Small Photo Diary

Photo Diary, QuickSnap(写ルンです), iPhone SE, Voice Memos, Camera, DSC-RX100, その他の日記(https://mitsueyou.hatenadiary.jp/), Tumblr(https://yumitsue.tumblr.com)

・『遠野物語』の暗記(♯3)。すこし間が開いたので、やっと(三)まで。山人の登場。半睡のまま、大男に「懐中に手を差し入れ」られる生々しい場面。

・それにしても、暗記するためには図らずも原文を乱さなければならない。自分なりの連結や連想、照応、リズム、果てはまったく関係のないイメージを加え、様々なノイズを入れることで暗唱は成り立つ。受験暗記ではないが、地口という道具の威力は大きい、その分ノイズも増えるが。原文を保存するというより、組み替えるという感じ。ある種の模様替えとでもいうような(やはり空間的)。けれど、この決定的な足場のなさはどこか創作に似てはいないか?

 

・『遠野物語』の暗記。やっと[一]はなんとか。散文を暗記するというのは、水の中で溺れるのに似ている。藁をもすがって、原文を様々に区切ったり、まとまりをつくったり、いちいち読み仮名を書き込んだり、はては平仮名にさえローマ字で読み仮名を振ったり、引っ掻き傷を作らないと話にならない。口に出すのは当然として、また眼を閉ざした暗闇のなかで文章をきわめて空間的・身体的な風景として見つめなければならない。韻または音楽が暗記にどれだけ役に立つか、それに対する散文の決定的な拠りどころのなさ。雪道の中、歩く練習をしているようだ。