デザインは見えているか?

普段何気ないところに、デザインはあるものだ。

机の上にモノが溜まっている人は、雑念に捕らわれている

何をするときも、机の上、デスクの上が散らかっていたり、片付けられていないと頭の中も片付けられないまま、ゴミだめになってしまう。机の上というのは、頭のワークスペースを反映しているのだ。

 

机の上がモノにあふれている。それでは、クリエイティブな発想の邪魔になってしまう。空間を維持するためには、毎日の掃除、特に夜の掃除が大切である。一時的に避難させる物置があるのならば、それを使うべきである。

 

物置場所がなければ、本棚ないしテーブルの上に一時退避させておこう。まずは、机の上に何もない状態をつくるのが先決である。それで一時的にスッキリしたのなら、その状態をカメラなどで撮影しておくのだ。そしてそれを、できるのなら、プリントしたり、パソコンで壁紙にして、いつも見ている状態にする。

 

設計図をつくるように、いつもその状態が最良の状態であるということを、脳に焼き付けておくのだ。そうすれば、脳はその状態が最適だということを認識していつの間にか、机の上が整っている状態にすることができる。

 

この手法は、ビジョンボードと呼ばれる、成功方法の一つを応用したものだ。本来は、成功体験を実現させるためのツールだが、こういう方法もあるわけである。モノはあるべき場所に移動させる。その場所を決められれば、うまくいくものだ。

 

ミチヨシでした。

ミニマリストとLess is more

どんどんカテゴリーが増えていく今日この頃です。そのうち、断捨離しますね。カテゴリーの。でも、今のところは、このままです。

 

さて、本題に入りましょう。ミニマリストという概念は、本田直之さんの著書である

LESS IS MORE 自由に生きるために、幸せについて考えてみた。

LESS IS MORE 自由に生きるために、幸せについて考えてみた。

 

 この著書を見て、知りました。必要最低限のものを身に着けること、またはそうした暮らしのことと知りました。

 

必要のないデザインを絞り、洗練させたデザインを身に着ける。それだけでいいと思いました。日本はモノがたくさんありますが、幸福度数は低いということ。これは、真実だと思います。

 

暮らしのデザインとして、制約を一つずつ削除していく。この繰り返しをしてそれで満ちる生活をできるようにしていく。私の部屋は、本ばかりがあるので、必要以外の本はどんどん売ってしまおうと思っています。Kindleでも100冊を突破してしまったので、削除しないとですね。

 

ミニマリスト、意識はしていますが、私はまだその一歩を歩んだにすぎません。まだ階段の一段目です。これを二段三段歩めるようになれば、書斎の上も真っ青になるのですけど。いつのまにか、書斎の上は本であふれてしまいました。

 

これらを変えて生きますね。ミチヨシでした。

ウェブコピーを書く心情

いまさらの説明になるが、ウェブ上のすべての文章は、なんらかのコピー(広告)である。それが有料や無料に関わらずだ。日記のような記事はボランティア精神にあふれたコピーであろう。そこから何を汲み取ってもいいというものである。

 

しかし、何らかの商品を売るのが目的、営利的な使い手にとっては、競争のパイを取得するかどうかの瀬戸際である。うまいコピーというものは、所見ではそれがコピーなのか、ボランティア精神でかかれた無償のものかの判断はつかない。最近まで流行った、ステルスマーケティングというものがある。

 

これは、マーケティングをしているマーケッターならば、誰でも頭の下地に縫い付けてあるツールのひとつだと思う。目に見えないが、たしかにあるのである。そのコピーの上手下手は関係しないけれど。まあ、走りかけたマーケッターである筆者にとっては、確かに縫い付けてある程度だ。ベテランの方にとっては、縫い付けるのではなく、針自体にそれが備わっていることだろう。

 

このブログは、そうした針自体になるために、書いているブログだ。潜在意識にウェブマーケティングを浸透させるためである。つまりは、人の役に立つブログを目指している。パワーブログやアルファブログ、第三のブログなどが終着地点だ。その先は、どこまで広がっているかわからないが、新しいブログの形を作って生きたい気持ちはある。

 

気持ちは高みを見ながらも、でも閲覧者の方にとって役に立つような視点を与える文章、ならびにコピーを書いていきたい。この世のあらゆるデザインをここに明文化していく。それが大事だと思っている。この世界にデザインされないものは、一切存在しないという勢いである。

 

あなたが気に入っている、ウェブコピーが書かれたサイトを見るように、このブログもそのようなサービス精神を持ち、意識を高揚させるサイト作りに励んでいく。この世のあらゆるデザインを探求する時間、その暇を上質な時間と文章によって満足できるように。

 

サクッと読めるようにしていくので、ご期待ください。長すぎず、短すぎずにしていく。時に物語のように、時に小説のように、さまざまな井戸の水を汲み取ってもらえるような、そんな井戸端ブログにしていく。

 

ミチヨシでした。

 

 

あんたが、毎日踏んづけているモノだ!

あんたが、踏んづけている場所だ!

 

下の写真を見てどう思う?

 

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<はい!言葉にだして!>すごく・・・です。

 

そうですよ、これですこれ。あなたが毎日踏んづけているやつですよ。マリオよろしく踏んづけているものです。正式名称は、視覚障害者誘導点字ブロックというものです。知っていましたか?本当に?本当に?結局しらをきっているのでしょう?知らないのなら正直に言いなさい。あのブロックは、ガムを捨てる場所だ!という考えを持っているのなら、ドブに捨てろ。

 

想像してみてください。あなたはバスを待つために、点字ブロックの上に、荷物カバンを黄色いブロックの上にのせて、わがまま顏で後ろに視覚障害者がいることも一切合切知らない顔をして、どうどうとその場を占拠したかのように居座る様を。福祉は大事だと言いつつ、実のところなにも考えていない顔をして。もしこれがニコニコ動画だったら、頭に”?”や”肉”とかのコメントを表示されている状態ですよ?笑い者にされているのにも気付かないなんて、愚かな人ですね。

 

さて、デザインの話にしましょう。この点字デザイン、駅のホームや歩道に設けていることがありますが、私的に言わせると、なんで、電車のすぐそばにデザインしたんだろうということです。人身事故になったら、どう責任つけるわけなんでしょうね。黄色い線の内側に移動してくださいとかいう、案内など糞食らえだ。本当に視覚障害者を守るんなら、人身事故防止用のゲートを線路との間に早くつけることだ!

 

iPhoneのデザインについて その1

ミチヨシです。

 

私は、iPhone3GS以来のiPhoneユーザーです。

 

色はホワイトでした。それなので、iPhone5Cがこの世に出た時、思わずホワイトを購入しました。

 

なんでもホワイトが好きなホワイト教信者です。MacBookもホワイトです。もうMacBookWhiteは販売されていませんね。

 

残念です。

 

さて、話は戻りますが、iPhoneは最初は楕円状のフォルムをしていました。それがiPhone4から、角ばったデザインになっていきました。バッテリーの問題を孕んでいたのでしょう。あのような長方形の形に落ち着いたんだと感じます。センサーの種類の拡大やらタッチセンサーの高度化によりあのような形状になったのでしょう。

 

iPhoneは、日本に登場以来急激にシェアをのばしました。私が3GSを使用し始めた時は、iPhoneはマイナーな部類でした。私はiPhoneが登場するまでは、WILLCOMW-ZEROシリーズを愛用していました。そんな時に、故スティーブジョブスがiPhoneを発売したことを知り、日本で手に入れることができないものかと、思案したことを思い出します。

 

当初、iPhone3GS→iPhone4Sときたので、iPhone5Sにしようかなと思いましたが、上記の理由で5Cをえらびました。

 

さてデザインについての話になります。iPhoneのハードウェア的な性能は、他のAndroidとかに比べると、ハードウェアの性能は下のクラスだったのですが、ソフトウェアのOSとの親和性が高かったので、ヒットしたのではないかと、私は思います。私はそれまで、iMaciPodユーザーであったため、Appleがだす製品に絶対的な信頼を寄せていたこともあり、そのように見えたのかもしれませんが、何か魔力なるものを感じたのでしょう。

結論は、統合的な親和性のデザインが含まれているということです。これがiPhoneのデザインの一つの構成要素だということです。

カーデザインについて その1

ミチヨシです。初めのデザインについては、車のことです。

 

その1なので、さらっと分解していきます。

 

車は、80年代前後の車のデザインと2010年代のデザインとでは、明らかにデザインがことなります。

 

単純に言うと、角ばったデザインと、丸っこいデザインです。流線型ともいいますね。

 

これだけで結論です。

 

次回以降は、例をあげて解説していきます。文章量も増えていくので、ご期待ください。今回は概論のようなものです。

Open the GATE

ミチヨシです。

 

この記事がすべてのデザインの入り口です。

 

このブログで実現したいビジョンは、すべての世界はデザインによって成り立っているということです。誰それが作ったどうかは一緒くたにして、含有させていきます。

 

あらゆるものが含有してできあがったのが、目の前にあるデザインだからです。そのひと作品を扱うにあたって、話題としてタブーなことに手軽にメスをあてることは、普通にやっていきます。

 

すべては、大いなるデザインのために。