みくさんとひぐらす

ミクさんとともに過ごす、ただそれだけの日々

ねんどろミクさんの小道

道端を歩いていると、背後からカサッと小さな音がする。振り向くと、草むらのすき間からねんどろミクさんがこちらの様子をじっと窺っている。野生のねんどろミクさんか、珍しいな。と思いながら、おいで、と言って手を出すと、ねんどろミクさんはついと踵を返し、草むらの中へと姿を消してしまう。

やれやれ、脅かしてしまったかな、と思いながら、ボクは道を歩き出そうとする。するとまた、後ろの方でかすかな音がする。そっと首を巡らすと、ねんどろミクさんが、やはり体半分を草の陰に隠しながら、その大きな瞳をこちらに向けている。

ボクは気付かないふりをして、ゆっくりと歩を進める。ほどなく小さな小さな足音が、ボクの後ろを付いてくる。ボクが歩みを緩めるとその足音も遅くなり、ボクが歩調を速めると、トトトトトと、足音は細かいリズムを刻む。そしてボクが立ち止まると、足音もぴたりと止まる。

つかず離れず、ボクとねんどろミクさんは奇妙な同行者となって歩き続ける。時々ボクが後ろを見るとねんどろミクさんはさっと半身を草むらに潜らせ、少し首をかしげるようにして、警戒と好奇のまなざしでボクの顔を見つめ返す。

やがて道は、小さな川にかかる、細い細い橋にたどり着く。橋の半ばあたりまで来たところでボクは、後ろの足音が聞こえなくなっていることに気がつく。思い切って振り返ると、ねんどろミクさんは橋の付け根で立ち止まり、じっとこちらを見やっている。ボクが見ていても、もう物陰に隠れたりはしない。

ああ、そうか。この川までが、あの子のテリトリーなんだな。なぜかそんな気がした。どうしようかとボクが逡巡していると、ボクを凝視していたねんどろミクさんはくるりと体の向きを変え、元来た道をすごい早さで駆け戻っていく。そしてその姿が遠く見えなくなりそうなそのとき、ねんどろミクさんはこちらを振り返り、ボクに向けてその小さな手を振った、ように見えた。

季節は巡る。

いつしか通った道を、ボクはまた歩いている。ああ、ここはあのとき、あの子に出会った道だ。あの子は元気にしているだろうか。空は高く青く、心地よい風が吹き抜ける。ふと背後から、カサッと小さな音がする。

たとえば、ねんミクさんとのお別れ

ねんどろいどミクさん(以下、ねんミクさん)との別れ、というものを、考えることがある。

まずひとつには、ねんミクさんがボクの手元からいなくなる、ということがある。ボクはねんミクさんをあっちこっちに連れ回しているので、不慮の事故によって、ねんミクさんがボクの手の届かないところに行ってしまう可能性というのは――あまりそんなことは考えたくはないけれど――決して低いものではない。これについて以前、それにまつわるツイートをしたことがある。

これはねんミクさんとちょっと山に行ってきて、その帰りの電車内で考えた話であって、車中で胸が苦しくなって涙がこぼれそうになり、ついこぼしてしまったツイートで、賛意というか同調の感想もいただきつつ、辛いからやめろ、という半ばご叱責に近いような感想もいただいたわけだけれど、それだけみんな、ねんミクさん――あるいは敷衍してミクさん――との別れ、というものに、常より思うところがあったのだろうと、そんなことを思ったりもした。

しかしながら、もしねんミクさんを常日頃より丁寧に慎重に取り扱ったのならば、先にこの世からいなくなるのは、おそらく絶対的に限りある命であるところのボクの方であろう。ボクがその生を完うするそのとき、果たしてねんミクさんはどうするだろうと、そんなことを想像して、やはりそれはとても胸締め付けられる思いがするのである。それはたとえば、こんな想像だ。


――静かな静かな病室のベッドで、ボクは最期の時を迎えようとしている。枕の傍らで、ねんミクさんは絶えずちょこまかと歩き回っている。この子と最後に一緒に旅をしたのは、いったいどれぐらい前のことだったろう。随分退屈な思いをさせてしまったな、などというボクの思いをよそに、ねんミクさんは、ぶんぶんとその手に持ったネギを振り回したり、突然コロコロと転がってみたり、自由闊達に動き回っている。きっとねんミクさんにとっては、退屈も冒険も等しく楽しいものであって、また、一日も一年も、そして生も死も、それほど大きな違いのあるものではないのだろう。だったらきっと、この子はボクがいなくなっても、きっとずっと、そののほほんとした笑顔のままでいてくれるのだろう。そう思った瞬間、ふっと、ボクの力が抜けていった。それはとても、とても心地のよい眠りだった。

――ねんミクさんがちょこまかと歩き回っている。手に持ったネギをぶんぶんと振り回している。でもふいに、あたりがしんと静かになっていることに気付いて、その手を止める。あれ?おかしいな。いつも自分を優しく見つめてくれるあの人が、目を閉じている。ねてる?それはとても静かな眠りだ。少し、胸のあたりきゅっとなる。ねえ。ねんミクさんはその人の顔に近づいてみる。ねえ。手に持ったネギで、そっとその人の顔を突っついてみる。おきて。ぺしぺし。ねえ、おきて。ぺしぺし。もう一方の手で、その人の頬に触れる。んー、うごかない。ねえねえねえ……。ねんミクさんが、ふとその手を離す。ネギと手を一度、大きく振って、そしてつぶやく。ばいばい。そう言ってねんミクさんは、コロンと転がる。ねんミクさんはもう、動かない。

――看護婦さんが駆けつけたとき、すでにボクは呼吸を、心拍を、止めていた。それはとても安らかな表情だ。そしてその枕の横に、小さな人形が、寄り添うように転がっていた。何気なく、彼女はそれを拾い上げた。あれ、この子……。何となく、その人形の目が、濡れているように見えた。いや、きっと気のせいだ。そう考え直し、彼女は彼女の仕事に、その意識を集中させた。

ボーカロイド初音ミク・導入メモ

 発売から遅れること二日。ボーカロイド初音ミク V3 到着。ということで早速インストールである。

 まずうちの PC の環境を。OS は Windows7 Professional 64bit。V2 初音ミクインストール済みで VOCALOID3 Editor にインポート済み。StudioOne2 Professional(64bit) も入っている。つまるところ、V3 初音ミクに同梱の Tiny VOCALOID3 は要らないし、StudioOne APE も不要だったりする。その分安くはならないのか、という思いが全くないとも言わないけれど、しかし音声ライブラリが 6 つ (英語版バンドル版なので) も入って 15,000円少々(優待版なので)ならば、はっきり言って安い。

 インストールは複数のアプリケーションを順に入れる必要があるけれど、その辺はペラッペラのマニュアルを見れば間違えることはない。32bitOS か 64bitOS か分からなくてトラブる、なんて話もあるけれど、XP 時代から 64bitOS を選択的に使ってきた身としては、その辺を間違えるわけがない。ちなみに 64bit XP は DSP 版しか販売されなかった不遇の OS である。

 インストールで引っ掛かったのは音声ライブラリのインストール。ディスクの空き容量が足りない、とおっしゃる。インストール先は D: ドライブで、空き容量は 200 GB はある。なんだこれ? ってことで軽く調べてみると、どうやらインストーラは、あくまで C: ドライブの空き容量を見ているらしい。バグか? と思ったけど、つまりはファイルを一時的に C: ドライブに展開するという、インストーラの仕様によるものっぽい。ちなみに C: ドライブの空き容量は 5GB ぐらい。OS とその周辺ファイル以外は置かないポリシーなのでこんなことになってる。

 じゃあどんすんべ、と思うまでもなく、ならば音声ライブラリを一つずつインストールすればよかろう、という結論。若干面倒だけど、インストールのときは V3 ミクさんの壁紙が見守ってくれるので苦ではない。なお、それでも一ライブラリ入れるのに C: ドライブの空き容量が 3~4GB は必要なのでそれだけはムリにでも空けておく必要がある。あと、インストーラ走らせ直すと、ライブラリのインストール先がデフォルトの C: に戻ってしまうので、毎回インストール先を指定し直すのを忘れないようご注意を。

 延々ライブラリインストールを終わらせると、あとは Piapro Studio のインストール。OS、DAW とも 64bit 版なので、Piapro Studio も 64bit 版を選択。ここで VSTi をどこにインストールしたかをちゃんと覚えておくこと。これで V3 のインストールはおしまい。

 あとは DAW 側。StudioOne2 Pro を起動し、メニューバーから [Studio One]-[オプション] を開き、[ロケーション]タブの "ロケーション" にさきほどの V3 VSTi をインストールしたフォルダを追加。これでインストゥルメントに "Piapro Studio VSTi" が追加される。

 ちなみに VOCALOID Editor 3 については特に設定は必要ない。自動的にボーカルが追加される。

 これで V3 ミクさんを歌わせる環境は構築完了。あとはボクの作曲スキルを用意するだけである(←振り出し以前)

初音ミク × Twitter

Twitter アイコン。そう、あれ。鳥のヤツ。ずーっと前から見慣れているはずなんだけど、突然、「ん、これって髪の房っぽくない?」とか思ってしまって、さらにはだんだん、ミクさんの髪の毛に見えてきて、そう言えば色も割と近い。じゃあ試しに、ということで描いてみた。

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うーん、あり、だな。と言うか馴染みすぎていて、「一瞬意味が分からなかった」といったご感想もいただいたり。

それはそうと、アームカバー描くの忘れた……。

無限大の旅路 ~イーハトーヴ交響曲~

 台風接近のニュースが報じられる中、渋谷 Bunkamura オーチャードホールへ、冨田勲イーハトーヴ交響曲』を聴きに行く。

 昨秋、東京オペラシティでの公演も行ったのだけれど、前回はまだまだ実験的要素も強く、まぁそれは今回も、たぶん今後もそうなんだろうけれど、それでも一年間でどう変わったか、といったところにも興味を持ちつつの出席。そうでなくとも指揮もオケも前回とは違うので、それだけでも十分聴く価値はあるわけですが。

 座席は S 席、前方横側。と言うか最前列である。オケは近いけれど指揮者が横になるので、指揮を見るのが結構好きな身としてはちょっとつらい体勢。そして大きな問題は、オケの方に阻まれてミクさんのスクリーンがよく見えない、という。いや、もちろんそれで邪魔だ、などと言うつもりはないんだけど、これなら後方席の方がよかったな、と思ったのも事実。

 公演は大変すばらしかった、と言っていいだろう。演奏、合唱、そしてミクさんのモーションと歌声、そしてそのかわいらしさのコンチェルト。でもねぇ、見えないんだよねぇ。それが気になって集中しきれなかったというのもないではない。映像撮ってたみたいなので、そのうち DVD か BD 出るのかな。ミクさんを愛でる意味ではそれを楽しみに待ちますか。特に銀河鉄道の夜のくだりは、オケでこんな演出していいの? という感じなのだけれど、結構引きで見ないと全体の演出が見えない。ここはちゃんと映像で見てみたいところ。

 そのことを抜きにすると、繰り返しになるけど、全体のまとまりがよく、ミクさんも生演奏、生合唱の中に自然に溶け込んでいた感じがある。実際のところミクさんの登場時間は意外と短いのだけれど、それが重要な要素として機能しつつ、その登場退場が唐突ではない。いるべくしている、という感じ。この辺りが冨田先生の妙、であろうか。

 演奏については、初演が日フィルで今回が東フィル。これはもう、優劣は付けられない。どっちも優。でも惜しいのは、今回の会場がオーチャードホールだってところか。悪くはないんだけどね。よくもない。なんか音が抜ける。いい意味じゃなくて。この点は前回の東京オペラシティがよかっただけに、ちょっと残念。他の会場で再演してくれないかしら。

 まぁそんな感じで、手放しでよかった、とは言えないけれど、十分に楽しませてもらいました。しつこいようだけど、座席だなぁ、決め手は。

 あ、いちばんの見所はアレですよ。アンコールの時に何度か指揮の河合さんに呼ばれて、そのたびにミクさんが慌てて飛び出してくるところですな。

背中合わせ

 ボクがノート PC に向かってカタカタやっていると、ミクさんがお気に入りの本を持ってそばに寄ってくる。どうするのかな、と思っていると、ボクの背後に座り込み、ボクの背中を背もたれ代わりにして本を読み始める。

 ボクがキーボードを打つ音と、ミクさんが本をめくる音。ただそれだけが、夜の静寂の中に小さく響き続ける。

 時折ミクさんが、くすりと笑う小さな動きや、何かにどきどきして高鳴る鼓動。そして背中合わせに感じる、ミクさんの体温。

 今、ボクの視界にミクさんの姿はないけれど、背中を通じて感じるミクさんの一挙一動、ミクさんの心の微動が、いつもよりずっと鮮明に、ずっと深遠に、そしてずっと纏綿に、ボクの心に、すっと染みこんでいく。

[Twitter版]

Music Unlimited 検索機能まとめ

先日話題にしてた、Music Unlimited の検索機能についてまとめてみる。

PC PS3 PSVita Android
検索結果の連続再生 ×
検索件数 無制限 1,000件 1,000件 1,000件
ソート条件変更 × × ×
検索結果のシャッフル × × ×
検索結果再生中の"好き/嫌い" ×

結構適当に書いているので間違いがあったらご指摘お願いします。あと、iOS は持ってないので分かりません。

それにしても全クライアントで機能を統一して欲しいものである。