自分が作ったと言っても許されるのは小説くらいだろう。
声を大にして言えるほどの自信はないけれど、作ったという手触りみたいなものはいくつかのものには残っている。
同人誌として活字になって、自分と直接に関わりがない人に読まれて、感想や意見などが返ってきたことが一度や二度ではない。
好感を持てたものばかりではなかったけれど、確かにきちんと読んでいてくれたことが感じられたら批判的な言葉でも悪い気はしなかった。
同人誌の人間関係に疲れたので、同人から抜けて数ヶ月。
いつかまた気が向いたら小説を書くこともあるだろうが、そのときは同人誌という媒体を選ばないような気がする。
ただ、自分が書いた小説を他人が読んでくれたことに意味があったことは間違いなかったので、小説を書き上げた時にはどんな手段でも誰かの目に触れるようにしたいとはぼんやりと思っている。
仕事としてシステムエンジニアになって20年以上は経ったが、何かを作って残したという実感はない。
ほとんどの場合は関わったプロジェクトによって、様々なルールが存在した。
それらのルールに従って、プログラムや設計書などのドキュメントには自分の名前を書いてきたが、ただそれだけだ。ある意味では記号のようなものだ。
今年になってからの暖かくなったころ、SNS上でカメラマン同士が関わった仕事でのクレジット有無についてのやり取りがあって、それなりに白熱していた。
世の中で仕事に関わっているほとんどの人は名無し。
自己表現ではなくて、生きるためだけに仕事をしている人の方が圧倒的に多数だろう。
しかも、彼らの存在があってこそ、世の中が回っているはずだ。
そんな視点で考えると、自分の仕事の成果でマウントを取ろうとするなんて考えるのはサミシイヤツだと思う。
カメラマン繋がりで少しだけ。
アマチュアカメラマンという言葉が好きではない。
代わりになるようなよい表現がないので、自分も使ってしまっているので、より気になってしまっている。
一部のジャンルではアマチュアとプロを使い分けているが、カメラマンはどうなのだろう。
アマチュアカメラマンと仕事で関わる他の職種の人たちに聞いてみたい気もする。