田中慎樹メモ

ネット広告、ビジネスモデル、ベンチャー、経営、日常について

はてなに入社して20年が経ちました

若干冗談のようなタイトルですが、本当のことです。2004年5月1日に株式会社はてなに入社して20年が経ちました。創業者近藤淳也を含めて5番目。創業時体制は3人だったので、その後の採用で2番目となる社員でした。
新卒の会社に約5年間在籍した後の転職でした。20年も続いたのかという驚きも少しあり、一方で正直なところ20年間という時間の長さや重みも少し掴みかねていもいます。少々実感に欠けているというか。致し方ないでしょう、多くの人にとって「勤続20年」イベントは人生で1回しか経験しないことだと思いますし。
コンサルティング業界からインターネット業界という異業種転職、またコードも書けない非開発者ということで、色々と下積みから勉強させていただいたり遊ばせていただきました。当時、インターネット業界は新興業界、誰しも促成プロフェッショナルとしてやるべきと意地になって頑張った自覚もありつつも、振り返ってみれば多くのお取引先様の温かい応援やフォロー、しょうがないなあという苦笑気味の目に包まれつつなんとかこなしてきた日々であったと思います。お取引先様のご担当も変わられ、また取引自体の変遷もあり、残念ながら直接ご恩返しできる機会はなかなかなくなっています。ペイフォワードではないですが業界全体になんとか返していかないとなという思いです。
今もがっつりフルタイムで働き、執行を担っているところでありますが、立場としては社員ではなく1年任期の取締役を拝命していることもあり、任期中に何をなせるか、なせたか、次に繋がるものは何かと思いながら働く日々です。
具体的に多くの方々に感謝を書きたいところになりますし、今現在の色々な見解も書いていきたい、ということで書きかけたのですが、長くなりそうなので一旦ここまでにします。引き続き頑張ります。<ここに後ほど20年前の写真を貼る予定>

中村哲さんの訃報

訃報に接して、自分が結構ショックを受けていることに気づいたので、思い出話をさっと書きます。NGO団体ペシャワール会の、いち会員であった自分の思い出話。

www3.nhk.or.jp

中村哲さんは、自分が北九州の河合塾に通っていたときに講演にいらしたことがあった。30年近く前のこと。当時はアフガニスタンで、医療に取り組むだけでなく、感染症を防ぐために裸足で歩かないようタイヤからゴム草履をつくっておられていた段階だったっけ。

「塾の人からは学生にありがたい話をしてあげてくれとか聞いとっちゃけれども、自分としては寄付して欲しいけん来たっちゃけどね」と自然体で軽妙な博多弁を話す色黒で小柄なおっちゃんで、医師であり腹が据わりすごい行動力である実績と相当にギャップがあった。

自分が大学生になってからほどなくペシャワール会に寄付をするようになり、長らく続いていた。広い世界にはいろいろなことがあるのだ、見てみたい、色々見てみたい、地べたを這うように、ゆっくりしたスピードで旅をしたい。という思いで、自転車旅行やバックパッカーをやったけど、それも少しは中村哲さんの影響を受けていたかも知れない。

そういえば送られてくるペシャワール会会報での中村先生は、いつも自然体だというわけではなかった。やたらと肩の力が入った文章もまれにあったし、スタッフの扱いや政府・周囲との軋轢に苦労されている様子がうっすらと窺えて、大人の努力とは華々しいものじゃなく、こういうものかと思ったりしたなあ。

正直、全く実感湧かないけど、RIP、先生。現場主義ってああいう方のことを指すんだろうな。そして、そうか、自分も、講演にいらしていた時の先生の年齢に近づいてきたんだな。と気づく。

「分散型メディア」概念はただの方便だった

さまざまな事象が進行しているが、俯瞰してみると、デジタルパブリッシングが多角化に失敗し、すべてを広告に依存していることがわかる。その後、プラットフォーム企業が広告に乗り出した。いまではデジタル広告支出の大半がごく少数のテクノロジー企業の手に渡り、パブリッシャーはわずかな残り物を争っているにすぎない。Facebookは別のやり方でもパブリッシャーを苦しめている。パブリッシャーへの参照トラフィックを減らし、マネタイズの支援をパブリッシャーがFacebookに投稿した動画に限定しているのだ。収益はあとからついてくると考えて分散型戦略を採用したパブリッシャーは、そうではなかったことに気づいた。

上記記事にも若干触れてありますが、私は「分散型メディア」概念はただの方便で、パブリッシャーのビジネス構築には概ね役に立たなかったと理解しています。Facebook/ YouTube/ Instagramというプラットフォーマーを太らせるだけに終わる予感をひしひしと、身に沁みて理解しつつあるパブリッシャーの方もかなりいらっしゃるのではないでしょうか。


勿論パブリッシャーの一部の方々もそうなりそうなことは重々承知で、表向きに「分散型メディア」を推進・賞賛しつつもそれはプラットフォーマーにアクセス配給を優遇されたいという狙いであって、裏では必死で自社アプリ・自社メディアへの誘導を図っていたりしたのだと思います。が、多くの事例でうまくいかなかったね。という結論になりつつある。


古い話で恐縮ですが、私は、Facebookがソーシャルアプリ(ゲームアプリ)の雄として台頭し、独自のゲーム経済圏を作りかけていたZingaを、Facebook内でのアクセスを絞ることで実質的に葬り去ったことを忘れていません。Facebookの意図は今となっては分かりませんが、いずれにせよプラットフォーマーはパブリッシャーに対してシビアな目線を持っているといえるでしょう。


当社サービス( はてな)でも、もちろんFacebook/ Googleといったプラットフォーマーとの付き合いは大事ですが、テキスト主体のUGC (User Generated Content )サービスなので、自前コンテンツ制作ありきの一般パブリッシャーと比較してコスト負担が重くなく、彼らほどのめり込んで投資回収に焦る必要がありません。コンテンツを発信したくなる個人に寄り添うことをひたすら続けていれば大きくなるし、ユーザーの成熟・全年代への浸透というトレンドは追い風です。追い風は突風ほどの強さはありませんが、着実に歩んで参ります。

集合知は影響力を増している。ただし時間は掛かる

嫌われるウェブ2.0 | 辺境社会研究室


面識はないですがネット上で良くお見かけしていた小関さんに『本当の問題はウェブ2.0が嫌われていることよりも、ウェブ3.0が来なかったこと』とさらっと書かれると辛く感じるところもあるわけですが、「検索結果占拠による(中略)迷惑」「CGMは参加するものではなく見るモノ(意訳)」「集合知など誰も信じない」は一般的認知の推定の言葉とは言え断言するには強すぎる表現であって、自分としては期待の裏返し・バックラッシュからくる表現だと捉えている。集合知は活きているし、勿論今より更に良く出来る。少なくともGoogleプラットフォームが活きている間は。歴史は螺旋しながら進む。これからも。