ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「自省録」著:マルクス・アウレーリウス 訳:神谷美恵子

ローマの皇帝だった人のものだということですが、
読むと思いのほか自己啓発本じみている。

日々の振返りや本を読んで感じたことや気に入った文章などが
細かい断章となって構成されていてSNSがあったら
どっぷり浸かってそうな皇帝ですね。

言葉として表れているのは
背筋が伸びるようなものが多いですが、
それは彫刻のようにビシッとしてたからというわけではないでしょう。

皇帝という立場はあれこれ言われるし、厄介事も入ってくるし
それで泣き言もあんま言えないしで、そのたびにこうやって振り返ることで
冷静さと明晰さを保とうとしたんでしょうね。

冷静に見える言葉を書き記す向こう側に
動揺を鎮めようとする皇帝の姿を思うと
日々の惑いは大昔の皇帝でもさして変わらないものがあるんだなと親近感を感じます。

SNSでの儲け方は書いてありませんが、
意志の弱さに悩む人の手元にあれば支えてくれる一冊だと思います。

これ以上さまよい歩くな。君はもう君の覚書や古代ローマギリシア人の言行録や晩年のために取っておいた書物の抄録などを読む機会はないだろう。だから終局の目的に向かっていそげ。そしてもし自分のことが気にかかるならば、空しい希望を棄てて許されている間に自分自身を救うがよい。(p.46)

この覚書が本書のことか定かでないと訳注は入っているものの
この文章のアンビバレントな状況は明らかで皇帝の動揺が窺える。

君は理性を持っているのか?「持っている。」それならなぜそれを使わないのか。もしそれがその分を果たしているならば、そのうえ何を望むのか。(p.54)

皇帝は人間に許された善性である理性を尊んでいると同時に
その行使の難しさも感じている。現代人と同じように。

すべてかりそめにすぎない。おぼえる者もおぼえられる者も。(p.63)

ときに、儚げな世をぼそっとつぶやく。

君が善事をなし、他人が君のおかげで善い思いをしたときに、なぜ君は馬鹿者どものごとく、そのほかにまだ第三のものを求め、善いことをしたという評判や、その報酬を受けたいなどと考えるのか。(p.140)

ちょいちょい毒を吐く皇帝。
レスバ皇帝。

善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ。(p.197)

とはいえ、矛先はおそらくこれも自分についてであろう。
善い人間のあり方如何についてたくさん書いてきたからね。

もう少し長い断章もありますが、取り上げやすいので短いやつからの紹介でした。

「迫害された移民の歴史」著:玉木俊明

「迫害された移民の経済史」ではあるが、

重点は迫害ではなく経済にあって、

迫害されながらも、なおそれによって離散していることを

強みとして生き抜いてきた人々の一つの歴史である。

 

ディアスポラというと、ユダヤ系のイメージが強く

本書でもその系統であるアシュケナジムや、セファルディムはしっかりと紙幅がとられている。

とはいえ、ほかにもユグノーであったり、

スコットランド移民であったりの話があり、

多様な形の移民がある。

 

もっともそれでも西側に偏っているのは東洋からは

経済圏としての勢力を持つようなまとまった移民がなかったからであろうか。

宗教的な理由、政治的理由、または食糧難などさまざまな理由で

元の故郷を離れる人がいて、それが新たなネットワークの拡大につながる。

 

本書はそのような描写として興味深いものが多く、楽しめたが

並列的に並べたディアスポラのケースを俯瞰して説明する視点がもう少し欲しかった。

また、僕の知識不足もあるけれど、ヨーロッパの地名がバンバン出てきて、

迷子になってしまうことが多かった。

大航海時代前後の空気の一端は感じられるかな。

 

 

 

 

手紙を送るときには、複製を送った。複製とは英語でduplicateといい、さらに、二通目の複製はtripcateというが、日本語ではそれにあたる言葉はない。日本と違って中金製のヨーロッパでは、数通の複製を作るのは当たり前であり、そのうちの一通が届けばよいと考えられていた(p.63)

船便は沈んでしまうからね。本書によると地中海であってもそのリスクはあったということらしい。

長崎に居住した人々のなかには、セファルディムもいたかもしれない。むろん、彼らはユダヤ教徒ではなく、カトリックを信じるふりをする隠れユダヤ人であった。彼らは、一六三九年にポルトガル人が出島から追放されるまでは日本にいたようである。(中略)

ディアスポラの民として、イエズス会士を取り上げることに、違和感を覚える読者もいるかもしれない。しかし十五世紀末にイベリア半島から追放された人々のなかにはコンベルソが含まれており、彼らがイエズス会士として活躍していた。(p.42)

 

余計なお世話とは思うけど、ここが一番やりたかったところだったんじゃないかなぁ。ここをもう少し掘り下げてくれるとよかったんだけど。

「かか」著:宇佐見りん

「推し、燃ゆ」で有名かと思いますが、
この人のものはこれが初めて。

思ったよりもナラティブを意識した書きぶりで
それがフォークロアでありながらも現代的であるようにして書き上げていて
こんなに腕力のあるタイプの書き手だとは思わなかった。

一人称の語り手として弟である「おまい」に語りかけるうーちゃんこと私。
家族だけでしか使わないような言葉と、
SNS上で飛び交う言葉、
親戚の付き合いで発する言葉、
そのどれもがほんとうでありながら切実さにはグラデーションがあって
それでも尚、どれもほんとうのままであり、そのためにうーちゃんは熊野詣をする。
だってこんなに八方塞がりでは神仏に祈るしかない。

祈りは届くかどうか、そうなる前に話を終わらせてしまうのも
いずれのほんとうも受け入れざるをえない諦念と覚悟を感じさせる。
その力強さが女性性を強く打ち出していながらも
人と人の摩擦から生じる熱の普遍性の方に目を向かせている。

解説も町田康でなるほど、好きそうな感じである。

おそらく誰にもあるでしょう、つけられた傷を何度も自分でなぞることでより深く傷つけてしまい、自分ではもうどうにものがれ難い溝をつくってしまうということが、そいしてその溝に針を落としてひきずりだされる一つの音楽を繰り返し聴いては自分のために泣いているということが。(p.40)

宇佐見はこの声をよく聴いた。
それはそのまま、ひとりのために泣いているひとがひとりではないことを示す行為でもある。

「ギルガメシュ叙事詩」訳:矢島文夫

ギルガメシュは今から4000年以上昔のメソポタミアで栄えた
シュメールの英雄である。

とても古いこの物語が読めるのは石板が出土したからではあるが、
落部分も多数あり、それがかえって研究や発掘が待たれているようでワクワクもするし、
複数の箇所で文章の推定もなされているが、そういった研究の跡にすごいものだと驚きもする。

さて、神話というのは現代の小説などとは違い
心理描写などはほとんどなく、
イベントと人物の名指しが中心となることが多い。
これは内面というものが近代に発見されたものであるという見方もあるし、
むしろ外部に現れている英雄的、あるいは神話的な縁起を呼び出すことに
着眼点があるからと考えてもいいだろう。

本作もそのような形で非常にサクサクとした展開でとても楽しい。
登場人物はウルクの王でもある「ギルガメシュ」と
そのライバルとして神に創られた野人「エンキドゥ」この2人が中心となって進む。

関係ないとは思うけれども、RRRを観たこともあって
ラーマとビームの関係だと思ってずっと読んでました。
出会った最初はお互いの力比べのような争いがあって、
互いを認め合うようになってから、森の化け物退治にいったり、
わがままな神の試練に対抗したり、かなりエンターテイメントな物語だったので
最後までそのイメージでいけたような気がする。

そして、シンプルな作りの叙事詩であるからこそ、
人間に対する洞察、残そうとした卓見のようなものも
すっきりと入ってくる。

最後に、このちくま学芸文庫版は解説も充実しており、
前提知識がなくても楽しむことができた。

ギルガメシュが冠りものを身につけると
ギルガメシュの立派さに大女神イシュタルは目を上げた
「来てください、ギルガメシュよ、私の夫になってください(p.77)

唐突な求婚。
ギルガメシュギルガメシュ
「え、あなたの今までの恋人たちはひどい捨てられ方してるって
聞いてるんで勘弁してください」とさっくり拒否。
ここからさらにイシュタルが怒るまでテンポが良すぎてコント感すらある。

神話は神を呼び出すことにより神ではない人間の輪郭を際立たせるところがあるように
古代の文章は現代の文章との差異をあらためて際立たせるものもあり、
欠落などで読みにくい面もあるが、面白い刺激のある読書になると思う。

「未来をつくる言葉」著:ドミニク・チェン

軽やかなエッセイでありながら真摯に問いと向き合ってきた軌跡が感じられるよい作品だ。

Webサービスやアートとしてのインスタレーションなど
様々な事績が語られているけれども、どれもコミュニケーションのデザインにかかわるものであり、
タイトルに「言葉」と入っているのもそういう視座を示したものではある。

「言葉」は日仏英のトリリンガルの状況であったり
ぬかボットとの対話であったり、娘の言葉の習得であったり
コンピューター言語であったり、様々角度で取り上げられて確かに中心的なテーマのひとつであろう。

そういう視点で読んでもいいとは思うけれども
とはいえ、最後の方で語られる言葉の時制を超えた働きに一番の注目点があるものであり、
単行本になる前のタイトル「未来を思い出すために」の方が企図がはっきりすると思う。
(同じ本をかぶって買ってしまっていた妻も同意見だった)

ここにあるのは運命論的なことではなく、
すでに未来が、芽吹かないままであっても、ここにあることへの確信であり、
この場合の未来とは「あなた」のことである。

言葉はそもそもがここにないものを示すために空間に投げ出されている。
「あなた」とは「わたし」がたどり着けない領域のことで
その距離が縮まるということはない。

しかし、「言葉」は「あなた」へのよすがとなる。
そして、「言葉」は時間を持たずに水のしずくのように広がる。
よって「言葉」を媒介に共に時間を過ごすことが可能になる。

他者性を扱うときには、その到達不能な奈落を前に暗鬱なトーンが入りやすくもなるけれど
チェンはあくまで実践から入っていくオプティミストであって、
訪れるものとして他者を待つのではなく、自ら迎えに行くように動いているのが印象的だ。
そして未来を思い出すこと(あるいはつくること、又は迎えること)は
彼の試行錯誤を見れば、必ずしも特別なことでないことがわかるだろう。

この馬をあげる、というのは、持って帰れ、という意味ではない。君たちが再びここを訪れる時には、君たちが自由に乗っていい。それまで、この馬を手放さずに面倒を見るから、(p.213-214)

モンゴルに新婚旅行に行った際に、滞在先の家族と仲良くなった時に
馬を贈られるエピソードは2番目に好きな挿話だ。
1番は娘の仏語習得のために頭を本当にぶつけて忘れたふりをするくだり。

「蛇口」著:シルビナ・オカンポ 訳:松本健二

アルゼンチンの女性作家による短編集。
南米の小説に期待されるようなマジカルな展開もあるんだけれど、
この人の特徴は、何か淡々と超常的な展開を受け入れているところにある気がする。

物語としても、欠けたものを取り戻す話ではなく、
もう戻らないことを確認して次に進むような感じだ。
この諦念はジェンダーとしての女性性によって醸成されたものだろうか。

収録作は長さもかなりまちまちで
素直なものありるし、
話者が誰だか混乱させるような構成上の試みも色々ある。
小説を書くことは彼女にとっての自由な実践だったんだろう。

マジカルな展開といっても道具立ては
おおむね現代的であって、普通の生活にもあるような物語は
私たちの普段の生活の出来事に対する陰影も深くさせるような
怪しい魅力がある。

嘘が恐怖を呼び、恐怖が嘘を呼ぶ。

 わたしは死者とアビシニアの植物と獣と鉱物の言葉がわかる。わたしは二冊の書物を編纂した。(p.37 「見えない本の断章」)

人間を描くために、人間の外側に接することが必要だったのではないかと思われる。
それが幻惑的な状況につながっている。

あなたはわたしをだまそうとして、いつも本当のことを伝えていた。わたしはあなたに本当のことを伝えようとして、いつも嘘をついていた。わたしたちは恋人だった。(p.204「かつら」)

アンビバレンスはいたるところにあり、読者は不安定な状況にさらされる。
しかし、話者自身はさらに不安定であり、それゆえに思わぬ形で天秤は傾き物語は進行する。

子どものころからわたしにつきまとってきたあの夢のなかの大波はどこへ行ったのだろう?違う。あれは夢ではなかった。夢と現実はどこが違うのか?それは時間の経過と匂いだ。(p.305「カイフ」)

この本を読んであなたはどんな匂いを感じるだろうか。

「人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか」編:玄田有史

玄田さんはあくまで編者としての立ち位置だが、
20人以上の報告をまとめて総括もしてくれていて
投げっぱなしのアンソロジーにしてないのがありがたい。

それぞれに重なる領域もありつつも、
色々な切り口がこの問題に関わっていることが分かる。

業界における規制の状況であったり、
人材の能力開発投資の抑制であったり、
評価制度の変更であったり、
あるいは人口動態の問題であったり、
はたまた、実際にはあがっている面もあるとする研究もあるなど本当に様々だ。

ただ、こうやって列挙していって整理してくことで
一つずつに対応することができれば、状況の改善につなげられる可能性があるわけなので
こういった研究が政策などに活かされることを願いたいところだ。

そして、これを読んでいると
賃金の上がってない状況があるとしても、
あくまで長い調整局面にあると感じられて、思ったよりポジティブに受け止められた。
課題の明確化ってそういう効果があるな。まぁ、容易な課題でないのは確かだけれど。

就職氷河期と言われる時期に新卒を迎えた世代の人々は、上の世代に比べて、同じ年齢期の給与額が明らかに減っていることをみた。(中略)現在、働き盛りの世代にあって、人口サイズも大きい彼らの大幅な賃金減少が、人手不足なのに賃金が全体的に上がらない一つの背景となっている。(p.66)

俺、俺。

少子高齢化に伴い、勤労者世帯全体に占める世帯主が60歳以上の割合は、趨勢的に上昇し続けてきた。相対的に収入水準の低い高齢勤労者世帯の増加は、勤労者世帯全体の平均収入の下押し圧力となっている。
 また、「世帯主の勤め先収入(雇用主負担を含む)」の2012年以降の伸びは、社会保険料率の毎年の引き上げが大きく寄与しており、これにより雇用者が受け取る賃金の上昇の余地が奪われていると考えられる。(p.149)

家計調査から構成要素ごとの寄与度の分析を行ったもの。シビアだね。
沈む前に次の足を出す。