新車がくる
今日、納車日だった。
家族は喜んでいた反面、私は寂しい気持ちでいっぱい。
12年乗った我が車。
仕事が辛い時、ふらっと一人でよく出かけたっけな。
田園地帯のど真ん中で、窓開けてタバコ吹かしながら、そらを眺めてボーとしたのが懐かしい。
音楽かけて、絶叫しながらあてもなくクルマを走らせたのが懐かしい。
家族で旅行した数々の思い出。
苦楽を共にした戦友。
今まで本当にありがとう。
政令市を辞めた理由
私は昨年の3月に、16年間お世話になった政令市を退職し、県の教員になった。
理由は、「介護と子育てを充実させるため」であったが、それは表向きの話。
当時勤務していた校長や教育委員会への説明、当然採用試験もこの表向きの理由で押し切った。
知り合いや同期に「なぜ辞めるのか」を聞かれても全て表向きの理由で煙にまいた。
今だから落ち着いて書けるが、政令市では、様々な管理職から便利屋として扱われ、強烈なパワーハラスメントを受けてきた。
それが大きな理由。
一緒に組んでいる後輩がしくじれば、校長室に呼び出され、私が「指導力不足」と詰められる。
私が、子供の前に立ち学年全体を指導していたら、「なんで、後輩に前に立たせることを経験させないんだ。」と指導を受ける。後輩に任せたら任せたで、「中身が稚拙。どんなアドバイスをしたらこうなるんだ。」と
顔を合わせれば、「ミドルリーダーとしてどう考えてるんだ?後輩を甘やかすな。育てろ。」と言われる日々。
正直疲れちゃったんだよ。ミドルリーダーなんて言葉、大嫌いだ。
挙げ句の果て、「来年教務主任やれ。」と言われれば、そりゃ逃げたくなってしまうのも無理はないと思う。俺はあんたらと仕事をしたくない。
俺は、便利屋でもコマでもない。1人の 教員にしかすぎない。
俺は、レベルが低いから何でもかんでも、できるわけがないのだよ。
自信や尊厳を奪われ続けた数年間。
身も心もボロボロ。
だからさ、今は、私のこと知っている人がいないし、俺をそのままで見てくれている今の勤務地がすごく居心地がいいのだよ。
少し寂しい気持ちもある。
だって、自分を成長させてくれたマチだから。
思い出が、いっぱいだから。
そして、教員としての原点。
もっと、長く働きたかっていう気持ちは、心のどこかにくすぶっている。
断ち切ったと思っていた気持ちだけど、ふとした瞬間に思い出す。
こんな気持ちを抱えながら、しばらくは走り続けるんだろうな。
元の職場は、青色吐息。
昨日、たまたま、電話で前任校の後輩と話す機会があった。
その後輩は、3月で別の学校に異動し、先週、歓送迎会で久々に元同僚達と会った。そこで衝撃な事実を聞いた。
なんと、前任校、療養休暇の先生が現時点で4人。
7月で4人。
衝撃的すぎて、言葉にならない。
教頭、教務主任、児童指導専任、動ける人が担任の代わりに入って対応しているようだ。
療養休暇の理由も、クラスが落ち着かないものや、学年主任と折り合いが悪くて休んでいるケースと様々。
加えて、昨年変わった校長が、今年、本性を出したみたいで、かなり、みんな圧政に苦しんでいる。
研究主任が、療養休暇の先生が増えたので、
「緊急事態で研究どころでない。一回ストップしたい。」
と相談にいっても跳ね除けられたそう。
前任校は、今年50周年なのだが、人員がいなく式典をどう開催するのかも不透明な感じ。
前任校の同僚には悪いが、ホント、出てよかったよ。
今までの出来事2
教員採用試験を経て、他自治体に移籍した私であったが、2022年は、苦しんだ。
前の職場は、二期制だったが、今の勤務自治体は、三期制。いまだに慣れない。
運動会が秋。これも、今まで春開催だったので全く慣れない。秋開催は、時間がある分、質が問われると聞いていたが、えらく時間をかける。正直、授業が遅れるので、最低限派の私にとっては苦痛。
他には、USBの持ち込みが全くできないということ。これは正直困った。今までの蓄積が使いにくくなり、仕事の質が下がった。
また、教育困難校に着任した。貧困、外国籍、障害、虐待、今まであまり直面してこなかった事を目の当たりにして、悩みが深い。
最後は、給料が激減したこと。正直、これについてはここまで下がるか…というぐらい落ち込んだ。気持ちがえぐられた。
まあ、しかし、職場は、家から20分。
管理職も穏やかで、パワハラは皆無。過ごしやすい職場ではある。
そして、8月に、著書をだせることになった。
一歩一歩着実に、向上してる感はある。
さあ、これからも、頑張っていくぞ。
今までの出来事 1
ブログを休んでいたわけではないが、なんとなく書かなくなり、現在に至ってしまった。
だから、今までのことを、振り返る形で、少しまとめてみたいと思う。
2022年3月、受け持った6年を卒業をさせ、16年間お世話になった政令市を退職した。
理由は、様々あるが、引き金になったのは、2021年5月の職員会議で、同僚の前で吊し上げられたことであった。これまでも、色々な管理職にパワハラを受けてきたが、我慢の限界だった。組合の分会長をやっていたことも吊し上げられた要因の一つとなった。
また、この時期、教務主任に
「私は今年で異動、後任にあなたの名前が上がっている。覚悟しておいた方がいいよ。」と言われた。
もう絶望感しかない。
それからも、私は事あるごとに校長室へ呼ばれた。
一緒に組んでいる人は、6年目、5年目、2年目。経験が浅いので、児童指導や保護者対応でうまくいかないことも多い。
責任を学年主任である私が取らされる日々。
時には、「ミドルリーダー失格、学年主任として何もできていない」と事あるごとにお叱りを受けた。
正直、私は疲れていた。
30歳で学年主任になり、10年以上、働かない年配の教員、未熟な若手をなんとかまとめ上げてきた。
認められることもなく、便利屋として利用される日々。
しかし、劣等感、悔しさを跳ねのけ、意地でやってきた。
だが、もう、この自治体では、無理だ。潰されてしまうとここ数年感じていた。
私は、抜け出したい、全てを捨て去りたい一心で、近隣の教員採用試験を受けることにした。
公認心理師試験終わる
公認心理師の試験が、一昨日終わった。
今までブログの更新を控えてていたのは、受験勉強のために、1分1秒でも惜しかったためであった。昨年4月に、受験しようと決意し、9月から2カ月半かけてオンラインで現任者講習会を終えた。
12月からは、平日は2時間。休日は、5時間と自分に鞭を打って勉強し続けた。大学を卒業して、16年。勉強し始めの頃は、心理学の知識が全くさびついていて、気を落とし続けたものだが、よくここまで腐らずに歯を食いしばりながらやり切ったと思う。
記憶と体調管理に悪いから、お酒も断ち、時間がもったいないからと趣味もやめた。通勤の往復2時間も勉強に費やし、修行僧のような生活。
昨日、自己採点をしたが、マークミスがない限り多分大丈夫だろう。
終わって開放感で一杯になるかと思ったが、そうではなく、知識量がまだまだだと痛感した。
試験のための勉強は、一旦終わりだが、心理師になるとしたらまだまだ未熟。学び続けないといけないと通用しないと深く思った。よって、勉強は続行しようと心に決めた。
今度は、毎日1時間、苦手分野の統計や基礎心理を得意分野にすべく勉強していこう。
私の学びは、まだまだ続く。