淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

クレジットとアマチュア

 自分が作ったと言っても許されるのは小説くらいだろう。
 声を大にして言えるほどの自信はないけれど、作ったという手触りみたいなものはいくつかのものには残っている。
 同人誌として活字になって、自分と直接に関わりがない人に読まれて、感想や意見などが返ってきたことが一度や二度ではない。
 好感を持てたものばかりではなかったけれど、確かにきちんと読んでいてくれたことが感じられたら批判的な言葉でも悪い気はしなかった。

 同人誌の人間関係に疲れたので、同人から抜けて数ヶ月。
 いつかまた気が向いたら小説を書くこともあるだろうが、そのときは同人誌という媒体を選ばないような気がする。
 ただ、自分が書いた小説を他人が読んでくれたことに意味があったことは間違いなかったので、小説を書き上げた時にはどんな手段でも誰かの目に触れるようにしたいとはぼんやりと思っている。

 仕事としてシステムエンジニアになって20年以上は経ったが、何かを作って残したという実感はない。
 ほとんどの場合は関わったプロジェクトによって、様々なルールが存在した。
 それらのルールに従って、プログラムや設計書などのドキュメントには自分の名前を書いてきたが、ただそれだけだ。ある意味では記号のようなものだ。

 今年になってからの暖かくなったころ、SNS上でカメラマン同士が関わった仕事でのクレジット有無についてのやり取りがあって、それなりに白熱していた。
 世の中で仕事に関わっているほとんどの人は名無し。
 自己表現ではなくて、生きるためだけに仕事をしている人の方が圧倒的に多数だろう。
 しかも、彼らの存在があってこそ、世の中が回っているはずだ。
 そんな視点で考えると、自分の仕事の成果でマウントを取ろうとするなんて考えるのはサミシイヤツだと思う。

 カメラマン繋がりで少しだけ。
 アマチュアカメラマンという言葉が好きではない。
 代わりになるようなよい表現がないので、自分も使ってしまっているので、より気になってしまっている。
 一部のジャンルではアマチュアとプロを使い分けているが、カメラマンはどうなのだろう。
 アマチュアカメラマンと仕事で関わる他の職種の人たちに聞いてみたい気もする。

今日の写真のモデルはMIKIさん。

恋のラリー

 身内や友人から文字でやりとりする時のレスポンスが素っ気ないと、よく言われる。
 自覚はあるのだが仕方がない。文字で誰かとやりとりするのが昔から得意ではないからだ。
 実は自分の娘もそんな様子が伺えるが誰に似たのか。

 仕事でメールを書くのも嫌いだが、読むのはもっと嫌い。
 最近はSlackやTeamsなどのチャットで情報を共有することが多いのだけれど、それらでのやりとりもやっぱり苦手だ。
 メールよりも要点だけを伝えられる場面が増えたメリットは確かにある。
 だが、コミュニケーションが気安くとれるために必要以上の情報が共有されている気がして、それらに気が取られてなかなか他の仕事に集中できない。
 あ、それは言い訳だったかも。自分は仕事に集中できるタイプではないから。

今日のお散歩ショット

 今夕、昔の同僚からスマホにショートメールが届いた。入浴と夕食を跨いで、今もまさにラリーの最中。ラリーがいつ終わるのかとゲンナリしている。
 同僚が素敵な女性であるならば浮き浮きしながら相手の返信を待てるのだろうけれど、相手がオッサンではただただうっとうしいだけ。

 同僚は自分なんかとやりとりをして楽しいのだろうか。
 誰かに何かを聞いてもらいたいだけであれば、キャバクラがガールズバーなどの夜の店に出かけて、店のスタッフに話を聞いてもらえばいいのに。
 彼の経歴を考えると自分よりは稼いでいるはずだから。その前にたしか、パートナーもいた気がする。

 同僚だけでなく自分の友人や身内のほとんどはショートメールかLINEで連絡してくるが、あまり好ましく思っていない。
 不器用なので、返信するたびにスマホで文字を選ぶのがイライラするからだ。
 メジャーなSNSのアカウントはほぼ持っている自分。パソコンに対応しているSNSのDMで連絡してくれた方が助かるし、相手への返信も早くなるだろうに。

 システムエンジニアあるあるかもしれないが、実はスマホタブレットの知識をあまり持っていなかったり、操作が苦手だったりすることも珍しくない。
 さらに言うと、アカウントを持っているSNSはLINEだけと言うエンジニアも少なくない。
 システムエンジニアだから、IT一般の知識や経験が豊富というのは幻想だ。

 なぜ、オッサンたちはLINEやショートメールを使って連絡してくるのだろう。
 自分自身でちょっとしたことだったら電話してくれた方が早いのに。

 そういえば、素敵だと思える女性と最後に電話をしたのはいつだったのだろう?
 少なくとも数年はないように思うが、次にそんなことが起きるのはいつだろう? もう、一生無かったりして。

今日の写真のモデルは月野さきさん。

黄砂越しに見た景色

 今週は毎朝、ホットサンドをよく食べている。
 普段は味噌汁と御飯を中心とした和食を食べることが多いのだが、ホットサンドがどうしようもなく食べたくなることがたまにある。

 自分が使っているホットサンドメーカーはかなり年期が入っている代物でまだまだ現役。
 独身時代に実家から持ってきたもので、ガスコンロで使うタイプのものだ。
 これを使って卵、キャベツやハムを8枚スライスの食パンに挟んで焼くことが多い。

 カーテン越しに朝陽が差し込むリビングでホットサンドを食べていると少しだけ贅沢な気がする。
 だが、和朝食を用意するよりも手間と時間がかかるので、仕事がある朝にプレスサンドを食べることは少ない。

 今週の自分はずっと在宅だったからできた贅沢だった。
 来週以降に仕事として登壇する新入社員研修の準備をしなくてはならなかったのだが、はっきり言ってはかどっていないのが不安ではある。
 昨年と違い、今年は二年目であることもあって、悪い意味で緊張感が足りないのかもしれない。

 それでも今日は朝食を食べる前に来週からの仕事の準備をした。
 着替えるとすぐに自分の車に乗り込んで街中へ向かった。来週からの登壇先の下見だ。
 通勤する時間に車で現地まで移動するとどれくらい時間がかかるかと、コインパーキングの場所などを調べたかったからだ。

 すでに公共交通機関では現地へは訪れたが、自宅からだと乗り換えが発生するし、最寄りにはあまり近い駅もない。
 自転車で通勤することも考えたが、マイカー通勤することにした。
 スーツで自転車に乗ると皺がよったり、スラックスが破れたりしてしまったら困るからだ。
 今の自分の体型を考えるとそんなハプニングが起きる可能性も十分にあり得る。
 先週、久しぶりにスーツを着たら、特にお腹が気になったからだ。ウエストがパンパンだった。

 自宅から登壇先までの距離は直線だと8㎞ほど。
 渋滞状態によっては1時間以上かかるかもしれないと考えていたけれど、今日の試走ではそれほどはかからなかった。
 明明後日の初日、講師は8時には出勤していなければならないので、その時間をシミュレーションしてドライブしたが街中の道はまだ、それほどの混雑はしていなかった。

 だが、自分が自宅へ帰ると、逆行きの車が多くなっていたし、自転車や歩行者なども目立った。
 黄砂で汚れたフロントガラス越しに見たからかもしれないけれど、皆が同じ時間に慌ただしくしているのがなんだか奇妙に見えた。

今日の写真のモデルは、初めましてのももなさん。

たまたま

 昨年に続いて今年も新入社員研修の講師として、登壇する日々が始まった。
 今年の登壇予定日は70日。昨年は30日強だったので、ほぼ倍だ。
 六月には全ての研修が終わっていた昨年と違って、今年は八月のお盆前まで講師の仕事は続く。
 比べるとかなりの長丁場になるが、なんとか無事に走りきりたいものだ。

 昨日と一昨日が今年初めての登壇だった。登壇先は多摩センター駅から最寄りの会社。
 昨年は隣の駅、永山で研修を行ったのも何かの縁なのかもしれない。

 名古屋市民の自分からしたらどちらの駅も、東京都内ではあるけれどアクセスに不便な郊外のターミナルとしか思えない。
 京王と小田急ともに特急が停まる駅ではあるけれど、新幹線に乗るためには坂ばかりの不便な街だ。

 どちらの駅も圧倒的にホテルが不足している。昨年も多摩地区でホテルを探すのには苦労したが、今年はそれ以上だった。宿泊料が爆上がりしていることがかなり影響している。
 講師たちからエージェントに対して意見が殺到していたのだろうか。今月になってから急遽、宿泊手当が2000円上乗せされた。
 だが、自分はすでに宿泊先を予約済みだったので、今更感は強かった。

 今回の登壇のために、一昨昨日の火曜日と一昨日の水曜日の二泊した。宿泊したのは橋本駅近くのホテル。
 橋本駅は神奈川県相模原市だ。宿泊先から研修先まで二日間、県を跨いで通勤したことになる。
 ちなみに、橋本駅多摩センター駅も利用したことがなかったので、駅周辺には全くの土地勘がなかったので通勤時に歩くのがちょっと新鮮だった。

昨日のお散歩ショット。

 昨年と違って今年は、初登壇日にあまり緊張しなかった。
 二日間の研修内容はそれほど難しい内容ではなかったこともあるが、それ以上に悪い意味での慣れがあった気がした。
 正直、受講生の顔と名前が一致する前に過ぎてしまった二日間の講習。
 受講生にとっての自分も過ぎていった一人に過ぎないだろう。

 今回の研修を担当した講師はメイン講師を除くと、全員が自分と同じエージェントに所属していた。
 そんなこともあってか、昨日は研修後に飲みに行くことになった。
 帰りの新幹線の時間を気にしなければならなかったが、早く仕事が終わっていたので2時間以上は居酒屋に滞在できた。

 四人でグラスを傾けた。全員男性だったが、年齢も居住地もバラバラ。
 一番遠くから登壇した講師は北九州に居を構えているので、飛行機で自宅と行き来しながら登壇を続けるようだ。
 同じエージェント所属でたまたま同じ会社で登壇しただけの縁だったのに、話はかなり弾んで楽しい時間を過ごせた。
 自然と飲みに行くことになったように、別れ際にはお互いに連絡先を交換した。
 またこの先、彼らと交わることがあれば思えた。

今日の写真のモデルはゆうかさん。

大人だとは思っていない

 10年ほど昔の話。
 四月のはじめに父は亡くなった。
 死因は膵臓癌で、主治医からは桜の花を見ることができないかもしれないと言われていたが、現実になった。

 父の葬儀は気持ちのよい日だった。
 喪主だった自分は霊柩車の助手席から見た景色に春を感じたのを覚えている。
 やるせない気持ちを抱いていた自分と違って、まわりはあまりにも平和に見えた。
 霊柩車の行き先は名古屋市南東部にある火葬場だった。

 火葬場からの帰りは親族たちと一緒だったはずなのに、その記憶はあやふやだ。
 マイクロバスかタクシーのどちらに乗ったのかもはっきりとは覚えていない。

日曜日のお散歩ショット。

 今年は春の彼岸も父の命日にも墓参りをしなかった。
 特に理由はないけれど、あえて言い訳するならば彼岸のころは仕事に追われていたからだ。
 だが、亡くなった父のことを忘れてはいるわけではないし、ふといろいろな場面で様々なことを思い出す。

 先日、かつてある商社でトップだったというセールスマンの話を動画で見た。
 動画内でそのセールスマンは次のように話していた。営業成績を残すためには客に対して高いけれど買ってくれと言えるかどうかだと。
 そのセールスマンの印象が強く残っていたのだろうか、あまり安くないものを父に買ってもらおうとした記憶を思い出した。

 20年前の自分は宅配便のセールスドライバーだった。
 今よりも浅はかだった30歳の自分は深く考えることなく、物流業界に飛び込んだ。

 セールスドライバーには配達と集荷以外にも仕事があった。その中でもキツかったのは営業。
 定期的に会社は営業キャンペーンを催し、キャンペーンに沿ったノルマが課せられた。
 新規荷主や代引きを利用する荷主の獲得。変わったところでは既存荷主にデジタル伝票の導入を促すなんてものもあった。
 入社してしばらくは荷物を持ってうろうろするだけで疲れ果てて毎日が過ぎていった。
 余裕なんて全くなかったので、営業の成果はほとんど出せなかったが一年ほどすると、それなりに成果を出して営業所内で表彰されたこともあった。
 表彰された時に受け取った賞品は500円のクオカード。
 たまたま、表彰基準の二倍の成績だったので賞品も倍だったが、それでもたった1000円の金券だ。
 あんなに大きな会社なのにしらけてしまう話だ。

 キャンペーンで意外とキツかったのは物販。
 今は知らないが自分が在籍した当時、セールスドライバーはいろいろなものを販売していた。売れ筋は梅干し、牛丼の具やラーメンだったが、他にも様々なものを扱っていた。
 閑散期の時には物販の販促キャンペーンがあったのだが、自分は苦戦した。
 新規荷主の獲得などは、配達時などに相手と普通に会話していれば自然と話が広がって困ることが自分はなかった(強いていうならば印紙代を客にごねられるくらいで)。

 物販のキャンペーンで困っていた自分は父に泣きついた。取り扱っている品の中にコピー用紙があったからだ。
 父はフリーのメカニカルエンジニアで仕事場には複合コピー機が置かれていて、日常的にコピー用紙を消費していたからだ。

 だが、あっさりと購入は断られた。父が利用していたコピー用紙の方が安かったのが理由だ。
 父の言葉を聞いた自分はきょとんとしていたように思う。
 どちらかと言うと好感を抱くことが多かった父にそんな対応を取られるとは思っていなかったからだ。

 そのときのことを改めて考えた。他に父の真意があったのだろうかと。
 だが、深い理由があったとはやっぱり思えない。
 タイミングが違っていたら、父の判断は変わっていたような気もする。

 ちなみに占い師になった母のプロとしての見立てによると、父は子供っぽいとのこと。
 また、マザコンなくせに父にとっての自分は運命の人だったと少しも照れずに言ってのけた。(女は怖い。)
 だが、母にとっての父は運命の人ではなかったらしい。あくまで母の占術の見立てによるようだが。

 逆に自分はマザコンではなくて大人びた人間とのこと。大人びた≒老けているということならば、なんとなくわかる気もする。子供のころからオッサンっぽいとよく言われてきたから。
 あと、仕事の星が自分にはなくて働くこと自体が向いていないらしいが、父や弟は仕事人間とのこと。
 大人びてはいるが、勤労意欲がないってどういうことなのだろう。ちょっと気になる。

今日の写真のモデルは、初めましてのmanaさん。