脳内たれながし

話を整理するための話

大人になって人見知りだったと気づく

30歳付近になるとて「私って人見知りだったのか」と感じることが多い。もっというと「私って話が下手だな」と感じることが多い。

 

 

昔はもっと話の要点をまとめ、なんとなく狙ったとこで相手に笑ってもらえるみたいな話構成をたてられていたのに、今じゃ自分で話してる側から自分にツッコミを入れたくなるくらい支離滅裂だなぁと感じる。

 

 

この話だと伝わらないかな?て思って詳細をつけまくるせいで注釈だらけの会話になって「ひえええ、結局何が言いたいの私!!」て自分で話してて思うし、なんなら説明が多いせいで本来の内容を忘れることもある。

 

 

親とか年配の人が「なんの話したかったんだっけ?」て話してる途中で言うのを若い頃は「おいおい…」て思ってたのに、今じゃ私がそれ。これは困る非常に困る。

 

 

それに、もうとりあえずグチャグチャだからオチつけちゃえ!て適当にオチを盛っちゃうこともある。隠したいが故に話をてんこ盛りにして穴を消してる。穴を開けすぎた壁を壁パテで塗りつぶしてるみたいな気持ちで話してる。いや、そんな気持ちになったことはない。

 

 

この、自分の話がめちゃくちゃ長くて酷いなぁて思う原因に心当たりはある。それは社会に出て「お互いの普通、常識」が違う人とあまりにも多く触れるが故に、色々な人に気を使いすぎてしまったことだ。

 

 

「お互いの普通、常識」が違うから、相手にこの話が伝わるかな?と不安になり注釈をつけすぎてしまう。そしてだんだんと話すことを避けてしまいがちになり話す機会が減ることで話すのがもっと下手になる悪循環が生まれた。不幸の連鎖だ。

 

 

解決策としては、相手との共感性がどこまで一致しているのか知るために相手の話を聞くことなのか、そもそも話をまとめてから話をすることを意識して話すことなのかはわからない。もしかしたらこれ以外の方法があるのかそれも定かではない。

 

 

そして何より「そもそも人と話すの上手いて思ってたけど、そんなに上手くもなかったのかもしれない」てことがある。

 

 

こうなってくると前提が覆る。シックスセンスもびっくりの波乱展開。ラスト5秒であなたの常識がひっくり返る。みたいな詐欺。

 

 

あとさ……こんなふざけたことばっかり言ってるから話長くなるんだろうな…!

 

 

 

 

 

 

ヒトトお話しするテナニ

人と話をしていると自分が話しすぎてたり、ソース元がふわふわしてたりして中身がなさすぎるなと思うことがある。

 

 

話の語尾が「だったかな」「ような気がする」「わからないけど」「まあそんな感じ」

 

 

ていう言葉添えが多すぎて、私の話てなんの情報性もないし、正確性もないなて感じた。

 

 

だからと言って普段の会話からニュース番組みたいに正確な情報を届けてる人て一体どのくらいいるの?て話だし、全ての情報元がしっかりしててかつ話の組み立てができてる人なんて少ないだろうなて感じる。

 

 

じゃあ何が問題なのていうと、それなのに自分の話したがりてところ

 

 

 

「一体全体どうして私はこんなに話したがるのか、承認欲求が高すぎなのでは?」

 

 

 

と悩む、悩んだ結果いっそのことブログで思ったことを思うまま吐き出して、文面で見て変なとこ修正して人に届けてみるていうのはどうだろうかと思った。

 

 

または、「こんなつまらんこと話しても仕方ないか」と冷静になるには丁度いいかもしれないとも思ったり。

 

 

つまるところこのブログはそんな脳内垂れ流しの、情報源も定かではないふわふわした会話の有象無象を集めて煮詰めたようなブログてわけで、前段階を垂れ流してみて自分で「はっ」としてみたり「話すことを我慢できない」ていう欲求を満たすために始めてみる。

 

 

 

 

というかそもそも皆は一体どのくらい人に「話したい!!!」て思うものなのか、議論したいて思うものなのか

 

 

私が狂ってるのか、それとも人に話す瞬間が少ないが故にたまってるせいなのか教えてほしい。ちなみにだけど

 

 

 

 

 

 

陰キャな自覚はある。