生意気ボディでいこう
明けましておめでとうございます。一昨日で23歳になりました。FICCで働き始めて早半年以上が経ちました。今年から新卒カードは使えません。ちょっと不安です。
さて本題ですが、FICCの社員の一員として気づいたことから、実際にアクションとして起こしたことをまとめてみました。きっかけは、OJTのお二人から、「伊藤さんが入る前の3月と今じゃ本当に会社の雰囲気が違う」と言われたこと。また、「丁度会社が変わり始めようとした時で、伊藤さんが加わったことでドライブした」 と社内エンゲージメント担当の方からのお言葉もあり、私がやってみたことを包隠さず公開します。
※会社の雰囲気が変わったことは、決して私だけが要因ということではありません。
▼3行で分かるこのブログのポイント
- 自分に求められていることを知ると同時に、自分の強みを発揮する
- 会社の当たり前も何だか変と思ったら、どんどん行動を起こす
- 「自分を知ってもらう」「相手を知る」「小さな接点をたくさん作る」
▼少数精鋭の企業の一員になるということ
FICCは14年目の会社で、東京/京都オフィスを合せて約55人が勤務しています。私は東京オフィスに勤務しており、東京全体では45人程います。基本的には中途採用が主のため、少数精鋭な会社ということは、面接を受ける前にすべて目を通したFICCのブログからヒシヒシと痛感させられました。新卒入社の先輩達も信じられないくらい本当に優秀で、入社してすぐに超やばい人たちの集団ということは、こんな鈍感な人間でもすぐに察しました。
またFICCの新卒は、半年間契約社員という雇用条件から始まります。新卒あるあるの”実際に働いてみて思ってたのと違った”という問題がこの時点で発生していれば、ここで契約了。また、会社が求める人材とあまりにもギャップがある場合も同じく。
※あくまでも、本人の成果と意思を確認することが目的であり、契約を切るためではないです。
契約を更新する際は、役員/事業部長/OJTの先輩の前でプレゼンをするという、正直逃げたい場セッティングされます。そのため、私は仕事面で成果を出すことはもちろん、会社にとって必要な人にならないといけないという、超当たり前なことではありますが厳しい現実を気づかされました。
▼新卒として入社した私が貢献できること
「この人ならFICCに新しい風を吹かせてくれるのではないか」という役員の期待に応えることと「FICCにはいないタイプで、入社しても上手く馴染めないのではないか」という人事の懸念を払拭させること。入社時に聞き出したこの二つを達成することが、私が会社に必要とされる重要な要素であると入社してすぐに気がつきました。
1週間も経たないうちに、会社ってこんなにビジネスライクだっけと感じる場面がいくつかあり、(シャイな人が多いという点もありますが)凄くドライな空気を感じました。最初は私の感覚が間違っているのかと思っていましたが、現状社内エンゲージメントを強化するための対策も行われており、会社として改善していきたいという意思があることを確信しました。
▼仕事で関わらない人ほど、積極的に関わる。
そこで私は、次の3つを意識して行動してみました。
「自分を知ってもらう」「相手を知る」「小さな接点をたくさん作る」
①自分を知ってもらうこと
人事や面接に関わった役員は、私がどんな人間か理解した上で採用していますが、その他の人は全く知りません。自分の性格や志を伝えることで、少しでも何を考えているか分からない人という不安要素を取っ払う努力をしました。将来やりたいことや今ハマっていることなど…。また、自己紹介のメールで「最近のブームは餃子です。」と伝えたら、実は社内に餃子好きな人が何人かいて盛り上がった結果、餃子部を結成しました。定期的に餃子を食べるという楽しみができたことがとても嬉しいです!
②相手を知る
案件では、会社の20%くらいの人と関わります。他80%の人とは、ほとんど関わりがない状況でした。そこでまず、部署や年齢問わず積極的に色んな人とランチに行きました。あまり仕事の話ではなく、その人が好きなことを知ったり、プライベートの話、将来やりたいことなど。顔と名前だけではなかなか覚えられず、猫が好きな人、美術館が好きな人、机の中に沢山お菓子がある人、家が近い人、将来は小さな商店街の人にもマーケティングが使えるようにサポートしたい人…等など、その人に関わることとセットで覚えていきました。
相手を知ると同時に、自分との共通点を見つけシェアすることを心がけています。ポイントは知ったその場でなるべくシェアすること。
「そう言えば、Twitterでこんな猫動画見つけたんです~。シュールすぎてめっちゃ面白いんです」とか「私今この企画展行こうとしてるんですけど、一緒にいきませんか〜?」とか。もし、自分が知らないことなら「(好きなことで)最近見つけて面白かったものありますか?」など、相手を知る要素を増やす。そこから、何気なく自分がインプットしているもので、偶然当てはまるものがあれば、すぐに「そう言えば〇〇さんが好きそうなのありました!」とシェアする。普段から仕事以外でも気軽に何かをシェアすることで、グッと親近感が湧く気がします。
③小さな接点をたくさん作る
仕事で関わらない人ほど、積極的に関わる。小・中・高と学級委員をすることが多く、普段接しない人と接することで、少しずつクラスの雰囲気が変わることを経験していたからこそ生まれた価値観かもしれません。挨拶はもちろん、休憩スペースで話かけたり、仕事の合間に邪魔にならない程度に話しかけたり…。(邪魔になってたらすみません)
最近は、じっとしていられない私の性格を活かし、仕事中に飴を配ることをここ3ヶ月くらい実施してます。飴はお気に入りの缶にたっぷりと入れることで、配っている自分も気分が明るくなります。社員さんも各々お菓子を持っていることが多いので、交換したりすることもあります。
本当にちょっとしたコミュニケーションなのですが、相手が喜んでくれる姿を見て嬉しくなり、また仕事頑張ろうと思える良い循環が出来ています。
▼結果、私は貢献できたのか
「この人ならFICCに新しい風を吹かせてくれえるのではないか」という役員の期待に応えられたのかが気になったので、聞いてみました。
自分の意見を言える日本人が少ない中で、臆さず意見を言ってくれる。そしてガンガン行動してくれている。その結果、提案でも言われたことをやるだけのことがほぼ無く、もっとこうした方が良いのではないかと、フラットな関係が出来た。また、ビジネス視点だけで期待していたが、色んな人に対してご飯行きましょうなどと、人間関係の枠を超えて接してることで、社内の空気を回してくれた。
他にも、分け隔てなく仲良くしてるためレイヤーを無視した縦横無尽さがある、自分を示した上で馴染めているなど。
自分らしさが会社に貢献できることがとても幸せだなと、周りの新卒生の話を聞いて痛感します。自分の意見を求められる時代かつそのような会社で働けているから、私が私らしく働けています。
タイトルである「生意気ボディでいこう」には、まだ言葉足らずなことがあります。それは、”(チャーミングさのある)生意気ボディでいこう”ということです。女は愛嬌という言葉を色んな人を通して学びましたが、坂爪さんからも学びました。
どれだけ頭が良くても、どれだけ大量のお金を集めても、どれだけ豊富な武勇伝を持っていたとしても、多分、可愛げのある人間には敵わない。頑張るとか頑張らないとか、勝ち組だとか負け組だとかそんなことよりも「チャーミングであること」の方が、より一層のハッピーな日々を運んでくれるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月2日
アイキャッチに使用している画像も、坂爪さんから今年の誕生日にFBで送られてきた画像です。私はこれを見た瞬間、私のまま過ぎてクスッと笑ってしまいました。
※実は坂爪さんとは、同じ新潟県出身(しかもかなり実家近い)で末っ子という共通点があり、勝手に猛烈な親近感を抱いてます。
入社して、何か変だなと思ったことや、もっとこうしたら素敵になることがあるなら、気軽な感じで関係者に言ってみることで変わるかもしれません。新卒の私が言っても何も変わらないと思い始めたら、何もできません。変わることで会社がよくなるなら、変えていくことにポジティブに行動してみる。結局は自分の働く環境が良くなることに繋がるので、良い循環ができるはずです。不満だけを伝えてもダメなので、必ず代替案を伝えましょう。
もし新卒が意見を言えないような会社に入社していたら、息が詰まるように働いていたと思います。今の仕事やこの会社で働けていることが、本当に楽しいですし、感謝でいっぱいです。
▼最後に
「自分が想像していた以上に自分らしく楽しく働けている会社を、もっと良くしたい、伝えたい。」
良く言えば天真爛漫。しかし、基本自由で好奇心多すぎて集中力なくて、全然論理的にも話せなくて「何を伝えたいのかよくわからない」と皆様に日頃ご迷惑をかけまくっています。そんな私を受け止めてくれる会社には、本当に感謝しきれない2017年でした。
行きたいイベントやセミナーにも「行ってきていいよ。是非沢山学んで来て!」と笑顔で対応してくれる、チームの皆さん。常に目的意識を失わず、一旦立ち止まって考えることを気づかせてくれるOJTのお二人。案件で関わっている皆さんにも、いつも色んな面でアドバイスをいただき、少しずつ意識出来るようになったことが増えて来ました。(まだ細部まで気を使えていない部分も多いので指摘されながらですが。)
私は今の会社が本当に好きで、もっと色んな人に知ってもらいたいという気持ちがあります。1月半ばには私が書いたWantedly Blogが公開されますが、このブログを読んで少しでも興味持った方は是非気軽にメッセージ下さい。基本中途採用がメインですが、新卒の方でも。
▽Wantedly Blog
https://www.wantedly.com/projects/178651
▽FICC
弱いつながりが教えてくれたこと
これは、私の勘違いから始まった大阪での話です。自分から行動してみることで、人生はいろいろ面白いことに巻き込まれていくと実感しました。
ごく普通の大学生が、こんな場所に居ていいのか。そんな光景が目の前にありました。田中泰延さん、マエダショータさん、はあちゅうさん、野口卓也さん、金そよんさん……。
あまりの豪華さに、大人の会話に邪魔をしてはいけない、皆さんの時間を奪ってはいけないと感じてしまうほど。
いつものずうずうしさを発揮できず、ウーロン茶を片手にひたすら味穂のたこやきとおでんを食べていました。また会えるという保障もない中、事前に皆さんのブログを読み、聞きたいリストをメモしたiphoneの画面をそっと閉じました。
後悔の思いもあり、伝えられなかったこと、感じたこと、反省したことを書きます。
このブログをきっかけに、会いたい人には自分次第で会える可能性があるという希望と、思いを行動に移す大切さを見出してもらえたら嬉しいです。
そして、勇気をだして会いたい人に会うことで、掛け替えのない時間が自分の財産となり、自分を見つめ直すきっかけにもなることをお伝えします。
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夢の始まり
2013年4月1日
まだ少し肌寒い新潟の春。桜もチューリップも咲いてなく、季節感のない街並み。あの時の空も、白い雲で覆われていたのを鮮明に覚えています。
曇りにも関わらず、「今日は晴れて良かったな。」と、雨が降らないことに喜びを感じていました。
上京を決めたのは高校3年生の春。商業高校に通っていた私は、進路選択と真剣に向き合わなければなりませんでした。大学、専門、公務員、就職…。人生の分かれ道ともいえる選択に、私はすぐさま行動に出ました。
”私の夢は何だったっけ”
それまでの高校生活の中で、自分の夢と向き合ったことは一度もありませんでした。2年生の終わりごろ、就職先や大学が決まった先輩たちから、合格までの道のりを聞く時間がありました。
何故、就職を選択したのか、何故その大学にしたのか。どんな風に取り組んだのか。
話が終わると、一人で図書館に駆け込みました。そもそも世の中にある職業を知らなかったのです。職業が決まらなければ、進路が決まらない。そう思い、職業について書いてある本を手にしました。
しかし、自分が何したいのか分からない。
そんな時、「あなたはどんなことが好きなの?」と図書館の先生が問いかけてくれました。私は、とにかく学校行事が大好きでした。それは、高校だけではなく、小学校に入る前から好きだったと、今回の就活で気づきました。
みんなで話し合い、準備をして、アイデアを形にする。どんな日常よりも、イキイキして一体感が生まれる。そんな瞬間が大好きでした。
そんな想いを伝えると
「イベントプロデューサーが合うんじゃないかしら。」
このたった一言が、夢の始まりになりました。その時手にした本のコピーは、今でも大切に残しています。この時、イベントプロデューサーは、テレビ局の仕事の一部として紹介されていました。(一部省略しています。)
イベントプロデューサーとは、一言で言うと【なんでも屋】。仕事内容はとても地道で泥臭いけれども、とにかく楽しい。企画者には、幅広い知識と特定のジャンルのエキスパートが必要。できるだけ多くの人と話し、自分の知らない知識を得る。また、他の人が企画したイベントにも足を運び、そうやって吸収したことを自分のプランの糧にする。
まさに、今までの自分が好きだったことであり、とてもワクワクするものでした。まずは自分が、ワクワクしないと始まらない。とてもシンプルですが、大切な原動力。
私は、せっかくなら地元の良さを伝えたい、いつか東京で新潟の魅力を伝えるイベントを開くと決めました。
調べた結果、イベントプロデューサーになるためには、大学へ進学することが一番近いことを知り、大学に行くことに決めました。
無事、志望していた大学に合格し、上京することに。嬉しさとホッとした気持ちで涙が止まりませんでした。夢が大きく一歩近づいたと、嬉しくてたまりませんでした。
あの頃の気持ちは忘れません。
2013年4月1日
私にとって忘れられない日です。
新潟の魅力を伝えたいとは思っていたものの、”何もない”。東京に憧れていた私は、新潟の魅力を発見する際に、東京と比べて探していました。どうしても、東京の方が良く見えてしまいます。
しかし、東京に向かう新幹線の中で、私は運命の出会いをしました。この広告に出会ってから、見る視点が180度変わりました。
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
東京と新潟を結ぶ上越新幹線の中だけにある、吉乃川の広告。上京した新潟の人が、口を揃えて「あの広告いいよね」って共感する、素晴らしい広告です。
上越新幹線を利用した人なら、一度はこのシリーズの広告を目にしたのではないでしょうか。
人に思いを伝えたり、誰かを応援したりすることは、すべて広告なのだと思います。
風とロックなど復興支援をはじめ、多彩な活動をする箭内道彦さんの言葉です。
まさに私は広告を通して、背中を押され、頑張れよって言われたような、不思議な体験をしました。そして、何にもないと思っていた自分へ、気づきを与えてくれました。
「何もないんじゃない、自分が気づいていないだけ。見つけていないだ。ここからが始まりだと。」
今でもシリーズが続いていますが、この広告の魅力をまとめます。大きく分けて3つあります。(あくまで個人的な意見です)
1.コンセプトに基づいたストーリー性
2.ブランド価値ではなく、お酒そのももの良さや
お酒を飲んだ際に共感できるシーンを伝える
3.お酒が飲めない人にも共感できる
①コンセプトに基づいたストーリー性
⇒単発的な消費としての広告ではなく、吉乃川の資産となるような広告に。
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
引用:東京新潟物語 | 吉乃川 | 新潟長岡市にある日本酒の蔵元
2011年から続いていますが、”東京新潟物語”というコンセプトと、上京した女の子の物語という設定は守り続けています。物語なので、話が進んでいき、少女は女性になり、主婦になるというロマンチックな設定です。
四半期ペースで広告が作られているのですが、物語が進んでいくことで、続きが楽しみになっていきます。帰省の際についつい見つけてしまう、発見した際に嬉しさと安心感を覚える…。
上越新幹線の中でしか出会えないので、帰省の楽しみにもなりました。
②ブランド価値ではなく、お酒そのももの良さや共感できるシーンを伝える
⇒お酒を飲む人に共感してもらいやすい。
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
吉乃川を知らない人、飲んだことのない人でも、お酒を飲んだ時の心情を表現することによって、共感してもらえる。初めて父親とお酒を飲んだとき、失恋したとき、夫婦で飲んだとき…。
私はお酒飲めないので、必ずしもそうなのか分かりませんが、この広告を通して、誰とどこで何を目的に飲むかで、お酒の味も役目も変わると、感じました。
そんな様々なシーンを、共感できる言葉で伝えてくれる広告です。
③お酒が飲まない人にも共感できる
⇒新潟の人、地方から上京した人、女性目線の恋心。様々な立場の人の心情がそのまま表現
されている。
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
そもそも何故、東京が晴れた日は新潟は雪なのか。Twitterで分かりやすく書いてあったのでこちらを参考にしてみてください。
冬季日本海側の大雪メカニズム①:西高東低の冬型の気圧配置になると大陸上の寒気が日本海に吹き出します.寒気にとっては日本海は熱湯風呂状態で,大量の水蒸気と熱を供給されて積乱雲が発達します.これが本州日本海側に突っ込んで大雪をもたらします.特に山地では地形の影響で降雪量が増大します. pic.twitter.com/HhZoEuQgZX
— 荒木健太郎 (@arakencloud) 2017年1月12日
作家の川端康成の代表的な長編小説「雪国」の舞台も新潟。冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の一説。まさに、東京から新潟に向かうあの長いトンネルです。
本当に、そんなに気候が違うの?と思う方もいらっしゃると思います。ここで、今週の天気を見てみましょう。この季節、まさにこの広告の通りの現象が起きています。
新潟とても寒いです。海風が冷たく刺さるように強く吹いています。上京してまず驚いたのが、快晴が続くこと。新潟は本当に太陽が出ないんです。東京に来てから、日々太陽の暖かさに嬉しさを感じます。
気分が多少下がっていても、よし。がんばろう。と思えるのも東京の良さと気づけました。
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
ここでは長岡花火とは書かれていませんが、新潟県民なら、きっと長岡花火なんだなと想像ができます。
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
引用:【新潟県】「東京新潟物語」地元を想う、すべての人へ | 灯台もと暮らし
これが一番伝えたいことでして。私はお酒が飲めません。しかし、たまたま出会った広告が伝えてくれたメッセージが、自分とリンクして自分ゴト化になりました。
何度も繰り返しになりますが、”東京新潟物語”というコンセプトとストーリーが大切に守られているからこそ、お酒を飲まない人にでも共感できる広告となっています。
お酒が飲めない人が
お酒の広告で人生が大きく変わる
この出会いに、本当に感謝しています。
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何度も何度も強くなる
あけましておめでとうございます。
2016年、本当に沢山の皆様に支えられました。また、応援していただき、助けられました。
まだお世話になった一人ひとりに、感謝とお詫びの気持ちを伝えきれていませんが、一度自分の中で整理するためにも、このブログに書きたいと思います。
2016年は涙が出るほど嬉しい出来事も、無気力になるほど落ち込むこともありました。しかし、いつまでも落ち込んではいられず「考えるよりも、やれ。」そんな状況でした。
まだまだ自分の言葉で語れないことも多く、他人の言葉をお借りして説明するとしたら
ひとつひとつ、自分の目の前にある課題を、考えて整理して「こういうふうにやっていこう」と落ち着いて筋道を立ててやるやり方ではなく
「やりながら判断しなければいけない。とにかく終わらせなければいけなかった」という、未知なる道をただ前に突き進む、そんな一年でした。
就活も終盤に差し掛かり、周りがファーストキャリアとしての会社を決断している頃、私は行く会社が決まっていませんでした。
春先早々、こんな私に声をかけてくださった企業も何社かありましたが、私はまだ本当に行きたい会社にESさえ出していない時期でした。"就活あるある"かもしれませんが、とりあえず内定を貰う。そんな風に当たり前に皆が行なっていることが、私には出来ませんでした。
何故なら、自分に嘘をついてまで生きるのが辛い人間だからです。人事が良い方だとより罪悪感を感じました。そして、何よりも自分から逃げている自分が嫌でした。
「まだスタートラインにも立てていないのに、ここで楽な道へ行くのか。」そんな自分からの問いに、答えは一つしかありませんでした。
「何言ってんだ、ここからだろ。」
目の前にゴールが見えても、それが自分に対しての嘘であれば意味がない。自分の気持ちに正直に生きようと思い、決断しました。
心からそう思えたのも、地道な積み重ねがあったからです。11月から少しずつOBOG訪問を行い、クリスマスもOG訪問、年が明けて1月の期末テストが終わり、2月頃から毎日必死にESを添削してもらいました。スーパーショボいESを、沢山の方々の力によって、少しずつレベルを上げ育てていました。
大切な飲み会の合間を縫って電話でフィードバックをくれる方、仕事の打ち合わせが終わり21時から居酒屋で話を聞いてくれる方、平日は忙しいからと土日に時間を作って一緒に考えてくれる方、直接会えずともオンライン上で何度も何度もフィードバックをくれる方……。
沢山の大人に、何度も何度も強くしてもらいました。
叶えたい夢があって真剣だったからこそ、“後悔しないくらい打ち込み、それでもダメだったら、一回死んで、生まれ変わり、這い上がろう。“そんな気持ちで、就活をしていました。
「あそこまで何言われてもへこたれずに何度も来る子は珍しいよ笑 いい意味で。」
昨年一番お世話になった人がそう仰って、励ましてくださったのは、今でも鮮明に覚えています。それほど必死でした。1995年1月7日。イノシシ年✖️山羊座生まれの私ですが、どちらとも共通点があり、それが「自分が決めた道をやり抜く。」でした。
今回、この性格がハッキリと出た就活となりました。 もしかしたら裏目に出たかもしれませんが、結果として後悔はしていません。何故なら、全力でやりきったから……。
目指していた会社には、あと一歩二歩足りませんでしたが、後悔なくスッキリとした気持ちで終えることができました。今思えば、ESの通過通知が届いて号泣するほど、私は本気で取り組んでいたのだと。受験経験もないのでSPIのテストでさえ、地獄かと感じるほどでした。
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エントリーした企業を受け終え、どこも行く宛てが無くなった私は2日間寝込みました。これ程何もしたくないと思った日はありません。生きる希望を失いかけ、親にさえ何も言えませんでした。
その時
「泣いても何も解決にならない、前向きに生きろ」
ふと、ESにも書いた、小学一年生の頃に父親にビンタされた時のことを思い出しました。ビンタは、これ一回きりです。周りから甘やかし過ぎと言われる程、優しい父親です。
自己分析の際に、苦しくても立ち向かう、弱音を吐かない、泣かない、この性格はいつからかと考えた時に出て来ました。
7歳の私には理解できませんでしたが、今になって、無言で去って行った父親の背中から、このメッセージに気づけました。
このまま何もしない訳にもいかず、色々と調べました。そして、毎日つぶやき、情報収集をしていたTwitterによって、就職先を見つけることになります。Twitter廃人で良かったです。そして、りょかちさんに感謝です。
「好きに嘘はつけない」ということばが、本当に徳田の人生をつくってるなあ/広告が好きすぎて、ヒカリエの会社からマーケティングの会社に転職した話 | inside FICC https://t.co/f5ooooxi54
— りょかち☆あと4.3kgやせる (@ryokachii) 2016年9月1日
私も東京新潟物語という広告がきっかけで、今の自分の生きる目的であり、夢ができました。また後日書きたいと思いますが、もはや自身一部でもあるこの広告。就活をする中で、手掛けた博報堂の宮崎晋さんにお話を聞きたいと思い、お会いしました。70歳を過ぎても現役で、とても生き生きした姿でした。お会いしてから、私も好きな事を仕事にしたいとより強く思いました。
そのため、徳田さんの「好きに嘘はつけない」という想いは凄く共感できました。上京してからずっと、コミュニケーションデザインを考えられる業界を目指していました。すぐさまFacebookのメッセンジャーで連絡しました。
徳田さんは快く受けてくださり、すぐさまランチへ。会社のことを沢山聞きました。主に広告、PR、制作業界を見てきましたが、聞いたこともない会社。リクナビやマイナビに一切情報解禁しておらず、会社説明会もない…。HPを隅から隅まで目を通して、会社がやっていることと将来実現したいことのミスマッチがないか確認しました。
面談では、取締役の平野さんとお話ししたのですが、本当に仕事に対して真面目で、プロ意識が高い。プライドが高いのと紙一重かもしれませんが、そのストイックさが私は好きでした。そして、デジタルマーケティングという最先端領域で、新しいことに沢山挑戦できること。事業内容としては、コンサルと代理店の間のような事ことから、制作までを一貫して行っています。
大手制作会社で自分が言っていた事を実現しており、まさに理想の環境でした。また、自分の価値観と理念が合致していたことも大きいです。私は、最初から答えが決まっていて、その答えが絶対で、誰がやっても同じになる取り組みにモチベーションを感じません。
"クライアントの欠かせないパートナーとして私たち独自の価値を提供する"
この理念に相応しい社会人になれるよう、仕事以外でも自分の興味関心分野を伸ばしていきたいですし、持ち前のフットワークを活かし、沢山の人と場所に足を運び、吸収していきたいです。
社長の荻野さんが「みんな、自分にしか提供できない価値っていうのを仕事にして欲しい」とキックオフミーティングで話していたブログを見つけ、こんな風に代表が社員に対して想っている会社があるんだと感動しました。
スマートでクールな人が多く、一件冷めているのかと思いきや、とても優しい人ばかりです。私らしさを保ちつつ、自分とは違う価値観を持った人と働き、成長していきたいと思います!
デジタルにほとんど興味のなかった私が、まさかデジタルエージェンシーに行くとは。ロジカルシンキングとかけ離れた思考を持った人間で、基本ノリと勢い。4月から研修が始まりますが、とても楽しみです。
様々な壁にぶつかると思いますが、沢山インプットして自分の頭で考えて、少しずつカタチにしていきます。その結果、まだ見ぬ世界が見れるようになった時の景色や、出来なかったことが出来るようになった時の達成感をイメージして、簡単に諦めず地道にやり抜こうと思います。
FICCについては、また後日書きたいと思います。同期は残念ながらいません。少し寂しいです。通年採用なので、内定式もありません。しかし、学生時代仲良くしていた先輩が中途採用でジョインする事が決まり、同じチームになったのでとても楽しみです。ちょっと周りとは違う環境ですが、それもまた良さに変わりました。前向きに捉え、頑張ります!
年末に総会があり、その時の様子の中に私の紹介があるので、よかったら見てみてください。二重アゴがくっきりですね。痩せます。
平野さんにも「伊藤さんはとても根性があります。」と紹介されました。私には尖った才能がないので、それくらいしかないのです。やり抜くのみです。
就活期間が長くなった分、途中途中で今まで知らなかった素晴らしい企業や、コミュニティにも巡り会うことができました。その事もまたお伝えします。
長文となってしまいましたが、自分の中のモヤモヤとした気持ちを整理するとともに、ご報告できていない方が沢山いらっしゃった為、この場でお伝えしました。
2016年、本当にいろんな事がありました。沢山の試練や出会いが、私を何度も何度も強くしてくれました。
2017年も、へこたれず何度も何度も立ち上がり強くなりたいと思います。