」とは言えない。自分はまだ未熟だという思いはある。どう思うのが正解だったんだろう。自分の経験のなさを自覚して、先輩に頼ろうとするのが果たして謙虚なんだろうか。たかが7年、されど7年、それでもいろいろあった。いろいろ。

 ベテランってなんだ。経験年数?経験数?外見ににじみ出る貫録?なんだか悲しくなった。自分がやってみてだめだったわけじゃないのに、何もしないうちから「あんたじゃ無理だ」と思われたことが。その日から時間が経ち、私の何か言動や所作をみてそう思われたのだろうかと思うようになった。心のどこかでその人達に対して及び腰になっていたのかもしれないと振り返る。最初に引き気味になっていたのは自分だった。そうだ、私だ。まだまだ、だったな。
 
 前の職場から今の職場に変わろとしたとき、親に「まだ早いんじゃないの」と言われた。あなたが行こうとしている場所はもっと経験を積んでから行くところだと。だけど、私は「じゃあいつになったら行けるの?何年後?どのくらい経験を積んだら?」と言い返した。ここまでいったらオッケー、みたいなのはないんだ。昔から自信がない自分と向き合って苦しんだ。でも、ある時ふっと思った。やめよう、自信のある人になるのを目指すのは、と。自信のついた自分を想像できないから。だけど、今をちゃんと、大事に生きて、ひとつひとつ積み重ねてきた自分を信じられる自分にはなりたい。

 

 わたしがなりたいものは、わたししかなれないものだ。なりたい自分というものはきっと変化するし、一つの姿に定まることはないかもしれない。その日その時の自分がなりたい自分を描いていく。

 

 今日もありがとう。初心忘るべからず、だけど、自分の歩いてきた過去もちゃんと忘れないように。

新月の日に

 2019年が始まったとき、今年のテーマは「伝える」ということに決めた。決めてすぐ起きたある出来事により、「伝える」ということは相手の言葉を聞くこと、相手を知ることから始まるのだと思った。

 

 誰かの話を聞いて、本を読んで、映画を見て、音楽を聴いて、誰かの作ったなにかが自分の中に入ってくるのは好きだ。でも、自分のことを表現することはすこし苦手だった。だけど、伝えないといけない場面もたくさんあって、伝えることでその場がより良くなることがたくさんあって、「伝える」ことを、自分の中でもっともっと増やしていきたいと思い始めた。

 

 今まで、その時々で思うこと、考えていることは人に話したり、手紙で書いたりしてきた。さほど自分自身の記録として残すということを重要視してこなかった。感覚的に生きている部分が多い気がするから、自分のことをあんまり覚えていなくて、自分より周りの人の方が覚えていることがある。それはそれでよかったのだけど、やっぱり、ちゃんと、自分の中にあるものを言葉に表現して記しておきたくなった。もっと、自分を見つめるというか、ちょっと座って話そうか、みたいな時間を大切にしようと思うようになった。

 

 なに書こう。どんな感じで色づけていこう。

 

 今日もありがとう。