私のために時間を使ってくれている
つまり愛を感じる実感。
それがほしいんだ。きっと。
寂しい病再発
誰かの声に包まれて寝たい。
たぶん、誰かじゃなくて、母か彼なんだ。
すっごく寂しい。
不安で
落ち着かない。こういうのは久しぶりだ。
なんといえばいいんだろう。最近自分の事ができていない。
私はずっと他人に心を砕き、他人のために生きてきた。
主に家族。
それが自分のためにも家族のためにもよかったのか悪かったのかは今ではわからない。そのときそういう選択をしたという事実だけがある。
自分が、思ったより自分の事を表現できないのだなというのは、最近分かった。
ずっと察してちゃんだったので。
でも最近やっと薬を使わない自分というものをイメージできるようになってきたので、このままいきたいと思う。
前なら、このレベルの不安が来たら、きっと、抗不安薬を飲んでいた…あの、アレだよアレ…最近飲まなさ過ぎて名前すら思い出せない。良いことだ。
つれづれ
なんかずっとそのままの私を受け入れてもらえることが愛だと思ってたんだよね。それは母なんだよね。それを男の人に求めるのは少し違うんだよね。母に言ってくださいって感じで。
無題
悲しんでても彼女との関係すぐ変わるわけじゃないから
私がここで悲しんでても私が損するだけだ
そんなのいや
だから悲しむのはやめる
問題解決に必要なこと
なぜ自分や他人がその行動をしたのだろう?を考えている。興味深い。
なぜ?を考えていくと、いろんな可能性が出てきて、その可能性を狭めたい衝動に駆られて、いろんな行動に至る。
例えば、(他人の気持ちが)わからないから訊いてみるとか。
そうすると新たなことがわかったり、可能性が消されたりして、道しるべができる。
道しるべについて。
自分が何をすればいいのかわからないのは、道しるべがないからである。
道しるべがないのは、「なぜこれが起こっているか」の考察がないからである。
「なぜこれが起こっているか」の考察がないのは、経験不足か、心が落ち着かなくてそんな状態ではないからである。
経験不足ならば、そういう場数を踏めばいい。逃げずに体験すればいい。
心が落ち着かないならば、心を落ち着かせる方法を身につければいい。
(おまけ;心を落ち着かせる方法とはなにか?―自律訓練法や、もっと単純に目をつぶる方法が挙げられるだろう。まだほかにも、探せばたくさんあるはずである)
構文:
なぜAが起こっているか?
-Bだからである。
--Bであるのはなぜか?
---Cだからである。
----Dであるのはなぜか?
-----Eだからである。
これを繰り返していくと、最後には具体化していく。道しるべができていく過程だ。
具体化すると、なにをすればいいのかがわかる。
なにをすればいいのか、一足飛びにはわからない。
私たちは往々にして解決策はこれだ!と叫ぶことがあるが、少し順を追って考えないと、無理があるというものだ。
というかそもそも、問題とはなにか?をはっきりさせる必要がある。
上の例だって、はじめは道しるべについての話だったのに、最後には自律訓練法とか、目をつぶるというものが出ている。
一見何も関係のないものが、実は問題だったり、実は解決策(しかも、具体化されたもの)だったりする。
問題をはっきりさせる際に有用なのは、
「それができないとどんなデメリットがあるか?」
「それが解決するとどんなメリットがあるか?」
を考えることである。
これらを考えたうえでしっくりくるものを、問題として設定すればよい。
そこで取捨選択ができるということを示してもいる。
〆のうまい文が思いつかないので唐突に終わることとする。