mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

生命を育てることの中で・・・思う

  昔は、義父が植えた松などの庭木で埋まっていた庭に、どうせなら果物をと植え替えて果樹園にした。と言っても、猫の額の庭に果樹が所狭しと植わっているだけなのだが。あれから30年。年長の柚子が30歳、無花果が25歳、柿が20歳、蜜柑が16歳などなど。他に新参者の金柑、種から育った檸檬、ブルーベリーやブドウなども順調に育っている。

 5月を迎える今頃は、薄緑色の新芽が芽吹き始め、柚子や蜜柑、柿、ブルーベリーが蕾をつける。日に日に蕾が膨らむ様子を眺めると実にワクワクする。早朝、ひんやりした空気と柔らかな光に包まれながら庭でぼーっとする時間はまさに至福の時。太陽の光を浴びた葉に生命の輝きを実感できるのだ。そこに入れ立てのコーヒーがあれば完璧だ。

  
      ブルーベリーの蕾             柿の蕾

 しかし、果樹を育てることは時に困難を伴う。無花果の木には天敵の鉄砲虫が巣食う。カミキリの幼虫だ。無数の幼虫が木の幹に入り込み、中を食い荒らす。「カミキリがついたら無花果は枯れるだけ」と言われながらも、毎年穴をほじくっては虫を捕殺する作業を繰り返し、何とかここまで育ててきた。木の主幹はボロボロで見た目にはいつ倒れてもおかしくない惨状だが、毎年葉を茂らせ、秋にはたくさんの実をつけ、ご近所にも喜ばれている。

  
      無花果の新芽            密柑の蕾

 手をかければそれに応えてくれるのが植物・・・そう教えてくれたベテラン農家さんがいたが、本当にそうだ。中学校で教えていたときの子どもたちもそうだったなあ、とふと思った。(エンドウ)

正さん『中国自然歩道』を歩く2

鳥取砂丘から境港まで』迷いながら行く


【2日目】4月17日(水)/ 晴れ22℃ 

 鳥取横断ロングトレイル  ~ 鳥取砂丘から久松山(約16km)~

 

◆ おお~これが砂丘かあ

 

砂はよく締まっていて歩きやすかった。
山のように見える「馬の背」の向こう側にもずっと広がっていた。
そこをてくてく歩いて行った。
碧い海を見ながらは気持ちがいい。
でも、砂の上を歩くのは暑かった。
ここは、夏来るもんじゃないな。
何でこんなに砂がたまってしまったんだろう。
実際に見ると、いろんな疑問が浮かんでくるもんだな。

◆ いよいよ本番か

 

これから林道に入るのでほっとした。
空気はどことなく甘い感じがする。

 
 鯰ヶ池の向こうに砂丘が見える(11:02)

気分よく歩いていたら、あっという間に生活道路に出てしまった。
なんだよなあ。

 

梨畑を横目に、「梨街道」と名のついた県道歩きが1時間以上続いた。

◆ 山湯山農業センターで迷う
とにかくここを目指して歩いてきた。
休憩がてら職員に聞いてみようと思った。
でも、誰もいなかった。
それらしき道があったので少し行ってみた。
ん~確証がない。もどる。
センター前のおうちにおじちゃんが何人かいたので聞いてみた。
「あ~ここ誰も通ってないなあ。摩尼寺に行けないことはないな。」と、
目印を教えてもらった。
最後に「熊に気を付けろよ。」だった。
あいや、やっぱり熊か。目覚めてるよな。
ここ山陰だものな。

 
 目印めっけ。これ左ね。

 
  橋渡れって言ってたけど、崩落してるじゃないの。

通行止めの柵があったけど、とにかく渡って向こうの道に進む。
地元のおっちゃんも、こうなってることは知らないんだ。
確かに誰も使ってないんだ。

◆ ようやく摩尼寺に着いた(13:00)

 

何とかここまで来たか。
そういう時のお寺の階段はきついんだよなあ。
息が切れます。休み休み登ります。

リュックを担いでの歩きに体が馴染まず疲れた。
おまけに、右足の裏に豆ができてしまったようだ。

◆ 和尚さんに教えを請う
心の有り様を問うたのではなく、
「うらじろのき休憩舎」への入り口が分からなかったのだ。
林道T字路を右に下ってこの寺の階段に着いた。
だから、あのT字路を左に行けばよいと思って登っていったら行き止まり。
しかもそこは階段を登っていった本堂の裏手だった。
住職には「どれぐらい調べてきたんだ?」と痛いところを突かれた。
生半可な興味だけでやって来て、遭難などされたら地元に迷惑をかけるだけ。
そういうことを言いたかったに違いない。
全くもってその通りである。
「でも、2回もお参りしてくれるのは、有りがたやだな。」
冗談を交えながら丁寧にルートを教えてくれた。
「階段登り口の右側に狭っこい通路がある、そこを入れ。」
降りてみると確かにあった。
しかも看板まで出ているではないの。
上から来たので、よく見えなかったのだ。

建物の後ろと斜面に挟まれた道とも思えないところを入っていった。
すぐに橋があった。つるつる滑るから気を付けろと言われた橋だ。
左側に山に向かう道がある。
向かおうとする目の前に割と大きな看板があった。
マムシ注意 マビル注意】
足がピタッと止まった。
もちろんその時期でないことは分かる。
これから登っていく道は沢に沿って続いているようだ。
おまけに薄暗い。昨日の雷雨でじめじめしている。蒸し暑い。
まめも痛い。
急に気力がゼロに。
迂回コースを取ることにする。
あ~ばかばか。自分を責める。

 
  鳥取城跡に到着(14:50)

一般道を歩いてきたので、豆は悪化。
でも、ここからの眺めはなかなかいい。
鳥取市街地が一望できる。
だから城なのかと納得。

歩きの初日だからか、すごく疲れた。
お宿までもう少しだ、頑張ろう!

2024新企画・正さん 『中国自然歩道』を歩く1

鳥取砂丘から境港まで』迷いながら行く

■ これまでのような意欲が出ない
 3月に入っても出かけたいという気持ちが湧いてこない。どうしたのだろう。行く先がどうのではなく、体が眠ったままのような感じだ。これはひょっとすると、年取ったということか? もちろん受け入れますよ。

 4月に入った。少しその気になってきたので調べ始めた。今回は、まだ歩いたことのない山陰地方にしよう。京都、兵庫、鳥取にかけて「山陰海岸ジオパークトレイル約230km」というのを見つけた。なかなかいいかもしれない。ルート地図を眺めているうちに、“まてよ、毎日海を見ながら歩いたら飽きてこないか? それに天気が悪いときの海っぱたは、風と雨をまともに受けて逃げ場がないな”、駄目だあきらめよう。

 次に見つけたのが「とっとり横断ロングトレイル」というのがあった。山側をつないで東から西にルートが取れそうだ。鳥取県を東、中、西のエリアに分けてそれぞれ4つのコースが紹介されていた。そこから横断に必要なコースをピックアップして計画することにした。山陰の雰囲気を足で感じてみたいのだ。

■ 準備する時間が足りない
 何が一番困ったかというと、より詳しいルート紹介はA4を4分割して4つ載っているのだが、どれも小さくてよく分からない。それぞれにQRコードがついていたのでスマホで読み取ってみるが、登山地図ほど詳しくなく、曲がり角の目印や道標の位置がないので非常に曖昧。等高線の感じからなんとか山道であることは分かる。必要なルートを拡大コピーしてみたり、グーグルマップで確かめてみたり、いろいろやってみたが今ひとつはっきりしなかった。そうこうしているうちに、出発の日にちが迫ってきた。そんなに急ぐこともない身なのだが、連休前には切り上げたかった。もちろん混雑を避けること。それに、JR大人の休日クラブが使えなくなるのはもっと避けたかった。

 連休後でもいいとは思うが、気温上昇により蚊やいろいろな虫が発生し始めるので、できれば早いほうがいい。これは何年間か歩いたことでそう思うようになった。虫除けがあれば何の問題もないのだが、虫たちが動き出す前の空気は少しひんやりしてからっとしている。その中を歩くのは、やはり気持ちがいいということだ。そんな理由で日程が選べるのは、無職の人間だからできること。
 そういうわけで、準備不足は分かりつつ、後は現地で何とかなるだろうと出発した。が・・・

【1日目】4月16日(火)/ くもり21℃
  
~ とにかく鳥取市まで ~

■ いやいや 長かったなあ

仙台発(8:17)~東北新幹線~ 東京発(10:03)~東海道新幹線
 姫路発(13:53)~山陰本線鳥取市(15:30) お宿(16:00)

 飛行機も考えてみたが、伊丹からの接続をどんなにうまくやろうとしても鳥取到着は電車の場合と1時間ほどしか違わないと分かった。さらにこの日から歩こうとは考えていなかったので、3割引きできるJRにした。
 ずっと電車なので特に何もなかったが、東京からの新幹線に外国からの旅行者がとんでもなく多くいてびっくり。車両の半分以上がそうだった。どこまで行くんだろうと思っていたら、案の定、京都でほとんどが降りてしまった。
 姫路から山越えをしていくとき、特急といいながらも登りなのでゆっくりとなった。窓の外を見ると「半日村(斎藤隆介)」が自然と浮かんでしまうような山間の集落がいくつも見えた。そんな場所にも田んぼや畑が切り開かれていた。今でも苦労しているのだろうなあと思ってしまった。
 初めて降り立った鳥取は、雷と雨のお出迎えとなった。
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 四国遍路を皮切りに始まった正さんの紀行シリーズは、その後、熊野古道小辺路伊勢路の旅、さらには海外タイへと広がっていきました。また旅ではないけれど故郷・丸森が台風19号で大きな被害にあった時には、ボランティアに入っての現地報告なども寄せてくれました。
 この3月で仕事に一区切りつけた正さん、心機一転で、今回はまだ歩いたことのない山陰の旅とのこと。どんな旅になるのか楽しみです。こうご期待!(キヨ)

季節のたより146 ヤマブキ

  初夏を知らせる山吹色  世界で一種の日本の在来種

 里山ヤマザクラの季節がそろそろ終わり、晩春の雨上がり、小川の川岸にヤマブキ(山吹)の花がこぼれるように咲いていました。
 日本の春は「梅に始まり、山吹で終る」と言われています。季節を味わう暮らしを大切にしてきた昔の人は、ヤマブキの花が咲き出すのを見ては春を惜しみ、やがてやって来る初夏の季節に心をときめかせていたことでしょう。


            晩春に咲き出すヤマブキの花

 ヤマブキはバラ科ヤマブキ属の落葉低木です。ヤマブキには近似種はなく、ヤマブキだけが含まれる一属一種の植物です。
 水辺に好んで生育し、日本では北海道から九州まで広く分布していますが、国外では中国の一部に分布するだけの世界でも珍しい植物です。

 元禄の頃(1688-1704)、長崎市に来ていたケンベルが初めてこの花を見て、著書にヤマブキの名を記しました。シーボルトが『日本植物誌』(1835~1870)に美しい色彩図を描いて広く世界に紹介しています。 
 学名は「Kerria japonica」で、属名は英国のキュー植物園のガーデナーのウイリアム・カー(Willam kerr)に献名されたものです。ヤマブキは彼によって、中国からキュー植物園にもたらされました。
 種名の「japonica(ジャポニカ)」は、日本産であることを意味しています。

 
      ヤマブキは水辺に好んで生育します。       垂れるように咲く花

 ヤマブキの開花期は4~5月ですが、桜前線の開花予報にならうと、おもに九州南部で3月下旬、南東北以南で4月、北海道西部・北東北で5月開花となるようです。開花から満開まで1週間から10日ほどですが、東北・北海道では、開花から満開までほとんど日をおかず、 咲いていると思ったらあっという間に花の季節は終わってしまうようです。

 一般に低木の幹は株立ちになるものが多く、ヤマブキも根元から多く株立ちして育ちます。高さ1~2mほどで、 株元から伸びた枝は、自然に弓なりになり、その枝一面につぼみをつけます。
 かたいつぼみは葉といっしょに育ちます。つぼみが丸みをおびると、天頂からやがて淡黄色の花びらが姿をあらわし、枝にそろって並びます。

 
  かたいつぼみ     ふくらむつぼみ      黄色いつぼみが枝先に並びます。

 つぼみが大きくなるにつれ、ややオレンジに近い黄色へと変化していきます。
 つぼみはさらに大きくなり、巻いていた花びらが自らを解き放つようにふっくらと開きます。花びらが平開になるかならないかのその瞬間がとても美しく見えます。

 
 
  つぼみから花へ。ヤマブキはさまざまな表情を見せながら開花していきます。

 鮮やかに開花した花は、陽に照らされて、黄金色に輝きます。
 開いた花を見ると、ガクが5枚、花びらが5枚、雄しべは多数で、雌しべは5~8個ありました。花を訪れる昆虫はミツバチ、ハナバチ、ハナアブの仲間です。


   鮮やかな赤みを帯びた黄金色は「山吹色」と呼ばれる日本の伝統色です。

 ヤマブキの花は、春に咲く花として、サクラの花についで古くから人々の心をとらえてきました。
 山吹(やまぶき)を詠んだ歌は、『万葉集』(783年)には17首。大伴家持の歌が7首あり、家持はとりわけこの花を好んだようです。天平19年(747年)の春に、その家持が、病に伏していたとき、配下にあった大伴池主が見舞いをこめて詠んだ歌があります。

 うぐひすの来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも
                   大伴池主(万葉集 巻17-3968) 
(うぐいすがやって来ては鳴いている山吹は、よもや、あなたの手に触れないまま花が散るなんてことがあるでしょうか。けっして散りはしませんから・・・・)

 池主はこの歌に山吹の花をそえて病床に届けたのでしょう。ひと目見て明るい気分になりそうな花の色は、病床にあった家持の心を元気づけ、春から初夏へとめぐる自然への憧れをつよく感じさせたことでしょう。


              満開のヤマブキの花

 ふつう花びらが5枚の一重咲きをヤマブキと呼んでいますが、すでにこの時代に花びらの多い八重咲きのヤマブキもあったと考えられます。
 八重咲きのものは、「ヤエヤマブキ」と呼ばれ、『源氏物語』(1021年頃)の「野分」には「八重山吹の咲き乱れたる盛りに、露のかかれる夕映えぞ」とあり、『枕草子』(1001年頃)には「草の花は」の段に「八重款冬(やえやまぶき)」の名で登場していて、当時は一重咲きヤマブキよりも好まれていたようです。

 ヤエヤマブキはヤマブキとちがって、花が咲いても実をつけません。それでよく知られているのが、江戸城を構築した太田道灌(どうかん)の逸話です。

「鷹狩」に出て途中でにわか雨に遭った道灌は、ある家で雨具の蓑を借りようとしたところ、その家の娘は黙って折ったヤエヤマブキの一枝を差し出しました。
 道灌は花を求めたのではないと怒って帰りますが、後でその行為は、七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき という古歌を踏まえたもので、「実の」と「蓑」とをかけて、“蓑”が無いことを詫びてのことだったことを知ります。道灌は自らの無学を恥じ、それから学問を志したという話です。

 この話は、江戸中期の儒学者・湯浅常山が書いた「常山紀談」にあって、講談や落語で好んで取り上げられ、戦前の修身の教科書にも掲載されて、教訓説話として一般に広められました。その影響もあってか、一重のヤマブキの花も実をつけないという思い込みも一般に広がっていったようです。


  ヤエヤマブキは、奈良・平安時代の人々に好まれていました。(画像・写真AC)

 ところで、ヤエヤマブキはどうして実をつけることをしないのでしょうか。
 ヤエヤマブキはヤマブキの突然変異種として誕生しました。雄しべは八重咲きの一部である花びらに変化し、雌しべは著しく退化しているために、実も種もつくることができません。増えるときは根を四方に伸ばして新芽を出して株を増やしています。ヤエヤマブキは遺伝子が全く同じのクローン植物なのです。

 突然変異の誕生は、めったに起きるものではありません。奈良時代に雑木林などの下生えとして自生しているヤマブキの中に、まったく偶然にヤエヤマブキの株を見つけ出した人がいて、それを現代でも通用する挿し木や、取り木、株分けなどで増やし、当時の家々の庭先や庭園で育てて観賞の対象にしていったものなのでしょう。
 実をつけることのない希少種のヤエヤマブキは、いにしえの人々の花への思いに支えられ受け継がれて、現代の公園や庭先で花を咲かせているということになります。考えてみると何だかすごいことです。

 ヤエヤマブキの原種であるヤマブキは、受粉して、秋に実をつけ種をつくります。根元から株を伸ばし、根からは地下茎を伸ばして増えていきます。ときには大きな群落をつくるときもあります。

 
ヤエヤマブキの花(実なし)  ヤマブキの花(受粉する)      ヤマブキの実(種子)

 ヤマブキの花の名の由来については諸説ありますが、万葉歌をみると、ヤマブキには「山振(やまぶり)」の字があてられたものがあり、古くは「山振」と表現していて、これが由来ではないかという説が有力です。

 山振の立ちよそいたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
                   高市皇子万葉集 巻2-158) 
(ヤマブキ(山振)の花が、ほとりに美しく咲いている山の泉の水を汲みに行こうとしても、どう通って行ったらよいか、その道がわかりません。)


   風の吹くままに揺れるヤマブキの花。古代の人は山が揺れているように見えたのでしょう。

 ヤマブキの細い枝は、弓なりの曲線を描いて垂れています。その枝に咲く黄金色の花は、いつも風の吹くままに大きく揺れたり小さく揺れたりしています。
 昔の人はその様子が、ゆったりと山が揺れているように見えたことから「山振(やまぶり)」と表現したのでしょう。山が揺れていると見間違うほどのヤマブキの花。当時の野山にはどれほどのヤマブキの花が見事に咲き誇っていたのでしょうか。

 立夏とは「夏が立つ」と書くように、春が終わりそろそろ夏の兆しが見え始める頃を意味しています。2024年は5月5日が立夏ですが、すでに4月に夏日が報告され、一気に真夏に突入する気配です。昔の人のようにゆったりと山桜をながめ、ヤマブキの花を愛で、春の名残を惜しんではもういられないようです。
 このまま異常気象と温暖化が進めば、近い将来日本の四季は消えてしまうでしょう。地球沸騰化の現象は世界各国で見られています。地球ではより賢い生きものであったはずの人間の活動が原因なのは明らかで、私たちがどう行動するかが、今、問われていますね。(千)

◇昨年4月の「季節のたより」紹介の草花

「林檎」が結ぶ、二つの像

 先日の春さんのdiary(『戦争語彙集』)に、キーウ在住のアンナさんの話が「林檎」というタイトルで紹介されている。その文章からいろんなことを想像し連想し、また妄想した。それらは、ばらばらで一つにまとまらないが、アンナさんの「林檎」の話が触媒になって、心のなかで明滅している。

 爆撃から身を守るためのバスタブでの寝起き。遠くであるいは近くから聞こえてくる爆発音、それらの現実の厳しさが、バスタブ同様に寝心地悪い山小屋のベットで過ごした若き日の「燃えるような恋」を呼び覚ます。熟れた林檎の果実が「とすっ、とすっ」と木から落ちていく、その音とともに灯る「わたしの幸せ」な時間。「林檎の実だけがわたしたち皆のもとに落ちてくれればいい」との願いと祈り。「林檎」が身悶えするような生きることのすばらしさや幸せを、それとは裏腹の現実のなかで像を結ぶ。

 「林檎」という言葉に重なって、ふいに1945年の敗戦のその年に発表され歌われた「リンゴの唄」が頭に浮かぶ。戦後の不安と混乱の中にありながらも、戦争による死の恐怖からの解放感や生きる希望がそこにはあったに違いない。国や時代を異にしつつも、同じリンゴに託された共通の願いを感じ、その不思議を思った。

 そんな不思議を思うのもつかの間、アンナさんの幸せの「林檎」が、突然私の目の前でさく裂し飛び散っていく。林檎の「赤」と血の「赤」が重なって、キーウの空から血の雨を降らしはじめ染めていく。「とすっ、とすっ」という林檎の落ちる音が、キーウの街に降りそそぐミサイルの爆発音へと変貌していく。「林檎」が、平和や幸せの像を結ぶ一方で、そんな願いや思いを木っ端みじんに打ち砕いていく。

 春さんのdiaryにあるアンナさんの文章を読みながら、私はこんな相反する二つの像に引き裂かれている。 (キヨ)

学びは刺激に満ちている、学びビンバ!

 明日27日(土)は、午後2時~ 増山均さんの講演がありますが、午前中も10時から、フォレスト仙台2F 第9会議室で、先生たちの学習会が予定されてます。近々のお知らせとなりますが紹介します。
 これからの1年、子どもたちとどんなクラスをつくっていくか、授業に取り組むか。ともに学び合い語り合ってみませんか。詳細は、下のチラシをご覧ください。

 

   学びは人をつれてくる
   学びは誰かを求めてる
   ともに生きることをめざして

   学びはかけがえのない出会い
   学びは希望を呼び起こす
   どんじゃかどんと呼び起こす

   学びは、あなたと私がともに拓く世界
   あなたは誰? ここはどこ?
   それはともに変わる世界、分かち持つ現実
   ともにある自由と不自由

   学びびん場! 学びはひとりか? 学びはおもしろいか?
   学びはどこだ? 学びはここだ!
   学びびん場!

はて? みんなのNHKになるために・・・

 春さんが紹介した『戦争語彙集』、本棚の上に積読状態になって眠ている。しばらく前に、それこそ春さんから話を聞いて、読んでみようと買ったのに。他の読んでない本を読んでいるうち、そのままに。

 「語彙集」という言葉から「辞書編集」という言葉が浮かんで、思い出したのが先日終わったNHKBSでやっていたドラマ『舟を編む』。映画の『舟を編む』を見た後だったか前だったか忘れたけれど、三浦しをんさんの原作本も読んだ。原作本もいいけど映画もいい、さらに今回のドラマもよかった。どれから見ても読んでもいい、そんな感想を持った。

 そんないいドラマだっただけに、NHKの朝ドラ『虎に翼』にかこつけると、NHKの番組編成に「はて?」なことが・・・。
 今では、BSもみられるようになったけど、しばらく前までは地デジしか見られなかった。その時分から「はて?」だったのが、地デジで何でBSの番組を宣伝するのだろう?ということ。BSを見られる方々にとっては何の違和感もないだろうし、とてもありがたいことかもしれないが、地デジしか見られない身からすると、何でBSの宣伝をするんだよ???と思ってしまう。とてもいい番組だ、おもしろい番組だと宣伝されても、おいらは見られません!というのに。受信料返せ!なんて、ちょっと言いたくなったりしたもんだ。そんな私も、一応いまでは見られるようになって、個人的な不満は解消したけれど・・・。いい番組なら、みんなが見られる地デジで放送したらいいじゃないという思いは、依然としてモヤモヤしたまま残留した。

 そしたら今度はBS4Kが登場し、それに伴ってBS1とBSプレミアムが統合?された。これまで楽しく見ていたBS1のドキュメンタリー番組は減った。さらに今回の『舟を編む』では、再放送はBS4Kでしか見られないときた。以前のBSプレミアムなら、あの時間枠のドラマは必ず次の週に再放送をしていたのに。なんとアコギなNHK!。NHKからすれば視聴者をBSから、さらに4Kへという誘い水としての番組編成なのだろうけど。BSにしろ4Kにしろチューナーやアンテナ、4K対応テレビなどなど、それなりに設備を整えないと見られない。そうを考えるとNHKの番組編成は、やはり誰でもが見られる地デジの総合をメインにしてほしい。
 そして、ぜひともBSで『舟を編む』の再放送を、さらにみんなが見られる地デジの総合で『舟を編む』の放送をしてほしいと願っている。それでこそ「みんなのNHK」になるのではないか・・・。NHKに文句を言っているのではありませんからね、応援しているんですよ。よろしく!NHKさん

 春さんの「戦争語彙集」に関わって書こうと思っていたのに、前置きが長くなって本題になってしまいました。では、また(キヨ)