46番街

思ったことを書きます。

福井駅前の再開発変遷

 福井駅前では北陸新幹線開業に合わせて再開発が進行中だ。駅側の福井駅前電車通り北地区A街区と奥側の福井駅前電車通り北地区B街区でそれぞれ事業が行われている。事業の詳細であるとか、その是非などについて詳しくはないので記すつもりはないが、何度か福井に行くうちに風景の移り変わりが意図せず記録できていたので、掲載していくことにする。概ね2年に1回ペースの訪問であるので、細かい変化ではなく大まかなものになるが、以下で紹介していく。

 なお、最初の写真は2019年であるが、この時点で当事業区画の外周部は既に工事が進んでいる。福井駅前ショッピングプラザは既に跡形もないどころか、現在のハピリンが開業していた。

 

2019年5月の中央大通り。写真左側のエリアが再開発の対象である。この時点では建物の解体などはされていない。

福井鉄道が通る電車大通り。画像手前が福井駅側。画像右側のエリアが丸々再開発で変化していくことになる。

反対の歩道から。画像左側のアーケード商店街「ガレリア元町」横は既に工事中であった(中央1丁目10番地区再開発事業によるもの)。

 

2021年12月の福井駅前より電車大通り方面。画像右側の区画(A街区)は既に解体されている。ひとつ前の画像で工事中であった区画には新しい商業ビルやマンションが完成している。

中央大通り側。手前のビル(加藤ビル)はアーケード屋根も含めて現在も健在である。

B街区にあたる区画はまだ工事が始まっておらず、営業している店舗もあった。

B街区側。

電車大通りの大名町交差点側から。画像左側がB街区。

 

2023年5月の電車大通り。路面電車メインの画像であるが、手前のA街区にマンションが建設中であり、奥のB街区の建物は解体されているのがわかる。

ほぼ同一地点から引いた画像。

北陸新幹線開業を翌年に控え、囲いには福井市の歴史や事業の紹介などが展示されるようになっていた。囲いの向こう側ではホテル「コートヤード・バイ・マリオット福井」などが入る複合ビルが建設中。

 

2024年2月。A街区の工事はかなり進み、外観はほとんど出来上がっている。手前のビルはFUKUMACHI BLOCKという。

同3月の中央大通り。2019年の画像と比べると景色が一変している。画像右奥のB街区は複合ビルの建設が予定されているものの、事業が遅れているため着工されて間もなく、まだ姿は見えない。

 

2024年3月15日にコートヤード・バイ・マリオット福井が、翌16日にFUKUMACHI BLOCKがそれぞれA街区内に先行開業した。A街区内のタワーマンション「ザ・福井タワースカイレジデンス」も完成間近であり、現在もB街区で工事が進められている。今後更に福井駅西口界隈の風景が変わっていくことになる。

JR線・地下鉄連絡路線図の修正部分を読み解く

 JR東日本の首都圏エリアの一部駅には、以下ような路線図がホーム上屋から吊り下げられている。主に京浜東北線や山手線、中央・総武線などで見かける。

 

 「JR線・地下鉄連絡路線図」(大宮駅にて撮影)というもので、下部のアロンアルフアの広告も相まって少々古めかしい雰囲気を醸し出している(この広告は駅によって異なる)。というか実際に古い。私が物心ついた頃(2000年前後)にはもうあった。JR初期からあるのだろうか。それを証明するかのごとく、後から新しいシールが大量に貼り付けられている。どれぐらい貼り付けられているのだろうかふと気になったので、洗い出してみることにした。

 

 まずは左上、23区北西部。東京メトロ副都心線に対応した部分が目立つ。営団地下鉄から東京メトロへ移行したのを機に営団成増駅が地下鉄成増駅に改称されているので、その部分も上貼りされている。池袋~和光市間は営団有楽町新線開業時に既に修正が加えられていたのであろう。

 なお、この路線図は民鉄を除いているので、本来西武有楽町線新桜台駅は表記されない筈であるが、小竹向原新桜台暫定開業時に営団有楽町線と一体に扱われていた名残なのか、表記がある。1994年の練馬延伸には対応しておらず、新桜台駅で路線図は途切れたままとなっている。

 南北線は最初に開業した区間(駒込赤羽岩淵)の時点で後から貼り付けられている。後年駒込駅から四ツ谷駅、さらには溜池山王駅へと延伸されていくが、それぞれの区間で微妙に色味が異なっているのがおわかりだろうか。

 都営大江戸線は最初に開業したのが光が丘~練馬間であるが、路線図上に練馬駅の表記がないので、1997年の新宿延伸時か2000年の全線開業時辺りに修正されているものだろう。ただ、大江戸線(当時は12号線)と南北線の開業は同じ1991年なので、光が丘~練馬間も後から追加されていたものと推測される。もしくは、JR・地下鉄から見ると孤立区間であったため、「連絡路線図」から除外されていたのかもしれない。新宿~国立競技場間が色褪せているのはよくわからないが、ただのエラーであろう。大江戸線は新宿~国立競技場~両国~飯田橋~都庁前間といった大半の区間が2000年開業と新しい路線で、広範に修正がなされているので以降は特筆すべきポイントを除き割愛する。

 

 次に左下、23区南西部。南北線は最後に開業した目黒~溜池山王間の部分も色合いが異なっていて、一番濃くなっている。実際のラインカラーと一番近いのは駒込四ツ谷の箇所だ。

 なお、2016年に<原宿>表記が追加された明治神宮前駅には括弧書きで原宿と追記されているものの、シールが貼り付けられた形跡は見つからない。JR原宿駅との乗換駅であることを示すために、元から記載されているのだろう。

 

 港区・中央区千代田区近辺のエリア。なんといっても高輪ゲートウェイ駅(2020年開業)が目立つ。この路線図はわざわざここまで対応したのかと驚嘆した覚えがある。もう対応しきれないし老朽化もしているから撤去されるのではないかと勝手に思っていたが、今の今まで維持され続けているのが凄まじい。ただ、同年に開業した虎ノ門ヒルズ駅は対応していない。

 このエリアでもう1つ際立つのは都営三田線で最後に開業した三田~目黒間であろう。南北線同様、既存区間と延伸区間で色味が異なる。

 

 千代田区台東区・北区周辺のエリア。この辺りは既に紹介した南北線大江戸線の追加程度で目立った修正痕は無い。

 

 23区東部のエリア。ここは北西部に負けず劣らず修正が多い。まずは東京メトロ半蔵門線。2003年延伸の水天宮前~押上間は当然ながら、1990年延伸の三越前~水天宮前間も上貼りされた形跡があるのは驚きだ。経年劣化なのか、この区間だけ色褪せが目立つ。また、

 同じ年にJR京葉線も東京~新木場間が開業しているので、こちらも加えられている。余談だが、JR総武線が千葉、京葉線が千葉みなとで途切れているのはレイアウト上の問題なのか、電車特定区間の終端だからなのかが気になるところである。

 清澄白河駅森下駅住吉駅近辺は大江戸線開業の後、さらに半蔵門線開業で次々と路線図が加えられていってるためか、非常に窮屈なレイアウトとなっている。両国駅は一体とできなかったのか、JRと大江戸線で独立している。JRの両国駅は後付けのため小さく見えにくい。

 もうひとつ、西船橋駅の右下辺りにも修正痕がある。位置を見る限り、東京メトロ東西線に対する「朝・夕のみ延長運転」の部分だと思われるが、調べる限り1980年代の時点で営団東西線は既に朝・夕のみ津田沼駅まで直通運転が行われている運行形態だったようなので、以前は何と表記されていたのか想像がつかない。1996年以前は土休日も津田沼直通があったようだが、現行の文言に「平日」という文字がないのでそれ絡みとは考えにくい。

 

 最後に路線名とラインカラー。南北線大江戸線副都心線は後付である。大江戸線は12号線から更に貼り替えたものだろう。副都心線に至っては枠からはみ出している。

 

 発見した修正を時系列順にまとめると以下の通りである。

 

1990年3月10日    JR京葉線東京~新木場間開業

1990年11月28日  営団(現:東京メトロ)半蔵門線三越前~水天宮前間開業

1991年11月29日  営団南北線駒込赤羽岩淵間開業

(1991年12月10日 都営12号線(現:大江戸線)光が丘~練馬間開業)

(1994年12月7日   営団有楽町新線小竹向原新線池袋(現:副都心線の池袋)開業)

1996年3月26日    営団南北線四ツ谷駒込間開業

1997年9月30日    営団南北線溜池山王四ツ谷間開業、営団銀座線溜池山王駅開業

(1997年12月19日 都営12号線練馬~新宿間開業)

(2000年4月20日   都営12号線大江戸線に改称、新宿~国立競技場間開業)

2000年9月26日    営団南北線目黒~溜池山王間、都営三田線三田~目黒間開業

2000年12月12日  都営大江戸線全線開業

2003年3月19日    営団半蔵門線水天宮前~押上間開業

2004年4月1日      営団民営化により東京メトロ発足、営団成増駅を地下鉄成増駅に改称

2008年6月14日    東京メトロ副都心線池袋~渋谷間開業、有楽町新線副都心線編入

2020年3月19日    JR山手線・京浜東北線高輪ゲートウェイ駅開業

 

このことから、この路線図が1990年以前から存在していたことがわかる。1990年の前年、1989年のJR東日本営団地下鉄都営地下鉄の出来事は、

 

1月26日  営団半蔵門線半蔵門三越前間開業

3月19日  江戸橋駅日本橋駅に改称、都営新宿線篠崎~本八幡間開業

 

であった。これらは修正された形跡が見つからないので、JR線・地下鉄連絡路線図は1989年度中に設置されたと考えられる。駅の案内サインや広告など、古くからものが残っているということは意外と多いのだが、情報が更新されやすい路線図で30年以上前のものを使用し続けていることに驚きを禁じ得ない。

 今後は有楽町線南北線延伸計画があるものの、2022年に鉄道事業許可を受けたばかりで、開業時期は未定である。この2路線にも対応がなされたら非常に面白いのだが、それまでには流石に撤去されているだろう。

 

 余談だが、この路線図について画像検索してみたところ、このJR線・地下鉄連絡路線図に広告を出している三共広告という広告会社のサイトを発見した。制作実例として写真が複数掲載されており、古い写真があるのではないかと思い閲覧してみたが、いずれも副都心線開業以降のものであった。

小田急8000形が西武に!?

 予てより同業他社よりサステナ車両*1の導入を予定していた西武鉄道であったが、昨日導入車両が発表された。

www.seiburailway.jp

 

 ファンの間では様々な憶測が飛び交っていたが、東急9000系小田急8000形が譲渡されることとなり、驚きが広がっている。

 

 東急9000系は塗装の省略が可能なステンレス車体であり、VVVFインバータ制御である。車齢は30年前後と古い車両になるが、ステンレス車体は腐食に強く経年劣化に関してはあまり問題にならない。

 一方で小田急8000形は制御装置こそVVVFインバータ制御に更新*2され、内外装もリニューアル時に手を加えられているものの、車齢は約35~40年であり、鋼製車体である。導入予定線区である国分寺線を走る新2000系よりも古い車両で、経年劣化を心配する声も見受けられた。

 

 90年代以降のステンレス車両が譲渡されるのではないかという見方が多かったがゆえに、確かに予想外の展開ではあるが、考えてみると8000形の導入も悪くない選択肢なのではないかと思う。

懸念されている経年劣化についてだが、8000形は様々な腐食対策が講じられている。

・構体の外板は厚さ3.2mmの耐候性鋼板

・腐食しやすい屋根にはステンレス板を使用

・側面の外板は台枠の上端で突き合わせて溶接

・床板にもステンレス製キーストンプレートを使用

・側窓のサッシレス構造化と水受けと排水パイプの設置、アルミ製縁取りの設置

 特に側窓の対策については、同じ鋼製車体で一段下降窓の5200形が雨水による腐食に悩まされて廃車が早まった*3のに対して、8000形の長命化に貢献していると言って良いのではないだろうか。

8000形の窓枠(左)と5200形の窓枠(右)。8000形側窓のアルミ製縁取りが目立つ。

 

 上記の設計が功を奏してか、現在でも車体は劣化を感じさせず、綺麗な状態を保っている印象を持つ。これに加えて主制御器や補助電源の換装、運転機器や内装のリニューアル等3000形や4000形に準じて大規模に更新されているので、まだしばらくは走れそうだ。

 

 と言っても、新5000形の導入や保有車両削減に伴って、2020年代に入ってから徐々に廃車が進行している。その中で今回の西武鉄道の施策により譲渡される運びとなった。要塗装の鋼製車ながら腐食対策が万全で、走行機器も現代に準じている8000形は、西武鉄道の求める車両として合致する部分が多いのかもしれない。

 

 国分寺線は6両で運行される路線であるが、8000形の6両編成は更新時期が早く、比較的初期の3000形に準じた更新メニューの車両が大半である。更新の遅かった3本のみ*44000形準拠の更新が行われているものの、譲渡に回されるのは初期に更新された車両であろう。最古参といえど、まだまだ小田急の主力車両だ。

 

参考

小田急電鉄40年の軌跡 イカロス出版

2022 年3月期 第3四半期決算に関するFAQ 

https://www.odakyu.jp/ir/financial/o5oaa1000001z0qi-att/odakyu_2021.3Q_FAQ.pdf

 

*1:VVVF インバータ制御車両等の環境負荷の少ない他社からの譲受車両を指す - 西武鉄道2023年度鉄道事業設備投資計画より

*2:最初期に更新された2編成を除くが廃車済み

*3:同モデルで二段窓の5000形と比べて早くに置き換えられた

*4:うち8264×6は踏切事故で廃車済