無駄にした2年間

瀬川との思い出は実のところほとんどなかった。
しかし彼の過去を漁った私は、彼と時を共有したように錯覚していた。
彼の手記は10年前から5年前までのもので、それから今に至るまでの5年で瀬川という男が変化したことは言うまでもない。

しかし、私は瀬川像を勝手に決めそれに恋をして、将来瀬川と結婚しようと心に決めていた。
でも現実は、月日は瀬川を変えていたし、それを実感する出来事も度々あった。

そして最近、瀬川は結婚することになった。
瀬川の薬指の婚約指輪は衝撃的な記憶の断片として何度も頭に蘇った。
さっきも言ったように、私と瀬川との思い出はほとんどない。ただ私がかってに彼の手記を読んだために、恋をしていただけなのだ。




本当は瀬川と私はつながりが薄いのであった。共有したように思える瀬川の五年間や一緒にその場に立ったように思える彼の地元に胸を痛めている私は、ほんとうにばかだ。


瀬川を思い出すワードが私の周りにあふれていて、なかなか頭なら離れない。
恋愛関係になったわけでもないというのに。
こんな歪んだ愛情なのに私の中の大部分を占めていたことが分かった。

瀬川との関係なんてこれっぽっちもなかったのだ。
そしてこれからも、一生関係することがないだろう。

これっきりで、私達はお互いの記憶の断片の存在になる。特に私がだが。
瀬川は一生私の歪んだ愛情を知ることがない。

私は瀬川にずっと恋をしていた。私の想像する手記の中の瀬川はもはやいない。
そして瀬川という男自体私の手は届かなくなった。


瀬川は結婚する。私もそのうちこの気持ちさえも忘れてしまうだろう。

瀬川の婚約指輪を見てから3日瀬川と会ってない。
明日瀬川の口から結婚報告をきくのが面倒くさい。そんなことをまだ思っている。

恋なのか?

夏休みが近づいていた頃の話。

終業式の日、私は集合時間を間違えて予定より三時間も早く駅に着いていた。
学校に行っても仕方ないので駅前のスターバックスに入ることにした。

こんなに早い時間だからあの男がいるかもしれない。と私は心底期待していた。


「まあ、会いたくても今までいたことないし、多分いないだろう。末期だな。」
と心の中で自虐的に言った。

私の頭の中で山崎まさよしの『one more time,one more chance』の『いつでも探しているよ、どっかに君の姿を、向かいのホーム、路地裏の窓、こんなところにいるはずもないのに〜』というフレーズが流れた。

この曲は、あの男から教えてもらった純恋がテーマの映画『秒速5センチメートル』の主題歌だった。



私は夏らしく夏限定の炭酸系の飲み物を買って、適当にトイレ近くの席に座ったのだ。

そして受験生の私は、やらなくてはならない課題に向かっていた。


なぜだろうか、向こうに座っていた男がトイレにたった。
あの男だったらいいのになと思って顔をあげると、私は男と目があった。


私は目を疑った。
それはあの男だった。奇跡だと思った。

私は笑ながら声をかけたが、彼は恥ずかしげな顔をしていた。
人見知りなのがわかる顔だった。


年の割りに老けていたあの男の、かなり若者らしい仕草が私の心をくすぐった。


私だけがその後もあの男の様子をみていた。
片手で本を持って読むあの男の横顔は素敵だった。


私とあの男は住む世界が違ったので、絶対に結ばれることはないと自分でもわかっていた。
だから私は彼に何も言えなかった。


もう少し早く生まれれば、状況は変わったかもしれない。
と私は何度も思った。



今日のような夏の暑い日だったから、なんとなくおもいだしてしまった。
あの男はいまどうしているのだろう。


結婚してしまっているかもしれない。

おじさん方の会話


カフェで隣に座っていらしたおじさんたちは、おそらく派遣労働者だった。


彼らは芸術について語っていたが、急に年上と思われるおじさんが会社経営をしないかと持ちかけた。

どうやらELというLEDのようなもので会社を作ろうとしているらしい。

「時代がELまで降りてきた」
を連発していた。

今はELの時代だ!だからいまELの会社を設立すれば儲かる。だから融資しないか

というような内容だった。


もう一人は明らかに嫌がっていた。
「いや〜先駆者だね」
と言いながら、失笑してしまっていた。

不快感

今日は企画の打ち上げがあった。
チームのメンバーで行くことになり、私含め何人かは行きたくなかったが人数集めのためか用事のため行けない一人以外は幹事によって半ば強制的に参加させられた。


店に着いて席に着くとき、まず乗り気なメンバーとそうでないメンバーに別れて座ることになった。
私たちはそれなりに楽しくやっていたが、乗り気なメンバーが急に
「絡みずらい。」
などと、こちらに向かってこそこそ文句を言い始めた。
お前だろとは思ったがシカトして自分たちでそれなりに楽しんでいた。

そうするうちにだんだん向こう側で内輪ネタで盛り上がり始めたので帰ろうとすると、なんで?的なオーラを出して帰らせないようにしてきた。

どうやら向こう側で一人男が隣の席の女のことを好きらしく、もりあげたいがために私たちを利用したようだった。
人が多い方が楽しいですからね。


私たちは随分我慢して楽しいふりして参加していたが最終的に内輪ネタしか話さなくなり腹が立ったので私たちは帰った。


なんて気の使えない人たちなんでしょう。


こういう自己中な人間ってなんなんでしょうね。
あんま言いたくないのですが腹の虫がおさまりません。

低俗だ(笑)

紙一重


空想するということは結構危ないことではないかと最近よく思う。

作家は天才的な空想を文字にする。
しかしその空想と現実の区別がつかなくなった場合、きっと狂人と思われるだろう。

後者は犯罪者にありがちな傾向だと思った。

ジャーナリストがテレビで見せてくる犯罪者からの手紙はまるで小説のようだったりする。


空想を空想だと認識できるのが前者で、
空想と現実をごちゃ混ぜにしてしまうのが後者なのかもしれない。




そういうことより、天才と狂気は紙一重と言われるのだろうなあ。

彼らは『運』に翻弄された天才なのかもしれない。

なんてことを急に思った。